2020年3月14日、山手線に49年ぶりに新駅ができました。高輪ゲートウェイ駅。

品川~田町間、田町駅から約1.3km、品川駅から約0.9kmの場所に位置する山手線30番目の駅です。

開業前から話題になっており、開業後は多くの人々が新駅を訪ねて、駅そのものが観光地のような状況にもなっています。とはいえ、今回の開業は暫定開業であり、本開業は2024年を予定しています。

今回はそんな高輪ゲートウェイ駅の話題を、歴史的な観点を含めて紹介していきましょう。

1886(明治19)年の迅速測図。鉄道線の東側には海と砂浜しかない

「高輪ゲートウェイ駅の周辺には何もない」といったことがネット上ではいわれています。それも当然といえば当然で、駅のある場所は、都心では非常にまれな市街地として開発されてこなかった場所なのです。さらにさかのぼれば、明治時代初期まではこの場所は海でした。

 

上の図は1886(明治19)年の「迅速測図(じんそくそくず)」です。これを見ると、1872(明治5)年に開通した東海道線も掲載されていますが、高輪ゲートウェイ駅の位置は線路の位置より海側の海岸になります。

 

日本最初の鉄道である東海道線の新橋~品川間は、反対運動や用地買収などいくつかの問題があって、海上に築堤を設けてそこにレールを敷くという工法がとられました。

 

この結果、江戸時代の海岸線であった東海道に沿って道路際の海上に鉄道線が設けられたのです。こうした状態が鉄道開業当初から数十年続き、その後、次第に海側の埋め立てが進んでいきました。

 

1919(大正8)年の国土地理院地形図。鉄道線の海側が埋め立てられ、複数の引き込み線が見られる

1886年の迅速測図では鉄道線の東側は海でしたが、33年後の1919(大正8)年には埋め立てが始まっていて、埋め立て地に鉄道の引き込み線があるのが分かります。

 

1947(昭和22)年の国土地理院地形図。海側の埋め立てが進んでいるのが分かる。ただ、線路の西側ほど市街地化は進んでいないようだ

そして1947(昭和22)年には埋め立てがさらに進み、線路の東側はすでに市街地化されているように思われます。しかし、2020年現在、高輪ゲートウェイ駅のある場所は、引き込み線があるだけです。

高輪ゲートウェイ駅から眺めるJRの車両センター。特急列車などの車両が数多く見られる。将来的にはここも再開発されて市街地となる

その後、現在高輪ゲートウェイ駅がある場所の一帯は、鉄道省(のちの国鉄、現在のJR)の車両基地になり、貨物線が通り、そしてJR東日本の車両基地(東京総合車両センター)になっていました。

 

鉄道ファンにとってはこの車両基地の眺めは壮大で、以前は脇を通過する新幹線の車窓から、鉄道車両が並ぶさまを眺めることができる人気スポットでもありました。

 

しかし、ブルートレインの廃止や、湘南新宿ライン・上野東京ライン開業などの理由から、都心周辺に鉄道車両を留め置きしておく必要性が大幅に減少しました。すなわち、車両基地に留め置く車両が減り、車両基地のスペースに余裕が生じることになったのです。

車両基地の土地を活用すべく「グローバルゲートウェイ品川」を計画

 

こうしたことを受け、JR東日本は車両基地の土地を活用すべく「グローバルゲートウェイ品川」を計画。車両基地を含む品川駅~田町駅間の広大なエリアの都市開発計画であり、その一環として、再開発エリアの拠点となる新駅を建設することになったのです。

 

計画では、2024年に高輪ゲートウェイ駅の本開業、それに合わせて駅の東側の再開発を完了、2027年ごろには品川駅地下のリニア中央新幹線駅の開業を前提とした品川駅の大規模改装に伴って、品川駅北口改札の新設、さらに周辺から高輪ゲートウェイ駅付近までの再開発を行うことになっています。

 

現在東海道新幹線の停車駅である品川駅が、リニアモーターカーのターミナル駅となり、さらに羽田空港へのアクセスも期待される国際交流拠点の玄関口となっていくこと、それを受けて周辺の再開発を目指しているのが「グローバルゲートウェイ品川」計画であり、その拠点のひとつとなるのがこの高輪ゲートウェイ駅なのです。

高輪ゲートウェイ駅は大規模再開発計画の一翼を担った駅

 

駅の周辺は明治の埋め立て以来車両基地となっていた土地ですから、更地にもしやすく、都市開発の点から見れば、都心なので利用価値は無限大といえるでしょう。

 

つまり、高輪ゲートウェイ駅は、地域の住民などのニーズによって誕生した駅ではなく、大規模都市開発計画のなかで、品川~田町地区の再開発を加速させる目的もあって暫定開業した駅といえるのです。

 

山手線の駅名は地域の歴史などに基づくものが多く、「高輪ゲートウェイ」という駅名は山手線の駅名としては耳慣れないもので、異例といえます。駅名決定の際にはインターネット上でも論議がありました。

 

しかし、この駅が「グローバルゲートウェイ品川」という大規模再開発計画の一翼を担っている駅であることを考えれば、ある意味、合点がいくネーミングともいえるのでしょう。

半透明の膜屋根というこれまでなかった駅舎。非対称のデザインも独特。写真は2階のコンコースで、階段・エスカレーターを下りると山手線・京浜東北線のホームとなる

さて、高輪ゲートウェイ駅ですが、報道などで知られているように駅舎の設計は建築家の隈研吾(くまけんご)氏。

 

訪日外国人を出迎える国際交流拠点の玄関口として「和」を感じられるデザインが基調になっています。外観として特徴的な大屋根は折り紙がモチーフ。中から天井を見上げると膜屋根が障子のように外光をやわらかに拡散していることが分かります。

 

JR東日本によると、この膜屋根は、熱を反射し、光を透過するので、夏には内部の温度上昇を抑え、また日中には照明電力の消費量を減少する働きをする、とのことです。構内は日本の駅としては珍しい吹き抜け構造で、プラットホームからもこの天井を見ることができます。

 

自動販売機スペース。床や壁、天井とすべてが板張り。とてもJRの駅構内とは思えない空間。ちなみに奥は男性用トイレ

また、国産木材をふんだんに取り入れた設計で、床や壁、天井が基本的に木製になっています。

 

コンコースから見下ろす山手線ホーム。写真では分かりにくいが、床面は板張りになっている

プラットホームも、足元を見ると床が木製。

 

山手線ホームの車いす優先表示。非常に目立つ表示で、この部分だけホームが張り出していてホームと電車との隙間が少なくなっている。おそらく近い将来にはJR東日本の標準となるはず。ちなみに表示ホーム床面は板張りだ

山手線はもとより、国内でも極めて異例の、木造デザインのプラットホームになっているのです。

明朝体で表示された駅名

駅名標の書体は明朝体が採用されています。これも隈研吾氏のアイデア。明朝体は日本人になじみの深い書体で、書籍や雑誌などの本文は、基本的に明朝体が用いられます。

 

一方で明朝体の文字は「目立ちにくい」という難点があり、タイトルや見出しなどにはほとんど用いられることはありません。こうしたことから、「目立ちやすい」「読みやすい」ということで駅名票にはゴシック系の書体が使われることが一般的でした。

 

しかし今回は、和風を意識した駅舎デザインとの親和性が高いとされ、あえて明朝体が使用されています。高輪駅を訪れたなら、改札口の上部にある明朝体の駅名表示にも着目していただければと思います。

 

高輪ゲートウェイ駅には、「乗り換え案内」として都営浅草線の泉岳寺駅が表示されています。泉岳寺駅までは実測で約270m、徒歩約3分強の距離。

 

都営地下鉄では、今後の泉岳寺駅の乗り換え需要の増大を見込んで、泉岳寺駅ホームの拡幅工事に着手しており、現在、急ピッチで工事が進んでいます。

高輪ゲートウェイ駅の駅前風景

現在の高輪ゲートウェイ駅には改札口が西側の1ヶ所しかありません。駅の東側には出られないのです。もともとこのエリアはJRの車両基地という広大なスペースだったので、横断するルートはほとんどありませんでした。

 

実際、この周辺で鉄道線を横断して山手線の東側から西側へ移動するとなると、主なルートは品川駅の南側にある八ツ山橋交差点か、田町駅近くの札の辻交差点しかありません。その間の距離は約2.4km。気軽に回り道ができる距離とは言いにくいでしょう。

 

線路の東西を結ぶ通路としては、ほかには地下鉄泉岳寺駅の近くの高輪橋架道橋があります。線路をくぐるガードで、山手線と京浜東北線、東海道本線のほか、田町車両センターの多数の引き込み線をくぐります。

 

このガードは2020年4月まで、線路の西側から東側への一方通行で自動車も通行でき、タクシーなどが抜け道として使っていました。

プリウスの車高でも天井ぎりぎりの印象がある「行燈殺しのガード」(2015年 筆者撮影)

このガードで自動車の通行が可能だった当時、車の高さ制限は、なんと1.5m。

 

タクシーの屋根にのせた社名表示灯(通称は行燈(あんどん))が天井にぶつかって壊れてしまうことがあるため「行燈殺しのガード」とも呼ばれるほどだったのです。

 

三代歌川広重「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」。海岸沿いに築堤を設け、その上に鉄道を敷設したことが分かる。画中の左に描かれた築堤にある、鉄道線をくぐる水路が複数箇所に設けられたようで、そのひとつが高輪橋架道橋の前身と思われる

実はこのガード、このエリアならではの歴史を持っています。

 

明治期に東海道線が開通した当時、海上に築堤を設けてそこに線路を敷設したことは述べましたが、この築堤によって海岸と海とが隔てられてしまうことを防ぐため、築堤に舟が通行できる水路が設けられました。その水路跡のひとつがここ高輪橋架道橋なのです。

 

高輪橋架道橋。工事中で歩行者専用通路となっている

ガードは現在、歩行者専用となっています。高輪ゲートウェイ駅開業に伴う周辺開発によって、このガードは廃止される計画となっているようです。

 

それもあって2020年4月からは自動車通行禁止になりましたが、歩行者にとってはこの通路が失われるのは死活問題にも等しいため、高輪ゲートウェイ駅の東西連絡通路が完成するまでは歩行者専用通路として使われるようです。

 

高輪ゲートウェイ駅周辺は歴史的には比較的新しいエリアですが、駅の陸側、高輪地区には歴史を伝えるスポットが数多く点在しています。次回は駅の陸側周辺を中心に紹介していきます。

公開日: