貝合わせとは、平安貴族が蛤の形や大きさ、色合いなどを題材に歌を詠み、その出来を競う遊びだった

雛祭りの時期には、しばしば貝合わせが話題になる。
本来の貝を使用した遊びは、平安貴族が蛤の形や大きさ、色合いなどを題材に歌を詠み、その出来を競う遊びだった。それに対して「貝覆い」は、蛤の貝殻の左右を切り離したものを複数混ぜ、その中から対になるものを見つける遊びだ。貝覆いは平安時代末期から鎌倉時代ごろに、子女の遊びとして始まったが、時代が下ると「貝合わせ」と呼ばれるようになった。現代の私たちが「貝合わせ」と聞いて連想するのは歌を詠み競う貝合わせではなく、対になるものを合わせる遊びの貝合わせだろう。

室町時代になると、貝合わせの貝を貝桶に入れて嫁入り道具にするのが流行する。
冷泉貴実子さんは「三組の貝合せ」という小文の中で、「持ち主が去った後も貝合せは、冷泉家の代々の婚礼に、飾り物として使われてきた。普段は真っ暗で、埃りにまみれた蔵の中に忘れられているのに、母のときも妹のときも、結婚を祝う客の前に、二人の前途の守護神であるかのように、決まって据えられていた」と、書かれている。
冷泉家は歌道の宗匠家の一つであり、貴実子さんは第二十四代当主の長女にあたるから、貝合わせの道具はほかの公家たちの間でも、同じように扱われてきたのかもしれない。

室町時代には貝合わせの貝を貝桶に入れて嫁入り道具とした室町時代には貝合わせの貝を貝桶に入れて嫁入り道具とした

「地貝(じがい)」と「出貝(でがい)」を合わせる、貝合わせの遊び方

貝殻を合わせた状態で蝶番部分を前に向け、貝殻をくっつけているじん帯のある側を下にしたとき、左側の貝殻を陽とみなして「地貝(じがい)」、右側を陰とみなして「出貝(でがい)」と呼ぶ。
それぞれ対になる絵、あるいは同じ絵が描かれたもの十二セットで遊ぶのが基本だが、数は厳密ではないようで、三百近くがセットになった豪華なものもある。

遊ぶ際は、地貝を絵が見えないように伏せて円形に並べ、その中央に出貝を一枚ずつ取り出しては、対になっていると思う地貝を見つける。出貝とぴったり合う地貝を見つけた人が正解で、たくさんの貝を合わせた人が勝利となる。ただ獲得した貝殻の枚数を競うだけでなく、描かれた絵を愛でるのも遊戯の一環だ。

貝合わせの遊具は、蛤の内側に金箔が貼られていたり、蒔絵が施されていたりしてとても美しい。絵はめでたい題材が採用されており、物語のワンシーンのほか、美しい花や御所車、殿上人や十二単の女性などが描かれている。
後には和歌の上の句と下の句が書かれた「歌貝」が登場し、カルタの起源になったとされる。

左側の貝殻を陽とみなして「地貝(じがい)」、右側を陰とみなして「出貝(でがい)」と呼ぶ左側の貝殻を陽とみなして「地貝(じがい)」、右側を陰とみなして「出貝(でがい)」と呼ぶ

貝合わせに使われる蛤と日本人の関係

日本人と蛤の関係は古く、蛤の女神もいる。蛤の女神とされる蛤貝比売(うむかいひめ)は『古事記』や『出雲国風土記』に登場し、赤貝の女神とされる𧏛貝比売(きさかいひめ)とともに、全身の火傷で命を落とした大国主を生き返らせた。

中国では蜃(しん)と呼ばれる大きな蛤がどこかにいると信じられており、江戸時代にはこの伝説が日本に伝わったようだ。蜃が吐いた気が、蜃気楼となる。若い蛤は粘液を吐く習性があり、気を吐いているように見えたのかもしれない。

千葉県千葉市の加曽利貝塚など、日本には数多くの貝塚があるが、縄文時代の貝塚からも蛤の貝殻が発見される。
例えば、東京都北区にある中里遺跡からは蛤や牡蠣の貝殻が発見されているが、小さなものが見つからないことから、大きな貝のみを食用とし、未成熟な貝はリリースしていたと考えられている。1万年前の日本人にとって、蛤や牡蠣は大切な食料だった。

江戸時代初期の歴史家である黒川道祐は貝合わせに使う大蛤について、山城国地誌『雍州府志』の中で「はじめ伊勢桑名より出でしが、いま大なるは絶ゆ。ゆゑに多く朝鮮の貝を用ゆ」と記述している。貝合わせの道具はヨーロッパの王侯貴族の間でも珍重され、競って買い求められたのだそうだ。縄文人達が食べるために大切に管理した蛤が、美しい玩具にするために乱獲されたというのだから、少し悲しい気がする。

