家のセキュリティとして身近な「鍵」
家の玄関はもちろん、トイレの扉や金庫、机、秘密の日記帳などに不可欠な「鍵」だが、私たちは鍵や錠について、意外に知らないのではないだろうか。たとえば、「鍵」はいつごろから使われているのかと聞かれて、即答できる人はそう多くないだろう。
鍵と対になるものは錠だが、扉に組み込まれた錠と、外付けの錠がある。現代では錠が扉に組み込まれたものが一般的だからか、「出入口に鍵をつける」などと、鍵と錠で開閉する仕組みそのものを「鍵」と表現することもあるので、この記事では混乱を防ぐために、「鍵と錠で開閉する仕組み」には「鍵」とカッコをつける。
命や財産など、守るべきものがなければ「鍵」は必要ない。外敵がいない環境でも「鍵」は必要ない。守るべきものがあり、それを奪われる心配があるから、人は「鍵」をつけるのだ。だから、共同生活をしていた縄文時代には、「鍵」は必要なかった。
聖書にも鍵の話は出てくる。
創世記において、アダムとイブは、創造主たるエホバに禁じられた善悪の知識の木を食べ、エデンの園を追放されてしまう。日本聖書協会発行の聖書によれば、そのときエホバはエデンにあり、アダムとイブが食べなかった「生命の木」への道に、ケルビムと周る炎の剣を置いて守らせたとある。エデンを意味する英語のガーデン(garden)は「ガードされたもの」の意味だが、旧約聖書の時代から、外に敵がいるのなら、人々は入口を何かで守らねばならぬと考えていたのだろう。しかしここでは鍵について言及されていない。
しかし、マタイによる福音書16章には、主イエスがペテロに「わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」と言ったとある。
ここでいう鍵は、一つは金一つは銀で作られ十字架の形をしているという。この2個の鍵はペテロの後継者であるローマ教皇のしるしとなり、歴代の教皇にキリスト教徒最高の権威が与えられていることを「鍵の力」として、天国の扉の開閉権を象徴した。鍵は中世ヨーロッパの砦や城、都市でも所有権や力や富の象徴と考えられている。
世界最古の錠、コルサバード(アッシリアの首都)宮殿遺跡から発見された木製の錠
現在残っている最古の錠は、現在のイラクにあるコルサバード(アッシリアの首都)の宮殿遺跡から発見された木製の錠で、紀元前4000年ごろのものとされる。
鍵で開閉するのではなく、閂の穴に細い棒を数本差し込んで固定していたらしい。
現代普及しているピンタンブラー錠の原型といえる仕組みをもち、閂と鍵で構成される「エジプト錠」は、紀元前に登場した。閂に空いた複数の穴に、固定するためのピンが差し込まれると、閂が動かなくなって扉も開かない。鍵には閂に空いた穴と対応する場所にピンが取り付けられており、閂の穴に差し込むと、閂を固定していたピンが持ち上げられて閂が動き、扉が開くようになる仕組みだ。
紀元前のギリシャでも、「鍵」は使用されていた。
ホメロスの『オデュッセイア』に「銀の把手を引いて扉を閉じ、革紐を引いて閂をかけた」とあり、扉の外から閂を開閉していたとわかる。ギリシャでは、エジプト錠を複雑に発展させたと思われる、「パラノス錠」も普及していたらしい。
富と権力の象徴。美術品としての鍵
その後の1~3世紀のローマで生み出された「ウォード錠」は、私達が「鍵」という単語から連想するものに近いだろう。
錠の内部に「ウォード」と呼ばれる障害がつくられ、ウォードにあたらない形の鍵を回転させることによって開閉できた。ルネッサンス期の貴族や裕福な商人は、玄関だけではなく、衣装箪笥や宝石を入れた宝箱、金庫などに錠をとりつけて愛用したらしい。
しかし、18世紀までのしばらくの間、ウォード錠は装飾品として扱われ、機能面ではあまり進化しなかった。
マリー・アントワネットの夫であるルイ16世は、錠いじりが趣味で、日記にその面白さについて詳しく書いたという。ニコラ・サルコジ大統領が「私は宮殿で錠作りに明け暮れる暗君にはならない」と発言しており、フランスでは有名な逸話なようだ。王妃室の女官長・カンパン婦人の「国王は室内に錠前師の少年を入れて、一緒に鍵や錠を作るほどに気に入っておられました」という言葉も伝えられている。
