歴史のある、今は人影が少なくなった国府津に新たな動き

かつての国府津駅は東海道に鉄道を走らせるために重要な場所だった(筆者撮影)かつての国府津駅は東海道に鉄道を走らせるために重要な場所だった(筆者撮影)

戦前は避暑避寒の地として、昭和初期までは東海道線の優等列車が止まる、小田原方面への乗換駅として栄えたまち、国府津。東海道線は1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通するまで国府津駅から現在の御殿場線(国府津~沼津。JR東海)のルートを走っており、小田原駅、熱海駅などはそもそも存在していなかった。

「当時はまだトンネルを掘る技術が進んでいなかったため、東海道線は現在の御殿場線のルートを迂回していたのですが、それでも国府津~御殿場間は勾配がきつく、列車を後押しする機関車を連結する必要がありました。そのため、国府津駅には機関車の基地がありました」とOVACANS株式会社の杉山大輔さん。

今、国府津駅構内の壁にはその当時を思わせる機関車の絵が大きく描かれている。元々はみどりの窓口があったのだが、2022年に営業を終了。ぽっかり空いた壁を再利用したいと駅長さんと話し合いを進め、地域のアーティストに描いてもらったのだという。

「駅構内でこんなことができるのは珍しいこと。若い方たちに地域だけではなく、駅の歴史にも関心を持っていただきたいと思っています」

かつての国府津駅は東海道に鉄道を走らせるために重要な場所だった(筆者撮影)駅構内の壁に描かれた国府津の歴史を語る絵(筆者撮影)
駅前に駅弁の販売店。聞くと東海道線で最初の駅弁は国府津駅で発売されたものだったそうだ(筆者撮影)駅前に駅弁の販売店。聞くと東海道線で最初の駅弁は国府津駅で発売されたものだったそうだ(筆者撮影)

乗換駅として、機関車の基地として栄えていた国府津は1920年に国府津~小田原間、ついで1922年に真鶴駅までと徐々に延伸した熱海線が丹那トンネル完成後に東海道線に編入されて以降、その役目を失い、衰退を続けてきた。駅のすぐ前を走る国道1号線沿いに現在の駅周辺からは想像できないような建物が残されているのはそうした歴史からなのである。

その国府津で約10年前に小田原駅前から鴨宮を経てひっこしてきた杉山さんが「もったいない」空き家を徐々に開き始めている。子育てのために住まいをと考えた時、海と山が感じられる場所として国府津があったという。

かつての国府津駅は東海道に鉄道を走らせるために重要な場所だった(筆者撮影)エリアのあちこちに掲示されていた地元情報を伝えるヤッホー新聞。杉山さんも当然関わって発行されている。写真は国道沿いの鮮魚店。かつては数軒並んでいたそうだ(筆者撮影)

2020年、地域の空き家が開き始めた

最初に手掛けた元寿司店のビルを改装したもの。1階には森のようちえんが入っている(筆者撮影)最初に手掛けた元寿司店のビルを改装したもの。1階には森のようちえんが入っている(筆者撮影)

最近まで建設会社に勤めていたこともあり、建築やインテリア、DIY、まちづくりなどに興味があった杉山さんだが、国府津に引っ越してきてからはもったいないと思うことが多かったという。

「日本だけでなく海外も含めていろんなまちを見てきていましたが、国府津には使われていない建物が多い。引っ越してきてからでも国道一号線沿いの看板建築などがいくつも壊されてきました。とても心が痛む、もったいないことです。

一方で海と山が近く、小田原や横浜といった都市部のみならず、他方面にアクセスも良く、新しい働き方や暮らし方ができそうなのに現状は人が集まる場所も公園も少ない。どうしたら暮らしている人が楽しい国府津になるだろう。そんなことを考えるようになりました」

考えていただけではない。友人たちと「小田原足柄異業種交流会」を立ち上げて運営したり、空き倉庫を借りてボルダリングジムをやったりと杉山さんは行動の人でもある。さまざまな人脈があり、建築の知識があり、空き家をもったいないと思ってもいる。となれば、杉山さんに困りごとを相談してみようと思う人が出てくるのは当然かもしれない。

