田舎暮らしが価値ある時代に
人口約400人の里山から発信する「群言堂」。日本のものづくりをテーマに衣料品をはじめ、雑貨や小物などを提供し、全国にファンが多い。「群言堂」の店舗ももちろん松場夫妻が古民家を再生してつくりあげたものだ島根県大田市大森町。通称「石見銀山」。この地で築220年余りの武家屋敷を再生した宿がある。その名も「他郷阿部家」。“他郷”とは中国にある言葉「他郷遇故知―もう一つの故郷」からとられたもの。“訪れる人の心の故郷に”という願いが込められたその宿では、オーナーが自ら暮らし、その地に根差した美しい日本の暮らしやおもてなしが存在する。この「他郷阿部家」の不思議な魅力に魅せられたファンは多く、日本中そして世界各国からもこの宿に泊まるためだけにこの地を訪れるという。
この「他郷阿部家」を改築したのは、「石見銀山生活文化研究所」を立ち上げた松場夫妻。田舎暮らしを根っこにものづくりを行い、今では全国的に有名になった衣料品・生活雑貨ブランド「群言堂」を展開する。夫・大吉氏の故郷であるこの地にご夫妻が移り住んだのは、35年も前のこと。まだ石見銀山が世界文化遺産に登録されるはるか以前のはなしだ。当時、荒れ果てた空き家が並ぶだけの閑散とした町に、「この田舎の暮らしが、価値あるものとなる時代がきっとくる」そんな予感にも似た直感を信じ、ご夫妻は会社を設立。妻・登美氏が子育ての合間に始めた手作り小物を出発点に、店舗を構え、いつしか「群言堂」ブランドを立ち上げ、今では全国に31の店舗を持つほどだ。
地域に根差したものづくりを行う松場夫妻が企業理念として掲げるのは「復古創新」という言葉。「過去から本質を学び、未来からの視点で価値を創造する――」。営利を追求するだけの企業活動ではなく、持続可能な社会を目指し独自の道を切り開いてきた。その想いは、商品だけにとどまらず町内での10軒の古民家再生にも注がれ、それらを店舗や本社社屋、そして宿泊施設である「他郷阿部家」などに活用している。長く人々を支えた家やそこに結びつく暮らしにこそ日本の価値があるという。
今回は、「石見銀山生活文化研究所」を率い、ご自身の住まいでもある「他郷阿部家」で訪れる人に日本の暮らしの豊かさを提示する松場登美氏に、古民家再生への想い、日本のこれからと暮らしの関係性を伺ってきた。
古民家が紡いだ“時”は何ものにも代えがたい
「みなさんね、10軒も古民家を再生するなんていうと、どんなにお金持ちなのかと思われますが、まったくそんなことはありません。毎回どうやって費用を捻出しようかと頭を痛めるの。特に他郷阿部家などは改修に分不相応の費用がかかっています。でもね、私は言うんですよ、隣に倒れそうな病人がいるのに、手を差し伸べずにいられますか、と。家も同じことなんです」
松場夫妻にとって、この他郷阿部家は6軒目の古民家再生となる。2008年から宿泊施設として営業を開始したが、段階的な改修には7年の年月を要している。取材時に改修前の建物の写真を見せてもらったが、30年ほど空き家になっていた当時は、今の姿からは想像もできないほどの廃屋。当時、この家を買い取った登美氏に友人の一人は「こんな荒れ果てたところに何があるの? 何がみえるの?」と不思議がったそうだ。
「私も何かが見えていたわけではありません。でも、古い家というのは力を持っていると思うのです。昔の人は家で生まれ、家で死んでいったでしょ。だから家に魂が宿る。古民家というのは、長い時間を紡いできているわけですね。そこに蓄積された時間というのは何ものにも代えられません」
そしてそこには、先人たちの暮らしや智慧が残るという。経済性や効率性ばかりを優先してしまったがために、失われてしまった日本人の根幹となる「暮らし」を残していきたい。そんな想いがこの他郷阿部家には紡がれている。
古民家再生は、暮らしの再生
「私は、古民家再生は、暮らしの再生だと思うんですね。いま、世の中には暮らしがないんですよ。例えば、昔は自分の家で『おはぎ』をつくるのが当たり前でしたが、今は買うものだと思っていますよね。その買うためのお金の経済活動にだけ一生懸命になっていて、暮らしが崩壊しています」
他郷阿部家の台所には「おくどさん(かまど)」や、七輪などが並ぶ。ごはんを炊くにも薪を割り、裏山に柴を拾いにいかなければならない。手間がかかる。しかも炊飯器とは違って「水加減」や「火加減」などは「勘」に頼ることになる。「今は簡単にスイッチ一つでご飯は炊けますが、そうではない、五感を研ぎ澄まし、しかも丁寧で美しく楽しい暮らしを次世代に残していきたい」と登美氏は笑う。
「日本の暮らしは高度成長期とともに“便利”や“効率”という価値観だけを追求してライフスタイルが様変わりしてしまいましたよね。でもそうやって捨ててきた昔の暮らしには大切な要素があったんです。例えば、敷居を踏むなって昔は言ったでしょ。実際のところ踏んだところで問題はないんですよ。でも大切なのはそうした暮らしの作法に根付いている日本の精神です。“他人を不快にさせない”とか“おもいやり”“おもてなし”の心。そういったことを、家や暮らしから学んでいたんです。
ライフスタイルが変わって今では家に敷居自体がなくなってますから、頭ごなしに言うことはできません。だからこそ、古い家を守るというのは暮らしを守ることであり、日本人の大切な精神を守ることでもあると思うのです。私たちの母親の時代は、学歴はなくとも今よりも立派に子どもを教育していました。みんな暮らしの中で学んでいたんでしょうね」
登美氏はこの家にご自身も暮らしているが、時折ハッとするような瞬間に出会うという。例えば母家の格子戸から日の光が差し込み、たたき土間を放射線状の光が照らした瞬間。光と影のコントラストの美しさ。そんな瞬間に、いかに日本人が住まいという空間を大切にしてきたか、そして言葉ではない多くの感覚を学び取ってきたかを感じるという。
人と家の持つ力は、ある時逆転する
だからと言って、登美氏は新しいものをすべて否定しているわけではない。他郷阿部家の母家は島根県の文化財にも指定され忠実に復元されているが、それ以外は「復古創新」の信条のもとに今を生きる人々の感性やアート作品を取り入れながら再生されている。昔ながらのたたずまいを感じさせる母家だが、例えばそこには彫刻家・吉田正純氏の鉄のアート作品が飾られる。蔵の前の空間は書斎に、蔵の中はホームシアターといった使い方もされている。
新しいものを創造しながらも、古きものをキチンと伝えていく。バランスが重要で、そのためには「家」の声を常に聴くほかないという。家そのものには魂があると感じているからだ。
「古い家をあなどってはいけないんです。みんな見透かされているんです。中途半端なことをすると家の方からダメだといいますね。単純に古い家だから新しいものが似合わないということとも違います。本店のカフェをつくったときに、床を張り替えました。合板とかでなくて木の板をきちんと使ったのにどうしてもそぐわない。結局、廃屋になった小学校の床板をもらってきて、大工さんを総動員してもらって全部張り替えました。それくらい古い家はそれぞれの声を発していて、ごまかせない」
大きな改修はもちろんのこと、家具やタペストリー一つをとっても、常に“家が選ぶ”ものだと登美氏はいう。もちろんご自身の趣味でもあるが、その家が喜ぶこと、その家の魅力を最大限に引き出すことを探しているのだとか。スタッフがあきれるほど、登美氏は毎日なにかしら道具の置き場所を変えながら、今でも家が喜ぶ姿を探るのが日課だ。
「始めは家が喜ぶ使い方をしてあげたい、家が元気になるようにしてあげたい、という気持ちでスタートするのですが、あるところで逆転するんですね。家の方が力を持ってくるんです。“してあげよう”という気持ちがおこがましい考えだった。私たちはどれほど多くのものをこの家からもらっているのだろうと気がつきます」
そして、その家の持つ力が、ここに宿泊する人々の心にまで不思議と影響を及ぼすのだという。
「私はそれを阿部家マジックって呼んでいます(笑)。うちは食事もお泊りの方全員で、時にスタッフと一緒にテーブルを囲んで食べたり、家族のように過ごしていただきます。ですが中には初対面の方とのお食事をためらうお客様もいらっしゃるんですね。先日もそんなお客様がいらっしゃったんですが、一晩過ごしてくださると、みなさんと本当に楽しそうに会話をされるようになって、翌朝には私に手を合わされたんです。”本当に感謝をします”とおっしゃられて。何があったわけでもないんですが、何か価値観が変わられたんでしょうね。これはもう本当に家の力だと思います。また“阿部家マジックね”って従業員と話すのです」
未来に残す、のではなく未来をつくる
株式会社石見銀山生活文化研究所 代表取締役所長 「登美」デザイナー 松場登美氏。昭和24年生まれの登美氏は、高度成長期以前の昔ながらの知恵ある日本の暮らしを体験した世代。「だからこそ、その暮らしを伝えるのは私たちの世代の責任だと思っているんですよ。この家を通してやりたいことは利益の追求ではなくて、孫たちに何が残せるかということ」という「他郷阿部家」では、海外からの宿泊客も多い。しかも、単なる観光目当てではなく、日本の文化に触れたい、学ぼうとする人たちが訪れるという。
「そういう方たちと交わっていると、田舎ですが、世界の色々なことを学んだり新しい発想が浮かんだりします。ある経営者の方が“これから世界は日本化する”とおっしゃっていました。私も日本の精神だとか、小さな島国ながら育んできたものは世界に通用する大事なものなんじゃないかと思います。でもそれは、決して街の中の荒れ果てた風景の中にはないと思うのです。私はこの地に根付いて、暮らしの中からそれを大切にしていきたいと思います」
他郷阿部家には単なる建物の再生ではない暮らしがある。軒下には冬の季節、手作りの柚餅子や干し大根が並び、建物の至るところには登美氏が毎朝あしらうという野花が可憐に飾られる。スタッフが毎日はたきをかけ、箒ではき、雑巾がけをする室内は、ピンとすがすがしい空気に包まれている。暮らしを見つめ、建物を活かし、だからこそ家から様々な恩恵をいただく。
古民家再生は、暮らしの再生――。そして暮らしを見つめなおすことは、古いものを単に残すのではなく、これから先の未来や人をつくるための一つの「答え」なのかもしれない。
■他郷阿部家
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