住宅とコミュニティスペースから成る異色の分譲地
最初にミナガルテンを知ったのは分譲宅地募集中のチラシだった。緑と土を表す2色で構成されたチラシの中央には確かに宅地が配されているのだが、その北側には人が集まる建物が描かれており、チラシ下部にはその断面図。シェアキッチン、シェアガーデンにカフェなどと書かれており、世の中一般の住宅だけを売るチラシとは別物だったことを覚えている。
それから2年。ミナガルテンは一応の完成を見た。一応のというのは、変化は今もまだ続いており、現在の形は最終形ではない。だが、とりあえずの形としてはある程度見える状態ということで、ここまでの歩みやそれによる変化を取材してきた。
ミナガルテンがあるのは広島市佐伯区皆賀。廿日市市に隣接する広島市の西部にあり、1980年代以降は都心に近く、自然も豊富な住宅地として発展を遂げてきた。JR山陽本線の最寄り駅・五日市駅からは1キロちょっと。幹線道路から少し入ったところに立地する。古い地図を見ると現在住宅がある道路南側にはシンヤ農園植物センターと書かれており、北側には資材部、ビルなどの単語。ここにはかつて園芸卸会社の倉庫や温室があったのである。
ミナガルデン代表谷口千春氏の父が経営者だったのだが、体調を崩したことから、会社は2017年に廃業。その跡地一帯3,000m2を住宅地とコミュニティの中心となる場にしようというプロジェクトのために、それまで約20年間広島を離れていた谷口氏が広島に戻ったのは2020年春だった。
「今後の私の人生を掛けるプロジェクトとして自分なりの真善美を追求したいと考えていました。全体のテーマである人と暮らしのウェルビーイング(幸福)の場を作るということ、そこにカフェやベーカリー、シェアキッチンなどの人が集まれる機能があり、緑と文化のコミュニティがある、という実現させたいビジョンはあったものの、入居テナントや運営体制などが具体的に詰まっていたわけではなく、無数の可能性があるという状態でスタートをしました」
ここで谷口氏が言うウェルビーイング(人間の良い状態=幸福)は身体、心そして社会的な健康(つながり)の3つがあって初めて成り立つものという。また、私、私たち、世界はひとつながりであるとも。これがミナガルテンのコンセプトを支える軸になっている。
土地の物語、言葉の不思議を織り込んだ名称「ミナガルテン」
ミナガルテンという名称自体がそのコンセプトを具現化したものだ。地名の皆賀、日本語のみんな、フィンランド語で私・個人を意味するミナを掛け合わせ、一人ひとりの個性が花咲く豊かな庭となることを祈って名付けられたもので、皆と個、が違う言語の同じ音で表現されるという不思議がうまく活かされた名称である。
皆賀という地名自体にも物語がある。かつては水長と書かれていた水はけの良くない土地だったのだが、江戸時代に治水工事が行われ、それを皆が賀したということから皆賀というめでたい地名に替わったのだとか。歴史、思いのこもった名称なのである。
住宅は分譲住宅14戸と賃貸住宅3戸。土地を売却する必要はあったが、全部を売り切ってしまわなかったのは住宅地に関与する余地を残すため。住宅とコミュニティスペースの開発は同時進行だったため、購入した人たちの中には必ずしもプロジェクト全体のコミュニティ形成に関心のない人たちもいる。
だが、中央にある庭、賃貸住宅を保有し続けていれば売却後も土地には多少なりとも関わり続けられる。そこに今はあまり明確ではないつながりを作ることもできるかもしれないと谷口氏は考えている。
分譲住宅は2020年夏から販売を開始、約1年で完売して完成は2022年6月。すでに全戸入居している。賃貸住宅3戸も同時期に完成した。周囲とは異質な、塀のない、植栽の豊富な住宅群で、こうした住宅地を見たことが無い人には不思議な空間。そのためか、完成後しばらくは勝手に入り込んでしまう人もいたとか。現在は私有地であることを示す掲示が出されている。
コミュニティエリアは住宅地と道を挟んで反対側にあり、中心になっているのは以前は園芸資材倉庫だった鉄骨造3階建ての550m2弱の建物。約50年間使われてきた新耐震基準以前の建物で、内部にはモノが詰まっており、かつ一部には建築基準法上、違法な部分もあった。駐車場にも違法な増築が行われており、改修にあたってはそうした建築上の諸問題をクリアにする必要があった。
段階を経て改修、その間に人間関係を構築
そのため、改修は段階を踏んで進めることにした。3回に分けて工事面積を各回200m2以下にすれば用途変更時の建築確認が不要になり、その間に場に関わる人を増やすこともできるからである。
「スタート時点では私自身、地元につながりがなく、テナントも決まっていない状態。そこで先に箱だけを全部作ってしまうのは怖い話です。経営も一緒にやりたい人とやるのがよいだろうと思っていたので、まずは人を集めることが大事だろうと思いました」
そこで2020年秋には2階だけを改装した。作ったのはシェアキッチンとシェアサロン。1階はイベント等に使えるよう、音響の配線だけは施したものの、それ以外は手を入れず、がらんどうのままとした。
シェアサロンは当初レンタルスタジオとして運営、1時間1,000円でいろいろな人たちに自分たちのやりたいことを実現する場として利用してもらっているうちに、この人たちにずっと関わり続けてもらいたいという人たちが現れた。その結果、2021年8月からは曜日替わりのシェアサロンという形態になり、中心となって定期的に利用するメンバーは6人、月に1回使う人なども入れると全員で10人が家賃を払って利用するようになった。
もうひとつ、早い時点で施工されたのは吹き抜けになった2階壁面の緑化。建物内の他の場所とは違う、行ってみたい、見てみたいという雰囲気はここで作られた。もともとの場の歴史を生かしたものでもあり、インスタなどでの視覚に訴えたPRを考えると、こうした場を作った意味は非常に大きかったのではないかと思う。
毎月5の付く日にマルシェを定期開催
2021年1月からは立地する地域・五日市エリアの地名の由来となった毎月五日に市がたった歴史にちなんで5日、15日、25日に「5’s マルシェ」(サンクスマルシェ)というミニマルシェを開催するようになった。不定期で人が集まる状況では周囲に認知されにくい。そこで定期的に人が集まる状況を作ろうと考えたわけである。
マルシェでは1階、2階や建物入口に野菜や焼き菓子、手作り作品その他が並び、2階のキッチンには飲食店が出店することも。毎回、7~10店舗が出店、そのうち常連メンバーは半分ほどで、新規出店・時々出店が半分ほど。あえて常連だけに固定しないのは、顔見知りのいる安心感と同時に新鮮な出会いがある場にするためとか。毎回、新たな出店者を探すのは大変だろうと思うが、こうしたことで関係が広がっていったのだろう。
改修という意味で第二段階に当たるのが2021年の秋以降。2021年8月にはメインの建物に隣接する木造2階建ての、かつては会社のオフィスだったスペースにベーカリーCompanion Plants(コンパニオンプランツ/共栄作物)の厨房が作られた。売り場はカフェスペースの一角にカウンターが設えられている。
「パンは毎日食べるものの一方で遠くからも買いに来る人もいる商品。そこで最初からベーカリーには入ってもらうつもりで、当初は代々木にある365日さんをダメ元で口説いていました。何もない状態のときに広島まで来てもらうなどしていたのですが、タイミングが合わず。ところが1年半後くらいに右腕だった人が独立するという話があり、1度は断られたものの、1ヶ月後にやっぱりやらせてほしいという連絡があり、出店が決まりました」
翻意した理由はミナガルテンは関わる人が挑戦する場だからというもの。そこに出店することで自分も新たなことに挑戦できるのではないかと考えたのだとか。
この話はミナガルテンという場を象徴するもののひとつだろうと思う。水面に落ちた一滴が波紋となって広がるように少しずつ周囲の人を巻き込み、広がる。施設そのものも、関わる人の数もそのようにしてミナガルテンは成長してきた。谷口氏の掲げるこの土地の歴史を踏まえた、これからありたいと思うこの場の姿、チャレンジできる環境に共感、参加したいという人が徐々に増え、広がってきているのである。
多くの人が場をシェアして開店
ベーカリーの誕生後、2021年10月には1年間がらんどうでマルシェ、イベント等で利用してきた1階がベーカリーの売り場、ギャラリー、カフェとしてオープンした。カフェでは7人のバリスタが日替わりで営業を開始している。
2022年6月からは朝の時間を利用し、モーニングやヨガなどがスタート。10月にはスープとお惣菜デリの開業を目指しており、複数の女性がメニュー開発から携わることになっている。クラウドファンディングを利用し、1階にシェア型本棚を作る、3階に予約の取れない子ども向け造形スクールの分校を作る、地元の芸術系コースの高校生、大学生たちの活動場所、スクールを作る計画などもあり、ミナガルテンはまだまだこれからも変化が続く。
面白いのはそのいずれもがシェアを前提としていること。場所、人、モノ、シェアできるものはし尽くすというのが谷口氏のやり方なのである。