最初に手掛けた元寿司店のビルを改装したもの。1階には森のようちえんが入っている(筆者撮影)2階にあるシェアオフィス。寿司店の趣も一部に残る(筆者撮影)
3階のレンタルスタジオであり、平日はカフェとして使われているスーペース。両側にバルコニーがあり、気持ちの良い空間(筆者撮影)3階のレンタルスタジオであり、平日はカフェとして使われているスーペース。両側にバルコニーがあり、気持ちの良い空間(筆者撮影)

コロナ禍中の2020年に最初に手掛けたのは国道一号線沿いにある元々は寿司屋だったという3階建てのビル。知人が購入し、不動産会社と建築事務所として使っていたというがそれを杉山さんが借りることに。現在は1階には森のようちえん『おだわら・もあな保育園』が入っており、大きな窓が印象的な2階はコワーキングBLEND ACTIVE COWORKING KOZUとなっている。

1階、2階とは別の玄関から入る3階は海側、山側に広いルーフガーデンがあるレンタルスタジオBLEND STUDIOで火曜日から金曜日はカフェNEKO COFFEE ROASTER「SKY TERRACE」として使われている。山側に御殿場線が望める開放的な空間で、週末にはセミナーや勉強会、夜にバーなどとさまざまな使い方がされているそうだ。

現在、カフェを営業している女性は小田原市内、国府津からは少し離れたところに居住。自宅で焙煎をしてここで朝9時から営業している。店舗を探して相談に来たBLEND STUDIOが気に入り、2ケ月後には営業を始め、その後、やはり杉山さんが経営している台所BLEND SHARE KITCHENで営業したり、マルシェに参加したりとさまざまな活動をしている。いずれは路面店での開業も考えており、空き家を利用した施設でお試しで始めた営業が少しずつ伸び、国府津に愛着を持つようになっていったのだそうだ。

最初に手掛けた元寿司店のビルを改装したもの。1階には森のようちえんが入っている(筆者撮影)3階のバルコニーからは遠く御殿場線と山並みを見渡すことができる(筆者撮影)

地域の人、モノ、歴史その他がうまくBLENDされていく場を

曽我の施設の前に立つ杉山さん(写真提供/OVACANS)曽我の施設の前に立つ杉山さん(写真提供/OVACANS)

BLENDは杉山さんが次々に開けてきた施設に共通する名称で、国府津の人やモノ、歴史や自然、商売などといったさまざまな魅力がうまく混ぜ合わされていくことを願ったもの。前述の元寿司店ビルに始まり、今では16ヶ所にも及んでいる。

面白いのは使われ方が実に多岐にわたっているという点。ここまででコワーキング、スタジオ、シェアキッチンが出てきたが、それ以外には宿、ギャラリー、イベントスペース、コミュニティカフェ、レンタルスペース、賃貸住宅など。店舗として貸している場所もある。

「滞在時間の異なる施設を多数用意することで、国府津に来た人が少しずつこのまちを好きになり、少しずつ長く滞在してくれるようになることを意図しています。そして最終的にはこのまちに住もうと思ってくれたら」と杉山さん。
入口がたくさんあれば、いろいろなところから国府津を訪れる人が増えるはずでもある。一人で複数の場所を使う人も多く、それが地域への愛着を深めてもいる。

曽我の施設の前に立つ杉山さん(写真提供/OVACANS)郵便局の佇まいはそのまま。唯一、建物の郵便局の文字は外した(筆者撮影)
ATMコーナーを利用した本のスペース。他の施設でも本は置かれていた(筆者撮影)ATMコーナーを利用した本のスペース。他の施設でも本は置かれていた(筆者撮影)

取材ではいくつかそんな施設を見せていただいた。以下、ご紹介していこう。
駅のもっとも近くにあるのはBLEND POST。名まえの通り、元郵便局で、元郵便局長が建物を建てて郵便局として運営していたものの、建物の老朽化に伴って移転することに。その建物を元郵便局長に頼まれて杉山さんが借りている。現在は建物に掲げられた郵便局という言葉だけを削り、それ以外はそのままの形でレンタルスタジオとして使われている。

