名古屋市に残る郊外別荘の代表作
聴松閣の1階に展示されている1939(昭和14)年ごろの揚輝荘全体のジオラマ。写真中央のオレンジ色の建物が聴松閣、その左隣の揚輝荘座敷は現在工事中のため非公開。揚輝荘の場所は、今の名古屋・栄にあるテレビ塔の展望台とほぼ同じ高さだったそう名古屋駅から地下鉄で約14分。人気の住宅地としても知られる覚王山エリアに、名古屋を代表する名建築のひとつ、揚輝荘(ようきそう)がある。大正から昭和初期にかけて建設された、株式会社松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民の別荘だ。
揚輝荘のある地区は丘陵地であり、今ほどに家などが建ち並んでいなかった江戸時代には月見の名所だった。多くの人々が自然豊かな地で風流なひと時を過ごしたことだろう。明治になると、タイゆかりの寺院・覚王山日泰寺が創建され、門前町として発展。その覚王山日泰寺に隣接する揚輝荘は、最盛期には約1万坪の広大な敷地に30数棟に及ぶ建物があった。
皇族や政治家、文化人なども訪れた揚輝荘は、2007年に名古屋市に寄付された。老朽化や開発などの影響で建物が少なくなっていたが、翌2008年に建設当時の姿を残す5棟が名古屋市の有形文化財に指定。そのうちのひとつ、1937(昭和12)年に完成した聴松閣(ちょうしょうかく)の修復整備工事が2013年に完了し、地域の歴史や文化を伝える施設、まちづくり・市民交流の拠点として一般公開が始まった。
そんな歴史ある揚輝荘を舞台に、日本建築学会が取り組む事業「親と子の都市と建築講座」が2018年12月に開かれた。今回は「建築を探検しよう!『子ども建築おもしろエクササイズ』」と題し、建築デザインのおもしろさを親と一緒に子どもたちにも体感してもらおうというもの。一級建築士の堀部篤樹さんらがコーディネーターとなり、歴史ある建物や個性的なデザインの秘密を、ゲーム感覚を取り入れて楽しく学べるプログラムを作成。約3時間にわたったイベントに同行させてもらった。
四季折々の自然に癒される北園
かつては一つの敷地だったが、現在の揚輝荘は北園と南園に分かれている。プログラムはまず北園からスタートした。用意された冊子には、北園にある建築物の一部を切り取った写真が掲載されており、その場所を探していく。さっそくあちらこちらから、「あった!」という子どもたちの声が上がった。その後は答え合わせとなり、全員で建築物を巡りながら、堀部さんや揚輝荘スタッフの方から説明があった。その説明などから抜粋し、北園を紹介していきたい。
北園には、名古屋市指定有形文化財となっている建物が3つある。伴華楼(ばんがろう)、三賞亭、白雲橋だ。
伴華楼は、アールデコ調の洋風建築と江戸時代の和風建築との和洋折衷建築。英語の“バンガロー”を漢字で当て字して名付けられたと言われているそうだ。名古屋の近代建築を多く手掛けた建築家・鈴木禎次の設計により、1929(昭和4)年に建築。1階が洋風、2階部分は尾張徳川家ゆかりの座敷を移築した。
イベントでは、1階の壁に細工されたうさぎの小さな彫刻飾りと、表面が市松模様になった煙突の壁を探し当てるようになっていた。月見の名所だった土地柄に由来するうさぎ、日本古来の市松模様と、日本の伝統を取り入れた粋なデザインだ。
ちなみに、伴華楼と隣にある豊彦稲荷の間の壁には、瓦が埋め込まれている。これは、瓦のコレクターだった15代伊藤次郎左衛門祐民のコレクションの一部。聴松閣1階にある旧食堂(現在は喫茶室として利用)の暖炉にも寺院の古代瓦がはめ込まれており、見学の際はぜひ見て欲しいポイントだそうだ。
続いて、池にかけられた白雲橋は、京都にある修学院離宮の千歳橋を模したものといわれる廊橋。手すりに玉ねぎのような形の手彫りの白木擬宝珠(しらきぎぼし)が取り付けられているほか、龍の天井絵、無双窓など、趣のある造りとなっている。
三賞亭は、揚輝荘最初の建物で、市内にあった伊藤家本宅から移築された。煎茶の茶室で、丸窓、竹のなげしなどの特徴が見られる。
北園の庭園は、池泉回遊式庭園となっており、四季折々の自然が美しい。無料で公開されており、近隣の人々が散歩するなど憩いの場にもなっている。
和洋折衷の造りも見どころ。迎賓館として使われた聴松閣
残り2つの名古屋市指定有形文化財は、南園に残されている聴松閣と揚輝荘座敷。1919(大正8)年に市内にあった屋敷を移築した揚輝荘座敷は、現在修復中のため非公開となっている。