「7人のバリスタを集めてカフェを始めるなど、複数人でのスタートは最初は大変ですが、軌道に乗り出せば誰かが出店できなくても誰かが替われますし、同じバリスタでもそれぞれ得意が違うのでお客さんはさまざまな味が楽しめて飽きない。やっている人たちにも刺激になりますし、それぞれがファンを連れてきてくれる効果もあります。今後は建物内のそれぞれの場ごとに異なるコミュニティを作っていきたいと考えています」
たくさんの人に手間なく関わってもらうために、谷口氏はグーグルカレンダーを組み込んだミナガルテンのホームページ、各種SNSに加え、イベント情報をまとめて見られ、出店者と参加者が直接コミュニケーションが取れるスマホアプリstationを導入。1,000人近いファンが登録している。
初めて1年でミナガルテンのインスタグラムフォロワーは1万人を超えてもおり、ツールを駆使すれば、多くの人たちとコミュニケーションが取れる時代であることを実感する。
買う人、売る人はいつでも立場を替える
取材はちょうど53回目のマルシェ開催日だった。そこで開催前に8時半から行われる朝さんぽ&朝ごはんの会から参加。取材しながらマルシェの様子を見学させていただいた。ひとつ、気づいたことがある。
それは長居する人が多いこと。谷口氏に聞くと長い人だと3時間、4時間滞在することもあるのだとか。途中でいろいろ買い物をしたり、顔見知りと会話をしたりしながら過ごしているのだが、それだけの時間滞在できる施設は珍しい。居心地が良いだけでなく、訪れる人に寛容な場なのである。それだけの時間を過ごしていれば周囲とは会話するだろうし、顔見知りにもなる。マルシェはコミュニケーションの場というわけだ。
その結果、マルシェに客として来た人がいつの間にか店の人になるという現象がしばしば起きている。立場、役割で人を括るのではなく、ここはそうしたボーダーを超える場だと谷口氏。
実際、その日の朝さんぽ&朝ごはんの会には次のマルシェに出店するという人が友人を連れて参加しており、買う人、売る人はいつでも立場を替えうる。そして、それがこの場が和やかで自律的である理由であるのかもしれない。いつも同じ立場にいる人は違う立場を想像しにくいが、場面ごとに立場が変わるなら想像は容易。互いを尊重し合えるのではないかと思うからだ。
また、モノを売るだけでなく、マルシェのテーマによってはタンゴや日本舞踊が披露されることもある。読書会などのイベントも開催されており、最近はマルシェのイメージが強くなっているので、少し文化のほうへ揺り戻したいと谷口氏。いろいろなことに自由に使える場なのである。
個人的には朝ごはんに作った江波巻(えばまき)という広島県の郷土料理が美味しく、印象的だった。海苔の養殖が盛んだった広島市中区の江波地区で昔から食べられてきたという海苔巻の一種で、巻き終わりをねじるのが特徴。酢飯でなく、普通のご飯を使い、具も好きなモノで可。気楽に作れて美味しく、食べやすいにも関わらず、地元でも今はそれほど知られていないという。こうした地元にこだわった料理、素材を広く伝えていくのもこの場の役割かもしれない。
身の回りから地域、社会へ広がる活動
こうしたあれこれの取組みが、知らなければ来られない、通りから入った住宅街に1日200人、年間では5万人もの人を呼んでいるのだが、活動はさらに深化している。もともとはそこにあった土地、倉庫などをどう生かすかを真剣に考え続けてきた結果、自律自走できるコミュニティが生まれ、活動は地域に及び始めているのだ。
「ミナガルテンを起点に広島市を活性化したいと今、20~30代が中心となってバイリンガルのかっこいい郷土史本を作っています。広島は移民が多く、世界には33もの広島県人会があるほど。日本に来たことのない三世、四世もいます。その人たちにすぐ上の世代が広島を伝える本です。書籍に盛り込む話をさらにその上の世代に聞くことを考えると世代をつなぎ、世界の人と関わる本になると思います」
さらに広島市の広島市中央・こども図書館の移転に対してのミナガルテン谷口氏の発言「どこにどういう形であるべきかを根本的なところから議論すべき」など、波紋は広がり続け、まだまだこれからも大きくなりそう。市外の企業や勉強会などに呼ばれて話をする機会も増えている。それに惹きつけられるようにこの場を訪れる人も増え、何かをやりたい、やろうとする人が増えれば地域はもっと楽しく、うれしい場になるのではないかと思う。
公開日:





















