明治期に賓客を迎える施設として建てられた、国の重要文化財
三重県伊勢市の景勝地の一つ、二見浦(ふたみうら)。神宮(伊勢神宮)の内宮近くを流れる五十鈴川が伊勢湾に注ぐ沖積低地で、海岸線からほど近い海の中には大小の岩が夫婦のように寄り添う夫婦岩(めおといわ)、海岸に面して縁結びや交通安全などにご利益があるとされる二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)がある。
2010(平成22)年に国の重要文化財に指定された「賓日館(ひんじつかん)」は、その二見浦の海岸線に臨む場所にたたずむ。神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体である神苑会(しんえんかい)により、建てられたのが始まりだ。
1886(明治19)年12月に着工し、翌年の2月19日に完成。わずか2ヶ月という驚きの工期は、明治天皇の嫡母にあたる英照(えいしょう)皇太后のご宿泊に間に合うようにと予定されたもの。1887(明治20)年3月7日に英照皇太后をお迎えしたあと、1891(明治24)年には後の大正天皇である明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王が避暑、療養、臨海学校の目的で3週間ほど滞在されたのをはじめ、歴代の皇族や各界の要人が宿泊したという。
神苑会解散に伴い、1911(明治44)年2月に隣接していた二見館に払い下げられることに。二見館は、三重県初の政府登録国際観光ホテルにもなった旅館で、1999(平成11)年に廃業するまで、賓日館は二見館の別館として貴人以外の一般客も泊まれる宿となった。
その後、2003(平成15)年に建物が伊勢市に寄贈されて資料館として開館し、今に至る。
2度の増改築を実施。明治、大正、昭和の技が融合した建築美
賓日館は2度の大増改築が行われている。一度目は二見館別館となった後の明治末期~大正初期で、玄関棟と西棟を2階建てにし、下の館内図にある「翁の間」が新たにできた。
二度目は、1930(昭和5)年から1936(昭和11)年にかけて。造神宮技師でもあった大江新太郎と塩野庄四郎が設計監理をし、2階の「大広間」が完成するなど、ほぼ現在の形となった。
賓客を迎え入れる施設であったことから、デザインや使われる建築材、その建築材を見事なものに仕上げる職人技がすばらしいものであったことは想像にかたくない。創建時の明治、そして大正、昭和初期の建築技が混ざり合った美しさを見ることができる建物である。
随所に格式の高さを感じる造り
まずは2階から紹介する。創建時から変わらない姿をとどめている場所の一つで、皇族が滞在する部屋だった「御殿の間」。
天井は珍しいとされる二重格天井(にじゅうごうてんじょう)。角材を正方形の升目に組んだ格天井は寺院や城など、格式の高い建物に用いられているデザインだが、二重にしたうえで、さらに輪島塗を施し、一層の格式を持たせているのだという。
床の間の床框も輪島塗で、螺鈿で装飾がされているほか、広縁の天井は屋久杉を使用し、広縁奥にある化粧室の天井は寄せ木造りになっているなど、細部まで行き渡った華やかな意匠が見応えたっぷりだ。
その隣にある「千鳥の間」は昭和初期の大改築の際につくられた部屋。ここは賓客のお供の者、護衛の者の控の間として使われていたのではないかといわれている。欄間は、館内に展示室がある地元出身の画家・中村左洲の作品で、部屋の名前になっている千鳥が15羽、その反対側に海の生物が描かれている。
2階の西端に位置する「翁の間」は、大正期に増築されたところで、北側に48畳の本間、南側に20畳の次の間という二部屋からなる。当初は大広間と呼ばれて宴会などで使用されてきたが、昭和初期の増改築で同じ2階にさらに広い「大広間」が誕生してからは“中広間”となり、会議室や資料展示などで使われたそうだ。ここも格式のある格天井で、ケヤキの一枚板が何枚も使われており、木目が縦横で交互になるように張られた造りとなっている。
昭和初期の大増改築で誕生した豪華な大広間
昭和初期にでき、創建当初の時代から少し進んだ職人の技が活きた「大広間」。120畳もの広さに本格的な能舞台を備え、格天井の中央部を一段高くした重厚な造りの折上格天井にシャンデリアも輝く豪華さだ。受け継がれてきた伝統的な日本建築と洋の絢爛さがあるシャンデリアが見映えよく独特の雰囲気を醸し出している。
床下に6つの大きな甕を設置して演者の足拍子の音が響くようにした能舞台は、床板に檜、天井板には反響した音が柔らかさを増すようにと桐が使われている。また、郷土の画家・中村左洲による松の背景画は、客席となる畳に座ったときに舞台から浮き出て見えるように描かれている。
舞台の反対側には、螺鈿細工が施された輪島塗の床框や、屋久杉の一枚板が使われた天井板、中央から左右対称の木目になっている落とし掛けなど、細部までこだわった床の間がある。
細かなところまで職人技が光る、粋と贅を尽くした日本建築
網代という編み技が施された雨戸の戸袋、昔ながらの手作りゆえのゆがみがある窓ガラスなど、廊下で歩みを進めるなかでも建築美の見どころはたくさんだが、途中に寄せ木細工の床や、近くの二見興玉神社で神の使いとされるカエル彫刻が置かれた階段を下りて1階へ。
1階には、宿泊施設だったときに客室として使われていた部屋6室と、中広間、中村左洲の作品を集めた展示室と、かつて台所だった資料室などがある。
桜と名付けられた旧客室の床の間は、天井に桜の木の皮を編んだ天井になっていたり、松葉模様のガラス戸があったり、廊下の一部が橋の意匠になっていたり、廊下の照明が二見館のシンボルマークであった千鳥をあしらった特注品であったりと、魅力に満ちている。
心癒される眺めの回遊式庭園
敷地の北東部に位置する庭園は、砂利道に沿って周回する回遊式になっている。実はこの庭園、2階の御殿の間からの眺めがもっともよいものであるように植栽や石の配置がされているのだとか。ぜひ御殿の間の窓辺から眺めてみてほしい。
大正天皇が腰掛けたという舟の形をした石や、大小2つの水琴窟などもあり、日本建築の美だけでなく、日本庭園のすばらしさを堪能できる。
建物保持の難しさと、6年間の耐震工事・修復工事に向けて
見どころ盛りだくさんの賓日館だが、資料館として一般公開されて以降、運営するうえで難しい点も。運営を任されているNPO法人二見浦・賓日館の会 会長の奥野雅則さんにお話を伺った。
「賓日館は、資料館としてリニューアルオープンするまで約4年間放置されていました。建物は人の出入りがないと傷みが早いもの。ましてや、古い建物であればなおさらです。屋根瓦がズレてきていたり、建具がきしんでゆがんでいたり、少し強い雨が降るとしけこんできたり、雨漏りしたりする箇所も散見されます。しかし、重要文化財に指定されたため、こうした箇所を勝手に直すわけにはいきません。それが建物の維持管理という点では難しいところです」
大規模な修繕となると伊勢市の修繕予算内での調整も必要となるが、実は2026(令和8)年4月から6年間の耐震工事、文化財保存修復工事に入ることが決まっているので、そこで修繕されることが期待ができる。
「デービッド・アトキンソン氏の『新・観光立国論』に、文化財は極めて有効な観光資源でもあると記載されています。我々NPO法人も同様の価値観を持って、賓日館の運営に当たっています」という思いを明かしてくださった奥野さんたちNPO法人だが、耐震工事・文化財保存修復工事が始まる前月の2026年3月末で解散を予定している。とはいえ、最後まで賓日館を盛り立てていく気持ちは変わらない。
「耐震工事は6年間の長期にわたり、その間、賓日館は完全に閉鎖されてしまいます。そうなると、存在を忘れ去られてしまうことになりかねません。そこで我々から、伊勢市文化政策課に『工事見学ツアー』を提案しています。姫路城が修復工事された際に同様のツアーが話題になりましたが、賓日館も姫路城と同じように建物を覆いで囲って工事が進められることになっているので、その覆いの中に入って。実際に重要文化財建造物の修復はこのような形で進められるのだと見てもらえたらと。こうしたことで忘れ去られる可能性を防げ、また全面的にシャットアウトしてしまうより、少しでも収入につながります。残された2年半で、賓日館の今後につながるように伊勢市と調整していきたいと考えています」とのことだ。
取材協力:NPO法人二見浦・賓日館の会
賓日館ホームページ https://hinjitsukan.com/
公開日:






















