池袋の隣駅である「目白」駅。池袋が複数の路線が行き交うビッグターミナルであるのに対し、目白は山手線しか停車しない駅です。そうした特徴のある目白駅は、どんな歴史を秘めているのでしょうか。

1857(安政4)年『雑司ヶ谷音羽絵図』(部分)。図の左中央から右下へ延びるのが現在の目白通り。図の左端中央やや下の「酒井永次郎」とある辺りが現在の目白駅付近。「新見豊前守」「大久保甚四郎」の屋敷は現在の学習院大学。図の中央下部、「溝口又十郎」「中沢平馬」「本住寺」などの場所が現在の日本女子大学

目白は山手線のなかでも数少ない、地名に由来しない駅名です。1857(安政4)年の切絵図で現在の目白駅周辺を見ると、付近の地名は「下高田村」「雑司ヶ谷村」であり、現在の目白通り沿いには町場として「下雑司ヶ谷町」「高田四家町」がありますが、「目白」の地名は見当たりません。また、現在「目白台」と呼ばれる辺りは「関口臺」となっています。

 

1829(文政12)年に刊行された徳川幕府による江戸の地誌『御府内備考』にも、地名としての目白は記述が見られません。ただ、「里俗小名」(その地方の限られたエリアの俗称)として「目白不動」の記述が見られるだけです。つまり、「目白」は、江戸時代にはなかった地名ということになります。

 

目白駅は日本鉄道品川線の途中駅として1885(明治18)年3月16日に開業しました。品川線の開業がこれに先立つ同年の3月1日。おそらく目白駅も鉄道の開業と同時開業という計画だったのでしょうが、何らかの事情で半月ばかり遅れた、ということでしょう。それよりも興味深いのは、なぜこの場所に駅を設けたのかということです。

 

当初、品川~赤羽間に設置された駅は、目白のほかは目黒、渋谷、新宿、板橋の4駅。目黒は、江戸時代から江戸の郊外を代表する行楽地だった目黒不動の門前町。渋谷は、大山街道の立場(たてば=休憩所)としてにぎわった地。新宿は、江戸五街道のひとつ甲州道中の宿場町。板橋は、中山道最大の宿場町として繁華だった地。

 

いずれも交通の要所で、駅の設置により旅客や貨物の輸送量増加を見込むことができる場所です。しかし、目白駅は、清土通り(後の目白通り)と接続するとはいえ、清土通りは中山道や甲州道中、大山街道と比べると交通量は多くありません。実際のところ、当時の目白周辺は、大名屋敷跡と田畑が広がるのどかな地で、鉄道とは無縁の印象がある土地だったのです。

 

実は、目白駅誕生の背景には、住民の熱心な誘致運動がありました。駅を設置してほしいという願書が近隣の村々から数多く出されたのです。それも、地元である高田村や高田千登世村、雑司ヶ谷村などはもとより、上板橋村、練馬村、石神井村など、現代の感覚では地元とは言い難いエリアからも願書が提出されています。

 

JR目白駅前の目白通り(都道8号線)

 

注目したいのは、鉄道誘致の趣旨。清土通りが府下と府内(東京郊外と東京中心部)を結ぶ重要な幹線であることを主張し、駅からの距離が遠くとも、新駅の誕生によって清土通り沿いの練馬村や石神井村までもがその恩恵を受けられることを述べています。そして、これらの村に桑畑や茶畑が多く、生糸や茶の生産地であることも述べています。

 

そもそも日本鉄道品川線は、当時の国策企業であった富岡製糸場の製品を輸出するため、高崎線~赤羽~品川~東海道線と経由して横浜へ貨物輸送をすることが、計画当初からの目的のひとつでした。

 

そして当時横浜港から輸出される日本製品の主たる品は、生糸と茶葉だったのです。その2大輸出品の生産地による鉄道誘致運動だったわけで、これは強烈なアピールだったと想像できます。

前出の『雑司ヶ谷音羽絵図』より。目白駅の位置となる酒井永次郎屋敷は図の左上。図の右側を上下に貫くのが音羽通りで、図の下を左右に流れるのが神田川。音羽通りが神田川と交差する辺りが江戸川橋で、そこから少し左へ行った川沿い、イラスト入りで紹介されているのが目白不動。図中にはほかに「目白」の表記はない

こうした事情が駅名の決定に影響したのかはわかりません。しかし、誕生した駅の名称は、「雑司ヶ谷」「高田」といった近隣の地名とは無縁となり、「目白不動」から採用したとされる「目白」になりました。

 

この目白不動は、新長谷寺という寺院にあった仏像の俗称。新長谷寺の不動堂に祀られていた不動明王が、徳川3代将軍家光によって江戸を鎮護する五色不動(目黒、目白、目赤、目青、目黄)のひとつ、「目白不動」とされたことによるものです。新長谷寺があった場所は、現在の東京メトロ有楽町線江戸川橋駅の近く。目白駅からは直線距離で2㎞以上も離れています。

 

