仕事と子育ての両立を目指し、自然豊かな竹田市に移住
新型コロナウイルス感染症の蔓延以降、Iターン、Uターン、2拠点居住などの形で田舎暮らしに注目が集まっている。コロナ禍以前から移住者の多かった大分県竹田市は、2015年から2019年の5年間で、地域おこし協力隊の人数が全国最多の40人超を数え、さらに協力隊終了後の定住希望者が多いことでも注目される。今回は、協力隊として移住した後、空き家を活用してシェアハウスを立ち上げ、「暮らす実験室」と名付けて入居者や近隣の移住者とともに竹田市でのよりよい暮らし方を探っている、合同会社fufuの代表、市原正さん・史帆さんご夫妻に話を伺った。
市原さんご夫妻が東京から竹田市に移住したのは2018年のこと。それまでは、ふたりとも東京にある婚活プロデュース会社でバリバリ働いていたという。その後、史帆さんの産休及び副業を機にふたりは個人事業主として独立。長女が保育園の入園に漏れたことなどをきっかけに、仕事と育児の両立をかなえる選択肢として地方への移住を検討し始めた。
「当時、コワーキングスペースの賃料のみで10万円かかっていたんです。先に移住した友人に相談したところ、1ヶ月の生活費だけで12万円で済むとのことでした。しかも、保育園への入園も難しくない。そこで、すぐに移住先の候補をリサーチ。九州地方に絞り、下見旅行に行きました。当初、いちばんの要件は自然の豊かさでした」(正さん)
その結果、移住先を竹田市に決定した。決め手は先に移住していた人たちと交わした会話や、そこから分かった彼らのユニークな働きぶりや暮らしぶりだったという。
「多くの移住候補先では、まちを紹介いただくとき、まちなかや主要な建物の案内で終わるケースがほとんどでした。その中で、竹田市役所企画情報課 まち未来創造室(当時)の後藤雅人さんは、先に移住していた方々を中心に多くの方に会わせてくれたんですよ。しかも、皆さんともに『竹田市でどう生きていくか』をざっくばらんに話してくださった。その話で生活のイメージも湧き、移住に歩みを進めました」(史帆さん)
ちょうど市は婚活担当の人材を探しており、正さんは地域おこし協力隊の市職員としてまずは3年間働くことも決まった。
3階建てのビルを利用し、住居+シェアハウス立ち上げに挑戦
実は、移住の際に困ったのが家探しだ。現地では賃貸住宅市場が整っていなかったのだという。まだ知り合いも少ないため、人づてに一戸建てなどの空き家の情報を得るのも難しかった。ところが一転、この状況がシェアハウス立ち上げに結び付く。
「まちづくりたけた会社(アグル)さんから、元文房具店+住居+倉庫だった延床面積300m2の3階建てのビルを貸し出す、という情報をいただきました。私たち家族には手に余る規模ですが、自分たちの住居を兼ね“婚活”向けのシェアハウスとして活用しよう、と思い立ちました」(正さん)
この3階建てのビルを、1階はイベントなどを行うレンタルスペース、2階以上は市原さん家族のLDKおよび寝室に加え、シェアハウス7部屋に変更する計画を立てた。しかし、素人だけでの設計・施工は困難だと考え、市原さんご夫妻は交流する“場づくり”のコンサルも得意としているリフォーム会社に相談することに。
「コストを抑えるなら、内装の解体や残置物の処理のほか、水まわりや配電などを除いて、内装工事は自分たちの手でDIYしてはどうかと提案いただきました。建物が軽量鉄骨造で、躯体の耐震強度などが確保されているから問題は生じない、という判断です」(史帆さん)
2家族+友人、計9人で住みつつ、4ヶ月かけてコツコツと内装をDIY
