「都市の暮らしの歴史を学び、未来を志向する ~社会課題を、超えていく。~」がテーマ
2023年10月26日、独立行政法人都市再生機構(以下、UR)の「令和5年度URひと・まち・くらしシンポジウム」が開催された。
URは賃貸住宅事業、都市再生事業、震災復興支援事業を中心にまちづくりに取組んできたが、近年は地域医療福祉拠点化に向けた取組みや、長く住み続けられる環境整備、情報技術の導入、海外展開支援事業など、多種多彩な事業に取組んでいる。また、2023年9月には、ヌーヴェル赤羽台(東京都北区)の一角に「URまちとくらしのミュージアム」をオープンするなど、取組みを次世代に伝えることにも力を入れている。
今回のシンポジウムは「都市の暮らしの歴史を学び、未来を志向する ~社会課題を、超えていく。~」をテーマに、有識者による基調講演や、URのさまざまな事業報告や研究報告、パネルディスカッションなど、盛りだくさんのプログラムで行われた。ここでは、基調講演とパネルディスカッションの内容を中心にお伝えする。
まずはUR理事長 中島正弘氏による開会の挨拶。「URも教科書に載るような歴史的価値のあるアパートや有名な先生が設計されたアパートなどもありましたが、建て替えと称して結構壊してしまったことを反省しています。そういうものを残し、歴史を知ることによって、未来が確かなものになります」という印象的な言葉でシンポジウムが幕を開けた。
本格的に「住まいの民主化」が始まっている
基調講演は、早稲田大学 研究院教授で工学博士の松村秀一氏による「まちとくらし 過去から未来へ ストック時代の人々の振舞いから考える」というテーマの講話であった。
松村氏は、個人が住まい環境に関与している度合いのことを「住まいの民主化」と名付け、1960年以降を第1~第3世代に分類し、それぞれの時代の民主化度合いについて説明する。世代を分ける基準は、日本全体の世帯数と住宅の数。つまり、全世帯に対して住宅がどれほどいきわたっているかというところが民主化のカギになると考えたのである。
第1世代(1960年~1973年)は、高度成長期の時代で、日本全体の住宅数2,110万戸に対して世帯数は2,180万世帯。戦後の、圧倒的に住宅が不足している時代である。当時の住宅建設はとにかくスピードが重視され、団地は全戸同じ間取りの、同じ住棟がいくつも並んでいる状況であった。「住まい手が住宅の環境に関与する余地がほとんどなく、民主化には程遠い状況であった」(松村氏)のは仕方がないことだったとわかる。
第2世代(1980年代と1990年代)へと変わる大きな転機となったのは1973年。すべての都道府県で住宅数が世帯数を超え、大量供給の必要がなくなったのである。1988年の住宅の数は4,200万戸で、世帯数は3,780万世帯。住宅の数は1963年の約2倍になり、住宅の数が世帯数よりも420万戸多くなっている。住宅がいきわたることで、それぞれの経済状況にふさわしい住宅が欲しいというニーズが高まってきた。集合住宅では、一つの建物内にさまざまなタイプの間取りがつくられるようになり、「ここにきてようやく民主化が始まりました」と松村氏。
そして、第3世代(2000年~)は、圧倒的に家のほうが多くなっている。2018年は、住宅数6,240万戸に対して世帯数は5,400万世帯。その差とほぼ同じ約840万戸が空き家(空家率13.6%)となり、今度は空き家問題と言われはじめた。
建物が余っている時代に必要なことは、「建物・知識・技術の十分なストックを経済成長期のステレオタイプと異なる『人の生き方』の実現に利用する構想力である」と松村氏。今は、個々の小さな物語をそれぞれ実践していくのが主題になっている時代であり、自分の生き方を豊かにしていく事が大事である。「まさに本格的な民主化が始まっている」(松村氏)時代なのである。
日本は住宅のストックが非常に多く、2013年のデータによると、国民一人当たりの住宅の数は、アメリカよりも多い。
「このストックは、多くの国民がローンを組んで建てた家やアパート、そして、公団が建ててきた住宅です。これを評価せずに、空き家になっているから問題だと言うのはおかしいと考えます。空き家は空間資源。どうやってうまく利用できるかを考えることが大事で、問題解決のために空き家を使うのではないのです」(松村氏)
