函館旧市街を愛する富樫雅行さんの事務所は、レトロな複合施設内にある
函館は、江戸時代末期に横浜、長崎とともに対外貿易港として開港した。函館市の旧市街地西部地区は、当時港があったエリアで、多様な建築様式を取り入れた色とりどりでエキゾチックな街並みが現在も残る。まさに函館を象徴する場所であり、全国の都市別魅力度ランキングで函館が常に上位に位置するのも、この景観を見ると納得できる。
ところがこの地域では最近、その魅力が失われつつあるという。住民が高齢化してきて空き家が増え、取り壊される建物も珍しくないからだ。
一方で、函館ならではの建築を後世に残そうと奮闘している人もいる。建築家の富樫雅行さんだ。
同氏に話をうかがうため、函館市末広町にある富樫雅行建築設計事務所を訪ねた。近くには観光スポットとしても有名な赤レンガの金森倉庫や、レトロな洋館が建ち並ぶ。富樫さんの事務所が入る建物は、鉄筋コンクリートの店蔵が付いた施設を複合ポップアップストアにリノベーションした建物だ。2階へと階段を上がっていくと、レトロなカフェなどテナントが数店舖入っている。
聞くと、この建物のリノベーションは富樫さんが手がけたそうだ。
人の顔が見える地方都市を求めて函館にたどり着いた
愛媛県生まれの千葉県育ちの富樫さんは、旭川にある大学で建築を学ぶため1998年に初めて北海道に移り住んだ。その後、暮らす人の顔が見えるくらいのコンパクトな地方都市で挑戦したいと考え、選んだのが函館だった。函館山の裾野に広がるレトロな街並みが決め手になったそうで、教会の鐘の音や船の汽笛が聞こえる函館旧市街の元町にアパートを借りた。お金では買えない豊かな暮らしがうれしかったと当時を振り返る。
建築事務所に就職したものの、最初からレトロな建築に携わったわけではなかった。10年ほどして富樫さんは独立するのだが、その直前にたまたま古民家のリノベーション案件を続けて担当した。その一つが、「tombolo(トンボロ)」という天然酵母の薪窯のパン店だ。このとき元町の大三坂にある和洋折衷建築をリノベーションしたことで、地域のアイデンティを残していく古民家の可能性に手応えを感じたという。
当時勤めていたのは五稜郭の近くだったが、独立するなら函館山付近の元町界隈に事務所を構えたいと考えていた富樫さん。付近を散歩していると、和洋折衷建築の建物が260万円で売られているのを見つけた。貯金があったわけではないが、260万円だったら何とかなりそうだと思い、2011年に資金を借りて購入。これが現在の住まいであり、最初の事務所でもあったのだ。
建物を再生するため、部材一つ一つを造られた順番を逆再生するように解体し、修繕した。どのようにして造られたかということを考えないと、うまくばらすこともできなかったそうだ。再生を通じて、施工時にいかに手間がかかっていたのかを認識した。
最初は半年間ぐらいの修繕期間を経て入居する予定だったが、結局2年半ほどかかった。しかし古民家リノベーション案件への自信にもつながり、無駄ではなかったと富樫さんは胸を張る。
建物や地域の歴史を引き継ぎながらリノベーション
富樫さんが自邸のリノベーションの様子をブログにアップしたところ、活動に共感して古民家のリノベーションに興味を持つ人からの問合せが増えたそうだ。
例えば2018年6月には、カフェをしたいという夫婦が物件の購入前に相談に来た。彼らの希望は、1階をカフェ、そして一部1階と2階を居住用にした「店舗併用住宅」であった。また、工事はなるべく施主自ら行いたいという。
見つかった物件は大正時代の建物で、もともと捕鯨船の船長の家だった。しかし住み継がれるなかで内装が変わっていたため、富樫さんは建築当初の大正時代の雰囲気に戻す「引き算の建築」をすることに。まずは施主の要望に沿って大枠の設計図を作成し、そこから予算額に合わせて、具体的な提案に落とし込んでいった。
