脱炭素社会の実現へ向けて、木造マンションが始動
木造の共同住宅といえば木造アパートのこと。これは2021年12月5日までの話だ。翌6日より、一定の条件を満たす木造の賃貸共同住宅が「マンション」として不動産ポータルサイトに広告掲載されるようになった。
三井ホーム株式会社が東京都稲城市で竣工した、1階がRC造、2階以上が木造の5階建て共同住宅「MOCXION INAGI(モクシオン 稲城)」もそのひとつ。
この度、同社初の国内での木造マンションとなるこのプロジェクトを推進した同社施設事業本部 事業推進室 営業推進グループ長の依田明史氏に話を伺う機会を得た。お話を聞くと、MOCXION INAGIが、今後の木造マンション普及に向けた、試金石であるといわれる所以が見えてきた。
プロジェクトの発端は、2年以上前にさかのぼる。同社ではこれまでに、北米を中心に海外で木造中層住宅の構造用壁パネルの供給や建方施工の実績があり、日本国内においても、クリニックや介護施設など主に非住宅の建物で大規模木造建築の実績を積み始めていた。そんななか、新しい事業として東京都稲城市の社有地に「木造マンション」を建てる計画が立ち上がった。
実はこれまで日本では、木造の中層共同住宅がほとんど建てられてこなかった。
依田氏によると、その原因は日本の厳しい法規制と、業界に根付いた商慣習にあったという。
日本では、住宅に求められる耐震性や耐火性の基準が比較的高い。階数が高くなればなるほど耐震性を担保するために柱や壁を太くすることになり、従来の木造で基準を満たすには、住居スペースを小さくせざるを得なかった。さらに、木材は鉄骨や鉄筋と比べて耐火性に劣るとされ、その使用に大きな制約が課されていた。
また、たとえどんなマンションよりも高性能の共同住宅を建てても、“木造”というだけで不動産ポータルサイトでは「アパート」に分類され、消費者からは正当に評価されにくい状態だった。
こうした事情を背景に、デベロッパーや投資家も『だったら、RCで建てよう』と考えることが多かったというのだ。
「『そこを打ち破りたい』というのが、プロジェクトをはじめたときの想いでした」と依田氏。逆境からのスタートであった。
「木造マンション」の要件とは
そんな“木造”を取り巻く環境は、近年変化している。
「MOCXION INAGI」でも採用されている木造枠組み壁工法は、2004年に「1時間耐火構造」、2016年に「2時間耐火構造」の大臣認定を取得した。このように、木造建築物の耐火性能は技術の進展とともに大きく向上している。加えて2010年には「公共建築物木材利用促進法」が制定。2021年10月には同法が改正され(※)、民間の建築物にもその対象が拡大された。法規制面も徐々に緩和が進み、木材の利用促進などで脱炭素社会の実現を目指す国の動きが追い風となっている。
※ 脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律
一方、もうひとつの障壁である商慣習の面では、依田氏らが業界団体に地道に働きかけた結果、冒頭で述べた広告ルールの変更へとつながり、木造でも「マンション」として募集ができるようになった。
不動産ポータルサイトで木造共同住宅を「マンション」として登録できる条件は、以下のとおり。
木造「マンション」の要件
●建物種別
共同住宅であること
●階数
3階以上であること
●住宅性能評価
住宅性能評価書の取得を必須とし、以下の等級条件を満たすこと
劣化対策等級(構造躯体等)が等級3であるかつ以下の①もしくは②のどちらかの等級・条件を満たすものとする
① 耐震等級(構造躯体の倒壊等防止)は等級3である
② 耐火等級(延焼の恐れのある部分(開口部以外))が等級4である、もしくは耐火構造である
高性能木造マンション「MOCXION INAGI」のスペック
「木造マンション」という定義が世に生まれるのと前後し、2021年11月に満を持して竣工したのが「MOCXION INAGI」である。国土交通省の「令和2年度 サステナブル建築物先導事業(木造先導型)」にも採択され、木造マンションの普及に向けた、いわば実験的な役割も担っている。
木造マンションをリードする、MOCXION INAGIとは一体どんなマンションなのか、まずはスペックから見ていこう。
劣化対策等級3・耐火構造
MOCXION INAGIは1階のみRC造で、2~5階が木造の共同住宅。
住宅性能表示制度における劣化対策等級は最高ランクの3を取得しており、これは、建物を適切に維持管理すれば75年~90年程度の耐久性があるという評価である。日本の住宅の一般的なライフサイクルを考えると、非常に長持ちすることがわかるだろう。さらに耐火構造となっており、木造マンションの要件を満たしている。
断熱等性能等級4・一次エネルギー消費量等級5・ZEH-M Oriented
気密性と断熱性を高めることで、断熱等性能等級4、一次エネルギー消費量等級5(ともに最高等級※)を取得している。また、その断熱仕様によって冷暖房等の効率が向上し、一次エネルギー消費量を約30%削減。BELSの「ZEH-M Oriented」の認証も取得した。
そもそも木は鉄骨等と比べて熱伝導率が低く、断熱性に優れた素材である。そのため、木造部は容易にZEH-Mの基準を満たした一方、1階のRC部の断熱には苦労したという。
「木造部と比べRC部にはかなりの断熱材を使い、さらに二重サッシなども取り入れて、ようやくZEH-Mの基準を満たしました。図らずとも木造とRCの断熱性能の違いを感じることになりました」と依田氏は振り返る。
※ 2022年4月より断熱等性能等級5、一次エネルギー消費量等級6が新設されたが、MOCXION INAGIはいずれの等級もクリアしている
高強度の耐力壁を新規開発
木造中層建築物において必要な性能を満たそうとすると、どうしても壁が厚くなってしまうが、それでは建物の有効床面積が減り、賃貸経営上不利となる。そのため三井ホームでは既存技術を応用し高強度の耐力壁「MOCX wall/30」を開発。枠組壁工法では国内最高レベルとなる壁倍率30超(一般的には3倍~5倍)を実現し、壁厚を従来の半分とした。仮に木造4階建てで使用すると、耐震等級3の実現も可能な性能だという。ちなみに、国内の共同住宅のうち耐震等級3を取得している住宅は4.4%にすぎない(2019年度)。
高性能遮音床は既存技術を改良
RCと比べ軽量の木造住宅では遮音性が課題となるが、この点については既に多くの木造賃貸物件を開発してきた三井ホームの既存技術「Mute(ミュート)」をマンション用に改良。RC造の集合住宅で求められる性能と同程度の遮音性を確保している。
「製造面でも施工面でも、極力既存の工場ラインや職人の技術をそのまま使って対応できるようにしました。再現性を持たせ、普及型にしたことがポイントです」(依田氏)というように、耐力壁にしても遮音床にしても、今後の木造マンションの普及を見据えて取組んでいる。高コストとなるCLT(直交集成板)などを使っていないのもそのためだ。
木を強調しないデザインは、木造マンションは特別ではないという意思の表れ
「MOCXION INAGI」のエントランスホールを入ると、大きな木の造作をはじめ、木のイメージを前面に出したデザインが迎え入れてくれる。この部分は、三井不動産グループが北海道に保有する山林の間伐材を使用して仕上げた。
木のマンションのイメージを裏切らないエントランスだっただけに、てっきり専有部も木を感じさせるデザインなのだろうと思って居室を拝見すると、びっくり(!)である。見渡す限り木の要素はなく、白い壁紙に囲まれた光景が広がる。よくある普通の賃貸マンションといった雰囲気だ。
思わず尋ねると、「木造だから木を見せるという考えはありません。普通にマンションに住んだら、それがたまたま木造だったということが理想です。木も、RCや鉄骨と並ぶ、数ある構造材のひとつでしかない。一般に普及するためには、そうなることが望ましいのです」と依田氏。
“普通”のデザインには、誰もがターゲットとなる、“普通”の賃貸物件になろうという意思が込められている。
担当者も驚いた、エポックメーキングな入居理由
「MOCXION INAGI」は、京王相模原線の「稲城」駅から徒歩3分の場所に位置する。
稲城は、京王線の拠点駅「調布」から橋本方面にさらに8分ほど下った駅で、60m2超の2LDKの賃料相場が約11万円(LIFULL HOME'S 稲城駅の賃料相場情報)。それに対してMOCXION INAGIは50m2以上の2LDKで13万円から(共益費込み)と、相場より高い設定で、都心寄りの調布の相場に迫る。
「引越しされた方は、都心や近隣県などさまざまなエリアから来られています。内見のお客さまにアンケート(複数回答)を取ったところ、検討理由の最多が『稲城周辺で探していた』ですが、次点が『木造マンションに興味があったから』で約4割の方が選択しました。そして想定外だったのが、『木造マンションは地球環境に優しく脱炭素に貢献するから』。なんと1割を超える方が選択しました」(依田氏)
「賃貸を選ぶ人の中に、一定数『環境に優しい』という基準で選ぶ人がいるというデータが得られたのは、非常に大きいです。相場より高くても、1ヶ月で満室になりました。今後、デベロッパーや投資家にとって、木造を検討する動機づけになるのではないでしょうか」(依田氏)
これまで、賃貸物件で住み替えをするとき、物件の「環境負荷」を考える機会はあっただろうか。恐らく多くの人はないだろう。
MOCXION INAGIは、これまで住まい選びで一般的に検討されていた「立地」「賃料」「設備」「デザイン」などと並び、「環境負荷」という新しい指標を加えた、エポックメーキングといえる賃貸物件なのではないだろうか。
普及のために欠かせない、木造マンションの経済合理性
自社物件として建設したMOCXION INAGIをベースに、三井ホームでは今後、木造マンションの「MOCXION」シリーズを展開する構想だ。
稲城のプロジェクトで、実際に相場よりも高くても入居者を確保できたという点に、デベロッパーや不動産投資家は大きな関心を寄せている。しかし、MOCXIONシリーズの価値はそれだけでないという。
木造のほうがコストは抑えられる
MOCXION INAGIは当初、RC造と比べて建築費が10~15%程度抑えられる計画だった。実際にはウッドショックの影響で計画より高くなったというが、「そうだとしても、木造マンションはさまざまな点で経済メリットが大きいです」と依田氏は続ける。
ひとつは建設時。建設時には地盤改良工事等を行うことがあるが、RCと比べて軽量の木造なら、その工期とコストを削減できる。
断熱についても、ZEH-M Orientedの取得に際し実物件での試算で1.6%のコストアップが必要だったが、仮にRCだとすると3.4%のアップとなったと試算されている。(道路付けなど諸条件によって異なる場合がある)
RC造と同等の、償却期間47年に
一般的に木造建築は減価償却上の法定耐用年数が22年とされていたが、MOCXION INAGIのような性能向上をした建物の場合、実際にはそれ以上の期間運用を続けることが見込まれる。MOCXION INAGIでは第三者調査を実施するなどの仕組みを作り、公認会計士等との協議を経て、RC造と同等の47年での減価償却年数をスタートとした。このことにより、投資用物件としての木造マンション「MOCXION」の活用の幅は広がり、さらなる投資の喚起につながるだろう。
「マンションという呼称の見直しや、償却期間の長期化などを通して、木造はRC造より賃料が低いという先入観を覆したい」と依田氏はまとめた。
最後に依田氏から、木造マンションに興味をもった方へメッセージをいただいた。
「山の中に行くと気持ちがいいものです。その心地よさは皆さん知っているはずです。本当は木の家に住みたいけれど、さまざまな制約条件で諦めているという人も多いのではないでしょうか。
木造建築物は当社に限らずどこも研究が進んでいて、安心安全な建物が供給されています。もし安全面に対して不安があるのなら、その必要はまったくありません。むしろ、断熱性や心地よさなど、木造だからこその魅力が木造マンションにはあります」
エポックメーキングなMOCXION INAGIをきっかけに、普及が期待される木造マンション。
脱炭素社会の実現へ向けた大きな期待を背負い、動き始めたばかりだ。
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