石碑の思いは伝わっているのか?
日本は自然災害の多い国である。そして大半の災害は同じ場所で何度も繰り返される傾向にある。であれば、災害を記録した石碑を建立し、その場に警告として残しておけば後世に伝わるのではないかと、残された人々は長年、国内のあちこちに災害を伝承する石碑を建ててきた。だが、その思いは現在、適切に伝承されているだろうか。森隆氏の石碑を巡る旅はそうした疑問からスタートした。
「三陸はこれまでに多くの津波に遭っており、石碑も数多く残されています。ではなぜ、その警鐘が東日本大震災のときに届かなかったのか。それを知りたいと思い、以降、保険毎日新聞で『石碑は語る』というコラムを執筆。現在では北海道から沖縄までの200ヶ所くらいの石碑を見て歩いています。そのうち、最初に訪れた50ヶ所をまとめたのが2014年に出版された書籍『石碑は語る 地震と日本人、闘いの碑記』(保険毎日新聞社)です」
2021年7月、同書を元に開催されたオンラインイベントの様子から、全国の石碑のうちのいくつかを紹介、災害を伝承するということについて考えていきたい。まずは北海道奥尻島で大きな被害を出した北海道南西沖地震。
1993年、28年前のことであり、記憶にある方もいらっしゃるだろう。発災したのは7月12日の午後10時17分。地震発生から揺れが1分30秒続き、その1分30秒後には津波が押し寄せた。ようやく揺れが収まったと思って安堵したすぐ後に場所によっては最大30mにも及ぶ津波である。夜間のことでもあり、なす術もなく、200人近くが犠牲になっている。
その記憶を残すため、島内でも被害の大きかった青苗地区には慰霊碑「時空翔」が建てられている。空を飛び建つ翼をイメージした円盤状のフォルムの碑は奥尻島津波館の近くにあり、訪れるときには併せて見学したいところである。
石碑の教えを守って助かった集落も
1896年の明治三陸大津波、1933年の昭和三陸大津波の教訓を生かして集落ごと高台移転し、東日本大震災で難を逃れた例がある。それが宮古市の重茂半島(おもえはんとう)にある姉吉地区。ここには「ここより下に家を建てるな」と明確な警告を刻んだ大津波記念碑があり、その警告に従ったことが集落の人々の命を救った(*)。
記録によると明治三陸大津波では住民78人のうち、生存者は2名、昭和三陸大津波では111人が犠牲になり、生存者はわずか4人。集落そのものの存続すら危ぶまれたほどだが、親戚筋から跡継ぎを受け入れるなどで継承、500mほど離れた高台に集落を再建。石碑を建立した。
「東日本大震災では40m近い津波が押し寄せ、漁港では漁船、倉庫が被災しましたが、波が石碑を超えることはありませんでした。現地へは宮古駅近くで車を借りて行ったのですが、ナビでは場所が分からず、ところどころで聞いてやっと到達しましたが、林の中にある、高さ1mちょっとの小さな石碑でした」と森氏。
事情を知らない人には意味のない小さな石碑だろうが、それが何人もの人の命を救ったと考えると伝え続けることの大事さが分かるというものである。
三陸では東日本大震災を受けて釜石市唐丹(とうに)に建立された石碑の話も印象に残った。この石碑には地元の小中学生の子どもたち91人、大人4人の思いが刻まれているそうで、森氏はそのうち、「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて」という中学2年生の言葉を紹介した。繰り返しの警告にまたかと思い、危険を感じなくなってしまう人も多いが、災害はいつやってくるか分からない。子どもたちにならい、何度でも逃げるようにしたい。
ちなみに唐丹でも明治、昭和の津波記念碑があり、その横に東日本大震災を記録する新たな石碑が建立されている。
(*)集落を離れていて被災した家族がいるため、全員無事だったわけではない
江戸時代の地震が海を陸地に変えた
もっと古い地震を記録した石碑もある。日本海側、秋田県にかほ市象潟町、蚶満寺にある九十九島の碑である。象潟は俳人芭蕉の「奥の細道」の最北の地で、芭蕉が訪れた当時は宮城県の松島にも比類する、海に島々が浮かぶ景勝地だったのだとか。ところがその約100年後、象潟の景観は大きく変わる。1804年にマグニチュード7.1という大地震、象潟地震が起きたのである。
この地震は周辺を約1.8m~2mも隆起させ、海を陸地に変えた。海の中に島が浮かぶ景観は田んぼの中に小山が点在する風景に変わったのである。象潟地震後100年を記念して建立されたのが九十九島の碑。漢文で記された碑文には象潟の歴史、地震による変遷の様子が詳述されているそうだ。しかも、この地では地震以外にも景観を巡ってドラマが繰り広げられた。
「陸になった象潟の島を潰して開田するようにと当時の本荘藩の領主が命じたのです。これに対し、象潟を管理している蚶満寺の覚林和尚は京都の閑院宮家に頼んで祈願所にしてもらうことで寺格を上げ、藩の介入を防ぎました。そのため、蚶満寺には今も菊の紋章があります。覚林和尚は藩から謹慎処分を受けて江戸に逃亡、その後、藩に捕らえられ、獄中で亡くなりますが、そのおかげで象潟の風景は残りました」
現在、九十九島は国の天然記念物になっており、歴史を知らないで訪れても美しい場所だが、地震が風景を変えたこと、この風景を守ろうと命を懸けた人がいることを知って訪れるとひとしおである。
首都圏には関東大震災の石碑多数
首都圏に多いのは1923年の関東大震災の石碑である。森氏が最初に紹介したのは東京都中央区の浜町公園に近い隅田川の新大橋に建つ避難記念碑。関東大震災では発災後すぐに火災が発生、大きな被害を出したことが知られているが、炎に追われた人たちが辿り着いたのが隅田川にかかるこの橋のたもと。日本橋側、対岸の両国側ともに火が出ており、その火の粉が避難する人たちの荷物に降りかかる。
当時は荷物を持って避難してはいけないなどという常識のない時代。しかも、所有するものも少なく、多くの人は家財道具一式を大八車などに積んで逃げていた。そこに火がついたら橋が危ない。
その時、避難する人たちを誘導してきた警察官たちが「荷物をすべて川に捨てろ」と命じたと森氏。全財産を持ってきた人からすればとんでもない話である。泣いて拒む人もいれば、警察官に殴りかかろうとする人もいたそうだが、最終的には人々は荷物を捨てた。これによって橋上の人たちは命を救われることに。隅田川にかかる橋の大半が焼失する中、新大橋は大きな損壊もなく、橋上に火災が発生することもなかったのである。
関東大震災に関しての森氏の説明ではもうひとつ、「防火守護の地」という石碑を紹介しておこう。焦土と化した市街地の中で千代田区神田佐久間町と神田和泉町の一画に焼けなかった一画があり、石碑はそれを記念するものだという。
「断水した水道に代わり、井戸や神田川の水をバケツリレー、36時間消火し続け、まちを守ったといいます。神田佐久間町は江戸時代、町火消し『か組』が活躍した地で、安政の地震でも火災を防いだと言われています。そうした魂が受け継がれてきた土地なのでしょう」
被害を伝えていればと悔やむ石碑も
記憶が伝承されず、繰り返し被害を受けたことを悔いた石碑もある。大阪市大正区の木津川にかかる大正橋のたもとにある「大地震両川口津波記」だ。1854年の安政南海地震の後で建立されており、碑文には約150年前、1707年の宝永大地震でも家が崩れて火災が発生し、舟が流れて橋を潰し、小舟に乗って避難した人は津波にのまれて水死したのに、そうした過去の過ちを伝えなかったがために悲劇が繰り返されたとある。
また、碑文が読みやすいように時々墨を入れて伝えて行って欲しいとも書かれており、現在では毎年の慰霊祭で墨入れが行われ、きちんと保存、管理されているとか。その維持管理が防災意識を高めるものになっていれば石碑の務めは十分果たされていると言えそうだ。