この言葉で、空き家に対する認識や意識が変わった。空き家は空間資源なのである。
例えば、東京都千代田区の廃校をアートセンターにした「アート千代田」のように、もともと計画されていたことと違う利用をする構想力により、今までなかった活用の仕方が生まれている。また、地方に移住し、都心で働くほどの年収はないが、ゆったりとした高品質な暮らしを求める人も増えているそうだ。今は、住宅資材や部材がネットで取り寄せられる時代なので、DIYをする人も増えている。ワークショップなども開催されているので、協力し合いながら住まいに手を加えることも。「ここにきて民主化が本格的に進み始めている」(松村氏)ようだ。
住まい・まちに関するさまざまな取組みを行う登壇者
URから事業報告がなされた後、「これからの住まい・まちのあり方やその中で団地が持つ魅力・役割」をテーマにパネルディスカッションが行われた。最初は、登壇者のそれぞれの取組みについての発表である。
東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻教授の大月敏雄氏からは「なぜ多様性が必要か」という話。特に興味深かったのが、新築分譲一戸建てと賃貸一戸建ての、新築時と30年後の入居者年齢の分布比較だ。どちらも新築時点では小さな子どもがいる若年ファミリーが中心。しかし30年後は、分譲一戸建てでは子どもの数が半減し老年化している一方、賃貸一戸建てでは転出・転入により年齢分布がそれほど変わっていないという。このことから大月氏は、持続可能なまちづくりのためには、分譲と賃貸を混ぜることが重要だとする。
建築家で千葉工業大学准教授の田島則行氏は、高齢化率の高い習志野市の袖ケ浦団地で、学生とともにその活性化に取組んだ活動について話した。団地でマルシェやイベントを行うと、団地の周りからもかなりの人が来ることがわかり、団地は住民だけでなく地域の広場にもなると感じられたそう。「地域の人々とともに共創の場として、都市の広場にすることが重要」という田島氏の言葉は、今後の団地のあり方の大きなヒントになるだろう。
東京都北区長のやまだ加奈子氏からは、「赤羽駅」「王子駅」「十条駅」の3駅での公民連携の市街地再開発事業について。ハードなまちづくりだけでなくエリアマネジメントの視点で、すべての世代が輝くまちづくりに注力しているという。
そしてUR理事の田島満信氏は、URの目指すべき団地の方向性について発表。UR賃貸住宅は4大都市圏に分布しており、約1,450団地、約60万戸のストックがある。住民も建物も高齢化が進んでいく中で、URはこれらの豊富なストック活用の方向性として、「多様な世代が安心して住み続けられる環境整備」「持続可能で活力ある地域、まちづくりの推進」「賃貸ストックの価値向上、地域及び団地ごとの特性に応じた多様な活用」を挙げている。社会課題を超えていくために、住民や自治体・企業などと連携・共創・協働を推進していくとのことであった。
パネルディスカッション「さまざまな課題解決の実証実験となるヌーヴェル赤羽台」
それぞれの取組みを受けて大月氏は、「居場所づくりが重要。赤羽台団地(現 ヌーヴェル赤羽台)では毎年盆踊りがあり、その時になると団地から引越した人が帰ってきて同窓会になっています。団地がそのようなソフトウェアを持っていれば、人が入れ替わっても人が多様化してもコミュニティが長続きし、郷土愛みたいなものが生まれるのではないでしょうか」と、魅力ある団地の一例を提示。
対してURの田島氏も、「コミュニティは、地縁とか共同体という意味なので、基本は近くに住んでいる人のつながりです。しかし現在は、近所以外に、会社や趣味のコミュニティを作っている人もいます。近くに住んでいることがコミュニティをつくる条件になっていないので、どうやって地元に興味を持ってもらえるかが重要です。そういう場造りが大事」とうなずく。
そしてコミュニティの課題に対して実証実験に取組むヌーヴェル赤羽台についての話になった。ヌーヴェル赤羽台がある北区長のやまだ氏は、「公共団体側からの支援も必要です。ヌーヴェル赤羽台では、URと共同で大規模団地周辺のコミュニティ事業を支援しています」と行政のバックアップの必要性を説く。
