長嶋名誉監督も住んだことのある高級住宅地
下北沢は知っているが上北沢は知らないという人は多いだろう。京王線沿線住民でないと知る機会はほとんどないのではないだろうか。
だが、上北沢はかつて巨人軍の長嶋茂雄名誉監督も住んだことのある高級住宅地なのだ。
しかも長嶋茂雄が田園調布に引っ越したときに上北沢の家を売った相手が当時の総理大臣の佐藤栄作。安倍晋三の祖父・岸信介の弟である。政治家では中曽根康弘および宮沢喜一という二人の元首相も住んだ。文化人ではデザイナーの福田繁雄、社会福祉事業家の賀川豊彦、その他、中央公論社社長・嶋中鵬二、考古学者・江上波夫らも住んだのだ。長嶋の影響か、プロ野球選手も多い。
ところが上北沢について調べようと思っても、田園調布などの有名住宅地と比べると資料が少ない。都市計画史の専門家である越澤明東京工業大学教授が上北沢についてずっと研究しておられ、2013年に住宅生産振興財団から上北沢の研究報告書を出された。これを読めば上北沢について何でもわかるという報告である。本稿でも同報告書に基づいて上北沢の魅力を概説する。
ユニークで美しい街路
上北沢分譲地は世田谷区内では桜新町に次ぐ古い分譲地であり、京王線沿線では最初の分譲地である。
関東大震災の直後に電鉄系でも財閥系でもない民間不動産会社である第一土地建物会社によって開発された(同社は現存しない)。
上北沢の街路はユニークだ。駅前からまっすぐのびる道路があり、そこから左右にまっすぐに道が延びている。
普通なら左右の道は中心の道路に対して直角になりそうだが、上北沢は違う。50度くらいの角度で斜めに中心の道路が交わっているのである。
だから、まあ、葉脈のようともいえるし、ちょっと肋骨のよう、魚の骨のようでもある。なかなか変わった街路なのである。
台湾での開発の経験を生かした
第一土地建物会社の社長・木村泰治はニコライ堂で有名なロシアの宣教師のニコライに漢学などを教えた木村譲斎の四男であり、二葉亭四迷と知り合い、新聞記者もしていたことがある。
が、1909年に台湾土地建物会社が創立されるとそこに入社し、台北市で日本人向けの良質な住宅地の造成の仕事をしたという人物である。
台湾での経験から、木村は碁盤目状の町ばかりを造ってきたのだが、これには弊害もあることがわかっていたので、上北沢では碁盤目状ではない町を造りたかったらしい。だが四角い土地の隅に駅があるという位置関係でいうと、国立市の大学通りのように、駅から直角にどーんと大通りをつくり、左右に道を放射状に配置し、といったことはできなかった。
悩んでいると、友人が、駅から土地の対角線上に中心道路を引いてはどうかと提案した。それは名案だと木村は驚き、葉脈のような肋骨のような街路ができたのである。
芦花公園、世田谷文学館も近く、良好な環境
街路には土地造成時から桜の木が植えられ、開花から葉桜の季節、そして紅葉の季節など、四季折々に美しい町並みを楽しむことができる。桜並木のある住宅地というのは今では珍しくないかもしれないが、歴史的には、先述した桜新町が最初であり、上北沢が二番目らしい。
しかも中心となる道路を最後まで歩き、突き当たりを左に曲がり、それからまた右折すると将軍池というきれいな池にたどり着く。
池の反対側には大宅壮一文庫という、ジャーナリストなどが愛用する雑誌の図書館があるし、さらに西まで散歩をすれば芦花公園に至る。そこから北上すれば、私も企画展の度に見に行く世田谷文学館がある。
というわけで、私も上北沢に住むと都合がよさそうである。
公開日:






