人気の宿泊施設「URASHIMA VILLAGE」をあえて売却する意図
香川県三豊市が今、注目を集めている。
2017年に長年地元の人たちが清掃活動を続けてきた父母ヶ浜が日本のウユニ塩湖としてSNSで大ブレイク。それをきっかけに観光客、移住者が急増し続けている注目のエリアだ。
さまざまな個性のある宿泊施設があることでも知られているが、そのうちでも代表的な存在が瀬戸内海に臨む荘内半島の中腹にある宿「URASHIMA VILLAGE」。2021年のウッドデザイン賞も受賞したこの建物は、2000坪(約6600m2)という広大な土地に3棟だけが建つという贅沢な宿である。
父母ヶ浜が盛り上がったことで大手のリゾート会社が進出してくるとの噂がたち、それに対して外部の資本に自分たちの地域を任せるよりは自分たちで主導権を握ろう、地域で経済を循環させようとの意図で生まれた宿で、地元企業11社が出資した瀬戸内ビレッジ株式会社が運営。2021年に誕生した。
その宿が売却されるという。何故なのか。
「土地、不動産は売却しますが、運営はそのままです。もともと地元企業がURASHIMA VILLAGEに出資したのは配当目当てではなく、お金を出し合って新しい仕事を作るという意図でした。これまでも宿の運営は出資企業が担っており、今後もそこは変わりません。家賃は払うことになりますが、出資企業は今後も宿の運営を責任を持って続けます」と解説するのは出資企業のひとつ、株式会社喜田建材の不動産部門を担当するくらしの不動産の島田真吾さん。
一般的にはリースバックと呼ばれる仕組みである。これを利用することで運営会社には不動産売却による資金が入り、次の投資を行うことができるようになる。また、クラウドファンディングを利用して売却することで多様な株主が関わることになり、それは宿のファンを増やすことにも繋がる。これまで不動産は所有することに意義を見出していた人も少なくなかったが、その不動産で何をするかを考えれば必ずしも所有する必要がないケースもあるわけだ。
地域の不動産市場の流動性を視野に入れて空き家を再生
くらしの不動産では地域に多く点在する空き家も同じようなやり方で再生しようとしている。
一般的な地域再生の文脈の中での空き家活用は空き家を改修、販売したところでおしまいだが、そこから一歩進んで購入した物件を一定期間ショールームとして保有した後に売却、次の物件を再生するという循環を作ろうとしているのである。
そうした循環が生まれれば市場にはある程度改修された質のいい物件が増えることになり、新たに買う人には買いやすい状況が生まれる。流動性が高くなるのである。島田さんはそのために空き家をマッピングすることから始め、改修、販売までの道筋を作り続けてきた。
「地方では空き家はあってもそれを外、特にポータルに出したがらない、購入目的の用途によって価格が変わるなどの傾向があり、なかなか物件情報が出てこない。空き地も同様です。そこでまず、自分の歩いた範囲で空き家、空き地のマッピングを始めました。ただ、空き家をそのままで販売しても価格が安いので仲介手数料も安く、やればやるほど赤字になります。
そこで次に買い取って再販する事業を試みました。古民家というほど古くはなく、でもそのままでは売れない、そんな住宅を安価で買い取り、内外装のフルリノベーションはもちろん、薪ストーブを入れるなどして改修。1800万円で売り出したところ、それまで3年間売れなかった家が2日で売れました。
これをやることで空き家が流通し、工務店の仕事が生まれ、建材が売れ、職人の技が生きて継承され、不動産会社に手数料が入り、ユーザーもうれしいという六方良しが実現できます」
そこまででも十分、空き家は生きるのだが、さらに購入した不動産を別荘として使いながら、自分が使わない時には民泊として稼がせておき、何年か後に売却、その資金を元に次の物件を買うということになれば、空き家は次々に開いていく。一度改修された建物が市場に出ることで市場の物件レベルは上がり、安心して買えるようになれば流通も増えるはずだ。
「瀬戸内暮らしの大学」では不動産活用のノウハウをレクチャー
不動産には民泊以外にもシェアハウスやシェアアトリエ、小商い店舗その他いろいろに稼がせる手がある。
不動産に投資すると聞くと住宅一択としか考えない人も多いが、近年の暮らし方、働き方の変化はさまざまな使い方を生んでいる。
加えて、そうした使い方をすることは空き家の解消、所有者の収益だけでなく、地域にも寄与する。パン屋が無かったところにパン屋ができたらと考えるだけでその意味はお分かりいただけよう。空き家改修、販売が六方良しだとしたら、地域の人が喜ぶを加えて七方良しになるのだ。
だが、自宅を買うだけならまだしも、不動産で稼ぐためにはそれなりに情報、知識やネットワークなどが必要になってくる。そこで島田さんは地元にある学び舎「瀬戸内暮らしの大学」(以下暮らしの大学)で「地域ではじめてのゲストハウスオーナークラス」を開催している。
暮らしの大学はURASHIMA VILLAGE同様、地元の19事業者(現在は22社)が出資して2022年に生まれた。趣味やスポーツなどといったカルチャースクール、公民館的なプログラムがある一方で地域や仕事にも役立つコースもあるというもので、学び以上に地域への愛着や人間関係を育む場でもある。地元で起業する時に欲しい事業に役立つ人的ネットワーク構築も暮らしの大学の出資企業と繋がることで可能になる。地域で起業する人、事業を継承する人、経済を回せる人を増やすという意味合いも伺えるのである。
地域内で経済を回すのであればそこに過大な利益を乗せる必要はなく、地価を大きく変動させ、ジェントリフィケーション(地域が活性化することで地価が高騰、もともと住んでいた人が住めなくなる現象)を引き起こすこともないだろう。
また、不動産への投資はいくら空き家が安いといっても多額に及ぶ。1社、一人でやるには限界もあり、今後はURASHIMA VILLAGEのようにファンドを利用、空き家を再生、事業を増やす、持続させることを目的としたファンドを組成。地域にプレイヤーを増やすことを考えたいと島田さん。「不動産の未来をつくるためにはまず、まちの未来をつくらないと」というのだ。
もうひとつ、大事なことを加えておくとくらしの不動産はそもそも喜田建材が建材を売るために作った部門だということ。どの業界でもそうだが、流通の中間にいる事業者は近年ビジネスがしにくくなっている。競合の増加、ダイレクトな取引その他理由はいろいろ挙げられるが、それに抗するため、同社では建材を販売するための三豊が有名になる以前からさまざまな策を講じている。不動産業もそのひとつだ。
「地域には不動産、建物を扱える人が必要」人材育成にもテコ入れし、まちの未来をつくる
建材を販売する事業はBtoB(事業者間の取引という意)の仕事である。
販売相手は工務店などの事業者だが、工務店にもっと建材を買ってくださいというのは無理がある。仕事がなければ建材を買う必要がないからだ。
だったら、家を建てる人を増やせばよいというのが喜田建材が不動産部門を始めた理由だ。土地がないなら土地を探し、それを家を建てたい人に紹介、その人を工務店に紹介すれば、そこで建材が売れる。建材を買ってくれというのではなく、建材のニーズを自分たちで作る、自分たちで仕事を作るという姿勢である。
喜田建材では宿泊事業も手がけているが、それも同じ考え方から。
現在、同社では1棟貸しのゲストハウスを14棟17室運営しており、その中には自社で保有する物件、他にオーナーのいる物件などが混じっている。建てたい人がいればそれも工務店に仕事を依頼、建材を使ってもらうことに繋がる。また、建物自体は建材のショールームになる。
経営している宿泊施設は建材のショールームであり、社員の福利厚生施設であり、宿であり、関係する工務店、職人の職育の場、技術を見せる場であるなどと位置付けられているものもあり、1棟が複数の用途で利用されている。ひとつの用途では収益が合わないとしても複数用途を想定することで全体として収支を合わせていこうという考え方をすればできることが増えるのではなかろうか。
もうひとつ、地元の工務店を支援、建材を売るという意図のもとに職人の雇用も行っている。
「全国展開するハウスメーカーは発注価格に厳しく、職人の技術向上、継承に関心がなく、自社で決めた年齢になれば発注を止めることもあります」と喜田建材の喜田貴伸さん。
地域に充分なアフターサービスもできないことも。10何年前に比べると撤退したハウスメーカーも多く、工務店にとつての競合は減っているが、それでも工務店は集客に弱く、人材育成もいまひとつ。
そこで雇用も、教育も自社で手掛けようというのだ。
「現在、大工を30人くらい抱えています。小さな工務店だけでは集客が難しく、仕事の波もあって大工などの職人を雇用しきれませんが、それを平準化させ、教育するスーパー下請けになることを考えています。これまでの建材商社は流通の流れの中の一部でしたが、ここでゲームチェンジ。主導権を持っていきます」と喜田さん。
工務店がなければ家が建たないだけでなく、災害後の復興も難しくなる。
それを考えると地域には不動産、建物を扱える人が必要だが、今、不動産会社も工務店も減少し続けている。喜田さんはそこを自社でテコ入れ、自社の仕事を生み出すだけでなく、まちの未来を生み出し続けているというわけだ。
少しずつ必要に応じて改修するという取組み
建材を中心に不動産、宿泊と手掛けている同社だが、さらに地域のコンテンツを増やそうと最近は食の分野にも進出している。
「いろいろな宿を提供しているので、何回来ても楽しめるところまでは来ていますが、まだまだ地域のコンテンツが少ない。特に少ないのは食。といっても新築で始めるのはハードルが高いので、空き家を利用してやりましょうとスタートしたのが讃岐らぁ麺 伊吹いりこセンターです」と島田さん。
利用したのは隣接する観音寺市の市場に近い通りの元食兼住宅だった空き家。同じ通り沿いには店もなく、そんなところに早朝4時(現在は6時)から開店の飲食店は無謀と言われたそうだが、蓋を開けてみると行列店になり、その影響で周辺には宿、居酒屋、鮮魚店などが次々にできて来たとか。
その変化以上に面白いのは既存の店内にはほぼ手を入れず、トロ箱(魚類を入れる木箱)を加工した椅子やテーブルを新たに追加した程度であるということ。最初から多額をかけて改修するのではなく、とりあえずスタートしてみて、その後に必要に応じて少しずつ手を入れていこうという考えからだ。だが、写真を見ると元の食堂のレトロでごちゃごちゃした感じは独特の雰囲気になっており、きれいにすることだけが人気店を生むわけではないことが分かる。
改修するとなると一部だけではなく、全部一度に手を入れてしまおうというのが一般的だが、建設費が上がる中、こうした段階を追って必要な部分に少しずつというやり方はあっても良さそう。実際、今回の取材ではもう1軒、同じやり方で改修している建物を見学した。
それが三豊市の東、多度津町にある藝術喫茶清水温泉を経営する合同会社ふくぞうの日高明道さんが現在順次改修しているおのみち屋だ。
ピークは遠い未来でいい
清水温泉、おのみち屋があるのは多度津町の元々はメインストリートだった多度津本通。細い道の両側には古い木造家屋が並んでおり、藝術喫茶清水温泉は大正末期に創業、平成初期に廃業した元銭湯を利用したカフェ。当時使われた湯船や番台を使っており、そこにポップなアートが花を添える。
経営する日高さんはもともとは奈良県奈良市で飲食と物販、ギャラリーを経営していたが、息子であるイラストレーターのヒダカナオトさんの作品が縁で多度津に来ることに。来た頃の通りは閑散とし、駐車場に続く道は草ぼうぼうで呆然したそうだが、2018年の清水温泉を皮切りに空き家を活用。現在はゲストハウス「空と家」を経営するなど地域を変えつつある。
日高さんが手掛けているうちで最大の建物が元醤油店だった尾道屋(現在の名称はおのみち屋)。敷地内には4棟が別れて建っており、2年かけてそのうちの2棟は改修したが、まだ小さい蔵と1棟が手つかずで残っている。
「20年くらいは空き家になっていたのではないでしょうか。ゴミと埃がすごくて鼻の穴が真っ黒になりました。大変だろうとは思いましたが、この周辺にはこの規模の古民家はあまり残っていません。残さなくてはと取り組んできました。
今、息子の作品を中心にギャラリー、ショップとして使っている蔵は骨組みはしっかりしていたので蔵のドア、石の階段などを修繕、外のナマコ壁、内側の壁は半分DIYで修復しました。全部職人さんに依頼する場合に比べると3分の1ほどで回収できたと思いますが、それでも1100万円ほどかかりました」と日高さん。
今後の改修にも費用と時間がかかるはずだが、日高さんはあまり気にしていない。すでに暗かった通りには灯りがともるようになり、人口2万人ほどの町の清水温泉に年間2万人以上が訪れるようになった。空き家だった宿は50%ほどで稼働しており、地域を訪れる人は確実に増えている。
「ピークを作らない、少しずつやるという考え方も大事じゃないかと考えています。それなら特別の人でなくても走りだせるからです。逆にピークは遠くでよいとも思っています。ひとつひとつ、形になっていけば良い。やって良かったと思うのはずっと先でもいいんです」
売上の3分の1は工事に使っているものの、まだまだ先は見えない。だが、歩みは確実で、それを見込んで他の地域の再生を依頼されるようにもなった。一度に完成を目指さなくても良いと考えると取り組めることも増えるのだ。
ちなみにおのみち屋のギャラリーではここでしか買えないヒダカナオトさんの作品が置かれており、それを訪ねてくるファンも多数。1個300円のガチャを3万円分買っていく人もいるそうで、取材時に何も買わなかったことが今になって悔やまれる。
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