内装は、解体される建物から譲り受けた建具を使うなどの工夫をした。レジの机は、同じ時期に解体される造船所の社長の家にあったものだし、照明器具も解体現場からのいただきものだ。
外観は壁を白く、屋根を赤くし、コントラストを強調している。住宅のある常盤坂に面して赤いナナカマドの木が植わっているが、それと色を合わせて統一感を出したのだ。ちなみに富樫さんは、坂の筋ごとに、紫陽花が植わる坂なら青紫などと、坂の特徴的な色彩を建物に取り入れている。
函館の和洋折衷建築の特徴とは
富樫さんに函館の古民家の特徴をうかがうと、和洋折衷建築で、それも「上下和洋折衷様式」であることだという。1階が和風で2階が洋風になっている。明治期は、完全な洋風建築よりも和洋折衷建築が多く、洋風の建物の中にも床の間や畳部屋が多く存在した。一般的な和洋折衷建築は「横型」で、例えば玄関脇に洋風の応接室があり、奥に向かうと和室があるようなパターンだ。
しかし函館は「上下」だ。その理由は諸説あるが、港の外国船からは2階部分だけが見えるため、2階を洋風にすることで街並みを洋風に見せるためだそうだ。1階は隠れて見えないので、昔ながらの和風のままで良いとなったのかもれしれない。
「函館は、洋風建築で“先進的な街”だと見栄を張ったとも言われています」と富樫さん。
大工たちも、洋風建築のイラストを参考に試行錯誤して建てていたのだろう。当時のイラスト資料が残されていて、富樫さんはリノベーションの際に参考にするそうだ。
函館では何度か大火が発生したため、明治最初の頃の建物は何軒かが残る程度。現存する和洋折衷建築は昭和10年以降のものが大半だ。ちなみに函館市のデジタルアーカイブにはかつての写真が残っており、それらもリノベーションの参考にするという。
古民家活用でオール函館の活動に広げていきたい
函館での古民家リノベーションの課題を聞くと、富樫さんは北海道ならではの断熱の問題を真っ先にあげた。当時の建物の断熱性能は低く、現代に合ったクオリティーを目指すと、古民家の内か外の壁を一旦剥がさないといけないという。そうすると新築以上にお金がかかってしまうのだ。施主自身が作業をして経費を抑えるなど、予算と要望に寄り添う工夫をしているそうだ。
富樫さんに函館の和洋折衷建築の魅力をうかがったところ、ハイカラさが楽しいという。全部が日本家屋だと茶系色の落ち着いた感じになってしまうが、カラフルな和洋折衷建築は気持ちが明るくなるし、インテリアもモダンなものと合わせることができる。「外観を自分の好きな色にできるのも面白い点でしょう」と富樫さん。
函館の和洋折衷建築は、時代の流行やオーナーの好みによって建物のカラーを変えてきた。カラフルな外観は、個性を競っているかのようだ。
しかし富樫さんは、古民家が失われる速度に再生が追いついていないと危機感を抱いている。一人では限界があるため、スタッフの育成にも取り組み、前年にはスタッフの1人が独立して古民家再生をやっている。
また、古民家リノベーションという“循環”だけではなく、函館の街全体の大きな“循環”を作っていきたいと富樫さんは考えている。「古い建物を使って、チャレンジする人が増えてほしい。新しい事を手軽に始められるシェアキッチンやポップアップスペースの運営も行い、そうした人たち向けのあらたなチャレンジの場所をつくっています」と富樫さん。
「ここは港町。環境的にも人柄的にも風通しがよく、自分もそうですが、ここを気に入って行き着いた人が周りにいっぱいいます。ぜひ、自分らしい暮らしを築きに来てほしいです」と続ける。
函館での古民家リノベーションの新しい流れは、和洋折衷建築が立ち並ぶ函館の街にまた新たな文化を生むかもしれない。
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