監督はアカデミー賞受賞のシドニー・ポラック
「ビルバオの奇跡」という言葉をご存じだろうか。
ビルバオはスペイン北部、バスク地方の小都市。1997年、この町に「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」が完成してから、観光客が急増。衰退していた都市が1つの建築をきっかけに再生したという話だ。
この美術館の話を中心に、これを設計した建築家、フランク・ゲーリーの人間像を追ったドキュメンタリー映画が「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」である。
建築や住宅、それを設計する「建築家」は、映画やテレビドラマの中でどう描かれているのか。元・建築雑誌編集長で画文家の宮沢洋(BUNGA NET編集長)が、「名セリフ」のイラストとともに、共感や現実とのギャップをつづる。連載初回で映画「建築と時間と妹島和世」を取り上げて以降、フィクション作品が続いてしまったので、ここからは時折、ドキュメンタリーを混ぜていきたい。
ドキュメンタリー作品は、被写体となる人物が誰かだけでなく、監督が誰かで面白さが大きく変わる。その点でいうと、この映画が面白くないはずがない。何しろ監督はシドニー・ポラック。1934年生まれ。もともとは俳優で、映画監督として活躍。「追憶」 (1973年)、「トッツィー」(1982年)、「愛と哀しみの果て」(1985年)、「ザ・ファーム 法律事務所」 (1993年)、「サブリナ」(1995年)、「ザ・インタープリター」(2005年)などを監督した。1985年の「愛と哀しみの果て」ではアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞している。
ゲーリーがポラックに言った「建築を知らないから君なんだ」
名監督であるポラックだが、ドキュメンタリー映画はこの「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」が初作品だった(2005年公開、日本公開は2007年)。ドキュメンタリー慣れしていないポラックがなぜこの映画を撮ったのかというと、ゲーリーの長年の友人であることが理由の1つ。そして、もう1つの理由は、映画の序盤で語られる。自らカメラを回しながらポラックがゲーリーに語りかける。
「僕は建築というものを全く知らない。僕を監督に推薦した君は狂っていると思った」(ポラック)
「だからこそ君なんだ」(ゲーリー)
ゲーリーがお愛想でそう答えたのではないことは、インタビューを重ねる中で徐々に明らかになる。
ゲーリーは1929年、カナダ・トロントで生まれた。1947年に家族で米国ロサンゼルスに移住。美術や建築、陶芸などを学び、1954年、南カリフォルニア大学で建築学士号を取得する。
ゲーリーの建築の特徴は分かりやすい。「グサリ」と「グネグネ」だ。「グサリ」は通常あり得ない形と形の交わり方。「グネグネ」は複雑な三次元曲面だ。グサリとグネグネの組み合わせによって、一見「建築」とは思えないような造形が生まれる。
ゲーリーはポラックに、若い頃のエピソードを語る。
「大学2年のとき、先生から言われた。『君は建築に向いていない。転科すべきだ』と」。
「若い頃、同業者(建築家)たちは私を馬鹿にしていた。私は浮いた存在だった。それでも芸術家たちは仲間に入れてくれた」。
ほかにも、かつて車の運転手をして生計を立てていたことや、自信を失いかけて精神科医のセラピーを受けていたことなども明かされる。
大切なのは「小さなスペース」という、ゲーリーの建築
建築界で注目を集めるようになったのは50歳を目前にしたころだ。今では建築界で知らぬ者はいない大巨匠ゲーリーだが、遅咲きの苦労人なのである。
飛躍のきっかけをつくったのがポラックの言葉であったことにも驚かされる。映画監督としてなかなか商業的な成功を納められなかったポラックが、今後への手応えをつかんだとゲーリーに話したときのことだ。
「あのとき、君(ポラック)がこう言ったんだ。『大切なのは、自分らしさを表わせるわずかなスペースを確保することだと気付いた』と。私はそれを聞いてはっとした。忘れられない言葉だ。それからは僕もこう言っているんだ。『小さなスペースだ』と」。
この話には合点がいった。ゲーリーの建築は、形が複雑な割に、内部の部屋は意外に普通の四角形であることが多い。ゲーリーは機能面で無理を強いることをせず、小さなスペース、つまり“余白”のデザインで勝負をしているのだ。だから、建築の専門家からは「外観の遊び」「本質的ではない」と酷評されることもある。
ビルバオの成功後、ゲーリーのドキュメンタリーを撮りたいという話はいくつもあったという。そうした中で、ゲーリーが「撮るならば監督はポラックに」と推薦したのは、ポラックが「建築」という枠とは違う方向から映画を撮ると考えたからだろう。筆者もよく「これは建築か?」というような書き方をしてしまうことがあり、この映画を見ながら反省した。
ポラックがゲーリーの信頼に足る人間であったことは映画を見ればよく分かる。筆者の職業柄からか、ポラックの質問自体に、たびたびうなってしまった。例えばこんなやりとりだ。
「才能とは液化して消えていかない病気のようなものだね」(ポラック)
「そうだね、才能とは病なんだよ」(ゲーリー)
才能を持つゆえの苦労を聞くのは、インタビュアーとして鉄則だと思うが、才能を1つの病気と例えるのは、やはり一流クリエイターであるポラックならではだ。加えて、よほどの信頼関係がなければ、こんな質問は怖くてできない。
フランク・ゲーリーの90歳を過ぎても全く衰えない造形力
この映画が公開されたのは2005年。その3年後の2008年5月、ポラックは癌により73歳で亡くなる。
映画の最後のシーンは、ポラックのこんな質問だ。
「次にやってみたいことは?」
ゲーリーはその問いに対して意外に悲観的な答えを口にする。それは映画を見てほしい。そして、ポラックよりも5歳年上のゲーリーは、それから15年以上たった今も現役だ。最近では、フランス・プロヴァンス地方のアルルにアートタワーを完成させ、話題を呼んでいる。
ゲーリーは、アートセンター「LUMA Arles」内のこのタワーを設計するに当たり、ゴッホがアルルで描いた『星降る夜』と、街の北東に位置するアルピーユ山脈からインスピレーションを得たという。これが92歳の造形なのか……(写真を見たい方はこちら)。
確かに才能とは1つの病なのかもしれない。そして、この映画は、ポラックからゲーリーへの「才能は年齢とは関係ない。病だと思って向き合え」というエールにも思えるのである。
「建築」に限らず、創作に関心のある人ならば、誰が見ても面白いのではないか。2000年代序盤のゲーリー事務所内の様子もかなりリアルに描かれているので、建築関係者には実務上のヒントもたくさんあると思う。機会があればぜひご覧いただきたい。
■■映画「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」
劇場公開(日本):2007年6月(カナダ公開は2005年、アメリカ公開は2006年)
原題:Sketches of Frank Gehry
監督:シドニー・ポラック
84分/アメリカ
公開日:




