川は遠いけれど、用水なら身近、気軽に水に親しめる金沢の街
金沢市出身で子どもの頃には用水で遊んでいたという宮下幸大さんが再度用水と関わるようになったのは建築を学んでいた大学の卒業設計時。人と用水の関わりをテーマにした卒業研究作品は高い評価を得て、市内のギャラリーで個展を行ったそうだ。
その後、院生時代に用水好きな人と集まり、歩いたり、飲み会をしているうちにメンバー2人と「用水の街 金沢」という団体を立ち上げることになった。それが3年ほど前のことである。
主な活動は用水についてSNSで写真などの情報を発信したり、定期的に用水ツアーをするなど。建築出身でもあり、用水の存在を活かしたデザインをするなどして市役所と一緒にイベントを行うこともある。
「卒業設計時に市役所に相談に行ったのですが、それを機に市と社会実験という形で用水に関わる活動をするようになりました。用水は市にとって大きな資源ですが、これまで手が付けられておらず、詳しい人が少ない。よくしていこうという地元の人がいても限界があり、地域で活動している団体はありませんでした。そこで、より良い用水空間を作れればと一緒に活動することになったのです」
2024年8月~9月にかけては辰巳用水上に風鈴を展示する「風景の演奏会」と題したイベントを開催した。金沢21世紀美術館近く、正確には金沢城西外惣構跡旧宮内橋詰遺構、つまり、かつては金沢城を守るために城下町を囲い込んだ堀の上に風鈴を展示したもので、茶碗を利用したオリジナル風鈴はワークショップで製作した。
過去には川床やカウンターを作ったり、ライトアップしたりしてきており、活動を通じて用水をもっと身近にというのが意図。
「川になるとちょっと大きくて遠い存在。用水ならば近くにあり、親しめるのではないかと考えています」
兼六園の池を満たしているのは辰巳用水
金沢市内を流れる用水は55本、総延長は約150キロあるそうで、そのうちには市内中心部、観光地に近い場所を流れるものもある。
「初めて金沢を訪れた人でも必ずといってよいほど目にすることになる用水としては辰巳用水、鞍月用水、大野庄用水が挙げられます。金沢市は1996年に用水保全条例を制定、以降戦後の復興期に暗渠化された用水を開渠化、親水空間として再生を始めるのですが、そこで保全用水として初期に指定されたのもこれらの用水でした」
このうち辰巳用水は加賀藩政時代の1633年に完成したとされており、箱根用水(1653年)、玉川上水(1670年)と並ぶ日本三大用水のひとつ(資料によっては四大用水という言い方も)。きっかけとなったのは1631年に起きた金沢城にまで被害が及んだ大火。加賀藩は大規模な災害に備えて防火用水路を整備するとして辰巳用水の建設を幕府に申請した。
取水口は犀川上流にあり、そこから4キロに及ぶ暗渠なども経て兼六園に至るまでの総延長は約11キロ。高低差、水位差を上手にクリアして運ばれてきた水は兼六園の曲水を満たした後、落水してさらに市内を分流しながら流れる。だが、わざわざ用水を探さなくても兼六園に行けば400年(!)近く前に作られた用水が見られる。
また、兼六園周辺には園内の池からの落水が見られる場所も複数ある。兼六園小立野口前から伸びる小立野通りに沿っては水路が見られるようになってもいる。ちなみにこの通りは浅野川、犀川に挟まれた金沢市内中心部に細長く伸びる小立野台地の中央を走っており、地形好きなら左右の急坂も含め、歩いて楽しい場所である。ただし、本当に泣きたいほどの坂もあるので軽い気持ちで行くと後悔する。
観光名所・せせらぎ通り、武家屋敷沿いにも用水が
鞍月用水も観光客にはおなじみだろう。鞍月用水自体は総延長14.6キロある灌漑用水なのだが、そのうちには市内中心部を流れる部分も多く、観光名所にもなっている。一番分かりやすいのは金沢有数の繁華街香林坊の交差点のすぐ脇から始まるせせらぎ通り。
「用水沿いには店舗も多く、夜歩くと店舗の灯りが水面に映って自然にライトアップされています。鞍月用水では柵の一部が光っているところもあり、いずれは安全を確保しつつ、用水そのものを照らすライトアップの計画もあるようです」
現在は散策に人気の鞍月用水だが、かつては暗渠化され、かなりの部分が駐車場になっていたとか。市の開渠化、水辺の空間作りに対しては当初、反対の声も多かったそうだが、開渠化するにつれて人通りが増えたことで雰囲気が変わり、最終的には今のような姿になった。知らないで訪れると最初からこのような風景があったように思うが、実は地元の人たちの地道な積み重ねで今の風景が作られているというわけである。
もうひとつの大野庄用水も観光客ならほぼ必ず目にしている。長町武家屋敷の土塀沿いを流れている用水で、屋敷内の庭園の曲水にも利用されているとか。延長は10キロほど。鞍月用水同様完成年は不明だが、灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪など多目的に使われてきた。
金沢城はそれ以前にあった尾山御坊(加賀一向一揆の拠点だった寺。織田信長に攻め落とされた)跡地に立地しているが、大野庄用水は尾山御坊時代からあったとする伝承もある。市内でも古い用水ということだろう。
市のホームページによると旧宮腰(金石港)から大量の木材を運んでいたことから御荷川(または鬼川)とも呼ばれていたのだとか。現在の大野庄用水を下っていくと金沢駅を越えた辺りに古道木場揚(材木を陸揚げした場所)があることを思うと、かつての舟運の力を感じるというものである。ちなみに香林坊の近くには木倉町という現在は飲食店が集まっている町があるが、ここには木材集積場、材木蔵があったとされる。
知る人ぞ知る用水跡を歩いて金沢のまちの地形、歴史を知る
ここまでご紹介した三大用水以外に訪ねてみたい用水を聞いた。
「住宅街を流れているのに水流が多く、ギャップを感じるのが中村高畠用水。農業用水なので田畑に水を引く春先には激流と言っても良いほどです」
この用水は犀川の左岸にあり、藩政初期からある古いもので元々は中村用水、高畠用水と別の流れだったそうだが、1918年に取入口が一つになり、現在の名称に。途中で入江用水、東力用水、糸田用水などといくつにも分流しており、流れを追って歩いているとどれがどれだか分からなくなるのが難。
犀川大橋を渡ったところの右手にある交番の先を右折、そのまままっすぐ行ったところから流れが見えるようになっており、住宅街の中を縫うように流れていく。それほど幅のない水路だが、水流は豊富。途中には銭湯、スーパー銭湯があったり、神社があったりもして住宅街散策も楽しい。分流した東力用水沿いには用水を引き込んだ公園があり、水遊びが楽しめるようにもなっている。
同じく犀川大橋を渡ったところの右手を右折したところからにはもう1本、泉用水が流れている。こちらは室生犀星ゆかりの雨宝院周辺からにし茶屋街裏手を通り、北陸鉄道石川線野町駅を経て増泉川に流れ込むもの。にし茶屋街を訪れたら一緒に眺めてみていただきたい。
「用水が深く谷底を流れていて、風景が楽しめるのが雀谷川。途中には1898年に作られた表面が煉瓦仕上げの古い橋も残っています」
こちらも犀川左岸にあり、南大通りの有松交差点近くから斜め北に流れているもので、周辺は大きな高低差のある地域。そのため、用水は谷底を流れていることになる。ただし、この川は市内中心部のものと違い、川沿いを歩くのは難しく、流路を探しながら歩くことになる。市ホームページには用水見て歩きMAPがあるのだが、土地勘がない人にはいささか分かりにくい。
だが、鬱蒼と茂った緑の底の流れや古い橋の風景は楽しく、街歩き好きならチャレンジしてみても面白いと思う。
台地からの伏流水の湧水、用水沿いに住む人との会話も楽しい
もう1本のお薦めは勘太郎川。これは小立野台地下の住宅地などを流れる辰巳用水の分流とのことで、市のホームページによると石垣や隧道、洗い場跡が残るなど市街地とは思えないのどかな風景が広がっているとか。
「丘の上から斜面を流れており、見ていて楽しいきれいな流れです」
坂の途中にある水源、大清水(おおしょうず)は台地からの伏流水が湧き出ているもので石で囲まれた十畳ほどの浅い池になっており、かつては農地を潤し、地元の人たちの生活用水としても使われてきた。夏には子どもが水遊びする姿も見られるそうだ。通りから入った砂利道の先の住宅に囲まれた場所にあり、水に手を浸すとひんやり冷たく清らか。街中にこうした湧水があるのは豊かなことだ。
特に表示があるような場所ではないが、市のホームページ内では笠舞の大清水として地図も見られるので探してみて欲しい。
水の流れを追いかけていくのは地形や歴史を感じられて楽しいものだが、もうひとつ、宮下さんの言葉で印象的だったのは用水沿いに住んでいる人はそれぞれにエピソードを持っているという点。
「活動している中で地元の人達と話をすることがあるのですが、そこで聞いてみると用水沿いに集まって来る雀に毎日餌をやっているおじいちゃんがいるなど、人それぞれに生活の中に用水がある。金沢の人にとってはあまりに日常的でそれほど深く意識されているようには見えませんが、話をしてみるとどこかで用水を意識している様子。そうした雑談をするのも楽しいですね」
次に金沢を訪れる機会があったらのんびり用水巡りも楽しいかもしれない。
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