ついつい100点を求めてしまう

新築ピカピカだと、ついつい100点を求めてしまう新築ピカピカだと、ついつい100点を求めてしまう

先日、新築マンションを買った友人に頼まれ「竣工検査」に立ち会ってきた。
引き渡しを受ける前に最終チェックをする機会である竣工検査は、買い主にとっては「気になる箇所は今ちゃんと言っておかなければ」という大事な場面であり、売主会社にとっては何を指摘されるかちょっと緊張する場面でもある。

僕はいわゆる新築分譲マンションのツルツルピカピカ感が苦手な方なので、その空間はいわゆる自分好みなわけではなかったが、楽しそうに走り回る子供と、それを嬉しそうに眺める両親の微笑ましい姿を見ながら、幸せな風景だなあと素直に思いつつ、「さて、指摘すべき施工不十分な箇所などあったら友人のためにちゃんと指摘したる!」とチェックをしていった。

「ここ、よく見るとクロスがちょっと汚れてますね」「この扉の閉まるスピード、ちょっと遅いな…調整お願いします」「収納の、ここほら、傷ついてないですか?いや確かに開けたときしか気にならないんだけど…新品でこれって言われちゃうとねえ」という具合。

ふと、普段は自分があまり気にしないことまで指摘していることに気づいた。
使い始めたら実際は機能的にも美的に全く問題にならないことまで、いわば”減点”を残さないためだけの指摘をしていたのだ。

理由はもちろん新築ピカピカだからである。
「新品に問題があるのはいやだ」というのは当然の理屈だけど、もう一つの理由は「全てがツルピカにできている空間に少しでもユルいこと・完璧でないことがあると、途端に気になるものだ」ということ。マニュアルに従った完璧なサービスを売りにしたホテルで少しでもユルい対応があると文句が出るが、愛嬌ある魅力的な主人のプチホテルなら許せるものだ。
友人がつくった料理やバーベキューとまでは言わずとも、いい味出してる屋台の居酒屋で盛りつけが多少ズレててもそう文句を言うものではない。

減点主義でモノを見ないということ

「いやいやそれは値段の問題だよ、安ければ文句は言わないよ」という話は確かにある。
だが一方で、安い家ほど「しょうもない」クレームが出るという現実もある。一流料理人の割烹や職人技の極みのような数寄屋茶室では、ある種の完璧さが求められるわけだけど、そこでの評価はただ単純な減点法でなく、どこかで思想とか時間といったものをふまえて意味の評価がされる。

そしてもう一つ、竣工検査で指摘をしたとき、僕はつくった人である「個人」と対話をしているのではなく、大きな会社という存在に対して、何かこちらに損が残ったら納得いかない、という感覚を持っていた気がする。

本質的には「人間が相手だと思えるか否か」なのだと思う。
”人間らしい”モノやサービスは往々にして完璧ではなく、面倒くささもあるが、そのユルさやアソビ(ダラしなさではない)を許容できると、人生が豊かになると僕は思っている。現代の日本の殆どの家は、大量生産のためにそうした部分を排除して、できる限り「減点のない」つくり方になっていった。それによって、使われる建材は「クレームなし、味わいなし」のツルピカ製品ばかりになった。

”良い加減”がわかるセンスを取り戻す

人々はそうしたものだけに囲まれた空間で育ち、モノがどうできているかもわからなくなり、自然の中にいるのと対極的な空間で、無意識にストレスをためこむ。
そして、減点をなくすモノづくりのなれの果てに、「建設現場に行ったら職人の汗が床に垂れてたわよ、全部張り替えてよ!」といった信じられないモンスターがでてくるものだから、さらに日本には味気ない空間が増えていってしまう。

僕は新築を買うのが悪いと言っているわけではないし、人間味のある空間を手に入れるのは日本では実際なかなか難しいことも知っている。
ただ、これからより豊かな選択肢が増えて来ると信じているし、自分もつくりたいと思う。

そして「(本当は違うのに)洗脳されているツルピカ主義者」が一人でも減ってほしいがために吠えるのである。

ある突板職人は語っていた。
「みんながもっと、ゆるーくなれば、いいんですよ、ゆるーく」。
昔の日本のように、モノに宿る人間性や”良い加減”がわかるセンスを少し取り戻すと、家も街も気持ちよくなると思う。

2013年 10月09日 12時05分