歴史を伝える、日本の神話

縄文時代の日本では、人々は移動しながら狩りをしたり果実を採取したりして生活していた。
農耕生活よりは天候からの影響も少ないと想像されるが、火山の噴火もあり、大風も吹いたから、災害除けの祈りは捧げただろうし、先祖崇拝もあったとされる。
縄文時代の遺跡からは、環状列石などが発見されているし、特徴的な姿の土偶たちもまた、祭祀のための道具だったとされる。

その後稲作がもたらされて、田畑を作るようになると、人々は「ムラ」に定住するようになった。ムラ同士のいさかいも生まれ、戦闘で命を落としたと推察される、矢傷のある人骨なども出土するようになる。ムラには血縁のある一族が暮らしていたが、他のムラとも婚姻などの交渉があっただろう。水の分配についても話し合われたはずだから、互いに親交はあったと考えられるが、基本的には一族がまとまって暮らしていたとされる。

文字のなかった時代、一族の歴史を後世に残すためには、物語を親から子へと語り継ぐしかなかった。当然氏族ごとに違う物語があっただろう。しかし奈良時代ごろ日本書紀が編纂されるにあたり、「日本の歴史」として整理するために、それらの物語をまとめあげねばならなかった。
だから、日本書紀の神代条は「一書に曰く」と、さまざまな書物から引用して語られるのだ。まったく違う話が併記されていることも少なくない。

北秋田市脇神字伊勢堂岱にある縄文時代後期の遺跡、伊勢堂岱遺跡北秋田市脇神字伊勢堂岱にある縄文時代後期の遺跡、伊勢堂岱遺跡

神道は先祖への感謝と神々への敬意

皇室は日本神話の最高神であるアマテラスの子孫であるとされるが、これはスサノオが高天原へやってきたとき、悪い心がないと証明するために、「男子が生まれたら清い心である」と誓約してアマテラスと互いに子を産み合った神話による。このときアマテラスはスサノオの剣を口に含んで三柱の女神を、スサノオはアマテラスの勾玉を口に含んで五柱の男神を産むのだが、男神のうちのアメノオシホミミが、皇室の祖にあたる。

日本書紀の本書では、アマテラスが「勾玉は私のものだから、男神たちが私の子どもだ」とはっきりと宣言しているが、引用された他の書物にはこの宣言がなく、そのため三柱の女神こそがアマテラスの子どもであると伝える神社もある。

「神社にお参りする際は手水で手を洗う」などの一般に知られている作法も、コロナで手水舎が封鎖されたこともあったように、「絶対的なルール」ではない。二拝二拍手一拝の作法も、たとえば出雲系の神社では四拍手が作法だったりして、現在の形に統一されるまでは、地域により人により、さまざまな作法でお参りされてきたと考えられる。

神道において大切なのは、先祖への感謝と、日本を守護してきた神々への敬意であり、作法ではない。そして敬意の示し方は人それぞれだ。それを踏まえて、引っ越しと神社について考えてみよう。

天照大御神を奉る伊勢神宮内宮の宇治橋の鳥居天照大御神を奉る伊勢神宮内宮の宇治橋の鳥居

「鎮守の神」「産土神」「氏神」の人を守護する神

神道においては一般的に、人を守護する神は「鎮守の神」「産土神」「氏神」の三種類あるとされている。
鎮守の神とはその地域を守護する神社のこと、童謡「村祭り」で、「村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日 ドンドンヒャララドンヒャララ」と歌われる神様だ。現在では、氏神、産土神と同じとされることも多いという。

産土神は、生まれた土地の鎮守の神社を指す。生まれたときに初宮参りをした記録があれば、その神社を産土神と考えることもある。生まれた土地の鎮守の神社ではない神社に初宮参りをしたのなら、どちらの神社も産土神と考えて良いだろう。産土神は一生を通じて守護してくださる神様だ。

氏神とは本来氏族の祖先にあたる神様のこと。日本書紀には、「〇〇の神は、△△氏の祖である」などという記述がところどころにあり、たとえば皇室ならアマテラス、藤原氏ならアメノコヤネが氏神にあたる。氏族の祖神がわからなくても、「ご先祖様」を氏神と考えても間違いではない。

しかし、氏族が一つのムラに固まって暮らし、生まれたムラから移動する機会がほとんどなかった時代が長く続き、次第に産土の神や氏神は、鎮守の神と混同されるようになった。現代で「氏神」というときは、住んでいる地域の鎮守の神のことと考えて良いだろう。また、地鎮祭の祝詞に登場する「産土神」は鎮守の神を指すので、地域を守護する「氏神様」は、特に重要だと考えてよいだろう。