「ダンス、体操などのスタジオとして使われていますが、使っていない時は無人。ただ、ATMコーナーだけは無料の貸本屋として開放しています。他の施設でもスペースがあれば本のコーナーは作るようにしており、いずれは図書館も作ってみたいと思っています」

図書コーナーだけでなく、ベンチ、植栽も多くの施設に用意されている。ベンチ上に置かれた「どうぞのベンチ」というプレートからは誰でもウェルカムという、まちの中でどんな場をつくりたいかという杉山さんの思いが伝わってくる。

曽我の施設の前に立つ杉山さん(写真提供/OVACANS)優しい気持ちが伝わるベンチに置かれたプレート(筆者撮影)

場をつくるだけでなく、地元の人、産品を盛り上げる意味合いも

国道沿いに立地している。見えている赤いのれんは婚礼布団を加工したもの(筆者撮影)国道沿いに立地している。見えている赤いのれんは婚礼布団を加工したもの(筆者撮影)

郵便局の向かいにあるのは台所BLEND SHARE KITCHEN。35年続いた居酒屋だった場所を借りたもので1階はシェアキッチン、2階は賃貸住宅になっている。

「1年ほど空き家になっていたものを大家さんから頼まれて賃貸することになり、1階をシェアキッチンに。2階は賃貸住宅に改装しました。この地域は人通りが少なく、本業としての店舗はなかなか勇気がいります。ですが、副業やポップアップとして月1回、週1回なら成り立つ可能性があります。

国府津にはオリーブを生産する農家が何軒かあるのですが、その農家さんたちが搾りたてのオリーブオイルを味わえるオリーブキッチンを開催するなどの場としても使っています」

改修には地元の産品を多く利用した。暖簾は杉山さんが購入した一号線沿いの布団店(後日スポーツジムとコワーキングに改修された)にストックされていた婚礼布団をリサイクルしたもの。使われている食器はその後訪れたギャラリーに改装された蔵にたくさん積まれていたものだし、カウンター内の箪笥ももちろん、地域の不用品からレスキューした。

国道沿いに立地している。見えている赤いのれんは婚礼布団を加工したもの(筆者撮影)店内。以前の姿を活かして様々な工夫をプラスしてある(筆者撮影)
座敷、腰壁に竹が使われている。トイレには他にも何匹か猫が描かれている(筆者撮影)座敷、腰壁に竹が使われている。トイレには他にも何匹か猫が描かれている(筆者撮影)

面白かったのは小上がりの腰壁や奥の座敷に使われていた竹。日本のあちこちで放置竹林が問題視されているが、それをなんとか使えないかという工夫だそうで、こうすれば使えるのかという発見があった。特に座敷に置かれた編んだ竹で作られた茶室(!)はスケスケながらも独立感がある不思議な空間で、他でも使えそうである。

産品だけでなく、地元の才能も生かす改修になっており、トイレを開けると地元のアーティストが描いた猫たちが歓迎してくれる。頭上に輝く照明はもちろん、地元の工房で作られており、その端材は壁のガラス玉として使われている。青く丸いガラスが散りばめられた壁はどことなく海っぽく、この地の雰囲気にぴったり。杉山さんの空き家改修は地域の財産を再発見するものでもあるというわけだ。

国道沿いに立地している。見えている赤いのれんは婚礼布団を加工したもの(筆者撮影)箪笥や置物、桶などもすべて地元でかつて使われていたものをリサイクルしている(筆者撮影)

蔵や物置まで再生。人が集まる場所に

蔵の外観と2階。壁の鉄板はそのままになっている(筆者撮影)蔵の外観と2階。壁の鉄板はそのままになっている(筆者撮影)

シェアキッチンと道を挟んで反対側、通りから少し入ったところにあるのはKURA shop&gallery。関東大震災でも壊れなかった107年前の蔵を改装、ギャラリーやショップなどとして使えるように改装したものだ。元々は近隣に住む陶器を商っていた人の蔵で、借りることになった時にはぎっしりモノが使っており、撤去には2~3カ月かかったとか。その当時の残置物のうち、食器類は前述のシェアキッチンで使われている。