日本最大級の加曽利貝塚にはハマグリの純貝層がある日本最大級の加曽利貝塚にはハマグリの純貝層がある

雛祭りの蛤料理と貝合わせ

雛祭りの日には蛤のお吸い物や、焼き蛤や蒸し蛤などの蛤料理が食卓に並ぶご家庭も多いのではないだろうか。
貝合わせに蛤が使用されるのは、大型で美しい二枚貝だからでもあるが、一対の貝殻以外は決して合わないとされるからだ。この性質ゆえに「貞節の象徴」と見なされ、雛祭りに食べられるようになった。八代将軍の徳川吉宗も、婚礼の祝いに蛤の吸い物を用意させたという。また、蛤は春の季語であり、春になると身が太るから、雛祭りのシーズンが旬であり、もっともおいしいという。

蛤を調理する際は、必ず砂抜きをする。3%の食塩水を入れた容器に、重ならないように並べて一晩おいておくと、蛤が砂を吐き出すので、食べたときにジャリッとすることがない。お吸い物にするなら、蛤を昆布と共に水から中火で煮て、出汁をとると良い。

蛤のお吸い物は雛祭りの日のご馳走。雛祭りに蛤料理が食べられるのは、蛤の性質で「貞節」の意味が込められているからだという蛤のお吸い物は雛祭りの日のご馳走。雛祭りに蛤料理が食べられるのは、蛤の性質で「貞節」の意味が込められているからだという

雛祭りで食べた蛤で貝合わせをつくってみよう

雛祭りで食べた蛤の貝殻を利用して、貝合わせの道具を作ってみてはいかがだろう。
見た目にあまりこだわらないのなら、貝殻の左右をはずして、油性マジックなどで同じ、あるいは対になる絵を描けば遊べる。

飾りになるような美しいものを作りたいなら、まず貝殻の薄皮を剥くところから始めねばならない。重曹を溶かした水を人肌に温めて貝殻を浸けると、数日すれば薄皮の端が浮いてくるので、めくれあがったところから剥く。きれいにすべてペロンとは剥けないので、急がないのならば重曹水に浸けて薄皮が浮いてきたら剥くことを繰り返すと良いが、そんなに待ってられない場合は金属タワシで擦っておおよそを剥ぎ、サンドペーパーなどで磨いても綺麗に仕上がる。博物館などに所蔵されている公家伝来の貝合わせは、薄皮を剥いた後さらに磨かれているらしく、柄がほとんど消えているものが多い。美しく見せるためもあるだろうが、対のものを見つけにくいよう柄を消す意味もあるだろう。

次に貝殻の内側を金色で塗る。金色のアクリル絵の具を塗りつけるのだが、一度ではムラなく仕上がらない。絵具を水で溶かずに筆につけ、まずは全体を塗ろう。アクリル絵の具は数分で乾くので、触ってみて指に絵具がつかなければ、もう一度全体に塗り広げる。二度でほとんどムラはなくなるが、薄い部分があるのならもう一度塗ろう。伝統的な作り方では、一層目に貝殻を砕いた「胡粉」を塗るから、なるべく忠実に再現したいなら、一層目は白いアクリル絵の具を使っても良いだろう。アクリル絵の具は混ざらないので、一層目を白く塗っても金色が濁る心配はない。

ここまで来たら、後は絵を描くだけだ。油性ペンでも良いが、美しい仕上がりにしたいなら、アクリル絵の具で描くのがベターだろう。藤や桜、人物の絵など、対の図柄を描いても、同じものを描いても良い。
もし絵に自信がないのなら、絵が描かれた薄い紙や布から好みの絵を切り抜いて、手芸用ボンドで貼り付けたり、和紙で貼り絵にしたりすると、本格的に見える。最後にニスを塗れば、さらにきれいに仕上がるだろう。数組あればゲームができるので、トランプの神経衰弱とは違う雅さを感じながら、遊んでみてはいかがだろうか。

薄皮を剥いて内側に金色のアクリル絵の具を重ね塗りした。 伏せてある方が地貝、上を向けているものが出貝薄皮を剥いて内側に金色のアクリル絵の具を重ね塗りした。 伏せてある方が地貝、上を向けているものが出貝
薄皮を剥いて内側に金色のアクリル絵の具を重ね塗りした。 伏せてある方が地貝、上を向けているものが出貝今年の雛祭りには貝合わせをつくってみてはいかがだろうか

■参考
書肆フローラ『新版冷泉家の花貝合せ』冷泉布美子著 2007年7月発行

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