江戸時代中期、元禄期に栄えた港町、新潟
明治に入って鉄道が敷設されるまで、日本の流通は水運が担っていた。その拠点として栄えた都市のひとつが新潟である。
信濃川の河口に誕生した港町、新潟はその昔、現在よりも海岸寄りの場所にあったといわれている。だが、江戸時代の初め頃には信濃川が運んできた土砂が堆積。水深が浅くなって港の機能に問題が生じてきたことから幕府に移転を申請、明暦元(1655)年にはほぼ移転が終了している。
移転で縦横に堀を張り巡らせ、まち全体が港ともいえる機能を備えるようになった新潟は、その後の寛文期(1661年~1673年。徳川家綱の時代)に始まった西回りの海運、いわゆる北前船の経由地として飛躍的に発展を遂げる。新潟には信濃川、阿賀野川という二大河川の流域から米その他の産物が集まってきており、それを大型船に積み替えて海路で大阪などへ運んだのである。江戸時代後期には蝦夷地(現在の北海道)まで航路が延び、ちょうど中間地点にあった新潟の重要度はさらに増すことに。
最盛期とされる元禄期には年間3,500隻もの船が入津したと言われているが、日本海側の廻船は春から初秋までの7ヶ月限定。そこに3,500隻と考えると、平均して月に500隻、1日あたりにすると平均でも16ないし17隻である。どれだけ賑わったことだろう。
その当時の花街の様子の記録はほとんどない。とはいえ、新潟にはこの時代に創業、300年以上の歴史のある料亭「行形亭(いきなりや)」が現存しており、港だけでなく、まち全体が華やかな繁栄の中にあったことは間違いない。
芸妓を株式会社で育てることに
その後も紆余曲折はありながらも江戸から明治、大正、昭和の30年代までは新潟の花街は繁栄を続ける。昭和35(1960)年に発行された古町芸妓ガイドブック「新潟花街」には202名が紹介されており、その2年後に出された同様のガイドブックにも192名が登場している。
ところが昭和40年代に入り、事情は大きく変わり始める。芸妓の人数が減少、高齢化が進むと同時に昭和43(1968)年以降、新しく芸妓になろうという人がいなくなってしまったのだ。昭和61(1986)年には100名を切り、60名に。しかも最年少の芸妓が36歳、平均年齢が53歳である。
このままでは古町芸妓がいなくなる。危機感を覚えた新潟の人たちが取ったのはこれまでベテラン芸妓が女将になって采配を振るってきた芸妓置屋を株式会社化するという手である。芸妓になるために日本舞踊、鳴物、長唄、三味線、笛などの芸事や所作を学ぶための茶道の稽古が必要である上に、かつらや着物その他の衣装も揃えなければならず、多額に及ぶ。となると、個人の女将に任せていては育成は難しいという判断である。
そこで昭和62(1987)年12月に設立されたのが柳都振興株式会社。柳都とは堀に柳がかつての象徴的な風景だったことからの新潟の別名。雅な名称である。
コロナ禍でお座敷減少、存続の危機に
地元企業約80社が出資して誕生した柳都振興は翌年から既存のお姐さんたちの協力も得て柳都さんと呼ばれる社員芸妓の育成を始め、それから34年。同社で採用した柳都さんは50名以上に及び、現在籍を置いているのは12名。さらに独り立ちした人も3名おり、大幅に増加したとまではいえないものの、古町芸妓を絶やさず、伝統をともし続ける仕組みとして機能していることは確かである。
そんな状況下に起こったのがコロナ禍。柳都振興の一森政子さんによると2020年3月に入ってキャンセルが相次ぎ、6月に多少盛り返したものの、その後は少し上向いては下がるという繰り返し。生き残り策のひとつとしてのクラウドファンディングは早い時期から検討されていたものの、芸妓の粋を重んじる古町花街では、「そんなかっこ悪いことはできない」と反対の声もあったそうだ。
「それでも昨年10月、11月には新潟市と商工会議所が芸妓派遣事業を展開、応援をしてくれました。これは芸妓の花代を無料で負担してくれるもので飲食代だけで芸妓を呼べると人気を呼び、前年比8割、9割までお座敷の数が戻りましたが、その後、12月には第三波が来て事業を中断せざるを得ないことになりました」
それ以外にも県や商工会議所などがコロナ枠の助成金を利用、オリジナルフェイスガードやオリジナルフレーム切手、花街入門動画、PR映像を制作したり、古町芸妓の実物大のデジタルサイネージにスマホでアクセスすると芸妓がまちの案内をしてくれるという事業なども展開されてきている。新潟の人たちはかつての繁栄を今に伝えるものとして古町芸妓をまちの宝、財産として大事にしているのである。
クラウドファンディングには伝統を絶やすなと熱いコメント
とはいえ、そうした事業だけでは芸妓育成を続けることは難しい。
「設立当初約80社ほどだった後援会を約130社にまで増やし、そうした皆様からと行政からの支援で続けてきましたが、それ以外に自分たちでもある程度は収益を上げなければやっていけません。ですが、その先行きが全く見えず、銀行からの紹介でクラウドファンディングを始めることになりました」
5月からのスタートで当初目標は1,000万円。当初は控えめに500万円を目標に考えていたが、それでは人件費であっという間に消えてしまう。そこで1,000万円としたが、10日くらいで達成できたため、ネクストゴールを2,000万円とし、現在は3,000万円を目標に6月30日までのクラウドファンディングを行っている。
最終目標までは難しいのではという一森さんだが、寄せられているコメントは熱い。400近いコメントのうちには「伝統芸能は一度絶やしたら消えてしまう」「古町の華やかさ賑やかさが新潟の活力の源」「江戸時代から新潟が守ってきた素晴らしい文化を残して欲しい」などという声が多数含まれているのである。地元以外にも首都圏や東北地方その他からの声もあり、広く関心を集めていることが分かる。
「新潟の花街は格式ばったところがあまりなく、人懐っこい雰囲気が特徴。一度お座敷を体験すると次回もと言ってくださるお客様が多いようです。芸妓も近年は地元だけでなく北海道から沖縄までの広範なエリアから応募があります。高校卒業後に志望する人が多いのですが、大卒でどうしてもという人もいます。当初はなかった産休、育休などといった制度も拡充されてきており、以前よりは働きやすい職場になっていると思います」
お座敷を身近に感じる取り組みも多数
また、一般の人には行きにくいお座敷を身近に感じてもらおうという取り組みも進んでいる。ひとつは営業していない待合さんを利用した柳都カフェ。芸妓さんがお稽古着でお茶を運んできてくれるというもので、常連さんもついてきているそうだ。平日の13時~15時に開催されているので、観光に行けるようになったらお邪魔してみたいところだ。
日程、人数は限られるが、新潟観光コンベンション協会の主催でランチ利用で気軽にお座敷経験ができる事業も行われている。ランチを楽しんだ後に踊りを見学、記念撮影ができるなどというもので、これなら3,500円とお手頃である。2021年は現時点で告知があるのは6月の金、土曜日だが、7月以降、また、さらにその先の2020年2月、3月も開催予定というから、いずれかのチャンスを狙いたいものである。
踊りだけを見学するなら9月には恒例のふるまち新潟をどりがある。昨年も入場者数を厳しく制限しながら開催され、2公演ともに満席になったという。新潟の人はシャイだといわれるが、踊り好きが多く、8月の新潟まつりでの民謡流しが中止になったことから、その分、9月の芸者衆の踊りを見ることを楽しみにしている人も多いのではと一森さん。
それ以外でも市内では芸妓の踊りと食事を楽しむイベントなどはしばしば開かれており、コロナ後に新潟に行くなら事前に情報を調べておきたいところ。もうひとつ、耳寄りな情報としては昨年秋に行われた芸妓の花代を助成する事業が秋以降に再開されるという話がある。地元の人はもちろん、観光客も利用できるのでお座敷経験をしてみたい人には良い機会になるのではなかろうか。
もちろん、その前にクラウドファンディングでお座敷経験ができる寄付をするという手もある。お座敷だけでなく、さまざまな返礼もあり、新潟の文化を理解するためには良い契機になりそう。古町花街には建物、料理に芸事と三拍子が揃っている。試してみる価値はある。
柳都新潟・古町芸妓|もてなしの心、伝統を守るためのご支援を
古町芸妓(柳都振興株式会社)クラウドファンディングページ
https://readyfor.jp/projects/ryuto-shinko_2021
柳都振興
https://www.ryuto-shinko.co.jp/
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