2018年8月から12月にかけて、思いがけず市原さんご家族(当時はご夫妻+長女、次女)4人のほか友人家族4人、女性の友人、計9人で共同生活をすることになり、結果的に、リノベーションを手伝ってもらうことに。新たに間仕切り壁を増やすなどイメージのつきにくい作業は、大工さんなどからやり方を教わり、自分たちで手を動かしたという。そして、2019年初頭から正式にシェアハウス「暮らす実験室IKI」として運営をスタート。「みんなで食事をつくるなど、楽しく、住んでいる場所をリノベーションしているという感じでした。そんな共同生活の経験を経て、私たち家族の暮らしと並行するなら、ここは単身者やカップルが住む“婚活”シェアハウスよりも、まずは複数の年代層が同居する“多世代”シェアハウスとして運営するのがしっくりくるように感じました。そこで、この1棟目のテーマを“多世代”に変更しました」(正さん)
市原さんご夫妻は移住以降、臨機応変に動き、ここでの暮らしを精力的に立ち上げてきた。これからも、必ずしも計画をじっくり練ってからではなく、目の前に現れた課題をまず手を動かして解決したり、何らか実験して取り入れてみたりする局面が多いであろうことから、自分たちの運営するシェアハウスを“暮らす実験室”と呼ぶことにしたのだという。
元歯科医院を第2弾シェアハウスに向けリノベーション開始
今、1階のレンタルスペースでは、新型コロナ感染症の感染者数などの状況を見計らいながら、音楽ライブなどさまざまなイベントを月1~4回のペースで開催している。なお、2階のリビングダイニングでは、”ヴィーガンナイト”と称して、有志で集まりヴィーガン料理をつくったりしている。
2021年には正さんの市の婚活担当が満期終了し、これから合同会社fufuは空き家を活用したシェアハウス立ち上げや運営に注力する予定だ。現在ちょうど、元歯科医院の空き家を借り受け、2棟目のシェアハウス「暮らす実験室SHIKA」の準備を、やはりDIYで進めている。また今後は、古民家の活用にも取組みたいとする。城下町ならではのまちなみが残る豊後竹田には古民家も多く、その中にも空き家が増えつつあるのだという。
「残念ながら現在、豊後竹田では、風情ある古民家が解体されたり、広い土地が分筆されたりするケースが出てきているそうです。まず私たちも、そのような魅力ある古民家のリノベーションに取組んで、どのようにすればうまく活用できるのか多くの人に興味を持っていただけるとうれしいですね」(史帆さん)
移住の決め手は”人”。移住した人のサポートの連鎖も重要に
竹田市に移住者が絶えないのはなぜなのだろうか? その一因を探るべく、市原さんご夫妻の移住をサポートした後藤さん(現・商工観光課)に、移住希望者にどのような働きかけや配慮をしていたか伺ってみた。
「移住前にどのような暮らしを希望しているかしっかりヒアリングし、希望に沿った住む家や仕事を紹介していました。また、地元のコミュニティの方々40~50人とつないで、家族同然に仲良くなってから移住してもらうように留意していましたね。それだけの人数のコミュニティですと多様な方々がいらっしゃるので、誰かしらフィーリングの合う人が見つかる。8年間に渡って移住を担当し、ネットワークが広がっていたからこそ、できたことです」
昨今、住む家はスムーズに見つかるのだろうか。
「竹田市は全国で3番目に空き家バンクを開設しました。とはいえ、そのまま住めるような良好な状態の家はすぐに入居者が決まってしまい、常に不足しています。市原さんのようにリノベーションして住む・活用するという選択肢が地域に浸透すれば、紹介可能な家の幅は広がるかもしれません」(後藤さん)
最後に後藤さんは、移住についてこのようなコメントで締めくくった。
「移住先の候補になる自治体は数多あります。その中で差別化を図り、多くの人に希望してもらうには、やっぱり地域の“人”をフィーチャーするべきです。すでに移住した人々が、周囲の移住者や次に来る人をサポートするといったつながりも大切ですね」
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