多摩武蔵野スリバチ学会と街歩き
取材の日、多摩武蔵野スリバチ学会会長・真貝康之氏と待ち合わせたのはJR中央線国分寺駅改札。多摩武蔵野スリバチ学会は、スリバチ状の窪地を観察・記録する東京スリバチ学会の分科会。多摩と武蔵野地域を中心にフィールドワークなどの活動をしている。多摩武蔵野スリバチ学会は、23区に近いところでは吉祥寺・井の頭から青梅、高尾と広範なエリアを対象にしているが、駅に近く、多摩武蔵野らしい地形を楽しめるという理由で国分寺を巡ることになったのである。
「武蔵野台地は形成時期の古い順に下末吉面、武蔵野面、立川面、青柳面、拝島面があり、さらに小規模な段丘面もあります。そのうち、下末吉面は都心に多く見られるもので、多摩武蔵野スリバチ学会が対象としている武蔵野台地では、それよりも形成された時代が若い武蔵野面、立川面が中心になります。
下末吉面は樹枝状の谷や窪地、いわゆるスリバチが中心ですが、武蔵野面、立川面でよく見かけるのは古多摩川が流路を変えながら台地の側方を削り、火山灰が堆積されてできた河岸段丘、崖です。段丘面と段丘面の間には段丘崖が連続し、崖線(がいせん)と呼ばれます。大きく2種類が知られており、武蔵野面と立川面の間にあるのが国分寺崖線、立川面と多摩川の沖積低地の間にあるのが立川崖線(府中では府中崖線)。はけとも呼ばれていますが、今回は国分寺駅から国分寺崖線を歩きます」
大正、昭和の別荘地 国分寺 都立殿ヶ谷戸公園
駅近くの入り口から入ると、園内は斜面を下る高低差のある土地となっており、この公園は段丘の崖にできた谷を利用した「回遊式林泉庭園」。下っていくと湧水を集めた次郎弁天池があり、その水の清らかなことに驚かされる。
「武蔵野台地のローム層は水を通す地層で、その下の武蔵野礫層(れきそう)は水をためる地層。そこで武蔵野礫層の下部、崖の下では湧水が多く見られます。崖と湧水が多摩武蔵野の地形の特徴というわけです」
そして、なんとその湧水の中に真貝氏が発見したのは沢蟹! 都内の駅から10分ほどの場所に沢蟹が生息しているとは、びっくりである。
標高50m以上は平坦。そこに工場、飛行場、霊園が造られた
国分寺崖線、立川崖線などが古多摩川が削った崖とすると、多摩川に平行に続いていると思うが、実際にはところどころで内陸側に深く谷として入り込んでいるところがある。殿ヶ谷戸公園はそのひとつ。実際の崖線というか、崖線本体はもっと南の、駅からは離れたところにあるのだが、この公園であれば駅のすぐ近く。とりあえず、国分寺崖線を知るためにはこの地を訪れるといいというわけだ。
殿ヶ谷戸公園からはJRの線路をくぐって北へ。国分寺市は日本の宇宙開発発祥の地とされるが、それは1955(昭和30)年に日本初のロケット発射実験がこの地で行われたため。舞台となったのは駅に程近い、かつて南部銃を製造していた新中央工業株式会社の銃器試射用ピット。現在は早稲田実業学校が立っている。
「このエリアでは標高が50m以上になると凸凹が少なく、かつ明治以前はあまり使われていない土地が多かったため、明治以降、工場や飛行場、霊園などのように広大な土地が必要な用途で使われた例が多数あります。凸凹な都心には建てられないものが多摩武蔵野に建てられてきたというわけです」
早稲田実業敷地内には打ち上げを記念する碑、周辺にはその時に打ち上げられた全長23㎝(!)のペンシルロケットを描いたマンホールが12ヶ所に配されており、眺めて歩くのが楽しい。
ちなみに殿ヶ谷戸公園から早稲田実業までは多喜窪通りを下って高架をくぐり、坂を上るという道程。高架下手前では雨の日の後だったこともあって水が湧いており、湧水がこの地域の特徴という言葉を実感した。
碑とマンホールを見た後は駅の南側に戻り、住所では南町2丁目、周辺からは丸山と呼ばれる小さな台地へ。南側は国分寺崖線に面しており、急坂には長い階段が。見下ろす先は立川面の平坦な土地が広がる。その中、右手にこんもりと見える緑の山は府中市の浅間山。これは多摩川が削り残した残丘といわれ、3つの山からなっているそうだ。
崖線の下には湧水。自然を楽しむ遊歩道
