理想は「介護のない世界」。実体験を通して気づいた課題とは
広島県の呉市から愛媛県の岡村島までの瀬戸内海の島々を橋でつなぐ「安芸灘とびしま海道」というドライブコースがある。2022年アメリカアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した映画『ドライブ・マイ・カー』の舞台としても注目を集めている。
その島の一つ、大崎下島にある久比地区で、古民家を改修した新しいプロジェクトが始まっている。プロジェクトを推進している「一般社団法人まめな」の代表理事・更科安春さんにお話を聞くくため、「まめな食堂」を訪ねた。
まめな食堂は、かつて病院として使われていた古い建物だ。奥には院長先生と家族が暮らした住居部分があり、現在は打ち合わせスペースになっている。隣の長屋のような木造の建物は、かつての入院棟で、こちらは現在、宿泊施設として活用されている。
更科さんは東京から60歳を過ぎて大崎下島に移住した。東京に住んでいたときに、自宅で母親の介護をして94歳で看取った。そのとき、日本の高齢者介護における課題を、実体験を通して感じたという。日本の介護制度は素晴らしいが、高齢者が増え続けても持続可能なのかと思い至り、残りの人生で、その課題解決に向けて何かできないかと考え、実際に足を使って独自調査もしていた。
そして考え至ったのが、「介護のない世界」を作るということ。
「みんながぴんしゃんころりと亡くなれば介護が必要なくなる」と更科さん。最後まで健康で元気に生き抜いて、あの世へ旅立っていくという意味だ。「例えば、年寄りが畑に行って帰って来ないから、見に行ったら倒れて亡くなっていた。もしかしたら、それがその方の理想かもしれません」(更科さん)
「介護を必要とする高齢者が増え続ければ、介護するほうが疲弊し、介護されるほうもサービスの低下で不満が募り、国の予算も火の車になる。誰も幸せにならない」と更科さんは続ける。
高齢化率が高い限界集落にこそ、学ぶべきことが眠っている
そんなとき、知り合いの若い起業家が、瀬戸内海の離島で会社を興して頑張っているというので、顔を見に訪ねた。島での滞在中、元気に畑仕事などをしている多くの高齢者に出会い、「ここには学ぶべき暮らしがあるのではないか」と思ったそうだ。
大崎下島は素晴らしい自然環境があり、お年寄りたちが朝から軽トラックを運転し、畑に出て作業をしている。70代から90代まで、元気にそんなことをやっている。
更科さんは、自分が思い描いていた「介護のない世界」のお手本がここにあると思い、暮らし方を勉強しようと思った。そして、ここ大崎下島に「介護のない世界」を作ろうと決めた。一年半余りで、一緒にやってくれる仲間が二人になっていた。一人は、訪ねるきっかけになった起業家の三宅紘一郎さん。三宅さんは近隣で新しい酒づくりを始めている。もう一人は地元出身の梶岡秀さん。県の技術指導員を定年退職し、U ターンで島に戻って有機栽培による柑橘栽培や地域の活性化の活動をしていた。
2019年3月、3人は「社団法人まめな」を設立。「くらしを、自分たちの手に取り戻す」をミッションに、個人が主体として生きられる社会を目指している。活動は地域課題に取組む社会実験ともいえ、以下の5つをコンセプトに掲げている。「相互扶助コミュニティの創出」「学育プロジェクト」「サポートテクノロジーの開発」「持続可能な農業の実践」「人口の流動性の促進」である。
新しい挑戦を応援すべく、古民家を寄贈
更科さんは、大崎下島に来て、思い描いたことが、自分でもビックリするぐらいとんとん拍子に進んだと振り返る。
最初に島を訪ねた際、元病院の建物を案内された。そのときは草ぼうぼうの空き家だったが、何となく気になっていたという。当時は、まさか自分が移住して活動拠点になるとは夢にも思っていなかたったそうだが。
しかし、メンバーの梶岡さんが、この建物の相続人と同級生だった。相続人ご本人は、広島県廿日市市で大きな病院をしていて、この島には戻る予定がないという。そこで更科さんたちが、建物の活用のことで相談しに伺うと、「是非使ってください。全部寄贈します。亡くなるまで院長として島の医療に携わった父も、喜ぶと思います」との答えだった。
話を受けて、更科さんたちは、ますますエンジンがかかり、プロジェクトが進むことになった。
建物は、プロジェクトのコンセプトを実践する場所と位置づけた。オープンスペースという形にし、島外から来た人たちも共に生活のできる場所にした。
また、まめな食堂から徒歩数分の場所には、子どもの遊び・学びの場となる寺子屋施設「あいだす」、図書館なども整備。すべて古民家を改修した物件だ。
建物の修繕は1年2ヶ月間かけて、2021年末に第1期改修工事が一段落した。
一つの目玉が「まめな食堂」で、地域の人々のための食堂を目指している。買い物や食事作りもだんだんできなくなってくる高齢者のサポートという目的もある。実際にそのような高齢者の息子さんや娘さんたちは、月に1回か2回都会から島に帰ってきて、その都度、冷凍庫に食材を詰めて帰って行く。そもそもこのエリアには、食事ができるところがないので、島の人々の「食」を守るということを第一目標にした。どうせならと、島外の方でも来てもらえるような魅力的な場所にリノベーションしたのだった。
「元気なおじいちゃんおばあちゃんに遊びに来てもらって、彼らのサードプレイスとして使ってもらいたい。ここにいるスタッフは、介護士や看護師さんなどで、健康相談にも乗ったりできます。足が悪くなってないか、アルツハイマーがどの程度かなど、専門家であれば適切なサポートができます。地域のウェルビーイングをサポートする場も兼ねているのです」と更科さん。
フラットな組織から生まれる、成長著しい人材と事業
更科さんは、このプロジェクトをユニークな方法で運営している。
「私としては、これからの組織の在り方を実験しているつもりです。一般の企業的な上意下達の命令形ではなく、自律分散型の組織が作れないかというのが目標です」
例えば、コンセプトの一つ、「学育プロジェクト」において、若いスタッフであっても「教育のことをやりたい」と手を挙げるなら、任せることにしている。
更科さんは続ける。「私は相談に乗るだけです。対外的に責任が発生するとき、またはお金が絡んだりする際にアドバイスしたりします。しかし、基本は全部任せているので、自分でやりたいようにやってもらっています」
まめなには、上下関係が一切なく、みんなフラットに話し合うそうだ。そういう形で運営してきた結果、個々人の能力の伸び率がすごいと更科さんは目を見張る。
スタッフには、給料ではなく、事業を推進してもらうことによるベーシックインカムを支給している。ただしここに住んでいるので、家賃や水道代もかからず、まかないの食事も付く。支給したお金がすべて自由なお金になり、特に使う場所もないので、贅沢しなければ十分暮らせていけるのではと更科さん。
もっと稼ぎたい場合は、自分の受け持っているプロジェクトを事業化して、会社を作って、どんどん儲けなさいと伝えている。一般社団法人まめなは非営利団体なので、利益を追求していないからだ。ここはある意味インキュベーターであり、次々と巣立っていってもらえるのが理想だとか。
実際にこれまでにも、訪問看護の会社ができて、そこで仕事を受けている人も増えている。
課題に向き合うことで知見が蓄積され、イノベーションにつなげたい
「地域で少しずつファンが増えてきて、近所のお年寄りとお友達になって、良い関係ができてきました。家族のように地域に受け入れてもらえるようになっています」と更科さんは胸を張る。
レストランには一日あたり、約40人のお客様が来ている。色々なメディアによる取材を受けたおかげで、当初半分ぐらいは島以外の方だったという。
今後、一番作りたいのは、「多世代型のシェアハウス」だと更科さん。
「独居高齢者は頑張って暮らしてらっしゃるが、やっぱり不安も多い。そういう方々にシェアハウスに住んでいただく予定です。しかし高齢者ばかり住んでいても意味がありません。そこにシングルマザーとか若いご夫婦や単身者なども同居してもらいます」と続く。
さらに住んでもらいたいのが、看護師さんか介護士さんで、より安心して入居してもらうためだという。改修費も結構かかる見通しのため、お金が集まり次第工事を始めるそうだ。
まめなでは、古民家改修についても、知見を増やしている。
「都会で気密性の高い住宅に住んでいると、確かに冷暖房は効率が良いが息苦しいと感じます。しかし、単に従来型の木造建築でいいというわけではなく、例えば寒さ対策をどうするかなど、新しくアップデートする必要があります。また気候風土に合う地元の資材を使うことで、快適さも増すと考えます」と更科さん。
建物の中の風の動き、温度変化、湿度変化など、しっかり判断して、一番快適な間取りは何なのかを追求したいと抱負を語る。
介護のない世界への挑戦は、多世代のコミュニティがあり、さりげないお互いの支えあいが必要なのだと感じた。その仕組みづくりこそが、まめなプロジェクトの大いなる実験なのだろう。
限界集落にある「まめなプロジェクト」発の事例が、日本の先進事例になる日が近いかもしれない。楽しみである。
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