江戸時代の神輿が練り歩く千住の祭り
コロナ禍4年間の静寂をやぶって各地で祭りが再開されている。東京・千住の秋の祭りもそのひとつだ。
千住(北千住)は、LIFULL HOME'Sの「借りて住みたい街ランキング(首都圏版)」でも上位に名を連ねるなど、近年居住地として注目が集まる街だが、江戸時代にはとても賑わった宿場町だった歴史ももつ。おしゃれなカフェや豊富な酒場など飲食シーンが取り上げられることが多いが、一歩ふみこんでみると、江戸時代からの建物や文化もひそかに残り、新旧入り交じるモザイクのようなまちの面白さに魅了される。
荒川と隅田川にはさまれた2km四方の島のようなまち千住は、宿場町だったせいなのか寺や神社が多数点在し、特に神社はそれぞれに神輿を持っているところも多く、中には江戸時代の神輿を継承する神社も少なくない。東京の祭りといえば三社や深川の祭りが有名だが、実は千住の祭りも見ごたえがある。縁日が立つわけでもないし、観光客が来るわけでもない地域の祭りだが、各神社の町内を神輿が巡る昼間の渡御のほかに、宿場町だった旧日光街道(千住1〜5丁目)を、祭りの一夜、5つの神社の神輿と獅子頭が練り歩く「千住本町五町会連合“宵宮”」がある。素朴ながらどこか幻想的で勇壮なその様子は一見の価値がある。この宵宮、今年(2023年)は9月9日(土)夜6時から、千住五丁目の通称「板垣通り」からスタートする。
そしてここでは、この千住の秋の祭りの時期に合わせて行われるひとつのプロジェクトを紹介したい。
江戸時代のだじゃれ? 地口行灯とは
神輿同様、千住に江戸時代から継承されている文化のひとつが「地口行灯」だ。地口行灯は「じぐちあんどん」と読む。地口とは言葉遊びのことで「だじゃれ」のようなもの。祭りのときなどに軒先などに飾られる行灯で、地口(だじゃれ)にユニークな絵が添えられた工芸品だ。千住に継承されている地口行灯の絵は164種類あって、これらをひとつひとつ眺めていると江戸時代の人のさりげないユーモアが感じられ、当時のまちなかでくりひろげられた日常の笑い、会話がふっとよみがえる気がする。テレビも雑誌も動画共有サイトもなかった時代、ささいな会話の中に小さなウィットを交じえて楽しんだのだろう。ひとつ見てみよう。
描かれているのは「目から出た足袋(めからでたたび)」。昔の文字が少々難しいので足立区立郷土博物館から発行の図録「地口行灯の世界」と見比べながら考える。元になっていることわざがおわかりだろうか。
そう「身から出た錆(みからでたさび)」。慣れてくると元句が想像できるが、目から足袋が出る様子を考えると笑える。筆者に受けた一作だ。
164種類の地口が継承されている
これは「大竹のみだ」。元となっている言葉は「大酒飲みだ」。馬鹿馬鹿しくて笑える。皆さんも164種の中から、好きな地口絵を探してみてほしい。
地口行灯は、江戸時代から各地で流行し、祭りのときなどに神社の参道や氏子の家の門口などに飾られたという。
千住には、この地口行灯の絵を164種類、江戸時代から継承する職人がいる。八代目となる「千住絵馬屋」の吉田晁子さんだ。屋号の通り、絵馬をつくるのが本業だが、そのほかに地口絵も継承している。絵馬も、他地域とは一線を画すユニークでカッコいい経木の絵馬が手描きで継承されていて、その話も機会があればお聞きしたいが、今日のところはまず地口行灯について調べた。
100個の地口行灯を旧日光街道に
今年(2023年)、この地口行灯をまちづくりに生かすプロジェクトがスタートしている。
その名も「地口あんどんプロジェクト」。江戸時代宿場町だった旧日光街道(千住1〜5丁目)に地口行灯を100個とりつけるというプロジェクトだ。100個という数にしたのは、継承されてきた164種の地口絵すべてを千住のまちに飾りたいという思いからだという。1つの行灯には2枚の地口絵を貼るので、100個の行灯には200枚の地口絵を用いる。
主催するのは地元のまちづくりグループ「千住いえまち」。千住が好きなメンバーが集まり、新旧入り交じる千住らしいまちなみが未来に継承されることを願って、建物調査や建物活用イベント、まち歩きや情報発信などを行ってきた地域団体だ。今回取り組む「地口あんどんプロジェクト」について、同団体の小河清貴さんはこう話す。
