江戸時代の風情が奇跡的に残る鉈屋町

盛岡市の中心市街地には、近代化の歴史の象徴「岩手銀行赤レンガ館」がある。現在は多目的ホールとして活用されている盛岡市の中心市街地には、近代化の歴史の象徴「岩手銀行赤レンガ館」がある。現在は多目的ホールとして活用されている

岩手県盛岡市は、ニューヨーク・タイムズ紙「2023年に行くべき52カ所」に選ばれ、海外からも注目度が急上昇している。その記事では、盛岡市を「歩いて回れる宝石的スポット」と高く評価。いくつもの要素が溶け合ったところが外国人には魅力にうつるのだろう。

鉈屋町(なたやちょう)にある「盛岡町家」という古民家が並ぶ一角も宝石的なのだろう。件の記事以降、外国人観光客も足を運ぶようになったそうだ。盛岡市は明治期以降近代化が進み、江戸時代の面影はほとんど残っていない。一方、鉈屋町やその近隣だけは、開発が後回しになったこと、そして市民の手で街並みを守ってきたことで、今も江戸時代の佇まいがあるのだ。

盛岡市の中心市街地には、近代化の歴史の象徴「岩手銀行赤レンガ館」がある。現在は多目的ホールとして活用されている鉈屋町界隈には古民家が立ち並び、夏には軒先で朝顔を育てている。この朝顔は日中友好の象徴で、“ラストエンペラー”溥儀の実弟、溥傑のゆかりの花だ
大慈清水を利用するためのマナーについて明記された看板大慈清水を利用するためのマナーについて明記された看板

盛岡は豊臣政権下に城が置かれてから、地域の中心地として発展していく。なかでも玄関口となったのが、鉈屋町の一角だった。奥州街道、遠野街道が交差し、北上川の船で運ばれた物資や旅人はまずは鉈屋町に到着する。多くの町家づくりの商家が立ち並んでいた。

ところが1890(明治23)年に東北本線盛岡駅が開業すると、玄関口の座を奪われ、徐々に町家は商家から住居になり、現在に至った。戦後の再開発は駅周辺や城の周辺から始まったため、鉈屋町界隈は手つかずだった。マンションなどはなく、通り沿いに木造の町家が立ち並び、周辺に造り酒屋や寺院がある。さらに湧水に恵まれ、町内には青龍水(せいりゅうすい)、大慈清水(だいじしみず)がある。

盛岡市の中心市街地には、近代化の歴史の象徴「岩手銀行赤レンガ館」がある。現在は多目的ホールとして活用されている大慈清水は、通りに面していて、古民家が並ぶ町の真ん中にある。地元の人々が台所としても利用していて、水槽によって用途が分かれている

街並み保存は、多くの住民の理解と賛同を得るのが大事

盛岡まち並み塾発足当時。地元住民が熱心に話を聞く盛岡まち並み塾発足当時。地元住民が熱心に話を聞く

ところが1995年、盛岡市は鉈屋町の真ん中の通りを幅28メートルに拡幅する都市計画道路の事業を決定する。そこに待ったをかけたのが、建築家で岩手大学講師の渡辺敏男さんや地元の住人だった。

この歴史ある街並みを次世代に残そうという住民たちの声から、2003年に「盛岡まち並み塾」が任意団体として発足。渡辺さんが事務局長になった。地域の人たちから「このまま広い道路ができることで、親から代々引き継いだ建物が無くなっていいのか」という疑問の声もあった。地元の町家には何か意味があるのか、価値があるのか、といった住民の声が渡辺さんに届き、勉強会の開催を軸に団体がスタートしたのだ。

盛岡まち並み塾は、多くの人に街並み保存を理解してもらい賛同を得るため、情報発信にも力を入れた。鉈屋町の町家を生かしたイベントを繰り返し実施し、盛岡町家の存在が少しずつ知られるようになった。2004年にスタートした「旧暦の雛祭り」というイベントでは、当初は数軒で始めたものが、その後約50軒が参加するイベントになった。期間中、数万人が訪れるようになり、盛岡の話題のスポットとしてメディアにも取り上げられた。

他にも年間を通して多くのイベントが鉈屋町で開催され、1月には盛岡弁かるた大会と神楽奉納、3月には昔ばなし会、5月には手作り市 てどらんご、6月には旧暦の端午の節句、8月には迎え火送り、黒川さんさ踊りなど、数えればきりがないほど。鉈屋町の地域住民が一丸となって伝統行事を守り、どれも盛岡の風物詩になっている。

盛岡まち並み塾発足当時。地元住民が熱心に話を聞く実家の古民家を開放して雛人形を展示する吉田真理子さん

「盛岡町家」は、街並み保存のため造語?

理事長の海野さんは、もともとは県の職員であったが、担当者として活動に関わっていった理事長の海野さんは、もともとは県の職員であったが、担当者として活動に関わっていった

当初、鉈屋町界隈には重要文化財の建造物がなかった。「簡単に言うと古いだけの家がたまたま多く残っていて、それを残すのは簡単ではなかった」と盛岡まち並み塾の海野伸理事長は振り返る。

建築家の渡辺さんは京町家と対比して盛岡の町家の特徴を指摘し、その価値を明らかにした。地域の町家を「盛岡町家」と呼んだのも渡辺さんが最初だった。地元の町家の価値を訴えるための苦肉の策だったのかもしれない。

鉈屋町周辺はかつて商人や職人が多く住んでいた地域で、盛岡町家は、町人たちの住まいと働く場が一体になった建物として発展した。盛岡町家の最大の特徴は、立派な神棚を備えた「常居(じょい)」と呼ばれる部屋があることだ。常居はその家の中心と、主人の仕事場を兼ねた場所で、「主人の出世を妨げない」という意味を込め、基本的に2階はなく吹き抜けになっている。

理事長の海野さんは、もともとは県の職員であったが、担当者として活動に関わっていった大慈清水お休み処の常居は、規模も大きい
吉田さんは酒蔵があった実家の建物の隣を手芸教室にしている吉田さんは酒蔵があった実家の建物の隣を手芸教室にしている

古民家が立ち並ぶ一角にある手芸教室「ピッピ」で、吉田真理子オーナーに隣の盛岡町家を見せてもらった。もともとは酒蔵だったこともあり、立派な常居がある。ちなみに吉田さんも地域の古民家地区を守るために奔走した一人だ。奥には吊るし雛が展示してあり、前述の雛祭りイベントでは一般開放するそうだ。

地域の多くの取組みの結果、2009年に道路の拡幅工事の見直しが決まった。
さらに、盛岡市は地域ブランドづくりの一環として鉈屋町界隈の取組みに加わることに。「盛岡市歴史的町並み保存活用基本計画」ができ、手はじめに個人所有の町家の修理費の2分の1を補助することになった。結果、鉈屋町界隈は盛岡の歴史を伝える特徴的なエリアにブラッシュアップされていった。

鉈屋町の観光施設、もりおか町家物語館は必見のスケール

鉈屋町界隈を歩く際には、最初に「もりおか町家物語館」に立ち寄ってもらいたい。盛岡町家をリノベーションした大きな建物で、当時の繁栄を実感できる。この界隈の案内所としても機能していて駐車場もあるので、町歩きの出発点にするとよいだろう。

もともとは江戸時代の終わりから明治にかけて栄えていた「浜藤の酒蔵」で、1977年指定の盛岡市指定保存建築物であった。酒蔵会社から青森のスーパーマーケットが買い取ったが、2010年に盛岡市が購入。そして2014年、鉈屋町界隈の観光施設「もりおか町家物語館」としてリニューアルオープンした。裏には2棟の蔵もあり、1階がショップとカフェ、そして展示やイベントができる多目的スペースになっている。

もりおか町家物語館の外観。建物の裏側には蔵もあるもりおか町家物語館の外観。建物の裏側には蔵もある
もりおか町家物語館の蔵は、カフェや多目的スペースとなっていて、ユニークなイベントも開催されるもりおか町家物語館の蔵は、カフェや多目的スペースとなっていて、ユニークなイベントも開催される

もりおか町家物語館にある常居は大きく、3階まで吹き抜けになっている。見上げたときのスケール感は、当時の繁栄を象徴している。ほかにも盛岡町家の特徴が見られ、間口が狭く、奥行きが深い。土間のコミュニティスペースは、昔から食堂代わりに使われていた。その上にはかつて女中部屋もあったそうだ。

もりおか町家物語館オープンに先立つリノベーション工事では、耐震性も高められた。大正時代の窓ガラスなどレトロな雰囲気を残しつつ、補強部材が見えないように工夫されている。壁を一回壊して建て直すという大がかりな補修もなされたそうだ。

もりおか町家物語館の外観。建物の裏側には蔵もあるもりおか町家物語館の常居は3階分の吹き抜けがありスケールが大きい

空き家を活用した新しい動きも

地元の人たちが野菜を洗うなどで利用する大慈清水のとなりには、盛岡まち並み塾が運営するカフェ「大慈清水お休み処」があり、おいしいコーヒーを出してくれる。
また付近に藍染めの工房もできたそうだ。染め物は多くの水を必要とするため、この地に合っているのだろう。同じように、空き家を借りて工房にする人が増えつつあると盛岡まち並み塾の海野理事長は言う。

大慈清水お休み処では、年間のイベントの内容やまちづくりのキーパーソンを紹介している大慈清水お休み処では、年間のイベントの内容やまちづくりのキーパーソンを紹介している
シェア工房は古民家ではないが、通りの雰囲気に合わせた外観にしているシェア工房は古民家ではないが、通りの雰囲気に合わせた外観にしている

通りには「シェア工房」がある。東京出身の男性が仕事の都合で盛岡に住むことになり、副業としてスタートしたそうだ。2019年に一戸建てを借り、リノベーションをして2020年に工房を開業した。住居兼店舗として使用している。まちづくりにも興味があったため、コミュニティの拠点にもしたいと思って開業したそうだ。

また鉈屋町には、蔵を改装した「ととと」というゲストハウスもできた。店主の小野寺拓二さんは九州でゲストハウスをしていた人で、盛岡を気に入って移り住んできた。建物オーナーの三田農林株式会社と一緒にリノベーションプランを検討、旅行者に喜ばれる宿となった。近隣の散策も楽しいとゲストから高評価をもらったと小野寺さんは言う。

鉈屋町には空き家もあり、それを活用したいという若い人も増えつつある。市民運動によって盛岡の歴史地区として残され、海外からの旅行者も増えてきた。とはいっても、個人的にはブームにはなってほしくないと海野理事長。ひっそりと残るように、地域を見守っていきたいと締めくくった。

大慈清水お休み処では、年間のイベントの内容やまちづくりのキーパーソンを紹介している「ととと」は、リノベーションしたことで、蔵が魅力的な宿泊施設になった

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