第5消費の予兆を考えると公園的なものになっちゃう

建築家の馬場正尊さんは、東京R不動産をはじめとして、雑誌『A』の編集、リノベーション、リパブリックといった新しい都市と建築のコンセプト提案と実践で知られている。
その馬場さんが新たに打ち出したコンセプトが「パークナイズ(公園化)」である。馬場さんは「都市は公園になりたがっている」という。その意味を解読すべく三浦が対談をお願いした。

三浦は消費社会研究を通じて日本社会の格差拡大、シェア、コミュニティなどについて考えてきたが、近年はコロナ禍以降の社会変化を踏まえて「第5の消費」というコンセプトを提案している。
そのコンセプトとパークナイズには符合するところがあると三浦は考えたのだ。

OpenA+公共R不動産 編。「パークナイズ 公園化する都市」OpenA+公共R不動産 編。「パークナイズ 公園化する都市」

三浦:今日は馬場さんの新刊『パークナイズ 公園化する都市』についてインタビューします。本が出るという告知をFacebookで見てすぐに、これは気になるな、早く読みたいと思いまして、さらに本を読んでみて、私が日頃中国の方に講演している消費論とも共通する視点があると思いましたのでインタビューをお願いした次第です。

馬場:中国の方への講演は多いんですか。

三浦:2024年は50回以上。中国に行くのは3,4回で、あとは彼らが研修旅行で来日する一環として私の話を聞く。『第四の消費』の翻訳が2014年に出て17年から売れ始め、コロナ禍後景気後退したので、本の内容が実感を持って読めるようになったらしくて、さらに売れるようになり講演も増えました。そこで彼らに今後の日本の消費社会のキーワードとして話しているのが、スロー、スモール、ソフト、センシュアスなどで、パークナイズはまさにそれらのキーワードを包含している。

馬場:そうですねえ。

三浦:今日のテーマに合わせて時代区分をすると、第1・第2消費社会はアーバナイズの時代、第3消費社会はサバーバナイズの時代、金妻時代ですね、豊かな郊外生活が実現した。第4消費社会はショッピングモーライズの時代、サバーバナイズが日本中に広がって商店街が壊滅。パブリックな空間が消滅したという指摘もされた。だからこそ馬場さんの「リ・パブリック」という発想も出てきた。そして第5消費社会がパークナイズの時代、となる。

馬場:なるほど。符合しますね。

三浦:私が中国人に第5消費の事例として紹介するのも『パークナイズ』にも出ている下北沢ボーナストラックとか、立川のグリーンスプリングスとか、世田谷のQ‘sガーデンとか、公園的なものが多い。物じゃないんよね。ディズニーランドのようなテーマパークみたいな娯楽でもない。何となく気持ちの良い場所みたいなものが事例になっちゃう。

馬場:そうだよなあ。消費じゃない。

三浦:それと関連して、三菱総合研究所生活者市場予測システムの3万人アンケートを集計すると、住みたい街にチェーン店以外に個人商店や商店街が充実していることを重視する人は若い人ほど多いんです。昭和のおじさんほどノスタルジーで商店街重視かと思ったら逆なんです。若い人ほどチェーン店で食べて買い物をして暮らしているけど、だからこそもうチェーン店には関心はなく、個人商店や商店街に関心が向かう。学生にインタビューしてみたけど、具体的にこんな店が欲しいというのではないが、なんとなく古い店でおばあちゃんがコロッケ揚げているみたいな風景が見えることが街に求められているようです。巣鴨のおばあちゃんの原宿に若いカップルが行くのも買い物のためじゃないですよね。なんとなく歩くのが楽しい。パークとしての商店街と言えるかもしれない。

馬場:そうだ。

OpenA+公共R不動産 編。「パークナイズ 公園化する都市」若い人ほど、住みたい街について -チェーン店以外の地元の個人商店や商店街が充実している ことを重視している  資料:三菱総合研究所 生活者市場予測システム2024年

いつ誰がどうしてパークナイズを求めたのか?

三浦:さて、そこで、この本では「都市が公園化したがっている」という馬場さん一流のレトリックが使われていますが、まあ、科学的に考えて都市が公園になりたがるはずはないので(笑)、やはり国交省だか誰かが公園を作りたがっているか、誰かが公園を欲しがっているかだと思うのですが。いつ誰がどうしてパークナイズを求めたか、という点についてどう思いますか。

馬場:いろんな立場のいろんな人の意志の集合体のようなものとしてパークナイズが起こったと思うんです。たとえば個人レベルでは、R不動産を始めたときはレトロなマンションが好きみたいな人が多かったのが、最近は窓から見える緑とか、広いベランダとか、部屋に植物を並べるとか、そういうものへの憧れが強まってきたなという感じがしたのが1つですね。
他方企業やデベロッパーも、パークPFIみたいなものもあり、公園のような空間を持っていたり、そこをオペレーションしたりすることへの関心を持ち始め、そのことが経済価値以外の価値を持つということを如実に感じ始めている。だからワークスペースにも植物をたくさん置くようになっている。それは従業員の快適さや企業のブランドイメージや再開発のイメージアップもあるけど、そういうもろもろのことが一体となって、集団意志として「都市が公園化したがっている」という表現になっていったんです。
最初は「自然化」という言葉も考えたんだけど、自然に戻るわけじゃないし、ワイルドな自然は求めてない。ある程度コントロールされた自然というか、気持ちの良い自然を求めている。それで公園という言葉になっていった、というところかなあ。

馬場正尊さん馬場正尊さん

人々が公園化を求め始めたきっかけがフリマとジベタリアンじゃないか

三浦:とても真摯にお答え頂いたのに、茶化すようなことを言いたいので申し訳ありませんが、僕は人々が公園化を求め始めた象徴的なことは何だと考えるかというと、フリマとジベタリアンなんです。

馬場:わはは。そう来たかー。

三浦:馬場さんは今個人と企業の両面から話してくれて、そのどちらでもない集団的な意志が公園化だと話してくれましたが、僕はやはり個人が先だったと思っていて、その心理の最初の表れがフリマとジベタリアン。コンビニの前に座り込んで飲食するのは行儀は悪いが、都市を公園にしたいという心理だったかもしれない。当時は都市を自分の部屋の延長にしたいと解釈したのですが、そういう動きが90年代末にありました。井の頭公園にフリマが急増したのが98年で、あのころ新しい動きがどんどん出ていたでしょ?

馬場:おー、『A』の創刊が98年です。(注1)

三浦:あ、そうか。『アクロス』の休刊も98年です。(注2)

馬場:わー、消費社会が終わったんだ。

1990年代末から路上に座り込む若者が増えた1990年代末から路上に座り込む若者が増えた

三浦:あのころ、もっと都市を自由に使おうという動きが出てきたんじゃないかな。表参道の角にGAPの入ったビルがあって、入口の階段に若者が座り込んでいたでしょ。あれもそれまではない光景だった。リラックスしてスローで、いい感じだったよね。階段を設計した人は、そこに座らせようと思ったかわかりませんが。

馬場:スペイン階段みたいなイメージもあったんじゃないかな。

三浦:井の頭公園のフリマも98年から3,4年は自由にやっていて、その後東京都の許可制になったけど、最初は自分の作った帽子や描いた絵を売ったりして、とても自由な感じだった。フリマを見ながら歩いている人が、みんな幸せそうだなあって言っていたのが印象的でした。

