数々の銀行が出店し「北のウォール街」と呼ばれた小樽の繁栄

小樽は、明治以降の北海道開拓を機に発展した。
明治の新政府は明治2(1869)年に開拓使という役所を置き、蝦夷地を北海道と改め札幌を北海道開拓の拠点とした。しかし、陸路が整備されていなかった時代であり、海からの物資の基地として港の整備が進められたのが小樽港だ。小樽港は莫大な富を生み出した“海の総合商社”である「北前船」の北の出発港であり、その後もニシン漁、石炭の搬出港、日露戦争の物資供給、ロシアとの貿易など、物流・貿易の要所として繁栄した。

当時の石炭やニシンは、相場商品であり資産運用の対象だった。また、ロシアをはじめとする海外との交易や海運業のために為替や保険などを扱う金融機関が必要となった。
明治11(1878)年に開設された「旧第四十四銀行小樽支店」は小樽初の銀行支店だ。この出店をはじめとし、その後、小樽には多くの銀行が出店する。小樽は「北のウォール街」ともよばれる銀行街となり、日本有数の経済都市となった。
明治26(1893)年には、日本銀行の小樽派出所も開設された。「日本銀行旧小樽支店」の現在の建物は、東京駅の設計でも知られる建築家・辰野金吾、長野宇平治らの設計により明治45(1912)年に完成したもの。当時の技術を駆使した小樽の銀行街を代表する建物だ。現在では「日本銀行旧小樽支店金融資料館」として一般公開されている(2023年8月現在)。

小樽市の日本銀行旧小樽支店金融資料館小樽市の日本銀行旧小樽支店金融資料館

明治・大正期に繫栄した小樽だったが、やがて、ニシンの漁獲量が減少し物流が海から陸や空に変化、さらにエネルギーの主軸が石炭から石油へ変わると、時代とともにかつての隆盛は衰える。多くの銀行も役割を終え、支店を閉めることになる。

市内に残る歴史的建造物は「小樽らしい景観を構成する貴重な要素であり、日本の貴重な遺産」だとして、小樽市はこれらの歴史的建造物の保存を検討。昭和58(1983)年、景観・まちなみづくりの観点から、特に建物の外観を保全する「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定し、独自の「歴史的建造物指定制度」を設立した。この制度は、外観を保存しながら、内部改修の規制がないことから、歴史的建造物の新たな利活用を生み出すきっかけとなっている。現在、条例は「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」に替わり、100近い歴史的建造物が登録され、指定をうけている建物も79件にのぼるという。

小樽駅から運河に向かって下りていくと運河の近くには、石造りやレンガでできた倉庫や旧銀行など、明治・大正期の貴重な歴史的建造物が多く残っている。運河沿いの倉庫群も小樽の繁栄を象徴するひとつだ。
現在ではレトロな運河沿いの倉庫の景観が人気を呼び、小樽は北海道でも有名な観光地となった。

小樽市の日本銀行旧小樽支店金融資料館観光スポットとしても人気となった小樽運河

2016年に開設された「小樽芸術村」

小樽の歴史的建造物は、レストランやカフェ、お土産物屋やホテルなどさまざまに再生され利活用されている。その中でも、小樽の文化・観光振興に寄与しようと、5棟の建物をミュージアムとして活用しているのが「小樽芸術村」である。

「小樽芸術村」は、北海道で生まれた企業である株式会社 ニトリが、2016年7月に開設した。2020年からは、その事業の公益性が認められ、公益財団法人 似鳥文化財団の公益事業として運営している。
20世紀初頭に建造された旧荒田商会、旧高橋倉庫、旧三井銀行小樽支店、旧北海道拓殖銀行小樽支店、旧浪華倉庫の5棟を中心に、それぞれの建物にその時代を華やかに彩ってきた日本や世界の優れた美術品・工芸品を展示公開している。今回は、その保存された建物とともに、国内外から集められた圧巻の美術品を展示する「小樽芸術村」を取材してきた。

ご案内いただいたのは小樽芸術村 支配人の杉本さんと、学芸員の金澤さん。
「ニトリが集めたコレクションは、近現代の貴重な芸術品です。同時代に貿易港として栄えた小樽の地に残る歴史的な建物でこれらを鑑賞していただくのは、大変良い機会だと感じています」と金澤さん。