丸山と呼ばれる高台から階段を下りて段丘の下をお鷹の道、真姿の池湧水群へ。途中で何度か野川と遭遇するが、残念ながら国分寺市内の野川は水には近づけないようになっており、小さな流れ。小金井市に入ると親水公園化されているそうなので、機会があればそちらを訪れたい。
さて、お鷹の道は江戸時代、このあたりが尾張徳川家の御鷹場(鷹狩りをする場所。江戸時代には将軍と大名だけが所有できた)だったことに由来する遊歩道で、道沿いの水路は、元町用水として野川に注ぐ。この水路にも清らかな水が流れており、ところどころには別の湧水、橋、そしてサトイモ科のオランダカイウ(阿蘭陀海芋)なる白い花が咲いていた。
湧水群は国分寺市の観光名所のひとつでもあり、崖下の石垣の間から、真姿の池の奥からとあちこちから水が湧いている。春よりも秋の湧水のほうが豊富だそうで、紅葉と一緒に眺めるつもりで出かけるといいだろう。
湧水群の脇には地場野菜の販売所、経路にも無人販売所などが点在し、新鮮な野菜が売られている。国分寺市は「こくベジ」という名称で地元の農業振興を図っており、直売所はもちろん、市内には地場野菜を使ったメニューを提供する飲食店もあるとか。ここでも多摩武蔵野エリアの自然の豊かさを実感する。
湧水群を見た後は再び、遊歩道に戻り、「史跡の駅おたカフェ」でのランチを経て武蔵国分寺跡へ。多摩武蔵野エリアでは駅を離れると飲食店が少なく、あらかじめ考えておかないとランチを食べ損ねることもありうるが、このコースではお鷹の道が観光名所になっているため、周辺にはいくつかの店があり、選択肢は豊富。おたカフェは地元の野菜を使ったメニューが人気で、店舗前の道ではイベントが開催されることもある。
武蔵国分寺跡で国分寺崖線を眺める
武蔵国分寺跡は741(天平13)年に聖武天皇が国を安定させるためにと全国に置いた寺の跡で、広大な敷地内では今も発掘調査が行われている。この地は南に国府(府中)、北に国分寺崖線の湧水、西に当時の官道である東山道武蔵路、東に川(野川)があるという、中国の地相で最上とされる四神相応(非常に簡単に言うと四方向にそれぞれ守護する神がいる土地)の条件に適う場所。
そこで国分寺が置かれたわけだが、実際に立ってみると背後に国分寺崖線の一段と高くなった緑が見え、武蔵野面と立川面の段差が理解できる。立川面は多摩川方向に府中市内まで広がり、そこからさらにもう一段の崖を経て多摩川の沖積平野へと続いている。
ちなみに国分寺跡ではかつての瓦の破片がたまに見つかるそうで、真貝氏に言われて探してみたところ、それらしきものを発見。持ち帰りたかったのだが、持ち帰ると不幸になるという伝承があるそうで、泣く泣く置いてきた。皆さんも見つけてもくれぐれも持ち帰らないようにしてください。
武蔵国分寺跡を後にして、1700年代に建てられた新しい武蔵国分寺、薬師堂を経て国分寺崖線を上り、東山道武蔵路跡へ。
東山道とは7世紀後半に始まり、10世紀ごろまで続いた律令制の下での行政区分および幹線道路を指し、国分寺市での発掘調査で出てきたのはその枝道である武蔵野路。架橋技術が発達する以前は河川の多い東海道を行くより、内陸の東山道を行くほうが合理的であったため、関西から関東以遠をつなぐ幹線道路として使われていたのだ。しかも、側溝間が12mに及ぶ直線道路だったそうで、今の時代の道路として考えても立派なものである。発掘後の道路の一部は異常に広い歩道として残されている。
野川の源流をのぞき、自然の豊かさを実感
東山道が中央線の線路にぶつかったところで国分寺駅方向に戻ることに。野川の上流の端を確認しようというのである。野川の源流は中央線の南側にある日立中央研究所内の湧水である。
「殿ヶ谷戸公園も別荘でしたが、現在の日立中央研究所ももともとは今村銀行の今村繁三の別荘だったところで1942(昭和17)年に日立が購入。敷地内には湧水を含め、自然が残されていますが、年に2度の公開日以外は立ち入ることはできません。また、残念ながらコロナ禍でこの2年は公開自体が行われていません」
東山道から向かうと野川方面へは坂を下ることに。現在の道はかつてに比べればはるかに整備されており、緩やかになっているはずだが、それでも十分に急坂で歩き慣れない人なら息を切らすだろう。一度下りてから線路際を上り、周辺の地形を眺める。野川を底に両側に急傾斜な谷があること、そのはるか上を電車が走っていることが分かる。地形好きにも電車好きにも楽しい眺望スポットだ。
地形を確認し、再度坂を下り、線路下の野川が始まるトンネルをのぞく。取材した日は水量が多く、都内の細々とした湧き水を見慣れた身には轟轟(ごうごう)とした流れに思えた。さらに野川を渡り対岸に向かうと、川沿いの雑木が伐採されており、「の川上流端」の看板が。現在空き地になっているところに建物が建つと見えなくなるであろう、短期間だけ見える看板である。
線路を渡って南側の日立中央研究所の脇の坂を下る。途中、研究所沿いの道路に野川源流の地点を表す掲示があるのだが、残念ながら塀の隙間からは水面は見えるような、見えないような。この部分だけでも見えるようにしてほしいものである。
さらに坂を下り、姿見の池に。このあたりの地名は日立中央研究所が東恋ヶ窪、姿見の池のあるあたりが西恋ヶ窪で、その名のとおり、地形は窪。姿見の池は東山道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女たちが自らの姿を映して見ていたことから名づけられたそうで、悲恋の伝説も残されている。昭和40年代に埋め立てられたものの、JR武蔵野線のトンネル内の湧水を利用することで再生され、小さいながらも野鳥を集める場となっている。
姿見の池に注いでいた恋ヶ窪用水、その分水跡を眺めながら、最後にたどり着いたのは西恋ヶ窪道成窪公園。前述のトンネル内の湧水を姿見の池に送るための設備があり、湧水と書かれたマンホールが設置されている。
巨人の足跡? 武蔵野面には謎の窪地も
以上、崖と湧水を歩いてきたのだが、多摩武蔵野にはもうひとつ、面白い地形があるという。それが平坦な土地に突然現れる高低差2~3mの、四方向を高台に囲まれた窪地だ。
「成因としては地下構造、地下水の状況があるとされていますが、明らかになっているわけではありません。関東、中部地方を中心にだいだらぼっち、だだ坊、大太法師などと呼ばれる巨人伝説があるのですが、その足跡などといわれる丸い窪地、細長い窪地などが点在しているのです」
たとえば、分かりやすいのは小平市役所の前を通る市役所東通の東側にある平安窪。地形図で見ると細長く窪んでおり、意識して歩けば気づくはずと真貝氏。小平市役所周辺では小平警察署の裏手にある山王通りの近くにある山王窪、新小平駅の西側にある石塔が窪などがある。
もう少し都心に近いところでは武蔵野市も窪地の多いところだそうで、三鷹駅の北側にある横河電機のグラウンドももともとの窪地。武蔵野市の中央図書館のあたりも窪地だ。こうした微細な凸凹を楽しみだしたら、かなりの地形好きといえそうだ。
最後に国分寺以外でのお勧めコースを教えていただいた。
「行きやすいところでは吉祥寺・井の頭あたり。広重の名所江戸百景に描かれたのと同じ風景が今も残されていることに気づくと、がぜん面白くなるはずです。国分寺崖線が刻んだ谷の中にある深大寺は湧き出す水が生んだ深大寺そばが有名ですが、地形が美味を生んだ例です。
とにかく凸凹なのは多摩丘陵の玉川学園、薬師池公園あたり。薬師池公園の西側ではかつての鎌倉街道の道筋が確認でき、歴史も実感できます。昔と今を比較しながら歩くと楽しいのが多摩センター。細長い谷戸の、昔の地形も残されており、意識すればどこが変えられたかが分かります。水の豊富さを実感できるのは日野。早くに清流条例を作った日野市では用水網が残されています」
多摩武蔵野エリアには海以外のバラエティある地形があり、土地ごとに歴史がある。それを知り、微細な高低を意識しながら歩くとこのエリアには多数の発見がある。ぜひ一度、真貝氏の著作などを参考に歩いてみてほしい。
多摩武蔵野スリバチ学会
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