アメリカ合衆国誕生以前に遡る歴史を持つ特別な街
建築史家・倉方俊輔さん(大阪公立大学教授)が建築を通して世界の都市を語るロングランセミナー(Club Tap主催)。今回取り上げるのは、アメリカ合衆国建国の地・ボストンだ。18世紀に遡る歴史的建築物から21世紀の巨匠建築家の作品まで、多様な建築を見ることができる。倉方さんは「アメリカのモダニズムの最も良質な部分に触れられる街」と語る。
「ボストンに限らず、アメリカ人は建築を大事にします。資本主義の本家と言える国であるにもかかわらず、古い建物を簡単には壊さず、リノベーションで価値を高めていく。歴史が浅く、多様なルーツを持つ人々が集まるアメリカにとって、建築とは、自分たちの理想や共同体を具現化するために重要な存在なのです」。
1797年に完成したマサチューセッツ州議事堂はアメリカ独立当時の「フェデラル(連邦)・スタイル」という様式だ。正面に列柱と三角形のペディメントがあり、その上にドームが載っている。「世界的には新古典主義と呼ばれる様式ですが、アメリカでは古代ギリシアよりも、古代ローマのスタイルに範をとることが多いのです。ギリシアは直接民主主義ですが、ローマは共和制でアメリカの連邦制に近い。だから古代ローマをアメリカの原点と考えたのでしょう」。ワシントンD.C.にあるアメリカ合衆国議会議事堂も同じスタイルだ。
アメリカ独自のロマネスクを創造した建築家、リチャードソン
ボストン中心部に建つトリニティ教会(1877年・97年)は、19世紀アメリカを代表する建築家、ヘンリー・ホブソン・リチャードソンの出世作であり代表作だ。リチャードソンは、ヨーロッパの模倣ではない、アメリカ独自のスタイルを創造した最初の建築家といわれている。
「トリニティ教会のファサードはリチャードソン没後に弟子たちが完成させたもので、最大の見どころは内部にあります。集中式の建築で、巨大な一室空間になっている。聖公会という、カトリックとプロテスタントの中間的な宗派の教会ですが、両派の分離よりさらに古く、カトリックと東方教会が分かれる以前の、キリスト教の原点のような雰囲気すら感じられます。素朴な動植物文様の彫刻はロマネスク的ですし、さらに古くビザンチン的な印象も受ける。歴史様式を参照しながらも、それを超越したオリジナリティを獲得しています」。
ステンドグラスや家具も多様な装飾で丁寧につくられており、ロマネスクの素朴さを超えた華やかさもある。その巨大さ、建築に費やされたであろう資金の莫大さは、当時ヨーロッパを追い越しつつあったアメリカの国力をうかがわせる。「伝統がないからこそ理想をつくりだせる、新しい国ならではの可能性を感じさせます。19世紀後半の時代にこれほどの意志と物量を教会建築に投じるという、ヨーロッパからするとほとんど時代錯誤のような現象が生み出した名作です。これもアメリカの面白さです」。
対照的な2つの公共建築、歴史様式を参照した図書館とブルータリズムの市庁舎
トリニティ教会と広場を挟んで向かい側にあるのが有名なボストン公共図書館(1895年)だ。設計はマッキム・ミード&ホワイト。その中心人物であるチャールズ・フォレン・マッキムはリチャードソンの弟子に当たる。ニューヨークに本拠を置き、ヴィラード邸や4代目ニューヨーク市庁舎など数々の名作を手掛け「アメリカン・ボザール」と呼ばれる様式的な建築家の代表として知られる。
「ボストン公共図書館は盛期ルネサンスのパラッツォの様式や古代ローマの様式を用いていますが、それぞれの典拠が分かるように厳格に適用しているところがリチャードソンと異なります。19世紀後半のヨーロッパの潮流は、19世紀前半とは異なるこのような様式主義でした。内部は部屋によってそれぞれ内装が異なり、メインの閲覧室は古代ローマを思わせる雰囲気です。古代ローマは浴場や競技場などの豪華な公共建築を生み出した時代ですから、公共的な空間をローマのスタイルでつくるのは理に適っています」。
中世風の部屋があったり初期ルネサンス風の回廊があったりと、図書館の中を巡るだけで歴史を体感できるような空間になっている。「とても豪華で贅沢な建築でありながら、公共の図書館としてあらゆる人に開かれている。学生が友人同士で来て勉強していたりして、歴史的建築物がごく日常的に使われている様子が、本当に豊かだと感じます」。
時代は下って1960年代、自動車交通が発達し、まちが郊外に広がる時代に、ボストンの旧市街も荒廃が進んでいた。その再開発によってガバメントセンターを整備し、1968年に完成したのがボストン市庁舎だ。設計はコンペで選ばれたコールマン・マキンネル&ノウルズ。巨大なピロティで持ち上げられた建物は、上に行くほど大きくなる独特の造形だ。1950〜60年代に現れた「ブルータリズム」のアイコン的な作品とされている。
「ブルータル(粗野)という形容の通り、外壁のほとんどがコンクリート打ち放しで、荒々しく迫力ある建物です。ブルータリズム建築の愛好家も増えていますが、やはり一般には理解されないことが多い。ただし、実際に訪れると、これは都市との関係をよく考えた建築であることが分かります。やや勾配のある広場の中心に位置し、ピロティによって前後のまちをつないでいる。内部にも大階段の吹き抜けがあり、上から光が入る、外部のようなダイナミックな空間を成立させています」。
歴史地区に超高層ビルを建てて批判に打ち克ったI.M.ペイ
ボストン公共図書館とトリニティ教会が向かい合うその隣に、ボストン初の超高層ビルとして建設されたのがジョン・ハンコック・タワー(1976年)だ。設計はルーブル美術館のガラスのピラミッドで知られるI.M.ペイ。
I.M.ペイは中国出身で、上海の高層建築に感銘を受けて建築家を志し、ボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学で学んだ。ハーバードではバウハウスの創設者、ヴァルター・グロピウスの助手を務め、ル・コルビュジエの訪米講演にも刺激を受けて、アメリカにおけるモダニズム草創期の空気を吸っている。
「ペイは丹下健三と並んで、アジア系として初めて世界的建築家になった人物です。さぞかし困難な道を切り拓いてきたことでしょう。ジョン・ハンコック・タワーも、ボストンの歴史的エリアに超高層ビルを建てるということで議論を巻き起こしました。しかし、ミラーガラスのカーテンウォールで覆われた建物は周囲の景観を映し、トリニティ教会などへの敬意が感じられます」。
「不整形な敷地や法規制など複雑な条件が絡む連立方程式を見事に解き、建物の細部から全体のフォルムまで斜めのグリッドが一貫する、非常にミニマルで美しい建築に昇華させている。これはペイの建築に共通する特徴です」。
ボストンにはほかにもペイの建築がある。ジョン・ハンコック・タワーの少し前に完成したクリスチャン・サイエンス・センター(1972年)だ。宗教団体による再開発で、歴史ある教会を囲むようにしてタワー状の管理棟、4分の1円形の日曜学校棟、列柱廊のような事務棟を新設している。これらの建物は大きな水盤で結ばれ、水盤の下が駐車場になっている。
「巨大な建築ですが、1つの斜めのラインのルールで全体が統合されていて、その造形に説得力があります。斜めであることによって歩く向きや視線の向きで変化が生まれ、開き過ぎず閉じ過ぎない、内外のほどよい距離感が保たれています。人の動線も車の動線も計算し尽くして全体がまとめられており、都市的な空間構成から人の居場所まで、破綻がありません。その力量に感服します」。
アメリカモダニズムの拠点にして国内最古の大学、ハーバード
I.M.ペイが学んだMITとハーバード大学、ボストンには世界に冠たる学問の府が2つある。
ハーバード大学の創設は、アメリカ合衆国の建国以前に遡る。ピューリタンのアメリカ上陸17年目の1636年に、はじめ神学校として開かれた。「ハーバード」とは、最初の寄附者であるジョン・ハーバードの名前だ。
イギリス出身者がつくった大学なので、キャンパスや建築もイギリス・ケンブリッジ大学を手本に計画されている。「ただ、ケンブリッジの建築はほぼゴシック様式で統一されているのに対し、ハーバードにはさまざまな様式の建築があります。キャンパスもまるで公園のようで、独特の雰囲気を持っています」。
オースティン・ホール(1881年)は前出のリチャードソンの作品だ。「外壁は赤っぽい石材で覆われていて、まるで石そのものが内側から盛り上がって形づくられたかのような生命力を感じさせます。細部と全体、具象と抽象がリチャードソンならではの原理で統合されているのです」。
ハーバード大学はまた、アメリカのモダニズム建築の拠点でもあり、前述のように、ナチス政権下のドイツから逃れたグロピウスを招聘している。そのグロピウスのもとで働いたホセ・ルイ・セルトも、のちにハーバード大学の教授になる。セルトはスペイン・バルセロナの出身で、ル・コルビュジエの弟子でもあった。
セルトの依頼によってコルビュジエが設計したのが、カーペンター視覚芸術センター(1963年)だ。コルビュジエがアメリカに建てた唯一の作品であり、最晩年の作品でもある。
「絵画・写真・ドローイング・ミクストメディア・彫刻といった多様な視覚芸術を統合するセンターですから、そのコンセプト自体も、コルビュジエの思想に通じています。ピロティや屋上庭園、打ち放しコンクリート、ブリーズ・ソレイユ(日除け)といったコルビュジエ作品にお馴染みの要素が用いられています。彼の初期作品を思わせるところもあれば、晩年のインド・チャンディガールの作品群に通じるところもあり、ル・コルビュジエ建築の集大成といえるでしょう」。
建物の中をスロープが貫いており、そこを歩いていくうちに、両側にいろいろな空間が展開し、人々の活動が見え隠れする。「何のためのスペースか分からないようなものがところどころにあって、簡単に人を納得させてくれないところがすごい(笑)。それは若々しさなのか円熟なのか、さまざまなことを考えさせられる建築です」。
師ル・コルビュジエの10年後、セルト自身もキャンパスにサイエンス・センター(1973年)を完成させている。
「中に入ってみると思いのほか開放的な空間で、上部から光が注ぎます。ボストンは寒いところなので、学生にとってありがたい居場所となります。モダニズムの幾何学的なデザインですが、ヒューマンです。飛び抜けた才能でなくても設計できそうに思えますから、教育的でもあります。セルトはやはり、いい教師だったと言えます」。
象徴的な新古典主義建築の周りに多様な現代建築が点在するMIT
マサチューセッツ工科大学(MIT)はハーバードに比べれば新しく、1861年に設立された大学だ。キャンパスを象徴するマクローリン・ビルディング(1916年)は、大きなドームを備えた新古典主義の建築だ。
「新古典主義はインターナショナルな表現で、アメリカの学校や銀行によく使われます。MITの初期の建築も新古典主義ですが、そのそばにモダニズムの高層建築を建てたのが前出のI.M.ペイです。9階建てを依頼されたのに21階建てを提案して、そのぶん広場を設けた。新古典主義のシンメトリーやプロポーションの美しさを、モダニズムに置き換えて表現しています。ペイがのちにボストンの歴史地区に超高層を建てたり、ルーブル美術館にガラスのピラミッドをつくったりするような歴史との対峙は、ここから始まっていたのです」。
MITにはまた、20世紀アメリカを代表する建築家の一人、エーロ・サーリネンの初期作品が2つある。フィンランド生まれのサーリネンは、ヘルシンキ中央駅(★https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00748/★)などで知られる建築家、エリエル・サーリネンの息子で、父に伴われてアメリカに移住した。
MITチャペル(1955年)とクレスゲ・オーディトリアム(1955年)は、広場を挟んで向かい合って建つ。円筒形のチャペルの内部は抽象的な要素だけでまとめられ、宗派を問わない教会になっている。トップライトの光を受けてきらきらと輝く金属片のオブジェは、彫刻家でデザイナーのハリー・ベルトイアによるものだ。「レンガや金属といった工業的な素材を使いながら荘厳な雰囲気をつくりあげている。北欧的な手法ともいえます」。
オーディトリアムは20世紀半ばに世界中の建築家が挑戦した「シェル構造」を用いた建築だ。「例えば丹下健三の東京カテドラル(1964年)も、シェル構造を用いた傑作です。それに先立つこのオーディトリアムは、シェル構造であることを最大限に活かした設計になっています」。シェル構造の屋根はたった3点で地面に接し、ガラスの壁が広場に開かれている。「屋内から見ると、床の目地が内外で続いているのが分かります。細部まできちんとデザインされていることで、シェル構造の説得力が増しています」。
多様な出自を持つ建築家に活躍の場を提供するアメリカ、ボストン
中国出身のペイ、フィンランド出身のサーリネンのほか、MITにはフィンランドのアルヴァ・アアルト、日本の槇文彦の作品もある。
カナダ出身のフランク・ゲーリーはロサンゼルスを拠点とする建築家だ。「ひとつながりの広大な内部空間に、さまざまなチャーミングな場所があります。ゲーリーの西海岸的なおおらかさが、寒いボストンにあるMITのイノベーション施設に似合っています。キャンパスの建築は、様々な国から来た建築家たちの力を引き出しています。多彩なキャンパスは、国家の理念に通じます。時代ごとの最も新しい建築が存在していることが、ボストンに見られるアメリカの伝統です」。
■取材協力:ClubTap
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