馬場:そうだよねえ。

三浦:そういえば『アクロス』休刊パーティは高円寺でやったんだ。

馬場:え、そうなんだ。

三浦:98年は僕が高円寺に目覚めた年でもある。マニュアル・オブ・エラーズっていう変なレコード屋があったんです。

馬場:知ってる。古いビルの3階くらいでしょ。僕、その頃、そのレコード屋のビルの1階のカレー屋を設計した。

三浦:えー、そうなの。馬場さんも高円寺とつながっていたのか。

馬場:そうなんです。面白かったなあ、あの頃の高円寺は。しょっちゅう現場に通ってたし、その後は沖縄料理の「抱瓶」に行って飲んで。

三浦:それでそのレコード屋に行くために、丸ノ内線の新高円寺駅で降りて、ルック商店街を歩いたんだけど、それは13年ぶりのことでね。1985年はもう完全に古い商店街だったのに、98年は古着屋街に変わっていて、それが何とも楽しくて、あ、時代が変わったんだと激しく感動しました。80年代の渋谷公園通りでマーケティングをしていた人間からすると、バブル崩壊後の時代の価値観の変化をはっきりと見せてくれたのが高円寺とフリマとジベタリアン。だから休刊パーティは高円寺のカフェでしたんです。

1990年代末から路上に座り込む若者が増えた1998年頃の井の頭公園のフリマ(三浦展撮影)

世紀末後の都市はドロドロして軽くてふわっとしたポップなもの

馬場:そうかあ。何だか記憶を呼び起こされた感じがするんですが、僕は20世紀の世紀末は1995年だと思うんです。阪神淡路大震災とオウムのサリン事件ですね。これで近代建築や近代都市への信頼が激しく失われたんです。その後、全然違うところからデザインや建築を考えなきゃっていう気持ちが本能的に出てきた。それから3年経って98年に僕は会社を休職して『A』を創刊したんですが、その1号の特集が「パルプシティ」なんです。

三浦:そうでしたか!

1998年、雑誌『A』創刊号 特集「パルプシティ」1998年、雑誌『A』創刊号 特集「パルプシティ」

馬場:映画の「パルプシティ」から取ったんですけど、都市はしっかりしていない何かだという考えだったんです。ドロドロしているんだけど、嫌な感じじゃなくて、軽くてふわっとしたポップなものというイメージ。世紀末後の都市のイメージを捉えたくて考えたんです。

三浦:僕は99年3月に三菱総研を辞めるんだけど、98年の夏頃にはもう辞めるって会社に言ってあって、副業をすでに始めていた。新聞連載コラムも書いたし、『東京人』に記事も書いた。雑誌『10+1』の編集をしていたメディアデザイン研究所が乃村工藝社のホームページを作っていて、そこで「’98東京スカスカ空間」という記事を書きました。まさにパルプシティです。98年に裏原宿を歩いていて、なんだかスカスカしているなあと思ったの。

馬場:そうかあ、パルプだ。なるほど、面白い。

三浦:パークナイズの原点はパルプナイズ。

馬場:わははは。

1998年、雑誌『A』創刊号 特集「パルプシティ」1998年に三浦が乃村工藝社のホームページに書いた記事

目的が曖昧な空間が求められている

三浦:そういう流れを振り返ると、馬場さんのパークナイズもよくわかってきますね。この本で、公園ではそもそもそこにいる目的が希薄で曖昧でいいと書いています。これは社会学の概念で言うとインストゥルメンタルではなく、コンサマトリーということです。何かの目的のための手段・道具としての行為がインストゥルメンタル。目的なし、損得なしで価値それ自体がモチベーションになる行為がコンサマトリーです。たとえば金のために働くのはインストゥルメンタル。楽しくて働くのはコンサマトリー。
しかし従来の公園は、ボールを投げるな、サッカーをするな、花火をするなという禁止だらけ。また、馬場さんもかつて住んでいた郊外のニュータウンでは、公園は昼間にお母さんが子どもを連れて行くという目的しか想定されていない、そういうインストゥルメンタルな設計ですね。

馬場:そうなんです。戦後膨大に作られた公園は機能主義的な設計思想で作られていて、想定された機能以外は許されない。逆に言うと公園的な振る舞いを要求される目的空間になっている。だからとても息苦しいし、利用されない。そういう公園を量産してしまったんです。ニュータウンに住んでいた時も、僕はそのサバービア的空気感から物凄く逸脱したかったですね。それで中目黒に引っ越すんですよ。今みたいにおしゃれじゃなくて、スカスカした中目黒。三浦さんとも一緒に歩きましたよね。

三浦:はい。リノベーションという言葉がまだない時代にリノベーションをしている美容室とかたくさんあるのを馬場さんに紹介してもらいました。

馬場:そこで一杯350円のワインを飲んだくれてって暮らしをしていたら、ドーンと家庭が崩壊するっていう(爆笑)。

三浦:馬場さんより10歳若い世代だったら中目黒で家族楽しく暮らしただろうけどね。

馬場:そうですねえ。だからまあ、僕には機能主義的な要求の強すぎる公園に対して本能的に強い嫌悪がありますね。で、「リパブリック」と言いながら仕事をしている過程で公園のある風景を次第に意識するようになり、ニューヨークのブライアント・パークで個人が勝手にやっているのを見たときに、なんでこれが日本でできないんだと思って、民主主義の未熟さを強く感じて。

インタビュー風景インタビュー風景

三浦:話が少し変わりますが、公園でも建築でも「開かれた場所」という言い方がここ20年以上普通にされますよね。「明るいー暗い」という対比で言うと、普通は公園は明るい場所でしょう。ところが『パークナイズ』の佐賀の事例でプランナーの方が「公園を閉じましょう」という提案をしている。これは面白いと思いました。
それで思いましたが、この本の写真はちょっと暗いですよね。寂しいというか。人が集まって笑っている顔とか、楽しそうな顔が少ない。ひとりぼっちだったりしている。僕はそれがいいなと思いました。

馬場:それはこの写真が一応建築写真の流儀として竣工写真を撮っているせいかな。

三浦:でも竣工写真って人は入れないでしょ?

馬場:いや、最近は少し入れる風潮があるので。

三浦:そうなんだ。でも写真を見ると、公園を横目に急いで帰路につく人がいたり、うつむいてパソコン打つ人がいたり、あまり明るくない。コミュニティものの本だと、みんなで明るく幸せそうな写真が載るし、シェアハウスを伝えるメディアもみんなで楽しく食事をしている絵が出る。でも本当はシェアハウスでも在宅時間は違うので、けっこう一人でぽつんと食事している。そういう普通の日常が『パークナイズ』の写真には出ている。そこがいい。

すれ違うだけの場所のほうが居心地がいいし寛容

無数の椅子とベンチによって公園的な居場所をつくるグリーンスプリングス無数の椅子とベンチによって公園的な居場所をつくるグリーンスプリングス

馬場:それは当たってます。なぜかというとイベントを撮りたいわけではないから。イベントはドラマチックでフォトジェニックなんだけど、僕はどちらかというと、もっと冷静でありたいし、客観的でありたい。この本には事業スキームの情報も入れてますが、それもパークナイズの実際を客観的に見せたいという考えがありますね。それがこのドライな写真になったんだろうな。

三浦:世の中ハッピーな人だけじゃないので、ひきこもりの人も思わず公園に行きたくなるってことも大事ですから。

馬場:そう、一体感がありすぎるんじゃなくて。

三浦:あまり共同体的にならないほうがよい。

馬場:すれ違うだけの場所のほうが居心地がいいこともあるし、寛容でもある。

三浦: 『愛される街』という本に書いたんですが、これは母親の老人ホーム暮らしを経験したことも影響していて、老人ホームって職員が一生懸命そこを楽しい場所にしようとするんだけど、そもそもここで死ぬのかと思っている人にとって老人ホームが楽しいわけがないのでね。だから楽しさの演出だけじゃなくて、悲しさを受け止める何かが必要。でも若い職員に88歳の老人の悲しみはわからないよね。とすると、老人ホームの中に悲しみを受け止める場所も必要かもと思った。難しいけど。
うれしいときに会いたい人もいるけど、悲しいときに会いたい人もいるように、街も、うれしいときに行きたい場所も必要だけど、「悲しみを受け止める場所」も欲しい。だから暗がりも路地裏も必要。
僕は賑わいの創出って言葉が嫌いで、賑わいが必要な場所もあるけど、他方で淋しさや暗がりも必要なわけです。