杉本さんは、「小樽市民は、小樽に残る歴史的建築物への思いが強くあります。とはいえ、これだけの建物群を活用していくことは、様々なハードルがあることも理解されています。似鳥美術館をはじめとする小樽芸術村は、建物をミュージアムとして活用することで、小樽の文化的な歴史も引き継いでいこうとする取組みです」という。

ご案内いただいた小樽芸術村の支配人 杉本さん(写真左)と学芸員の金澤さん(写真右)ご案内いただいた小樽芸術村の支配人 杉本さん(写真左)と学芸員の金澤さん(写真右)

イギリスの教会のステンドグラスを展示する、ステンドグラス美術館:旧荒田商会・旧高橋倉庫

「小樽芸術村として、最初に公開されたのがステンドグラス美術館となった旧荒田商会・旧高橋倉庫です。この建物はもともと、大正12年に穀物を保管する倉庫として建設されました。」(杉本さん)。

小樽運河から道路を挟んでみえる、白とオレンジの外観が印象的な旧荒田商会の建物と隣接している三角屋根の旧高橋倉庫がその建物だ。旧高橋倉庫は木造建築外壁に小樽軟石を積み上げた “木骨石造”の建築。小樽軟石は小樽近郊で採掘された石で、木造の技術と合わせて、比較的工期が短く建てられることと、防水・断熱効果があることから物資を保管する倉庫に適していた。

中に入ると美しいステンドグラスの数々が展示されている。所蔵されている作品は、主に19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作されたもの。実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスであるが、近年イギリスでは諸事情により、多くの教会が取り壊されてしまっているという。展示されている作品は破壊を免れ、保管されていたもので、ヴィクトリア女王の統治していた華やかな時代から、エドワード朝時代、そして第一次世界大戦へと進んでいったイギリスの歴史もみてとれる。

倉庫という建物を活用したことから、高さを利用して教会に飾られていたステンドグラスを納めるのに適しており、多くのステンドグラスの光に包まれながら荘厳な雰囲気を感じることができる。

小樽運河に面したステンドグラス美術館の正面入口小樽運河に面したステンドグラス美術館の正面入口
小樽運河に面したステンドグラス美術館の正面入口旧荒田商会の裏に位置する旧高橋倉庫
小樽運河に面したステンドグラス美術館の正面入口所蔵されている作品は、実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスで主に19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作されたもの

銀行建築を鑑賞できる、重要文化財・旧三井銀行小樽支店

小樽が北海道の物流を支えていた最盛期の昭和2(1927)年に完成した旧三井銀行小樽支店は、令和4(2022)年2月に国の重要文化財に指定された。戦前最大の建築事務所であった曾禰中條建築事務所と竹中工務店により建築された建物だ。
石張りの外壁やアーチが並んだ外観が特徴的であり、当時イギリスやアメリカで流行ったルネサンス風のデザインが取り入れられているという。

入り口を入ると、大きなカウンターを備えた銀行の営業室が広がる。1階と2階が吹き抜けとなっており、2階には回廊がめぐらされたアメリカの銀行で多く取り入れられた空間設計のようだ。金庫室や支店長室、応接室など当時の銀行業務を偲ばせる部屋がそのまま残されている。応接室の一角には、小樽港から積み出されていた豆や肥料などの商品のサンプルのガラス瓶に入れられ、それらを並べた棚もそのまま残されていた。

旧三井銀行の支店として、平成14(2002)年に小樽最後の都市銀行として閉店するまで現役で使われていた建物だという。その後、平成28(2016)年、株式会社ニトリが建物を取得し、改修工事を行った。改修は、できうる限り完成当時の姿に近づけることを目指したという。

旧三井銀行小樽支店の正面旧三井銀行小樽支店の正面
旧三井銀行小樽支店の正面銀行時代の面影を残すカウンターを備えた営業室

西洋のガラスや陶器などの工芸品・調度品を展示する、西洋美術館:旧浪華倉庫

小樽運河のほとりに位置する2022年4月にオープンした西洋美術館は、旧浪華倉庫を活用した小樽芸術村で一番新しい美術館だ。
旧浪華倉庫は、小樽市内に現存する木骨石造の倉庫の中でも大規模な建物。小樽運河の完成の2年後に建てられ、運河の歴史を今に伝える貴重な倉庫建築のひとつである。

倉庫の大空間の中で、展示されているのは、19世紀後半から20世紀初頭に欧米で制作されたステンドグラスや、アールヌーヴォー・アールデコのガラス工芸品、調度品や家具などの西洋美術品が中心。
ガラス工芸品は、ドーム、エミール・ガレ、ルネ・ラリックなどコレクター垂涎のコレクション。陶器もマイセンなどの精緻な工芸美術品が並ぶ。それだけでなく、広い展示室内には「アール・ヌーヴォーの間」などテーマごとに設えられた家具や調度品を飾った部屋が、それぞれの時代にあわせてコーディネートされ展示されている。

小樽運河の並びにある西洋美術館小樽運河の並びにある西洋美術館
小樽運河の並びにある西洋美術館広い展示室内にはテーマごとに設えられた家具や調度品を飾った部屋が展示されている

国内外の貴重な絵画や彫刻を展示する、似鳥美術館:旧北海道拓殖銀行小樽支店

最後に紹介するのは、小樽の日銀通りと色内大通りの交差点に立つ「似鳥美術館」。こちらは、旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物である。
大正12(1923)年に建てられたこの建物の設計は、国会議事堂をはじめ多くの議会建築を手がけた矢橋健吉によるもの。交差点に面する建物の角の部分には、4本の列柱を設け、象徴的なエントランスとなっている。銀行に貸事務所を併設する当時の北海道内を代表する大ビル建設であり、内部の銀行の営業室のホールは2階までの吹き抜けで、6本の列柱がカウンターに沿って立ち、ガラス窓からの採光で明るく広々とした空間になっていた。この銀行には、「蟹工船」などで知られる作家・小林多喜二が働いていたという。

実はこの旧北海道拓殖銀行小樽支店は、たびたびの用途変更をし、活用されてきた建物だ。
昭和44(1969)年には、銀行としての役割を終え、一時オフィステナントとして活用されていたが、その後借り手がつかない時期が続いた。平成元(1989)年になって、イギリス人建築家ナイジェル・コーツにより、船旅をコンセプトに改修された「小樽ホテル」として再生された。ただ、バブル経済の崩壊とともに経営は5年で破綻、その後平成7(1995)年に日本唯一のロシア専門の美術館「ペテルブルグ美術館」として開業したが、これも4年で営業を閉じる。平成14(2002)年には再びホテル転用され「ホテル1-2-3小樽」として生まれ変わる。それも、平成18(2006)年には「ホテルヴィブラントオタル」に経営が変わるが、平成29(2017)年2月に営業を終了する。ニトリはこの建物を引き継ぎ、改修。できうる限り銀行建築当時の設計に近づくように戻しながら、新たに似鳥美術館として2017年オープンさせた。
このように旧北海道拓殖銀行小樽支店が、様々な用途変更をしながらも活用され続けているのは、小樽の文化の象徴となりえたこの建物の魅力のように感じる。

似鳥美術館の展示物は、圧巻のコレクション。先に紹介したステンドグラス美術館のイギリスのステンドグラスとは違い、こちらはアメリカのルイス・C・ティファニーのステンドグラスコレクションに加え、岸田劉生・黒田清輝・藤田嗣治・谷文晁・横山大観など、あげたらきりがないほどの国内の有名画家の作品が並ぶ。それだけでなく、ルノワール、ユトリロ、シャガールなどの西洋画家の作品も展示されている。

似鳥美術館として生まれ変わった旧北海道拓殖銀行小樽支店のみならず、紹介した小樽芸術村の建物は、いずれも小樽の文化と歴史を伝える貴重なものであった。
杉本さんは「小樽にはまだまだ活用されていない歴史的な建造物が残っています。小樽芸術村も引き続き建築物の保存に協力ができれば、と思っています。多くのお客様にお越しいただいて、建物と美術品のどちらも楽しんでいただきたいです」と話す。

歴史的建造物の保存や活用には、多くの資金とリソースがかかる。どうか、活用された建物が美術品とともに多くの人に愛され、小樽芸術村として末永く続いていくことを願いたい。

旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物だった似鳥美術館旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物だった似鳥美術館
旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物だった似鳥美術館銀行の営業室のホールを改修した似鳥美術館の一階には、アメリカのルイス・C・ティファニーのステンドグラスコレクションが展示されている

■取材協力
小樽芸術村 https://www.nitorihd.co.jp/otaru-art-base/

公益財団法人 似鳥文化財団 https://www.nitori-bunkazaidan.com/

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