このように、団地の再生には、建て替えるだけでなく、ソフト面でのさまざまな仕掛けや、それぞれの立場で協力し合いうことが必要だという結論に至った。そして、今回それぞれの取組みが集約されて完成した「URまちとくらしのミュージアム」について、現場と中継を結び、建物や展示物が紹介された。
2023年9月オープンの「URまちとくらしのミュージアム」とは
旧赤羽台団地の建替えによって整備されたヌーヴェル赤羽台の一角に誕生した「URまちとくらしのミュージアム」。ミュージアム棟には、歴史的に価値の高い集合住宅を復元した4団地計6戸をはじめ、映像や模型を通して都市と集合住宅での暮らしの歴史やまちづくりの変遷をみることができる。
単身住戸と世帯住戸が復元された同潤会代官山アパートメントは、1923年に発生した関東大震災の復興住宅で、日本における初期の本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅である。
URの前身の日本住宅公団による「蓮根団地」と「晴海高層アパート」の復元住戸もある。蓮根団地では寝る場所と食事する場所を別にする「寝食分離」が提案されており、当時では画期的であった2DKの間取りになっている。ダイニングでイスに座って食事をする生活を促すため、あらかじめテーブルが備え付けられていた。晴海アパートは、当時を代表する建築家、前川國男の設計による10階建ての高層住宅である。エレベーターが着床する共用廊下が3階ごとにあり、そこから階段で上下階の住戸にアクセスするスキップ形式が採用されていた。
これらは、当時使用していた建材や建具、サッシなどをそのまま使用して復元しているとても貴重な空間である。最近の集合住宅では見ることが少なくなった畳の部屋がとても懐かしく感じられた。
多摩平団地のテラスハウスの復元住戸も見ることができる。テラスハウスとは、専用庭のある長屋建ての低層集合住宅で、主に郊外の団地で多く建設されていた。
また、敷地内には、登録有形文化財に認定されているスターハウス棟4棟が保存されている。スターハウスは「ポイント型」といわれる独特な住棟形式で、三角形の階段室の周囲に各階3つの住戸が放射状に配置され、上から見るとY字型になっている。
ミュージアム棟の前には、芝生の広場があり、今後さまざまなワークショップの場としても活用されていくとのことだ。ミュージアムは完全予約制(入場無料)で見学することができるので、興味がある方はぜひ行ってみるといいだろう。
今後の「住まいとくらしのミュージアム」とUR都市機構への期待
最後に、URまちとくらしのミュージアムと、今後のURに対する期待と要望が話された。
事前にミュージアムを取材見学した司会のフリーアナウンサー木佐彩子氏は「いろいろな歴史が勉強できたり、気づきがあったり、先人の知恵が詰まっていたりしますが、100年たっても、求めるものが変わっていないものもたくさんあるなと感じました」と見学した感想を述べた。
一級建築士でもある女優の田中道子氏も「団地はニーズの変化に合わせていけると感じたので、可能性を見つけてほしいです。また、さまざまな情報発信をしてほしいです」と、団地の可能性と情報発信への期待をコメント。
建築家の田島氏は「団地を、公民共創の場所として住民が自由に使える場所にしてほしいし、住民が主体となって場をつくっていってほしいです。箱ができておしまいではなく、交流ができて初めて発展していきます」と、URへの期待と、公民で創り上げる重要性を語った。
最後の閉会挨拶では、UR副理事長の田中伸和氏が、「シンポジウムでは、“場”という言葉がよく使われました。これまでは、目的を決めて箱を作って使っていただくという考え方でしたが、今後は、使っていただく人の目的にあわせて、建築やまちが進化して対応していくことが求められます。また、私たちもそれに対応していきます」と意気込みを語り、シンポジウムを締めくくった。
今回のシンポジウムでは、URの取組みの幅広さと、新しい時代のまちづくりに対する課題がよく理解できた。そして、空間資源としてのストックを、どのように活用していくかのヒントがいっぱい詰まっていた。これからの団地の再生と進化がとても楽しみだ。
公開日:











