夏の風物詩。各地で行われる花火大会

個人が楽しむ花火には、噴出花火、ロケット花火、打ち上げ花火、音物花火、パラシュートや煙幕などがあるが、家庭で人気の花火といえば、手持ち花火だろう。

それぞれ年々進化を遂げており、たとえば手持ち花火なら長持ちする線香花火や、炎の色が刻々と変わるもの、噴出花火なら、いちごや抹茶のにおいを出すものや、炎の形が変化するものもある。そのほか水の上に置いて火をつけると、泳ぐように水面を走る金魚花火や、本格的なナイアガラ、50個ものパラシュートが飛び出す落下傘花火など、ユニークな花火がたくさんある。

しかし、打ち上げ花火の人気は下火になりつつあり、新作も減っているらしい。庭で打ち上げれば近所迷惑になりかねないし、花火禁止の公園や河原も増えたから、それも自然なことなのかもしれない。また、近年需要があるのは「写真映えする花火」なのだとか。

利根川花火大会利根川花火大会

なんといっても夏の風物詩といえば、大規模な打ち上げ花火大会だ。
夏には、全国津々浦々で花火大会が開催され、多くの人々が楽しんでいる。打ち上げ数約3万発、日本最大の利根川花火大会には、例年約30万人の人が集まる。
日本最古の花火大会でもある隅田川花火大会は、打ち上げ数約2万発と利根川より少ないにもかかわらず、なんと100万人以上の人が集まる。そのほか大阪では淀川花火大会や天神祭りの花火大会が開かれるなど、全国で花火大会が開かれる。

しかし、多くの人で混雑する花火大会にはさまざまな問題も指摘されている。特に、ゴミ問題は重大だ。会場のあちらこちらにゴミ箱を設置していても、終了後にはゴミが散在しているのだという。
また、混雑そのものも問題になる。びわ湖花火大会では、道路上で花火を見ようとする人が通行を妨げ、事故を誘発するとして目隠しフェンスが設置された。オーバーツーリズムの問題は、花火大会だけのものではないが、数時間に集中して人が集まる花火大会は、今後も観客のマナー厳守が必要になりそうだ。

利根川花火大会隅田川花火大会

打ち上げ花火の仕組みと種類

打ち上げ花火の玉を分解すると、球型に紙を貼り合わせた「玉皮」の中に「星」と呼ばれる火薬の塊、中心には「割り薬」が詰められ、割り薬から外部に導火線が伸びているのがわかる。
導火線に火をつけると割り薬が爆発し、玉皮を破って星たちが飛び出し、燃えながら広がる仕組みだ。

星をどのように詰めるかで花火の模様が決まるので、文字の形や絵柄の形に有色の星を並べ、周囲を透明な星を詰めれば、文字や絵柄の花火が空で開く。

花火職人がつくる打ち上げ花火花火職人がつくる打ち上げ花火

打ち上げ花火は大きく分けて「割物」「半割物」「ポカ物」の三種がある。
もっとも一般的なのが割物で、たくさんの星が丸い模様を描く。その中でも星が尾を引くように広がるのが「菊」、尾を引かず、点で花を描くものが「牡丹」、尾が下に流れて行くものを「冠菊」と呼ぶ。

半割物は、小さな花火がたくさん詰められたもので、同時にたくさんの花が開くのが特徴。
そして「ポカ物」は、玉が「ポカッ」と二つに割れることからこの名があるが、玉皮の強度が低く火薬も弱いため、大きく破裂しない。こぼれるように光の尾が落ちる「柳」は、花火大会で見たことがあるだろう。

花火職人がつくる打ち上げ花火尾が下に流れて行く花火「冠菊」

花火の歴史と『信長公記』にも記載がある花火大会

まず、花火の歴史をざっと見てみよう。
ルネッサンスの三大発明といわれるのは、羅針盤・火薬・活版印刷だが、実はこれらすべて、中国から伝来したもの。ヨーロッパで改良されてはいるが、端緒は中国にある。

花火も6世紀ごろの中国で生まれ、ルネッサンス期のイギリスで発展した。中国で発明された当初の花火はロケット花火のようなもので、武器として使用されたとの説もある。その後どのように花火が進化したのか、詳細はわからないが、イギリスのヘンリー8世は水上花火を楽しんだというから、16世紀にはすでに、現代の花火に近いものになっていたのかもしれない。

日本で花火の製造が始まったのは、鉄砲伝来とほぼ同時期のようだ。どちらも火薬を使用するから、花火の技法も鉄砲と一緒に輸入されたのだろう。

新しいもの好きで知られる織田信長も花火を目にしていたのかもしれず、もし、本当にそうであればさぞかし喜んだであろう。『信長公記』第十四巻の冒頭、天正九年辛巳に「御爆竹の事」という記事があり、これが日本で初めての花火大会だという説もある。ただし「正月八日、御馬廻御爆竹用意致し、頭巾装束結構に致し、思ひ思ひの出立にて、十五日に罷り出づべきの旨、御触れあり」とあり、小正月の時期であるため、左義長(とんど)が開催されただけだとも考えられ、花火だとしても、どのようなものか一切わからない。

現在見つかっている資料から考えて、私たちが見ている打ち上げ花火に近いものを初めて見た日本人は、徳川家康と考えるのが定説らしい。『駿府政事録』の中に「二之丸立花火」の記事があり、英国王ジェームズ1世の使者のジョン・セーリスが、駿府城で披露したと伝えられている。

ロケット花火ロケット花火

「玉屋」「鍵屋」、江戸庶民に愛された花火

江戸時代になって戦がなくなり、火薬の使い道が激減すると、火薬屋たちは花火を扱うようになる。
日本最古の花火大会である、隅田川花火大会が始まったのは、享保18(1733)年。当時は「両国川開き」と呼ばれていた。このときに花火を打ち上げたのは、日本最古の花火業者である鍵屋で、万治2(1659)年に売り出した玩具花火のヒットで、繁盛していたという。約150年後の文化5(1808)年に、鍵屋の番頭が独立して始めたのが玉屋。これ以降は、両国の川開きで、両国橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が担当するなど、ライバルとして、さらに発展したようだ。

しかし、江戸庶民が見ていた花火は、現在のように様々な色のあるものでなく、白っぽいものだったらしい。
マグネシウムなどの金属粉を利用した、色鮮やかな花火が登場するのは大正時代になってからで、現在では炭酸ストロンチウム(赤)や硝酸バリウム(緑)、カルシウム(黄)、酸化銅(青)などを組み合わせ、さらに華やかな花火が生み出され続けている。

「両国川開き」で最初に花火を打ち上げた鍵屋。その後、鍵屋の番頭が独立して始めたのが玉屋だった「両国川開き」で最初に花火を打ち上げた鍵屋。その後、鍵屋の番頭が独立して始めたのが玉屋だった

日本三大花火大会

日本三大花火は、一般的に大仙市で開催される「大曲の花火(全国花火競技大会)」、土浦市で開かれる「土浦全国花火競技大会」、長岡市で開かれる「長岡まつり花火大会」とされている。

大曲の花火は、明治43(1910)年の「奥羽六県煙火共進会」から始まった。「奥羽六県煙火共進会」は諏訪神社の祭典の余興として開催されたもので、諏訪神社は初代征夷大将軍である坂上田村麻呂にゆかりを持つ、武神の神社だ。

中心となる夏の全国花火競技大会は8月の最終土曜日だが、4月下旬には「大曲の花火-春の章-」と題し、世界の花火と日本の伝統技術の粋を極めた花火が打ち上げられる。また、10月第一土曜日に開催される「大曲の花火-秋の章-」は挑戦・斬新をテーマにした劇場型花火ショーで、若手花火作家の技術・新作性などを競い合うものだ。

土浦全国花火競技大会は、土浦市文京町の神龍寺住職・秋元梅峯が私財を投じ、大正14(1925)年に始めたもの。霞ヶ浦海軍航空隊殉職者の慰霊と、関東大震災後の不況で疲弊した土浦の経済を活性化するという趣旨で、霞ヶ浦湖畔で開催した。花火大会により地元商店街の景気が好転したことから、土浦をあげての行事として年々盛大になったらしい。開催は毎年11月の第一土曜日。速射連発するスターマインが有名で、「スターマイン日本一を決める大会」といわれるほどだ。

日本三大花火大会のひとつ、大曲の「全国花火競技大会」日本三大花火大会のひとつ、大曲の「全国花火競技大会」
日本三大花火大会のひとつ、大曲の「全国花火競技大会」日本三大花火大会のひとつ「土浦全国花火競技大会」

長岡まつり花火大会が始まったのは明治12(1879)年。千手町の八幡様のお祭りで、遊郭関係者が資金を出し合い花火を350発打ち上げたのが発端だ。大戦により中止に追い込まれたが、町の8割が焦土と化し、1488名の犠牲者を出した長岡空襲の翌年に長岡復興祭が開催される。そしてさらにその翌年にあたる昭和22(1947)年、復興祭において花火大会が復活した。
長岡まつり花火大会は毎年8月2日と3日に開催される。特徴は花火玉が大きいことで、一般の花火大会では5号玉(玉の直径約14センチ)が標準なのに対し、長岡まつり花火大会では10号玉(直径約30センチ)が標準とされる。
特に大きな直径約90センチの正三尺玉は大会の目玉と言えるだろう。打ち上がる前には、空襲警報のつらい記憶を美しい記憶に昇華させるためにサイレンが鳴らされる。

日本三大花火大会のひとつ、大曲の「全国花火競技大会」日本三大花火大会のひとつ「長岡まつり花火大会」

鎮魂の意味もある花火と花火大会

花火はただ美しいだけのものではない。日本人にとって火は、鎮魂の意味を持つからだ。
意外に思われるかもしれないが、お盆の迎え火や送り火を思いだせば、納得いただけるだろう。炎は不浄なものを焼き尽くし、闇を照らすものなので、古来神聖なものとされてきた。「日」も「火」も同じく「ひ」と読むように、太陽に等しい存在でもあり、人々が文化的生活を送るために不可欠なものでもある。だから日本人は、死者を尊び、慰めるために、特別な炎を燃やしたのだ。

実際に、鎮魂を目的に始められた花火大会も少なくない。
たとえば、隅田川花火大会が始まったのは享保の改革真っ只中。質素倹約が厳しく求められる中で贅沢な花火大会が始められたのは、大飢饉と疫病の流行で亡くなった人の魂を鎮めるためだった。
また福島県では、東日本大震災で犠牲になった人々を慰霊するため、震災の年から毎年8月16日に、いわき四倉花火大会を開催している。
三重県の「熊野花火大会」もお盆の初精霊供養に花火を打ち上げ、その花火の粉で燈籠焼を行ったことが始まりといわれており、お盆の迎え火・送り火としてお盆の日程に合わせて行われている。
花火大会が終戦の時期でもあるお盆前後に開催されることが多いのは、日本人ならではの意味があるのだ。

2024年も全国700ヶ所以上で花火大会が予定されている。花火に籠められた思いに心を添わせながら、空を彩る大輪の花を眺めてみてはいかがだろうか。

三重県の「熊野花火大会」三重県の「熊野花火大会」

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