アートが盛んな旧向島区

「すみだ向島EXPO(エキスポ)2022」というアートイベントが2022年10月の1ヶ月間開催された。
墨田区には15年以上前からアーチストが区内に住んだり、シェアアトリエを持ったりして創作活動をすることが増えており、アートイベントがこれまでにも何度か開かれてきた。EXPOはそうした下地の上に、向島のこれからのまちづくりの一環として行われるアートイベントである。

私は2019年春に、あるイベントを見に行き、墨田区で防災まちづくりを中心に研究をされてきた明治大学教授・山本俊哉氏のご案内で、楽しんだことがある。街歩きと謎解きクイズとアートを組み合わせた、ものすごく凝った、そして難解なイベントで、相当に街を歩き回った。
山本教授にはすでに2007年に墨田区内(正確には墨田区の北半分の旧・向島区)を主に防災まちづくりの観点と、古い長屋の活用の観点からご案内いただいたこともあった。

そのときは向島百花園、旧・私娼窟で永井荷風の有名な小説『墨東奇譚』の舞台である玉の井、戦後の赤線地帯となった「鳩の街」、白鬚防災団地、多くの町工場とその跡地を活用したアートスペース、古い木造の長屋に住むアーチストなどをご紹介していただいた。
以来、私は下町散歩本や花街本を執筆したこともあり、そのための取材で何度か向島を訪れてきた。また墨田区役所の依頼でまちづくり関連の講演とワークショップを引き受けたこともあった。

さらに数年前には、鐘ヶ淵に旧知の編集者が住んでおり、彼にシェアアトリエや古い長屋をリノベーションしたレストランなどを案内してもらったこともある。中央線沿線の飲食店で働いていた女性がスカイツリーのすぐ近くの押上で飲食店を自分で開いたので、そこも何度も利用させてもらった。

アートが盛んな旧向島区
アートが盛んな旧向島区懐かしい風景が今もある
アートが盛んな旧向島区商店街を歩けば夕ご飯のおかずがたくさん

「すみだ向島EXPO(エキスポ)2022」は、とてもパワフルな展示が街のあちこちに

そういうわけで墨田区、特に向島にはいろいろなご縁があったのだが、先ほどの2018年春のイベントで山本教授にご紹介頂いたのがすみだエキスポの中心人物であり、まちづくりにも取り組んできた後藤大輝さんである。
後藤さんとはその後何度かお会いしたが、今回のEXPO2022についてFacebookで案内を見たところ、かなり面白そうだったので見に行くことにした。

行ってみると、非常に刺激的なイベントだった。半日ほど回っただけであり、エキスポのイベント全体を見るところまではまったくなかったのだが、それでも十分に堪能した。
私は中央線沿線に長く住んでおり、そこでもアート関連のイベントはしょっちゅう開かれているし、高円寺では大道芸フェスティバルも開かれるなど、街とアートのつながりは深い。

だがすみだ向島EXPOを見ると、破壊力というか、刺激というか、パワーが全然違う気がした。街のあちこちにアート作品が置かれるというより、古い長屋、商店などが、展示会場というだけでなく、それ自体が作品のようになってすらいて、杉並区のような住宅地では実現しにくいものが展開されていた。

面白いのは墨田区は町工場の街なので、ものを作ることが日常だ。それらの制作現場は制作物がアートではないはずなのにアートに見えることもあるということだ。そのへんがもしかすると杉並との違いかもしれない。

街のあちこちにアートがちりばめられた街のあちこちにアートがちりばめられた
街のあちこちにアートがちりばめられた町工場の風景はアートに見える

床下までアートになる

たとえば「京島駅」というものがある。京島駅なんて鉄道駅はあったっけ?と思わず地図を見てしまったが、実はこれは後藤さんの会社、暇と梅爺株式会社という人を食った謎な名前の会社のすぐ近くにある古い元米屋である。その元米屋がEXPOにかぎらず後藤さんらの活動の拠点になっているのである。

京島駅はEXPOの受付であり、展示会場にもなっている。写真、映像などのさまざまな展示があるのだが、度肝を抜かれたのは、1階の和室が畳が剥がされ、床板も剥がされ、下の土が1mも掘られて、その掘ったところ彫刻のように怪しい作品が彫られて(掘られて?)いるのだ。

掘り出された土は袋に詰められて外にきれいに積まれていたので、エキスポ終了後に埋め戻すのかと思っていたが、10日後に行ってみたら、その袋詰めの土が塗り固められて、それ自体がまた1つのアートに変貌していた。しかもそこで結婚式をする人を募集していたのである。

京島駅は元米屋京島駅は元米屋
京島駅は元米屋床下を掘った土も作品になった!

床下もアートになる作品はまだあって、古くて床が30センチも傾いているような長屋の床下を開けて、地面に手を加えず、床下のゴミやホコリを丁寧に取り除き、床下に隠されていた様々なモノを、丁寧に掃除して発掘し欠けた茶碗や錆びた釘など金属製品を考現学として展示するというものであった。

この長屋はおそらく昭和初期、関東大震災後に建てられたものだろうが、よくもまあこれだけのたくさんの物が床下にあっていたものだと驚いた。念のため作者に、あの茶碗や釘は他の場所からも持ってきたのかと聞くと、本当に1つの長屋の1戸分だけの床下から発見されたのだという。こうなると考現学ではなく考古学かなと思ったのだが、それはどうでもよい。とにかくパワフルな展示であった。

その他にも古い木造の空き家、空き店舗が多い地域だけに、それをフルに活用しているところが面白い。杉並のような住宅地だと、仮に空き家や空き店舗があっても、ここまでダイナミックな、破壊的なことはできないだろう。

なお「破壊的」というのは、アートとしての力の破壊力の意味であって、床下を掘る作品は建築士や大工さんの監修の元、建物に損傷を与えないように、建物を大切にする思いを最大限にこめて取り組んだ作品になっているという。

京島駅は元米屋古い長屋の床をはがしてみた
京島駅は元米屋床下から出てきた物を考現学として展示する

ふるさとは出会うものだと実感した

ところで後藤さんはいつ、なぜ墨田区にやってきたのか。
最初は2008年春だというから、私が山本教授に向島案内をしてもらった直後だ。
後藤さんは本来は映像作家で、出身は名古屋市の郊外ニュータウン。学生時代は日本映画学校のある川崎市の新百合ヶ丘に住み、その後は谷中や杉並にも住んでいた。その後、映像を制作し、住み、かつ人が集まれる場を求めており、谷中時代の東京芸大の知り合いの情報で墨田区がちょうど良さそうだということで、住み着いたのである。
古い建物や街並み、商店街のサイズ感、古い町工場、昔の地形が残った道筋などを見て一目で気に入った。「ふるさとは出会うものだと実感した」という。

最初は明治通り沿いの長屋の元カラオケ居酒屋の空き店舗に住んだ。そしてそれをリノベし、「爬虫類館分館」というこれまた人を食った不思議な名前のシェアカフェ&住居にした。爬虫類がいるわけでもないし、本館があるわけでもなかった。それが2010年。

後藤大輝さん(古い長屋を改装した事務所にて)後藤大輝さん(古い長屋を改装した事務所にて)

以後、これまで年に1,2件、空き家、空き店舗を見つけては借り、リノベしてお店やシェアハウスなどにして転貸するという不動産業のような仕事を始めた。仕事といっても本職は映像なので、最初はリノベ不動産が利益を出したわけではなかった。
4番目の物件である明治通り沿いの「三軒長屋」あたりから、事業として利益が出始めた。次第に映像よりもリノベ不動産のほうが本業になっていき、2019年に株式会社暇と梅爺が設立された。

2012年はスカイツリーが開業した年であるが、墨田区の街が急激に変化したわけではなかった。だが変わる予兆はあったので、単に普通の新しいビルや店やプレハブ住宅ができるのではない街づくりをカウンターとして行うには良い時期でもあったと後藤さんは振り返る。

ここに住んで以来、挨拶ができ、自分を知ってくれる人が、子どもからお年寄りまで各世代にできた。この街で自分の子どもを育ててもらった、この街なら自分が歳をとって老人になることが怖くない、地域に守られているという感覚がある、ここが安心できる故郷になった、と後藤さんは言う。

後藤大輝さん(古い長屋を改装した事務所にて)文花会館は後藤さんの初期の物件。昔は質屋、その後そば屋、今は新しいテナントが入っている
後藤大輝さん(古い長屋を改装した事務所にて)明治通り沿いの長屋。リノベーションして、花屋などが入っている

「失われていく街並みをどうにかしたい」

そして後藤氏は2020年からすみだ向島EXPOを開始した。コロナが始まっていたが、それがかえって追い風になった。三密な商業施設やテーマパークなどに行く人が減り、街歩きをする人が増えたからだ。
かつ、コロナで仕事が減った一流のイベント事業者たちが、エキスポを手伝ってくれた。彼らはコロナが落ち着いてきた今も、エキスポを面白がって手伝ってくれているという。

私が山本教授の案内で向島を歩いた2007年には、アーチストが住んでいる例はあったが、街にアートが溢れているとか、新しい店ができているということはほとんどなかった。キラキラ橘商店街は無性に昭和レトロな味わいを醸し出していて、古い歌謡曲のレコードをなぜか電器店で売っていた。かすれたペンキ文字がとてつもなく味わい深い商店がたくさんあったり、常連が5人入っただけで満員になるのでフリの客は怖くて入れないホルモン屋があったりした。

だが2010年代に入り、若い人達が移り住んできて、カフェができたり、リノベをした雑貨店などが増えてきた。カフェはしたいが、本業があるので休日や夜しかできないという人、コーヒーしか出せない人などがいたが、曜日や時間によってお店に出る人を交代して、昼はコーヒー、夜はお酒と食事というようなシェア的な店も増えた。

2010年頃から空き店舗に新しいお店が出来てきた2010年頃から空き店舗に新しいお店が出来てきた

このような新しい動きが拡大しているものの、もちろんご多分に漏れず、古い建物が壊され、プレハブの無個性な住宅にどんどん建て替わっているのが現実だ。古い長屋が何軒か並んだ街並み、家並みが崩れている。

そうした流れに抗すべく、後藤さんだけでなく、向島に住む都市計画家、都市計画コンサルタントである紙田和代さんが、商店街の廃業したパン屋を買い取り、リノベをした。パン屋をしたい若い人がパン屋を継承し、2階は住居にしたという事例も生まれた。紙田さんはさらにパン屋の近くの土地を買い、そこに墨田区らしい2階建ての長屋様式の木造の建物を建てて、そこを健康に良い惣菜を売るコミュニティスペースにしようと計画中である。

2010年頃から空き店舗に新しいお店が出来てきた廃業したパン屋を風景ごと継承し、長屋様式のコミュニティスペースも新しくつくる
2010年頃から空き店舗に新しいお店が出来てきたこういう街並みを残したい

ついに財団法人を設立

すみだ向島EXPO2022が終わるやいなや、後藤さんは財団法人の設立をする。八島花(やつしまはな)文化財団という。向島の八広、向島、京島、寺島、文花、立花という地名から文字を取り、谷根千のような地域ブランドにしようというのだ。呼びかけ人には山本俊哉教授や先ほどの紙田さんも入っている。

財団では、長屋文化を継承し、地域に関わる人々が地域文化の担い手となり、新たな「表現し合う文化」を創造し、「安住感」を次の世代に継承するというのが目的だ。
具体的には、たとえば是非とも残したい古い建物があるとすると、それを誰かが買う。たとえば三浦展が買う。だが名義は八島花文化財団である。つまり三浦展が財団に「買ってあげる」のである。3000万円で買った場合は、月15万円で貸せる物件にしたいだろう。買ってもらった財団は建物をリノベして、1階を店舗にして10万円で貸し、2階を2部屋の住まいにして5万円×2部屋=10万円で貸しだす。合計20万円の家賃のうち、15万円を三浦展に払う。残り5万円は建物のその後の修繕、防災対応などに使われる。

これはかなり積極的で攻撃的な財団活動である。単なる風景や建物の保存とか、修景というだけではない、創造的な文化活動である。ぜひとも成功を期待したい。

財団法人をつくれば、こうした古い家を活用できるようになる財団法人をつくれば、こうした古い家を活用できるようになる

■「すみだエキスポ」ダイジェスト映像
https://youtu.be/GIOgx_0zTaM/

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