「建築家が主人公」の映画の先駆け、しかし内容は予想外

今回は連載初のモノクロ映画である(よってイラストもモノクロ調にした)。アメリカで1949年に制作された映画「摩天楼」だ。「建築家を主人公にした本格映画」の先駆けとされ、映画通の建築好きの会話の中でしばしば話題に上る映画だ。主演は名優、ゲーリー・クーパー。

恥ずかしながら、私は見たことがなかった。見て、あ然とした。想像していた内容と全く違っていたのだ。そして、主演がゲーリー・クーパーなのに、それほどメジャーな作品とならなかった理由もわかった。

建築や住宅、それを設計する「建築家」は、映画やテレビドラマの中でどう描かれているのか。元・建築雑誌編集長で画文家の宮沢洋(BUNGA NET編集長)が、「名セリフ」のイラストとともに、共感や現実とのギャップをつづる。今回取り上げる「摩天楼」は、女性作家アイン・ランドのベストセラー小説『水源』(1943年に出版)を、ランド自身の脚本で映画化したものだ。

ゲーリー・クーパー演じるハワード・ロークは「妥協」しない建築家

ゲーリー・クーパーが演じるのは、ハワード・ロークという孤高の建築家。装飾を排除したモダニズムデザインの建築家で、一部では、その突出した才能を認められていた。しかし、理想主義者のため、「妥協」となる相談には全く同意しない。あちこちでトラブルの種となり、実作は数えるほどしかない。

一方、ロークと同期の建築家、ピーター・キーティング(ケント・スミス)は、ロークとは真逆の道を歩んでいた。世渡りの才能と利益を生む妥協によって、名前は経済界に知れ渡り、多くの仕事を抱えていた。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

この2人の生きざまが対比的に描かれる。例えば、仕事のないロークを心配して、キーティングが事務所を訪ねる序盤のシーン。

キーティング:「こんなお前は見たくない。スタートは一緒なのに」
ローク:「何しに来た」
キーティング:「旧友を助けたくてね」
ローク:「いらん」
キーティング:「強がるな。理想を求めても孤立するだけだ。妥協しろ。大衆が望む建物を設計すれば金も名誉も手に入る」
ローク:「俺が望んで孤立しているとでも? 帰ってくれ」

仕事がなく日雇いの石工となり、ヒロインと出会うラブロマンス&サクセスストーリーかと思いきや

ヒロインはドミニク・フランコン(パトリシア・ニール)。「ニューヨーク・バナー」紙のコラムニストで、お嬢様でもあり、社交界の花形。ドミニクは新聞のコラムで、ロークの建築を評価したことがあるが、映画の序盤では面識はなく、顔も知らない。

ロークは、自分の信念を貫ける仕事を見つけることができず、ついには、採石場で日雇いの石工として働き始める。その採石場はドミニクの父が経営者で、近くの別荘を訪れたドミニクは、ロークにひと目ぼれする。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

そこから2人の恋はどうなる? ロークは建築家として大成できるのか? ……という話の展開だ。

そこまでならば、想像通りのラブロマンス&サクセスストーリーなのだが、「想像と全く違う」のは、ロークの度を超えた理想主義者ぶりだ。

図面通りに工事が進まない集合住宅をロークはなんと…

いったんは石工となったロークだが、ガソリンスタンドなど小さな仕事から設計の実績を重ね、それなりの社会的評価を得るようになる。

そんななか、世渡りだけで人気建築家になったキーティングが、メディア注目の大規模集合住宅の設計を受注する。ところが、自分では周囲の期待に応えられる自信がなく、秘かにロークの力を借りたいと申し出る。ロークは、自分の名前を出さなくてもよいし、報酬もいらないが、1つだけ条件を守るなら設計に協力すると言う。それは「自分が描いた図面を絶対に変えないこと」だ。

しかし、いろいろな関係者の思惑が交錯し、設計案はロークが描いた図面から改変されて、工事が進んでいく。どうする、ローク?

ロークのことを心配するドミニクに、ロークは「夜に集合住宅の現場に車で連れていってほしい」と頼む。その夜、車で現場に着いたドミニクは、警備員に声をかけ、警備員を外におびき出す。すると、暗がりの中、完成間近の集合住宅は、閃光と轟音とともに崩れ落ちる。ロークが爆破したのだ。

それまでもロークの行動に少しずつ違和感が積み重なっていたのだが、このシーンでは、思わず「えーっ」と声を出してしまった。

批評家には酷評されたが、建築家の本質を描いている

この後、裁判にかけられたロークが、法廷で自身の正当性を主張する演説が、映画のクライマックスとなっている。その内容と、判決の白黒は、映画をご覧いただきたい。判決にもあ然とした、ということだけ記しておく。

この映画は、米国の批評家たちの評価が芳しくなく、「感情移入の余地がない」といった酷評もあったという。興行的にもヒットしなかったらしい。当時のアメリカ人も私と似た反応だったんだなと、ちょっと安心する。

しかし、原作小説の『水源』は大ヒットした。おそらく原作には、映画ではしょられているエピソードに、ロークに感情移入できる説得力があるのだろう。原作は1000ページを超える大作なので、私にはまだ読む勇気がない。

とはいえ、この映画を少し引いて考えてみると、ロークの仕事に対する姿勢には、「建築家」という職業に特有の“ある善悪感覚”がはっきりと表れている。それは、「クライアントの言うことを聞かないことも、ときには善」という考え方だ。

えっ、クライアントの言うことを聞かないなんて悪に決まってるじゃん。そう思われるかもしれない。職人だって、料理人だって、医者だって、弁護士だって、大抵の職業はクライアントの望む業務を遂行する。

しかし、建築家という職業は、「建物が完成した後の10年先、20年先、ときには100年先」を考えている。クライアントが要求するものが、目先のことや自分のことしか考えていない場合には、「NO」と言うことも建築家の仕事なのだ。原作者は、そのことを「爆破」という極端な手法を取ることによって、考えさせたかったのだろう(私には共感できないが)。

ところで、映画の中に登場するロークの建築物や計画案は、どことなくフランク・ロイド・ライトの建築を連想させる。だが、ライトはこの映画に関わってはいない。脚本には、「建築はフランク・ロイド・ライトのスタイルで」と指示があったが、ライトは協力せず、美術担当者がそれっぽく描いたという。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

それはそうだろう。そうでなくてもライトを連想させるエピソードもあり、そのうえ、「ライト本人も協力」となったら「ライトってこんなにクライアントの言うことを聞かない人なんだ」と思われ、仕事が減る。そんなエピソードも踏まえて見ると、より「建築家とは何か」について考えさせる映画だ。

■■映画「摩天楼」
劇場公開(日本):1950年12月(1949年製作)
原題:The Fountainhead
監督:キング・ヴィダー
脚本:アイン・ランド
原作:アイン・ランド『水源』
キャスト:ゲーリー・クーパー、パトリシア・ニール、レイモンド・マッセイ、ケント・スミス
114分/アメリカ

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