不動産、福祉、コミュニティを紡ぐ新たな街づくりの物語

「ふく」でおなじみの山口県下関市「ふく」でおなじみの山口県下関市

下関駅周辺エリアは、かつて九州と本州を結ぶ玄関口として栄えた港町だった。今では多くの店舗がシャッターを下ろし、地域の活力が失われている。この状況を変えるべく立ち上がったのが、株式会社ARCHの橋本千嘉子さんだ。

橋本さんは、家業である老舗不動産会社、上原不動産で培った経験を基に、2022年にARCHを設立。20年以上の不動産業務で街の変化を見つめてきた橋本さんは、空き家を活用したシェアオフィスやコワーキングスペースの運営、フードバンクと連携した生活支援など、不動産再生と福祉を組み合わせた新しい形の街づくりを実践。その活動は、持続可能な形で下関の未来を明るくするための挑戦として注目を集めている。

消えゆく下関駅前のにぎわい 「通過されるまち」の苦悩

かつて栄えた下関駅周辺も、関門橋の開通や新幹線の発達により「通過されるまち」へと変化した。駅周辺エリアでは多くの店舗がシャッターを下ろし、空き家が増加の一途をたどっている。職住一体型の建物が多いこの地域では、2代目、3代目が地域外へ転出し、建物の管理も行き届かなくなっている。

さらに、商店会の解散により、街のシンボルでもあったアーケードの維持が難しくなっている。これまで商店会が共同で行っていた修繕や電気代の負担が個々の店舗の責任となり、街並みの劣化に拍車をかけている。破損したアーケードの修理費用は個人では賄いきれず、それすら放棄せざるを得ない状況も生まれている。歩いて買い物をする人の姿もめっきり減少し、商店街としての機能は失われ、地域コミュニティの基盤も弱体化している。

また、深刻な少子高齢化も地域の課題だ。周辺の小学校では1クラスの人数が10人に満たないところもあり、多くの学校が1クラス編成を余儀なくされている。中高生へのヒアリングによると、「街が薄暗い」「おしゃれなカフェがない」「溜まる場所がない」といった理由で、電車で15分程度の距離にある、海を隔てた福岡県の小倉に遊びに行くという。

かつてはにぎわいを見せていた茶山通り 提供:株式会社ARCHかつてはにぎわいを見せていた茶山通り 提供:株式会社ARCH

定点観測者から実践者へ 空き家再生に挑むきっかけ

株式会社ARCH代表取締役・橋本千嘉子さん株式会社ARCH代表取締役・橋本千嘉子さん

橋本さんが行動を起こすきっかけとなったのは、20年以上の不動産業務を通じて目にしてきた街の変化だった。「賃貸物件の案内を通じて、街が劣化していくのを定点観測してきたような感覚でした」と振り返る。さらに決定的だったのは、自身の子どもたちから聞いた「この店はいつ開くの?」「下関には何もない」という言葉だった。

それまでの不動産業務では、収益性の観点から積極的なアプローチを控えていた物件も多かった。しかし、コロナ禍でのオンライン接客の普及をきっかけに、「人間にしかできない価値」を追求する必要性を感じ、リノベーションまちづくりの手法を学び始めた。

特徴的なのは、空き家に対する「トリアージ」的な考え方だ。物件の状態を見極め、「まだ活かせる物件」から「壊した方が早い物件」まで分類。一般的には「壊した方が早い」と判断されるような物件にも可能性を見出し、「永久にではなく、他の建物やエリアが盛り上がっていくまでの暫定事業」として活用している。

橋本さんが目指すのは、派手な再開発ではなく、地域の人々が愛着を持って集える場所づくりだ。「キラキラしたものを作りたいわけじゃない。それを作っても私が解決したい地域の課題は解決できない」と語る。

現在、地域の反応はさまざまだ。活動の意図がまだ完全には理解されていない一方で、「何かできることがあれば」と声をかけてくれる地域の人々も増えており、橋本さんは焦らず、地域のペースを大切にしながら関係づくりを進めている。

「期待して待ってくれている地域のおじいちゃんおばあちゃんたちが、気軽に寄れる場を作りたいです」(橋本さん)

多様な地域住民に寄り添うまちづくり コミュニティの形成から福祉的支援まで

橋本さんの活動は多岐にわたる。

2024年11月、山口県初の子育て世帯向けコワーキングスペース「HACORI marble」をオープンした。5人の子を持つ母親である橋本さんは、育児と仕事の両立支援に注力している。前年にオープンした同ビル上階のシェアキッチン付きシェアオフィス「HACORI豊前田」では定期的なイベントを開催し、下関内外から幅広い層の人々が集うコミュニティを形成している。

また、橋本さんは不動産と福祉を融合させた支援活動も視野に入れて展開している。その基盤となっているのは、家業の上原不動産が山口県で唯一の不動産系居住支援法人として指定を受けていることだ。

居住支援法人として、高齢者や障害者、外国人、シングルペアレント、刑余者など、従来の賃貸住宅では入居が難しかった方々への支援を行う。特に注力しているのが、入居後のサポート体制の構築だ。

「例えば、病院から退院して住む場所を探している方の場合、不動産会社はさまざまな不安から受け入れを躊躇しがちです」と橋本さん。この課題に対して、ARCHでは一時的な避難場所となるシェルターの設置や、フードバンクと連携した食事支援など、従来の不動産業の枠を超えたサービス展開を考えている。「網目からこぼれ落ちる人を支えるには、既存の仕組みを少し工夫するだけでいい」と橋本さんは話す。本業に新たな視点を加えることで、イノベーションが生まれるという。

奥に見えるのは下関のシンボル・海峡ゆめタワー:株式会社ARCH奥に見えるのは下関のシンボル・海峡ゆめタワー:株式会社ARCH

継続的な地域再生のために。地域の循環が生み出すこれからの下関の街づくり

「きれい事だけでは続かない」と現実を見据えて活動する橋本さん。不動産業として収益を確保しながら社会貢献を続けることで、持続可能なモデルケースを目指している。

例えば資金面では、従来の融資の仕組みでは対応が難しい案件も多く、より柔軟な資金調達の方法が必要だと感じている。
「空き家問題で困っている国や地域として、もう少し緩やかに資金調達ができる仕組みを考えていってほしいです」(橋本さん)
民間が手軽に資金を集められるクラウドファンディングは一つの選択肢だが、むしろ行政が関与する形で、事業の信頼性や継続性を担保した新しい資金調達の仕組みが必要だという。

一方で、資金面以外の工夫も積極的に行っている。例えば、物件所有者に対して「10年間だけ活用させてほしい」と期限を区切った提案を行うことで、所有者の不安を軽減。また、複数の事業者でリスクを分散させる「共同活用」の形も模索している。

不動産会社という立場を活かした空き家所有者との交渉力、物件の見極めの目利き力、そして何より地域からの信頼。これらの強みを活かしながら、持続可能な地域再生のモデルを築こうとしている。

橋本さんの取り組みは、一見するとまちづくり、福祉支援、空き家再生とバラバラに見える。しかし、これらは実は密接につながっており、地域全体の「循環」を生み出す試みとなっている。

「自分の街を愛している人がやらないと継続できない」という信念のもと、地域に根差した活動の展開を重視。同時に、「おせっかい」とも言える、本業の枠を超えた取り組みの重要性を説く。この考えに共感する人々が徐々に増えていることも、活動の追い風となっている。

収益性と社会貢献のバランスを取りながら、持続可能な形で街の未来を築く。その挑戦は、不動産業という専門性を活かしながら、従来の枠組みを超えて地域の課題に取り組む新しいモデルを示している。それは、人口減少時代における地方都市の可能性を示す、貴重な実践例となるだろう。

継続的な地域再生のために。地域の循環が生み出すこれからの下関の街づくり下関市で精力的に活動する橋本さんと会うために全国から多くの人が訪れる

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