「絵馬屋さんの後継ぎが決まっていないという話を初めて聞いたとき、このままでは1つの文化が消えてしまうのではないかと感じ、気持ちがぞわぞわしました。自分自身、小さい頃から物作りが好きで、工業高校、大学は工学部の出身。今は法律でものづくりを守る仕事をしています。自分に、ものをゼロからつくる力はないけれど、残す、つなぐ、ことなら自分にもできるかもしれないと思い、千住いえまちのみんなとこのプロジェクトをスタートしました」
小河さんによると「地口あんどんプロジェクト」は主に3つのミッションのもとに動いているという。
①歴史もあり新しいものもある、千住らしい景観をつくり伝える
江戸四宿のひとつとして栄えた千住の旧日光街道は当時のままの道幅を残し路地や建物に名残はあるが、今はにぎやかな商店街となり、まちなみとしての統一感はない。千住に古くから伝わる地口行灯をランドマークとして、古くて新しい景観をつくりだしたい。
②子どもたちに千住らしい文化を伝え、まちへの誇りと愛着を育みたい
ミニチュア地口行灯をつくるワークショップや、100個の地口行灯をめぐって謎解きをするイベントなどを開催。子どもたちに地元の文化を楽しみながら学んでもらう機会をつくる。
③千住ならではの生業を後世につなぎたい
千住宿に伝わってきた多くの生業は継承されずなくなってしまった。江戸時代からの建物と生業を継承している千住絵馬屋の技術を継承したい。
アーティスト、照明の専門家も協力
このプロジェクトには、地口行灯の文化、あるいは千住に関心を寄せるたくさんの人が関わっている。たとえば、100個の地口行灯の制作は、約10年前から地口行灯をひとつの題材として活動してきた足立区在住のアーティストの小日山拓也さんが手がける。過去に町会の地口行灯を手掛けてきた木工職人にも指導を仰ぎ、これまでにも増して丈夫で無駄のないスタイルを目指したという。小日山さんは、同じく、地口行灯に強い関心を寄せ、2022年にともに「地口行灯×ずぼんぼ まちのあかり」プロジェクトに取り組んだアーティスト古川朋弥さんと一緒に「ミニチュア地口あんどんづくりワークショップ」で参加者の指導もした。
小日山さんは足立区出身、東京藝術大学の絵画科を卒業して、地元を中心に活躍するアーティストだ。2023年8月にサントリーホールでのちょっとユニークなガムランコンサートが話題となったが、こちらにも出演。アーティストの野村誠さんが率いる「だじゃれ音楽研究会」に所属する。
「だじゃれ音楽の研究の過程で地口行灯を調べるようになり、面白いなと思いました。日本の日常は、実はだじゃれにあふれているんですよ。かけ言葉の文化ともいえます。だじゃれは、原理や法則でがんじがらめになっている世の中を、あさっての方向に視点を変えさせる力を持ちます。だじゃれを使うことで、ここまで自由になれるのかと思うことがあります」と、だじゃれを語り出すととまらない。
そんな小日山さんは、今回の100個のあんどん制作について「ずっと楽しかった」と話す。正確にぴったりと組み上がったときの達成感は「ものづくりの醍醐味」と言う。一方で電気系統は、いろいろな人の意見の調整や、秋葉原に出かけての新たな発注など、ストレスも多かったと言う。
地口絵を描くこと、行灯の木枠を作る木工仕事、電気系統、すべてを組み合わせる仕上げ…「木工工場もなくなり職人も分散していき、千住に伝わってきた伝統の継承にずっと危機感を感じてきましたが、自分も関わりながら継承できる体制がつくっていけるならうれしいですね」(小日山さん)
また、中に入れる灯りはLED球を使うが、その安全性などについては、電気の専門家のアドバイスをもらった。千住に事務所を構えるライティングルーツファクトリー株式会社の松本大輔さんだ。松本さんは、全国各地のアートプロジェクトの光の部分や、神社や銭湯などまちの建造物のライティングに関わってきたこともあり、このまちなかでの、伝統をつなぐ光のプロジェクトに関心を寄せ、協力。中学生の娘さんと一緒に8月5日のワークショップにも参加した。
3つの商店街、5つの町会とともに
プロジェクトの主軸となる、100個の地口行灯の取りつけは、旧日光街道の3つの商店街、千住ほんちょう商店街(千住1〜2丁目)、宿場町通り商店街(千住3丁目)、宿場通り商店街(千住4〜5丁目)の全面的な協力のもとに行われている。
千住ほんちょう商店街の鈴木健嗣会長は、実は地口行灯に着目したのは今回が初めてではないと話す。
「千住1〜5丁目の当時の若手が集まっていた五町会連合会で、千住は古いまちなのに文化が感じられないよなって話していたとき、明治初期の写真を見つけたんです。そこに地口行灯が写っていて。歴史があるならやろうって話になって、五町会の回覧板で呼びかけました。そうしたら予想を上回る400個の注文があって」
2003年のことだ。絵馬屋さんに絵を描いてもらい、メンバーの家具職人が木枠を作り、安く仕上げるために電気コードや電球は秋葉原に買いに行き、仕上げは切ったり貼ったり、夜な夜なみんなで集まって手作りした。まちの反響は大きかったという。
それから20年。千住五丁目町会など、継続して地口行灯にあかりを灯している町会もある一方で、木枠をつくっていた木工職人が引退したり、行灯が傷んでも修理できずに放置されたりしているところもある中で今回の話を持ちかけられた。町会の若手として関わった2003年当時は、商店街にはあまり協力してもらえず、横丁や路地を中心につけたので、今回の商店街への設置は「面白いと思う」と話す。
宿場町通り商店街の佐賀久芳会長は、「千住はインバウンドを狙えるまちだと思うので、今回のような企画は前のめりに歓迎」と話し、宿場通り商店街の近藤温思会長は「商店街としては多くの人に来てほしいので、街並みとしてそろえば良い景観になると思う。今回の企画は文化的な側面もあるので、今年だけでなく、1年、2年と継続して見ていきたい」と話す。
2023年の宵宮を主催する千住本町五町会宵宮連合も、今年始まるプロジェクトに協力している。同連合五丁目代表幹事で、神輿の会である千五睦副会長の山﨑功司さんは、「次世代に残したいという思いで五丁目では継続して飾ってきたので、今回の話は純粋にうれしかった。五丁目から続いて四丁目三丁目二丁目一丁目と、毎年この時期に地口行灯がたくさん並んだら圧巻だろうと思うし、宵宮で旧道を神輿が進むときに両側にあんどんがあったらいいだろうなあ」と話す。
千住のまちに継承される地口行灯
100個の地口行灯が3つの商店街につけられ、同時に子どもたち向けには「地口あんどんの謎を解け」謎解きラリーがスタートした。
2日目に、お父さんと一緒に参加した野見山瑛彦くん(8歳)は、「謎解きの場所を見つけるのに苦労したけど、入ったことないお店にあったので楽しかったです。地口行灯の絵とだじゃれが面白くて、特にえんま舌の力持ちがお気に入りになりました。えんま様が舌で石を持って重たそうにしていて、普通は怒ってばかりなのに、苦労しているところを見てなんだかすっきりしました。夜には地口行灯が光っているところが見れると聞いて、考えただけでもきれいそうだなと思いました。今度行ってみたいです」と、とても楽しそうに話してくれた。
まちに継承される文化はまちの個性でもある。千住のように活気があり、大きな駅ビルにファッションブランドが集まる便利なまちの、そのベースにある歴史や文化に触れるとき筆者は、うわべだけの華やかさを楽しむよりもっと深いところで、わくわくする。
前出の小河さんは、地口行灯の絵は海外で受けると思うと言う。海外向け販路の開拓にも関心があるし、絵柄をカルタにしたり、グッズにするとおしゃれで楽しいのではないかとも話していた。
歴史や文化はその時代の人により、新しいアイデアを取り入れ、少しずつ変化したり進化しながら継承されてきた。千住の地口あんどんプロジェクトは、まちのさまざまな人がそれぞれの思いで関わり、今、技術をつなぎ、まちの景観をつくることにチャレンジし、子どもたちにそれを伝えようとしている。このプロジェクトの、今後を見守りたい。
取材協力
千住いえまち http://1010iemachi.jp
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