昔から気にされた引越しの方角。方位除けの神社

おみくじを引くと、「転居(やうつり) 東が吉」とか、「転居(やうつり どこでもよし)」などと書かれていることがある。また、厄除け・方位除けというお寺も聞いたことがあるだろう。

そもそも東が良いとか西が良いとか、方角によって吉兆があるとするのは陰陽五行説の影響が強く、日本古来のものとは言い難いが、陰陽の考え方は記紀神話にも反映されている。平安時代には方違え(かたたがえ)方忌み(かたいみ)といって、外出や引越しなど、その方角の吉凶を占い方角の縁起が悪い場合は、別の方向に出かけそこから出かけることで方角の縁起をかついだ。
現代では、引越しの際、どちらの方角が良いかと調べて、その方角に新しい家が見つかればそれに越したことはないのだろうが、現実的にはそうはいかないであろう。転勤のための引越しならば、たとえ最凶の方角でも引越しせざるを得ない。

もし、凶の方角になってしまい気にする場合は、方位除けの神社にお参りをしたり祈祷を受けるのもよいだろう。

関東で有名なのは、寒川神社だ。寒川神社では、方位除けだけでなく、地相・家相・方位・日柄などに起因するすべての禍事・災難を取り除き家業繁栄・福徳円満をもたらすという「八方除け」の祈祷が行われる。

関西ならば、その名もずばり方違神社が知られている。三国丘は和泉・河内・攝津の三国の境あり、「方位のない地」とする信仰が古くからあった。そこに鎮座する方違神社にお参りすると、方角に関わる禍が払われると考えられてきたのだ。

この2つの神社でなくても方位除けのご祈祷をしていただけるはずだから、気になるなら、よくお参りする神社に問い合わせてみよう。

神奈川県寒川町 寒川神社神奈川県寒川町 寒川神社
神奈川県寒川町 寒川神社大阪府堺市 方違神社

引越ししたら、その土地を守る鎮守の神(氏神)をお参りしよう

近所づきあいが希薄になり、隣にどんな人が住んでいるのかもわからないこともある時代ではあるが、引越しの際は隣近所に挨拶をする人は少なくないはずだ。
お隣の方に挨拶をするのと同じように、地域を守護する氏神様(鎮守の神)にお参りしておきたい。実は「氏神」には士族の祖先の神の意味もあるが、ここでいうのは土地に根付いている鎮守の神である。

地図を開いて、自分の住む地域に神社が鎮座していれば、それが氏神である可能性が高い。もし地域になければ、最寄りの神社で尋ねるか、都道府県の神社庁に問い合わせるとよいだろう。

参拝の仕方は一般的な作法に従い、鳥居をくぐり、参道の左側(本殿の神様から見ると右側)を進み、手水舎で手と口を清める。拝殿に立って姿勢をただし、腰を90度にまげて2回おじぎをする(二拝)。そして2回手を打ち(二拍手)、もう一度おじぎ(一拝)する。

日本には9万弱の神社が鎮座しているから、そう遠くない場所に神社が見つかるはずだ。
ただその多くが無人で、手水の水が止まっていることも多いが、慌てることはない。水道の整備されていなかった時代、境内近くに川が流れてでもいない限り、手水を使う習慣などなかったはずだ。手水を使うのは身を清めるためだから、手水舎がなくとも慌てないよう家で手と口を漱ぎ、清潔な身なりで参拝すればよい。心を静めて「これからどうぞよろしくお願いします」の気持ちを籠めてお祈りしよう。

産土の神社がわかるのならば祭神を調べ、近所にその神を祀る神社があるなら、合せて参拝すると、さらに心強い。
祭神を調べるのは少し手間だが、ほとんどの都道府県の神社庁が、サイトで都道府県内の神社一覧を掲載しているから、調べられるはずだ。一覧がなければ、都道府県の神社庁に問い合わせると良いだろう。

かつて、江戸の名物を「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」といった。日本は稲穂の国であり、それほどに稲荷神社が多かったのだ。それは人々が心の支えとして神の坐す場所を必要としたからだろう。

引越し先の氏神がどこにあるかわかれば、引越しの後だけでなく、折々にお参りしてみてはいかがだろう。

地域にある氏神(写真は賀茂神社)地域にある氏神(写真は賀茂神社)

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