内部にはもともと鉄板が貼ってあったそうだが、1階は壁面の大谷石を見せるためにそれを撤去。2階は鉄板のままとしてある。腐っていた階段は新設、1階、2階ともに使えるようにした。

取材でお邪魔した時にはこれからここで個展を開く予定というアーティストが下見に訪れていた。聞くと以前、作品を撮影した時の雰囲気が素晴らしかったため、ここで個展をやることを決めたという。壁の荒々しさとは反対にそこに落ちる光の繊細さが印象的な空間で、アーティストがここに自分の作品を置きたいという気持ちが分かる気がした。

蔵の外観と2階。壁の鉄板はそのままになっている(筆者撮影)蔵1階。ここで撮影したらさぞや人もモノも映えるだろうと思える空間だった(筆者撮影)
物置小屋を改装したアトリエ内部。キウイの蔓を利用したリースが目を惹いた(筆者撮影)物置小屋を改装したアトリエ内部。キウイの蔓を利用したリースが目を惹いた(筆者撮影)

最初に訪れた寿司屋ビルの脇を入ったところにはBLEND HUTと名付けられた一戸建てを利用した店舗、その脇には物置を利用したドライフラワーのスタジオがあった。

「ここは土地、建物の所有者が異なり、一戸建ては関東大震災後に大工さんが廃材を利用して建てたもの。雨漏り、老朽化がかなり進んでおり、所有者は建物を手放したがっていました。解体するためには200万円くらいかかるため、それならタダであげると建物を貰い、土地を借りて、今、一戸建て1階で観葉植物店、2階で古着を販売するTAMAYURA PORTOが入居。物置は小さいのでどうしようと思いましたが、今、ドライフラワーのショップ&アトリエDaisy driedflowersが入っています」

ドライフラワーのショップにお邪魔してみるとちょうど教室の開催中。小さな落ち着く空間でキウイ(!)の蔓を使ったリースが作られつつあった。小田原ではキウイも栽培されており、それを使っているという。ここでも地元産品がいかされていた。

蔵の外観と2階。壁の鉄板はそのままになっている(筆者撮影)前所有者が持て余していた建物を譲り受けて改装。土地は借りている(筆者撮影)

道行く人がほぼ全員杉山さんに声をかけるワケ

海岸、道を挟んで海の向かいにある2棟。サイズ感はだいぶ違う(筆者撮影)海岸、道を挟んで海の向かいにある2棟。サイズ感はだいぶ違う(筆者撮影)

海沿いにも2つの施設がある。国府津は海沿いを西湘バイパスが走っており、海の眺望は期待できないのだが、2つの施設のうち、民泊として使われている小さな住宅BLEND SEA CABINは少し高台にあってバイパスと岸壁の間から海を臨む。それが人気でよく利用されているそうだ。

「国府津の海は浜からすぐ60mほどに深くなっており、海水浴はできませんが、投げ釣りでイカやヒラメ、わかしなど大物も釣れると遠くから人が来ます。私も海岸で朝ヨガイベントなどを開催しています」

海岸、道を挟んで海の向かいにある2棟。サイズ感はだいぶ違う(筆者撮影)普段は無人だが、使われている時には昼夜ともに賑わう(イベント時の写真提供/OVACANS)
こちらは宿泊施設。コンパクトながら大きなバルコニーがあって気持ちよさそう(筆者撮影)こちらは宿泊施設。コンパクトながら大きなバルコニーがあって気持ちよさそう(筆者撮影)

岸壁の近くで運営しているのはBLEND PARK & BEACH COWORKING。倉庫だったところを借りたもので、100人ほども入る大空間でマルシェや映画鑑賞、演劇、勉強会、プロレス、単なる遊び場など様々な用途で使われている。

「以前、友人10人と借りてボルダリングジムをやっていたのですが、2019年の台風で波が来て施設が使えなくなってしまいました。でも、場所としては気に入っていたので波が来ても大きな被害にならないように、子どもからお年寄りまでが集える地域の公園のようになればとの思いで、スクリーンとステージだけを作り、私一人で借りることにしました。