馬場:そうですよ。僕はエドワード・ホッパーの「ナイトホーク」という絵が大好きで。

三浦:いいよね。夜の街角の止まり木のような店。

馬場:ほっといてくれるってことが都市にとって重要なことで。

三浦:そういう意味でパークナイズって言葉は誤解されるんじゃない?

馬場:ああ、そうかもなあ。

三浦:ほっていてくれる場所もあるパークとか、悲しいときに来る場所もあるパークとか。グリーンスプリングスを見ていると、ちょっと悩みがありそうな人もベンチに座っているんですよ。全然楽しそうじゃない人。リア充な人ばかりじゃない。老人もいるし。普通のおじさんのサラリーマンも弁当食べているし。

馬場:健全ですよね。

無数の椅子とベンチによって公園的な居場所をつくるグリーンスプリングスエドワード・ホッパー「ナイトホークス」1942年

賑わいではなく穏やかな日常。成熟から洗練へ

三浦: 『パークナイズ』の中にもウェルビーイングという言葉がありますが、ウエルビーイングって日本語にどう訳したらいいかずっと考えていて、あるまちづくり関係の人がFacebookで「僕たちに必要なのは賑わいではなく、穏やかな日常だ」と言っているのを見つけて、そうそう、それそれと思った。ウエルビーイングって「穏やかな日常」という訳語がいいと思う。

馬場:ああ、そうだよねえ。

三浦:明も暗もある。でも穏やかな日常があるいうのが、たしかに今僕たちが求めているものだなと思った。

馬場:僕も行政などに対して「賑わい」という単語を使うのをやめたほうがいい、それから「活性化」という単語もやめたほうがいい、いちばんは「高度利用」という単語をやめるべきだとずーっと言っているんです。

三浦:やっぱりそうなんだ。

馬場:この3つの言葉をこの30年以上ずっと政策として言い続けてきたんですけど、でも人口半分になるんだから、賑わいませんよ。だから無責任にそういう単語を使うべきではないし、それらのことは絶対達成されないんで、裏切りにしかならないって今必死に言っています。獲得すべき未来の風景はたとえば「穏やかな日常」ですよね。成長じゃなくて洗練でいいじゃないですか。賑わいじゃなくて、ポジティブなスカスカでいいじゃないですかって。

三浦:そう、洗練。関係ないけど古着を着るのって洗練だと思うんです。30年前に流行った服とか、40年前に流行った服を自分なりにコーディネートして着るって、もう成熟を超えて洗練ですよ。

馬場:そうそう。理想的な風景の設定をひっくりかえさないとずっと悲しいままじゃないですか。「この町、全然人が歩いてないね」って言うより「公園化したね」って言えばポジティブにクリエイティブに物を考えられる。

三浦:さっきの明暗の図式に戻ると、明が天で、暗が地です。「天地人」だから。人間は明るい天を求めながらも、日常的には地面に這いつくばって生きている。グランドレベルという視点もまさに地面重視。暗さとか悲しみとか日常とかを忘れないってこと。
それから開と閉でいうと、ショッピングモールは明るいけど閉じている。昔の商店街は賑やかだったから明るいんだけど、閉じてないから、すぐにちょっと横道に入ると暗いところ、子どもが行っちゃいけないところもあった。うるさいおじさんも、おばさんもいたし。
そう考えると、馬場さんはパークナイズによって一見明るい公園を作ろうとしているように見えながら、実は暗さも含めた都市を作ろうとしているんじゃないかと思ったのです。さっきの写真の話もそうですが。

