第1回目の【山手線の魅力を探る・巣鴨駅 1】とげぬき地蔵通りは江戸時代からの繁華街!では巣鴨の歴史について紹介しましたが、今回は「とげぬき地蔵通り」に象徴される「お年寄りの街」のイメージと、それ以外の表情を見せる巣鴨について調べてみました。
巣鴨はもともと、江戸時代の中山道の巣鴨立場としてにぎわった街でした。その巣鴨に変化が起こるのは明治時代半ばの1891年。それまで上野にあった高岩寺(とげぬき地蔵)が、巣鴨へ移転してきました。そして1903年、巣鴨駅が開業します。この2つのできごとが、巣鴨を大きく変えていきます。
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2010年に改装された巣鴨駅と駅ビルのアトレヴィ巣鴨
とげぬき地蔵高岩寺の移転と縁日
巣鴨地蔵通り商店街(以下、地蔵通り商店街)では4の日(4日・14日・24日)がとげぬき地蔵高岩寺の縁日。季節がよければ、まともに歩くのも難しいほどの混雑となります。
高岩寺はもともと上野にあったお寺で、明治時代に巣鴨へ移転してきました。移転の理由は上野駅の拡張工事による立ち退きでしたが、移転によって古くからの檀家と切り離されたこともあり、移転先の巣鴨の町との結びつきをより強固にすべく、縁日を始めたのです。
仏教のしきたりでは地蔵菩薩の縁日は24日だけなのですが、にぎやかしということもあって、4のつく日ということで「4日、14日、24日」に設定しました。当時の住職が上野に近い谷中の露天商の親分たちにも声をかけ、地域と一体となる縁日を演出してきたようです。
現在のところ、縁日の人出は、平日でおよそ1万5000人~2万人、土日はおよそ3万人~5万人。1月4日や5月4日といった、連休と縁日が重なる日は多くて10万人くらいといいます(巣鴨地蔵通り商店街振興組合調べ)。

縁日の人出でにぎわいを見せる地蔵通り商店街
巣鴨はいつ、「おばあちゃんの原宿」となったのか
「おばあちゃんの原宿」。このフレーズは意外に古く、1985年、原宿・竹下通りが若者でにぎわっていたことに対比させて、とげぬき地蔵縁日のにぎわいを、読売新聞がコラムで紹介したことが初出です。
そして1986年にNHKが「お年寄りの集まる町」ということで報道。もともと、とげぬき地蔵とその縁日は人気があったところでしたが、このNHKの報道がきっかけとなって、巣鴨がマスメディアに登場することが多くなりました。
駅から徒歩5分ほどの「地蔵通り商店街」。商店街の中ほどにある「とげぬき地蔵」こと高岩寺を中心とした門前街。ここが「おばあちゃんの原宿」です。

とげぬき地蔵高岩寺は1年を通じて参詣客でにぎわう
巣鴨駅の物件を探す 街の情報を見る おすすめ特集から住宅を探すシニアファッションの発信源
地蔵通り商店街では、多くの店舗が小規模な路面店で、基本的に対面販売であること、これが高齢者にとって心地のよい街となっているのではないかと思われます。
また、衣料品などの店舗の商品構成が中高年向き、というか昭和を感じさせるような品揃えではありますが、レトロな印象はありません。
むしろ、デパートなどでは売られていない、独特のデザインと豊富なサイズ、品ぞろえ、そして低価格でアピールし、中高年向けのファッションに特化したことで集客に成功しました。
巣鴨から発信された「開運の赤パンツ」は、全国的に知られるほどになっています。

店舗にあるのは赤い下着だけ。それでも客はひっきりなし
実は高齢者ばかりの街ではない
実際のところ、地蔵通りを訪れる人の大半が中高年というわけではないようです。
巣鴨地蔵通り商店街振興組合によると、地蔵通り商店街を訪ねる客のうち、60歳以上の人は3割程度。50代が2割、40代が2割、残りの3割は30代以下といいます。
「おばあちゃんの原宿」のイメージとは異なり、若年層も足を運んでいる街であることがわかります。
また、地蔵通りでは塩大福やあんパン、ソフトクリーム、たこ焼き、スイートポテトなどの人気ショップがあります。こうした食品を食べながら歩くのも人気がありますが、食べ歩きをしているのもその多くは若年層です。シニア世代は食べながら歩くことに抵抗があるのか、ベンチなどに腰を掛けて食べることが多いようです。
とげぬき地蔵通り周辺にある、グルメサイトなどで高評価の飲食店には常に行列ができていますが、並んでいる人々の多くは中高年ではなく若年層です。ただ、巣鴨名物のひとつ塩大福の店には老若男女関係なく行列をしています。

名物の塩大福に並ぶ行列
巣鴨駅の物件を探す 街の情報を見る おすすめ特集から住宅を探す巣鴨は下町ではなく山の手
地蔵通り商店街の街並みは、特に古い町並みということではありません。しかし、基本的に個人商店が中心のため、低層建築が多く、これがどこか懐かしさを感じさせる町並みを形成しており、この景観を守ることに地元では力を入れています。
各店舗の看板を見ても、アルファベットは非常に少なく、ひらがなや漢字が主。そして多くの店が対面販売で、客と店員との間に会話があります。
こうした印象からか、巣鴨は「下町」として紹介されることが少なくないのですが、歴史的にも地形的にも、巣鴨は「下町」ではなく「山の手」です。
特に巣鴨駅の南側の住宅街には、豪邸や瀟洒なマンションも目立ち、しゃれた雰囲気のレストランやスイーツの店なども点在。巣鴨が山の手である、との印象は濃くなります。
そう考えると、地蔵通り商店街は、山の手の人々が下町らしい庶民的な雰囲気を意識的に演出し、それが成功した商店街といえるかもしれません。
地蔵通りの街灯は、ソメイヨシノ発祥の地ということで桜の花をモチーフにした特注のデザイン。柱全体が光る塔のように輝き、独特の印象を見せます。
歩道と車道の間は段差を極力減らし、歩道部分にレンガタイルを敷き詰めることで歩道であることを強調したバリアフリーのものになっています。地蔵通りは「お年寄りの街」というより人に優しい街なのです。

歩道と車道の区別はアスファルトとレンガタイル。段差のないバリアフリーになっている
観光の街としての巣鴨と、住む街としての巣鴨

19時ころの地蔵通り。ほとんどの店が営業していないが、独特のデザインの街灯の光で真っ暗という印象はない。「店の閉店後も、通りは明るくする」というのが巣鴨地蔵通り商店街振興組合の基本方針という
巣鴨では地蔵通り商店街がクローズアップされることが多いのですが、巣鴨駅周辺は地蔵通りとはまた違った顔を持っています。巣鴨駅から地蔵通りへは徒歩5分ほどですが、わずか5分で街の性格が全く異なってしまうのです。
地蔵通り商店街と巣鴨駅周辺の大きな違いは、商店の閉店時刻と大規模小売店舗の有無です。
豊島区が『豊島区中心市街地活性化基本計画』で行なった調査によると、地蔵通り商店街を訪れた人の目的は「観光」が78.7%、「散歩・散策」39.3%、「買い物」24.6%(複数回答のため合計は100%を超える)で、観光や散策目的で訪れる人たちが圧倒的に多くなっています。
一方、同じ巣鴨エリアでも巣鴨駅周辺の数字を見ると、駅北口付近では地蔵通り商店街でトップだった「観光」は43.3%に減り、「買い物」が61.7%と突出します。これに続くのが、「飲食」の18.3%でした。「観光」の数値が高いのは、巣鴨駅北口がとげぬき地蔵へ向かう最寄り方面であること、ということでしょう。
とげぬき地蔵とは反対側となる巣鴨駅南口では「観光」は4.3%と激減し、「買い物」が34.8%でトップ、以下「飲食」「仕事」などが続きます。
こうした数値は、地蔵通り商店街の商店が、主として観光客をターゲットにしており、近隣住民への商業という役割は駅周辺に譲っている、ということも示しています。
地蔵通りの商店は閉店時刻が早く、17時~18時ころにはほとんどの店がシャッターを下ろします。これも日中訪れる観光客を相手にしていることの現れ。山手線の沿線ではもっとも夜が早い街、といっていいでしょう。一方の巣鴨駅周辺は、深夜まで営業する店が少なくありません。
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地域住民の街は巣鴨駅周辺に
巣鴨駅周辺には、大型商業施設として、巣鴨駅に5階建・延床面積2898m2の駅ビル・アトレヴィ巣鴨が付設し、駅北口には西友巣鴨店があります。西友巣鴨店は家電や衣料品、寝具、家具なども扱う売場面積5390m2の大型店舗です。南口には売場面積約1500m2のサミットストア巣鴨店があります。
一方、地蔵通りには大規模店舗はなく、食品中心の小規模なスーパーマーケットが2店舗と、コンビニエンスストアが3店舗。
地蔵通り周辺住民のちょっとした買い物はこれらの小規模スーパーやコンビニがまかなっていますが、巣鴨エリア全体でみると、巣鴨駅周辺の大規模小売店舗や飲食店が、住民の日常の買い物や外食などの場となっている、ということなのでしょう。
巣鴨は、「観光の街」であるとげぬき地蔵通り周辺と、近隣住民が買い物や外食をする巣鴨駅周辺と、2つの顔を持つ街なのです。

地蔵通り商店街入口から巣鴨駅方面を望む。写真中央奥の白い建物が巣鴨駅。道路は国道17号線で、ビジネスホテルや飲食店などが軒を連ねる
巣鴨の地名の由来は本当に鴨の巣?
巣鴨の地名については、川や池があってカモが多く巣を作っていたから、というふうにいわれています。しかし、たとえば大手町にカルガモが巣を作ったことで話題になるのは現代だからであって、江戸時代以前であればカモの巣はあちこちにごく普通にあったと思われますから、それが地名の由来になるとは思えません。
しかも、巣鴨はどちらかというと高台の地形のため、現在の巣鴨駅周辺には川や池はありません。古地図によれば、巣鴨には谷田川という川が流れていたことがわかっています。
現在の染井霊園のあたりを水源として、駒込駅の東側を流れ、根津(文京区)付近で藍染川と名前を変え、上野不忍池へ注ぎ、蔵前のあたりで隅田川に合流する川です。しかし、巣鴨はこの川の源流付近のため、水量も多くはなかったと想像され、野生のカモが巣をつくっていたとは想像しにくいのです。
古い文献には「菅面」の文宇があり、鳥類の「カモ」とは関係のない地名だったことも考えられます。「菅面」であれば、一面にスゲ(水辺に生える植物で、菅笠などの原料になった)が生い茂った湿地、ということになります。巣鴨の地名は「菅」の生える湿地、ということが語源だったのかもしれません。
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更新日: / 公開日:2017.01.28