コロナの時にはスーパーに行くのが怖いという人達と栽培したものが売れない農家さんを繋ぐ無人販売商店や半分の屋外部分を利用してさまざまな交流イベントの場としても活用。今は隣近所の人から都内の人まで広く使われるようになりました」

地元の人のニーズを推察、場をつくってきたからだろう、取材では道行く人がほぼみんな、杉山さんを知っていていることに驚かされた。おじいちゃんが行く場所がないと聞くとじゃあ、そういう場所をつくろうと動く人である。地元の人たちにとってはこれまで誰も手をつけない、動かせなかった空き家をなんとかしてくれる頼もしい人。声がかかるのも当然で、実際、これまでの活動の場もほとんどが人からの紹介によるものだそうだ。

海岸、道を挟んで海の向かいにある2棟。サイズ感はだいぶ違う(筆者撮影)小田原は意外に海が遠いと杉山さん。国府津では西湘バイパスの下を抜ければこんな風景(筆者撮影)

暮らす人が楽しい、隙間のあるまちを国府津につくりたい

イベント時の曽我の施設前。周辺は田んぼが広がる(写真提供/OVACANS)イベント時の曽我の施設前。周辺は田んぼが広がる(写真提供/OVACANS)

最後にお邪魔したのは国府津市街地から少し離れた田んぼと梅林が広がる曽我にあるSOGA BLEND。もともとは小田原市の曽我支所だったコの字型の建物で1956年に建設されたもの。2019年に建物の老朽化を理由に廃止され、2021年に市が民間提案制度を活用して利用法の提案を募集。杉山さんはそれに手を挙げて2022年に建物の売買契約を行い、2023年6月にオープンした。

外観に加え、内部もそれほど大きく手は入れられておらず、建物右手にある元事務所だった洋室はコワーキングに、広い座敷はコミュニティカフェに、体育館はアップサイクルラボ&ギャラリー&ショップになっている。座敷の一部は無料の貸本屋さんでもあり、外には酒樽を利用した茶室も。

この場で意図しているのはコワーキングで働くデザイナーやIT業界などこれまで農業とあまり縁の無かった事業者が農家と繋がる場を作ることで、農家のお困りごとを解決できるようにしたいということ。いろいろな人が働き、交わるようになれば知恵も出てくると考えているのである。

イベント時の曽我の施設前。周辺は田んぼが広がる(写真提供/OVACANS)平屋で横に広いため、全体像が分かりにくいが、右が執務室として、中央が集会室として、左側が体育館などとして使われていたらしい(筆者撮影)

16施設すべては回れなかったものの3時間ほどご一緒しただけでその幅の広さは十分堪能できた。杉山さんの活動に刺激されてか、杉山さんが関わった以外にも周辺にはいくつか新しい店やスタジオが誕生しつつあり、国府津の魅力はかなり浸透しつつある。

「通勤時間は多少長くなるものの、都内で25坪の土地に建つ3階建てより、西湘エリアで200坪の土地の平屋を選択する人が徐々に増えています。都市部と物価はあまり変わりませんが、国府津には日常の豊かさがある。そこに気づいた人達が移住し始めています」

といってもBLENDは移住者を多く引寄せ、賑やかなまちを作ろう、小田原や鎌倉のような観光地を目指そうというものではないと杉山さん。

「暮らしている人が第一。目指しているのは子どもから若い子、お年寄りまで誰にもとっても居心地の良い、隙間のあるまち。行政がやるまちの共有スペースはどこか自由がない。それよりは民間の手でみんなが使える場所を少しずつ増やし、気持ちのよい暮らしができるようにしていきたいですね」

地域ごとに一人、杉山さんがいたら。そんなことを思った取材だった。

■取材協力
BLEND https://seisho-blend.com/

イベント時の曽我の施設前。周辺は田んぼが広がる(写真提供/OVACANS)執務室はコワーキングとして、集会室はコミュニティカフェとして、体育館はリサイクルグッズのギャラリー、ショップとして使われている。随所に古さを感じる建物だ(筆者撮影)

公開日:

ホームズ君

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