これは想像ですが、新駅を利用する養蚕農家や茶産農家は広範囲にわたるため、仮に「高田」駅にした場合は雑司ヶ谷村をはじめ駅名に採用されなかった地域からのクレームが予想されました。生糸や茶葉の輸出は国策にもかかわることですから、特定の地名が駅名となり、該当する地名の農家だけが有利になって、駅名に採用された地域とされなかった地域との間に軋轢が生じることが懸念されたのではないでしょうか。

 

そうして、地名とは直接結びつかない名称として、「目白」が注目されたのでしょう。「目白」は地名ではないとはいえ徳川3代将軍ゆかりの不動尊を指し、さらに同時開業する「目黒」と不動つながりで関連がありました。

 

余談ですが、「目黒」は古い地名で、目黒の地に祀られた不動明王が、「目黒不動」と呼ばれるようになったものです。これに対し、「目白不動」は地名と無関係に存在していました。それが、おそらく地元の人々にも耳新しい「目白」という駅名に採用され、その後、次第に駅周辺にも「目白」という新しい地名が広がっていったのでしょう。

写真左:目白通りから駅西側の道へ下りる階段。2019年夏に撤去された。写真右:左の写真の階段を下りたところ。この辺りにかつて改札口があった

目白駅の新設にあたっては、課題がひとつありました。新駅は、清土通りを運ばれてくる農産物を貨物列車に積み替えることが前提ですから、清土通りに接続する場所に設けなければならないということです。清土通りは武蔵野台地の南端を通っており、標高およそ31m。ところがすぐ南側は神田川の洪積低地が広がっていて、こちらは標高10mくらい。わずかな距離でこの標高差をクリアしなければならないのです。

 

結果的には、新宿駅の北側から築堤して高架線とし、目白に向かって少しずつ高度を上げていくという工事になりました。こうしてできた目白駅は、駅の南端は周囲の標高とほぼ同じ、一方で駅の北端は階段を上って清土通りに出るという、低地と台地のはざまに位置することになったのです。

 

開業した当初、目白駅は現在より小さなホームでした。そして改札口は現在の目白駅の西側の道路に面していたのです。清土通りからは駅西側にあった階段を下りると改札口となっていました。この階段は、通行禁止の階段として、少し前まで目白駅前広場の西側に残っていましたが、2019年夏に工事があって撤去されました。

駅のホームから駅事務室などがある建物を見ると、線路をまたぐ橋の上に駅舎がある

こうした状況が変わるのが1919(大正8)年。駅改築工事が行われ、ホームから階段を上った先、目白通りに面して改札が設けられたのです。これは、日本で最初の橋上駅となります。

 

橋上駅とは、ホームをまたぐ橋の上に改札口や駅事務所が設けられた形式。た、あえて橋の上に駅を設けた、ということではなく、旧清土通りすなわち目白通りと同じ高さに駅の出入り口を設けることが目的だったようです。

 

現在の目白通りから目白駅を見ると、よく見かける形式の地上駅のようで、橋上駅とは気づきにくい駅舎になっています。

目白通りから駅舎を見ると、橋上駅とは思えず、一般的な地上駅に見える

こうした台地と低地のはざまにあることから、目白駅は山手線内の駅としては珍しい、他のJR線や私鉄・地下鉄線と接続がない駅になっています。

 

他の路線と接続がない駅を単独駅といい、山手線全29駅のなかで目白のほか、新大久保が単独駅となっています。

 

ただ、新大久保駅はJR総武線の大久保駅が徒歩圏内であるのに対し、目白駅は徒歩圏内に他線の駅は皆無。純粋な単独駅となっているのです。

 

現在は単独駅の目白駅ですが、一時期、ターミナル駅になることを想定されていたことがあります。

 

日本鉄道品川線が開業した1885(明治18)年、日本鉄道には、品川線のほか、現在の東北本線・高崎線の前身となる上野~熊谷間の日本鉄道本線がありました。そして、明治の半ばごろ、日本鉄道本線の田端駅と、品川線の駅を結んで「豊島線」とする計画が立てられたのです。この豊島線計画で分岐駅の候補となったのが、目白駅でした。

 

しかし、目白駅が切り通しの谷底に造られていたため、谷底の限られた土地にさらに新しいホームと線路を建設するのは困難が予想されたこと、また新線の建設については地元住民の反対運動が起きていたことなどが理由となって、計画は中断しました。

 

結論から言うと、このターミナル駅は、品川線既存の駅を利用するのではなく、新駅を建設することとなりました。そうして新しく建設されたのが、現在の池袋駅となるのです。

 

新駅候補地となった池袋にはすでに信号所があったため、信号所の敷地を利用でき、目白とは違って周辺の土地が平坦で、工事がしやすいというメリットがありました。さらに当時の池袋は寒村で住民が少なく、反対運動がほとんどなかったのです。

 

こうしたことから池袋駅を豊島線との分岐駅にすることが決定しましたが、もし、状況が違っていれば、目白は巨大なターミナル駅となって、駅周辺は池袋のような繁華街になっていた可能性もあったのです。

 

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