それ以外にも、昭和南海地震を記録する徳島県海陽町の南海道地震津波史碑、室町時代に四国沿岸を襲った正平地震津波の惨状を伝える、現時点では日本最古の津波碑とされる徳島県美波町の康暦碑、沖縄に甚大な被害をもたらした1771年の八重山地震を伝える明和大津波遭難者慰霊之塔などさまざまな碑が紹介された。聞いていて思ったのは日本全国、地震や津波その他の自然災害に遭わなかった場所はほとんどないのだということ。北海道から沖縄まで多い少ないはあるにせよ、歴史を辿ればなにかしらの被災をしている。それを意識し、備えることが石碑を残した人たちの思いに応えることなのだろう。
石碑の伝承を身近に感じるためのツールも
だが、石碑は関心のない人からすれば単なる石。碑文が読めなくなっていることも多く、伝承を伝えていくためには地域の人の思いや、過去にその地で起こったことなども一緒に伝えないと伝わらないと森氏。そのためにと紹介されたのがスマホアプリ「MEQQE(めっけ)」。これはみんなでつくる地域のかわら版と題した地図アプリで、テーマごとにさまざまな地図が作られているというもの。
たとえば、石碑については「みんなでつくる~防災の原点!石碑マップ~」という地図が作られており、地図を表出させると中心点に近い順に最大30件の石碑情報が出てくるようになっている。そして、出てきた情報をクリックするとその場の地図と石碑、その解説が読めるようになっていて、碑文が読めなくてもどういう意味がある碑なのかが分かるようになっているのである。
さらにこのアプリでは参加している人が地図にスポットを追加することもできる。わが家の近くにある災害関連の石碑を登録することができるのである。今はまだ、森氏が取材したものが中心だが、多くの人が参加、追加をしていけばより充実した、多くの情報が得られるものになるはず。防災に関心のある人はぜひ、参加、情報を寄せていただきたい。
また、防災情報だけでなく子育て世帯にうれしい授乳・おむつ替えマップや外出時に役立つ予約ができるシェア駐車場マップその他役に立つ地図も多く掲載されているので、普段の生活にも役に立ちそうである。
もうひとつ、災害と記録という意味では国土地理院が2019年3月から新たに地図記号を定め、同院発行の2万5,000分の1地図に掲載を始めた自然災害伝承碑も役に立つ。趣旨はここまで説明した石碑情報と同じで、2021年7月16日現在で47都道府県299市区町村1,000基を掲載しており、日々増加している。web上のマップでは地図記号をクリックすると災害の概要が分かるようになっており、あるものについては関連リンクが掲載されている。なお、この1,000基の石碑情報も前掲のアプリ「みんなでつくる~防災の原点!石碑マップ~」に反映される予定だ。
いずれも先人の記憶、思いを伝え、被害が繰り返されないように願うものである。時を経て忘れられかけているものも多いが、災害が頻発する現在、過去の災害を知ることには大きな意味がある。これらのツールを参考に身近にある、読めないけれど気になっていた石碑を一度チェックしてみてはどうだろう。
石碑は語る 保険毎日新聞社
https://xn--ruqx54cset6urxsx7j532b.jp/mokuroku/12-038.htm
MEQQE
iPhone AppStore
https://apps.apple.com/jp/app/id1530961290
アンドロイド Google Play
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.meqqe_app
自然災害伝承碑(国土地理院)
https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html
取材協力/株式会社セイエンタプライズ(会場)
https://www.sei-inc.co.jp/
麹町アカデミア株式会社(運営)
http://k-academia.co.jp/
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