ルネサンス時代の錠や鍵は美術品としても扱われる高価なもので、庶民の手の届くものではなかった。産業革命を経てはじめて、庶民に普及していくのだが、ルイ16世はその美しさではなく、錠と鍵の形が一致しないと開かないという精密さに興味を持っていたとされる。
産業革命後の近代的な「鍵」の進化
18世紀中頃に、イギリスで産業革命が起こる。
金属加工機械が次々と製作され、紡績機械や織物機械が改良され、蒸気機関の性能が向上するなど、機械技術がめざましく発展した。そんな中、ヨークシャー生まれの機械技術者であるジョゼフ・ブラマが新しい錠を発明し、1784年に特許を取得している。
「ブラマ錠」は現代のシリンダー錠の祖であり、精密な構造をしていたので、ブラマはその性能を大いに誇っていたらしい。ピカデリーのショウウィンドウにこの錠を展示して「この錠を開けることができれば200ポンドの賞金を差し上げます」と宣伝したという。当時の新聞一部が1ファーシングだから、現代の金額に換算すれば、200ポンドは2000万円以上になるだろう。そして実際にこの錠の精巧さは大したものだったようで、1851年になるまで、誰にも開けなかった。
しかしブラマ錠は複雑な構造で、その多くが手作業で作られていたため、なかなか普及しなかった。ブラマの工場で働いていたヘンリー・モーズリーが、ブラマ錠を製造する工業機械を発明して、やっと実用化に至ったのだ。
現在、家庭の玄関によく使われている「イエール錠」が誕生したのは、1848年のアメリカ。錠前師のライナス・イエールが発明し、その息子のジュニアが改良して1865年に特許を取得している。
錠の内部にあるピンタンブラに切れ目がついており、鍵の凹凸に押されてその切れ目が一直線に並ぶと、錠が開閉できる仕組みだ。
その後1857年にはダイヤル錠が登場し、1873年には時限錠が、1975年になると電子カードキーが作られるようになるなど、「鍵」は日々進化している。
ドアに近づけるだけでロックがはずれるスマートロックは使用者の利便性を向上させ、セキュリティ・キーは確実性を向上させている。セキュリティ・キーにはさまざまな種類があり、顔認証や指紋認証などの登録した本人しか入れない「鍵」のほか、スマホアプリと連動したタイプや、物理デバイスとパスワードで開閉するものなどがあり、今後も新たなタイプが次々実用化されるだろう。
日本における鍵の歴史。神話に出てくる「鍵」
日本において「鍵」が一般に定着したのは近年のようだ。それは日本人の暮らしの特性や、住宅事情と関連がありそうだ。そこで次に、日本における「鍵」を見てみよう。
実物は発見されていないが、日本の古文書にも「鍵」は登場する。
たとえば『古事記』崇神天皇条には、鍵穴を出入りできる神について記されている。美しいイクタマヨリヒメのもとに美しい男性が毎晩通うようになり、ヒメは妊娠してしまう。驚いた両親が父親は誰かと尋ねると、ヒメは「暗くなってからやってきて、朝になる前に帰ってしまうので、どこの誰かわからない」と答えた。
そこで両親は麻糸の玉を用意して、針に麻糸を通して彼の服の裾に刺しなさいと教える。そして、男が帰った後に麻糸をたどったところ、糸は戸の鍵(鉤)穴を通り抜けて三輪山にまで到達していたという。
しかしその「鍵」がどのようなものかまでは書かれておらず、どんな形をしていたのかもわからない。
日本で発見されている最古の錠は海老錠だ。大阪府羽曳野市の野々上遺跡(平安時代)から発掘されたもので、7~8世紀に伝来したものと考えられるが、中国では同じ系統の錠が6世紀中頃に存在していたので、それ以前に伝来していた可能性もある。
海老錠はエビが反った形に似ていることからこの名前があり、左右に開く扉の取っ手に取り付ける、正倉院などにも使われた錠だ。小型のものも発見されており、厨子や櫃にも使われていたと考えられる。
海老錠は、中に設けられた板バネが邪魔をして、取っ手に通した金具を動かないようにする仕組みで、鍵を差し込んでバネをせばめると金具が動いて取っ手から錠を取り外せる。
国内でも生産されていたが、どこでどのように製作されていたかはわかっていない。しかし当時としては高度な技巧が必要だったため、官営の大きな工房で作られていたのではないかと推測されている。
江戸時代になると、平和になって仕事が急激になくなった刀鍛冶が、海老錠の仕組みに美しく芸術的な装飾を施した「和錠」を作り、武家や裕福な商家で使われるようになった。
しかし、庶民の家には「鍵」がなく、玄関は閂や心張棒で戸締まりしていた。どちらも内錠だから、外からは締められない。江戸時代の庶民は、家人全員が家を出るときも、近所に声を「よろしく」と声をかけて、「用心」していたようだ。
部屋に「鍵」をつけるという発想もなく、唯一プライベートが守られる部屋は、厠だけだった。厠に取り付けられていたのは「横猿」と呼ばれるもので、棒を横に動かして柱に固定し、戸が動かないようにする仕組みだ。現代でも木製の雨戸や、町屋のトイレなどに残っているので、見かけたことがある人も少なくないだろう。
希望や愛、富の象徴でもある「鍵」
大事なものを守る「鍵」は象徴的な意味ももった。
ジャン・オノレ・フラゴナールの描いた絵画「閂」は、2023年に京都で開催された「ルーブル美術館展 愛を描く」で、目玉となった作品の一つだ。寝室で男が女を抱き寄せ、扉の閂に手を伸ばしている。女は抵抗しているようにも見えるし、身を任せているようにも見え、意味深な絵画だ。そして閂は女を閉じ込めるものの象徴にも見えるし、二人の秘密を守るものの象徴のようにも見える。「鍵」の魅力には、そういったところもあるのだろう。
鍵はまた、希望の象徴でもある。
たとえばバチカンの国章は交差した金と銀の鍵が描かれている。このうち一つが一章で述べた、ペテロの授かった天国の鍵。カトリックの総本山であるバチカンが国章に鍵を採用しているのは、天国の鍵がさほど重要であるからだろう。
アメリカのコロラド州など、欧米では名誉市民に、「あなたはこの城や都市へ自由に出入りできます」の意味を持つ都市の鍵が贈られることも多いらしい。
日本における鍵も、富の象徴でもあったようだ。
『日本書紀』天智天皇三年十二月条には、磐城村主であった殷の新妻の寝床に、一晩で稲が生えて穂がついた事件が記録されている。さらに新妻が庭に出ると、鍵が二本落ちてきたので、それを拾って殷に渡したところ、彼は金持ちになったという。
『万葉集』巻第九には、上総に住んでいた珠名という美しい娘を詠んだ歌が収められている。珠名は美しく、胸が大きくほっそりした腰をしていたため、彼女が家の前に微笑みながら立っていると、道を行く人は呼ばれもしないのに吸い寄せられてしまう。隣家の主事は、妻と別れ話もしないのに、自分の家の鑰(鑰)さえあげてしまうほどだったとある。
この場合の鍵は、主婦の権利を象徴するとされる。家の鍵を持てるのは、その家を守る主婦のみで、民俗学者の加藤秀雄氏は、「家政における『冨』は主婦の『鍵』の力によって秩序付けられると考えられていたのではないか」と推論している。
このように、鍵はさまざまなものを象徴する。
鍵モチーフのアクセサリーにも、「秘密を守る」、「好きな人の心の扉を開く」など、いろいろな意味が込められていそうだ。
長い歴史があり、さまざまな側面を持つ「鍵」だが、これからも利便性や確実性を向上させるべく、さまざまな「鍵」が発明されると思う。
■参考
INAX『鍵のかたち・錠のふしぎ』1990年12月発行
彰国社『錠と鍵の世界 その文化史とプラクティカル・テキスト』赤松柾夫著 1995年5月発行
ニューサイエンス社『古代の鍵』合田芳正著 1998年5月発行
論文『鍵あるいは錠の文化史的研究のために・序論 -テクストとフィールドに見るその象徴性―』加藤秀雄 2008年3月発表
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