伝統的な建物と文化を次の時代に伝える「伝泊」
「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」として、2021年7月に世界遺産登録が決定した奄美大島。国内5件目の自然遺産で、世界的にも希少な固有種に代表される生物多様性が評価された。
そんな奄美大島で「世界に認められた豊かな自然はもちろん、長い歴史の中で育まれてきた伝統的な建築や、360以上ある集落で脈々と受け継がれてきた文化、そして日々の生活を営む人びとこそ奄美の宝。それらを未来につなげていきたい」と新たな風を吹き込む人がいる。奄美出身の建築家・山下保博さん。彼が打ち立てたブランドの名は「伝泊」。「伝統・伝説的な建築と集落文化を次の時代に伝えていく宿泊施設」という思いが込められている。
山下さんが率いる奄美イノベーション株式会社は、2016年から奄美大島北部の笠利町・赤木名集落を中心に「伝泊 古民家」「伝泊 奄美 ホテル」「伝泊 The Beachfront MIJORA」など4タイプの宿泊施設を展開。今では徳之島と加計呂麻島も含めて30棟44室に広がった。さらに、集落住民と観光客が集まる「まーぐん広場」を作り、「集落文化の日常を観光化する」という新たな旅の形を提案。その活動は2020年「ジャパン・ツーリズム・アワード」で、最優秀賞となる国土交通大臣賞とUNWTO(国連世界観光機関)倫理賞をダブル受賞して注目を浴びた。
故郷の空き家問題をきっかけにまちづくりを実践
山下さんはなぜ伝泊プロジェクトを始めたのか。1960年に奄美で生まれ、芝浦工業大学大学院を卒業した山下さんは、1991年に東京で設計事務所を設立。地域で眠っている素材に価値を見出して建築につなげることを得意とし、国内外で数多くの賞に輝き高い評価を得てきた。
故郷に目を向けたきっかけは、高級リゾートの設計を依頼されて、たびたび奄美大島を訪れていたときのこと。行政や地域の人に「空き家をどうにかできないか」と相談されたのだ。山下さんには密かに温めていた思いがあった。「もともとまちづくりに興味があり、2009年にドイツのベーテルを訪れて深く感銘を受けました。人口の4割が障がい者というまちで、健常者も障がい者も高齢者も分け隔てなく生活を楽しみ働いていたんです。僕の理想とする姿がそこにあり、いつか奄美で僕なりに実践できればと考えるようになりました」
住民の声を聞きながら観光客と交わり地域を活性化
地元に関わる第一歩として、2016年に伝統的な空き家を宿泊施設として再生した。「金融機関から融資を得られなかったため、まずは2棟を自費でリノベーションして設計事務所のスタッフと共に1年間運営してみました」。その実績をもとに2年目以降は融資を受けながら「伝泊 古民家」を増やしていった。
また、2018年7月には廃業したスーパーの建物を改修して「まーぐん広場」をオープン。まーぐんは地元の方言で「みんな一緒に」という意味。レストランとホテル、ギャラリー、多目的広場のほか、高齢者や保育・児童のための施設としての機能もあり、地元住民と観光客などが交流できる空間となっている。現在は新型コロナウイルスの影響で交流を控えているが、当初は年間4,000人以上が利用した。さらに住民が主役となり、伝統行事や文化、料理など50種類以上の体験を提供するプログラムを用意しているのも伝泊ならではの魅力だ。
次に手がけたのは、閉店したカラオケボックスを改修して、コインランドリーや大部屋などを備えたドミトリー。「地元の方からコインランドリーがほしい、合宿に対応できる広い部屋を作ってほしいという声があったので」という言葉に象徴されるように、いつも住民の声に耳を傾けて丁寧に進めるのが山下さんのスタイルだ。
持続可能なまちづくりを支える、洗練極めたヴィラ
2019年夏には「伝泊 The Beachfront MIJORA」が誕生した。こちらはその名の通りビーチフロントに佇む、全13棟のヴィラ。コンクリートの躯体に、奄美伝統の建築様式を現代風に解釈した木屋根がのり、壁一面ガラスの先には刻一刻と表情を変えるドラマチックな絶景が広がっている。
「近年インバウンド需要が高まると共に、世界遺産登録に向けて、奄美には高級な宿泊施設が少なかったため、ハイエンド向け施設として計画しました」と山下さん。
実はもう一つ、この施設を作ったのには大きな理由がある。
「古民家や古い施設を改修した伝泊シリーズやまーぐん広場は、多くの方々に喜ばれて大きな意義があると自負しています。ただし、これだけで収益を上げることは難しい。The Beachfront MIJORAは伝泊を持続するために収益を上げる役割も担っているのです」
2021年夏には石川県小松で伝泊がスタート
パワフルな山下さんのもとには、多くの賛同者が集まってきた。2019年にはJALなど複数の協賛会員と共に、奄美の地域課題の解決に取組む一般社団法人しま・ひと・たからを発足。また、医療や福祉関係者らと連携して地域の健康増進や医療サービスを向上させる取り組みや、SDGsを意識した「誰一人取り残さない社会」の実現にも情熱を傾けている。
そして2021年7月、伝泊は奄美群島を飛び出して、石川県小松市に「伝泊 小松」を開業した。2019年頃から伝泊の取組みが知られるようになり、全国のさまざまな地域・団体からまちづくりの相談が寄せられるようになったという。中でも行政と建築関係者から強い要望を受けて、山下さんが足を運んだのが小松市だった。豊かな自然の中で厳かに佇む江戸時代後期の古民家を見た山下さんは、プロポーザルに参加することを決意し、そしてプロジェクトをスタートした。
山下さんの果てしなき情熱の源は、表現者としての使命感と、故郷・自然・あらゆる人々への深い愛情。日に焼けた快活な笑顔で、これからもパイオニアとしてかつてない挑戦をぐいぐいと推し進めていくことだろう。
伝泊
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