貴族が生んだ家紋

家に代々伝わる家紋。2016年1月から放送されているNHK大河ドラマのタイトルバックになっている六文銭が、真田家の家紋であることは有名だろう。六文銭は三途の川の渡し賃だから、「いつ死んでも良い心の準備をした」という意思表明なのだ。
このように家紋には、その家の由来や家訓など、なにかしらの意味が籠められていることもあるのだが、いつごろから使われるようになったのだろう。
今回は、①家紋の歴史と成り立ち、②現代における家紋の使われ方の2回に分けてお届けする。

家の目印として「紋」が使われ出したのは平安時代と言われている。貴族たちは調度品にさまざまな紋様を入れ、美しくしつらえていたが、次第に家固有の紋様を使うようになっていった。たとえば御簾で中が見えない牛車は、豪華な飾りをつけたとしても、誰の持ち物かわからない。しかし家ごとの紋様をつければ、誰の持ち物なのか一目瞭然になるわけだ。だからこのころの家紋は、由来などの意味を籠めたものよりも、花や植物などの装飾的なものが多かったようだ。
これが家紋の始まりというわけである。

家の由来や家訓など、なにかしらの意味が籠められた家紋家の由来や家訓など、なにかしらの意味が籠められた家紋

武家の旗印として、そして庶民へ

屋根の両端を一段高くし、火災の延焼を防ぐために造られた「うだつ」屋根の両端を一段高くし、火災の延焼を防ぐために造られた「うだつ」

戦の時代が始まると、武家にも家紋が広がっていく。平安時代末期から激しい戦を繰り返した源氏と平氏が、それぞれに白旗と赤旗を目印としたことはよく知られている。旗印を見れば敵か味方か区別がつくし、戦局も一目でわかるのだ。
鎌倉時代以降、多くの武将が戦に加わるようになると、旗の色を決めるだけではなく、ほとんどの武家が家紋を持つようになる。戦局を知るだけなら敵味方の区別さえできれば良いが、戦の後に正しく論功行賞を行うには、どの武家の兵がどんな働きをしたか、正確に把握せねばならない。そこで「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれる人々が戦況を眺め、戦の後大将に報告していたとされている。その際、旗に書かれた家紋が目印として大きな意味を持ったのだ。
どんな家紋を選ぶかに制限はなく、自由に決めて良かったが、他家との区別ができねば意味がない。そこで、暗黙のうちに、他家のものと見間違えるような家紋を選ぶことはなかったようだ。そしてそのために、無数の家紋が誕生することになる。

江戸時代になると、庶民の間にも家紋が普及していく。当時武家や公家以外の庶民は、公的には苗字を持てなかったので、家紋や屋号を、「家」としての目印や標識として、苗字のように用いることも多かったようだ。
大店をかまえる商人など裕福な町人は、「うだつ」や「破風(はふ)」などに家紋を入れたから、古い民家を見る機会があれば、どこかに家紋が描きこまれていないか探してみてほしい。家紋に由緒などの意味が込められていることも多いので、その家がどんな商売をしていたか、またどんな歴史があるかわかることもあるだろう。

祭神によって種類が決まる場合が多い神紋・寺紋

三つ巴紋に見えるが、よく見ると茄子三つ。氏子から珍しい茄子が贈られたことに由来するという三つ巴紋に見えるが、よく見ると茄子三つ。氏子から珍しい茄子が贈られたことに由来するという

家紋によく似たものとして、神社の神紋や、寺院の寺紋がある。神社幕などに描かれていることが多いので、参拝の際には確認してみてほしい。
普及の時期は家紋と大きく変わらないと考えられているが、祭神によって種類が決まっている場合も多い。たとえば素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る神社の多くは、「五つ木瓜」と呼ばれる神紋を使っている。なぜこの紋が素戔嗚尊と結びついたのかは不明だが、キュウリを輪切りにした模様と似ているからと、神への供物としてキュウリが好まれるのは興味深い。
そして五つ木瓜と言えば、織田家の家紋としても知られている。実は織田氏は、素戔嗚尊を祭神とする剣神社(福井県)の神官家なのだ。天台宗の総本山である比叡山を焼き討ち、武田信玄への書状の中で、自らを第六天魔王と名乗った織田信長だが、素戔嗚尊への信仰だけは篤かったらしい。関西にはこの神を祀った神社が多いが、これは、信長の焼き討ちを免れるため、表向きの祭神を素戔嗚尊に変えた神社が多かったからだとも言われている。
また、寺院や神社の紋は特に、由来や歴史を反映したものが多い。例えば世界遺産の上賀茂神社や下鴨神社の紋は「賀茂葵」と呼ばれる葵を意匠化したものだが、古くから神事に葵を使ったことに由来するとされる。
また、比較的新しい神紋にも、おもしろい由緒を持つものがある。例えば大阪府にある開口神社は、氏子から一つの蔓になった三つの茄子が奉納されたことにちなんだ神紋だ。一見すると普通の三つ巴紋に見えるが、よく見ると巴がすべて茄子になっているのがわかるだろう。

家の成り立ちがわかる家紋

北条氏の家紋・三つ鱗北条氏の家紋・三つ鱗

武将が使った家紋にも、その家の成り立ちがわかるものがある。たとえば北条氏は「北条鱗」と呼ばれる家紋を使用している。この家紋は「三つ鱗」とも呼ばれるように、蛇の鱗三枚を意匠化したものだが、家紋に採用した理由として、面白い神話が伝わっている。
平安時代から鎌倉時代の武将で、鎌倉幕府の初代執権の北条時政が、子孫繁栄を祈って江の島弁財天に参篭していたとき、美しい女性が現れて、「そなたは前世で功徳を積んだので、その子孫は日本を支配するようになるだろう」と告げたとみると、たちまち大蛇にその姿を変え、海の中に消えたという。そしてその後には三つの鱗が残されていたため、これを家紋としたのだ。もちろんこれは史実ではなく、北条氏が弁財天と深い関係を持つ氏族であるとアピールする意味があったのだろう。
また、徳川家が三つ葉葵を紋所にしていたことは有名だろう。なぜこの紋を使用するようになったかには諸説あるが、上賀茂・下鴨神社の神官家でもある賀茂朝臣の血脈を引くからという説もある。

家の由来などを今に伝える家紋。次回は、現代における家紋の使われ方についてお届けしたい。