馬場:はあ。

三浦:たとえば公園を作ると、誰かがここで物を売っていいですかと言ってくると書いてありますね。そこで踊ってもいいし、歌ってもいい。それって網野善彦(注3)の言う中世の河原ですよね。

馬場:ああ、そうかあ。

三浦:ただの明るい公園じゃない。河原の芝の上で芝居が始まったみたいに、パークナイズした場所でいろいろなことが起こる。そういう本当の都市的なものを馬場さんは作ろうとしているんじゃないか。

馬場:なるほど、面白いですね。たしかに僕は今、20世紀が作った都市のイメージを変えなくちゃいけないタイミングだと思っています。だからパークナイズによって実は20世紀的都市ではない都市への原点帰りをしようとしているのかもしれないと、今話を聞いていて思いました。
都市というものが鉄とコンクリートとガラスで覆われていて、完全にコントロールされていて、特に車が主役になると、メカニックな都市になってしまった。機械になったんです。そういう都市が100年前にコルビュジエやミースらによって構想された。
しかしコロナとか気候変動とかがあって、20世紀の都市の概念が限界に来ていることはもう皆感じている。それを決定的に変えていかないと大間違いするし、もう救われない。
そう考えたときに、何もないところで個人が勝手に何かを始めたり、規定の秩序をずらすような動き、原始的な都市の風景みたいなものに僕はおそらく何かの可能性を求めて、それが最も起こりやすそうなものとして公園を考えたのかな。うん。そう、河原ですよ。たしかに網野善彦です。僕はアジールを作りたいんだ。

三浦:いやあ、仮説が認められてよかった。ま、でも、アジールはずっと馬場さんのテーマだからね(笑)。実は98年にフリマが井の頭公園で流行ったとき、ある編集者に網野善彦をここに連れてきて、中世の河原との類似性などについて対談したいと提案したことがあるんだけど。

馬場:ほんとすか?

三浦:実現せずに終わりましたが。

馬場:ははははは。


2024年10月25日 都内某所にて


注1:『A』は博報堂休職中の馬場さんが98年に創刊し2002年休刊までの4年間編集長を務めた建築雑誌。「A」とはArchitectureの頭文字であると同時に、Art、Anonymous、Anything…のイニシャルでもある。建築と都市論、サブカルチャーの活性面にあるメディアをつくってみたくて始めたという。

注2:『アクロス』はパルコが77年から98年まで発行していたマーケティング月刊誌。三浦は大卒後82年から同志編集室に在籍し、86年から90年に転職するまで編集長を務めた。

注3: 網野 善彦(あみの よしひこ1928- 2004年)歴史学者。中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、日本中世史研究に影響を与えた。芝居は見世物などの芸能は都市の川辺や河原の空間でおこなわれていたなど、都市の成立・発展に、宿・市・湊などと並んで河原の重要性を指摘した。

馬場正尊 略歴
ばばまさたか OpenA代表、公共R不動産プロデューサー、東北芸術工科大学教授、1968年生。著書に『テンポラリーアーキテクチャー』『公共R不動産のプロジェクトスタディ』『CREATIVE LOCAL』『エリアリノベーション』『PUBLIC DESIGN』など多数。

三浦展 略歴
みうらあつし 社会デザイン研究者。1958年生。著書に『第四の消費』『ファスト風土化する日本』『家族と幸福の戦後史〜郊外の夢と現実』『人間の居る場所』『愛される街』『ニュータウンに住み続ける』『吉祥寺スタイル』『高円寺 新東京女子街』など多数。

新しい都市と建築のコンセプト提案と実践で知られている建築家の馬場正尊さんに、都市の「パークナイズ(公園化)」についてお話を聞いた。河原では芸能、物売りなど、様々な職業の人々が集まって都市文化の原型を作った。画像:網野善彦『河原にできた中世の町』(岩波書店)より三浦が構成。

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