聴松閣は、ハーフティンバーの外壁など山荘風のつくり。地上2階、地下1階からなり、各室さまざまな国の様式がミックスされているのがポイントだ。
祐民が中国で買ってきたと言われる虎の置物がある玄関・車寄せから入り、1階は旧食堂と旧居間、旧サンルームがある。なかでも、現在喫茶室として飲食ができる旧食堂は、幅の違う板を斜め貼りにしてリズム感を出した壁や、名栗(なぐり)といわれる加工が施された床、先にも述べた祐民のコレクションの瓦をはめこんだ暖炉など、細かく建築の見どころが詰まっている。
2階は旧書斎と旧応接室、旧寝室、旧サンルームが洋風。そして建物唯一の和室だった旧更衣室がある。ここも階段手摺に施された透かし彫りをはじめ、当時の新建材だったプラスチックタイルの床、ステンドグラス調のガラス戸など、匠の技が随所に見られる。
そして、旧舞踏場がある地階はインド様式。舞踏場の窓ガラスにはヒマラヤ連峰のガラス彫刻があり、柱にはインドのアーグラ宮殿で見られる模様、ホールの壁画は当時のインドからの留学生によって描かれたインド・アジャンタ石窟の絵。
聴松閣の設計は、祐民が竹中工務店に依頼した。建物について揚輝荘スタッフの方にお話しを伺った。「ここは祐民の集大成なんです。1937(昭和12)年に建築され、祐民は1940(昭和15)年に亡くなっていますから。思いがすべて入っているんです」とのこと。ここができるまでは北園の伴華楼が迎賓館だった。
さらに、「いろんなところに匠の技が使われていて、今の宮大工さんでもこんな仕事はできないのではというほど、非常に繊細な仕事が施されています。2階は和洋折衷で中国間やインド間がありますが、帝国ホテルを模したと言われています。また、建設前に祐民がインド仏跡旅行に出かけ、帰ってきた時には地階の設計図は出来上がっていたのですが、変更するように指示したんです」。
思いの丈が詰まった建物で、多くの客をもてなしたというわけだ。
今では地区の住民のコミュニティの場に
(写真上)好きだと思った場所をインスタントカメラで撮影。冊子に貼り付けて、思い出に(写真下)プラ板で気に入ったデザインを写し取る(文化財など貴重なものにペンで書いてしまわないよう、紙の枠も作って保護)。切り取り方の工夫が興味深かったイベントでは、建築デザインを探すほかに、気に入った場所をインスタントカメラで撮影することと、北園の好きなデザインをプラ板(ばん)に写し取る作業も。プラ板とは、プラスチック製の薄い板に絵を描き、オーブントースターなどで温めて加工しキーホルダーなどにするもの。イベントでは、デザインを写し取るのみで、自宅に帰ってから仕上げるようにとのことだった。参加した子どもたちを見ていると、選ぶところは十人十色。プラ板に写し取るデザインも、角度を変えたり、一部だけ切り取ったり、みんな工夫をしていた。建築デザインをより身近に感じられる取り組みだったのではないかと思う。
最後に、揚輝荘の杉本館長からお話しがあった。
「揚輝荘の魅力はなんといいましても、大正から昭和にかけての近代建築と庭園です。この覚王山地区は名古屋市の中でも大変住みやすいまちといわれていますが、我々はNPO法人として、ただ単にここを管理・運営するだけではなく、地域の皆さんのコミュニティの場になればいいなという役割を感じています。そのために、イベントやセミナー、展示などを開催して、ぜひ多くの方に揚輝荘に来て、交流をしていただきたいと思っています。最近では、私たちが主催する以外に、住民のみなさんがイベントなどを開催するようにもなっており、これが本来の姿かなと思っています。揚輝荘は2018年で100周年を迎えました。100年のキャッチフレーズとして、次の100年に向けて飛躍しようとしています。ぜひ皆さんもその間に何回も揚輝荘に来てください」。
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今回のイベントは、建築デザインのおもしろさを子どもたちにも伝えるというもので、分かりやすくポイントが取り上げられていた。子どもたちが興味をもつことで、未来につながっていく。
また、最後の杉本館長のお話しにあった、歴史的価値のある建物が、まちのコミュニティの場になっているというのもすてきなことだと思った。多くのゲストをもてなした場所が、まちの交流拠点へ。ますます身近な場所として親しまれることを願う。
取材協力:日本建築学会 東海支部
揚輝荘 https://www.yokiso.jp/
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