熊本地震の被災地全域に広がる「回廊型フィールドミュージアム」
2016(平成28)年4月14日に発生した「熊本地震」から間もなく9年が経つ──同一地域で「震度7」の地震が連続発生したのは、地震観測法が改正された1949年以降初めてのこと。そもそも“地震が少ない”と言われていたはずの九州中部地方で巨大地震が発生したことは大きな衝撃であり、「日本国内どこで暮らしていても、震災はすぐ身近に迫る危機だ」ということを痛感した方も多かったのではないだろうか?
しかし、この9年の間にも、大阪北部、北海道胆振東部、福島県沖、石川県能登地方など日本各地が大きな震災に見舞われており、「災害記憶の上書き」によって熊本地震の印象が少しずつ薄れつつあるのも事実だ。
そこで、「震災の記憶を未来へ遺し、経験や教訓を風化させることなく後世へ伝えたい」との想いからオープンしたのが、熊本地震の被災地である旧東海大学阿蘇キャンパス内にある《熊本地震 震災ミュージアム KIOKU》だ。《KIOKU》統括ディレクターの久保尭之さんにお話をうかがった。
大きな被害をうけた旧東海大学阿蘇キャンパスの建物と断層を同時に展示
▲熊本地震 震災ミュージアム KIOKUの統括ディレクターであり、みなみあそ観光局戦略統括マネージャーの久保尭之さん。「私自身は鹿児島の出身ですが、熊本地震の発災直後から現地入りしてずっと救助活動を行ってきました。現在は観光地域づくり法人 みなみあそ観光局の一員として、ここ南阿蘇で暮らしています」「旧東海大学阿蘇キャンパスの1号館は1973(昭和48)年に竣工し、以来半世紀近く東海大生たちの学び舎として使われてきました。しかし“建物の真下”を断層が貫いているとは認識されておらず、熊本地震の際には大きな被害を受けました。
幸いだったのは、発災が夜間だったこと。1号館には学生たちがほとんど残っていなかったため、警備スタッフも含めて全員無事に避難することができました。
キャンパス内での人的被害がなかったことから、東海大学のご協力により熊本県が建物・地表地震断層を含む一画を東海大学から譲り受け、震災遺構の展示施設として活用することになったのです。ただし、遺構だけを残して展示しても断片的でわかりにくいので、震災の経過がちゃんと伝わるように《KIOKU》も含めてトータルでの展示を行っています」(以下「」内は久保さん談)
ちなみに「震度6強という強い揺れを受けながら倒壊しなかった建物」と「横ズレを起こした断層」が一体的に保存展示されている施設は、世界でも貴重であるという。
「住みたいところに住み続けるためにはどうしたら良いのか」を考える場所
《KIOKU》の館内は、3つの展示室と交流ラウンジに分かれている。
展示室1では、震災遺物や被災状況の写真、地震発生当初と直後を映像で振り返るシアター上映などを通じて「当時の記憶」をたどり、展示室2では、熊本の地形・地質と地震との関連性を解き明かしながら「熊本の大地」について学ぶ。展示室3では、被災した人たちの言葉や復旧・復興の歩みを通して「自然とともに生きる方法」について考え、交流ラウンジでは語り部の話や企画展示等から「防災への心構え」を深めることができる。
「来場者の半数以上が、熊本旅行中に立ち寄って下さった方や修学旅行生、研修で熊本を訪れた企業・自治体関係者など県外の方たちです。皆さんの様子を見ていると、地震に対する危機意識が全国的に高まっていることがわかります。
展示内容をご覧になって衝撃を受ける方も多いのですが、ここへきて悲観してほしいわけではありません。最も重要なコンセプトは“自然と共に生きていく”ということ。地震は、ある意味私たちが避けようのない災害であって、だからといって“地震があった場所にはもう住めない”というわけではないんです。
地震の現実を受け入れ、災害リスクを最大限抑えながら、“自分たちが住みたいところに住み続けるためにはどうしたら良いのか?”という課題と向き合うことをここで体験してみてほしい。それが、私たち《KIOKU》スタッフの想いです」
誰かの役に立つことで、理不尽な震災の経験を浄化していきたい
震災遺構の保存については、東日本大震災以降もたびたび議論が続いている。
「防災・伝承教育に有効である」「学術的価値がある」「地域の観光資源になる」といった保存推進の意見に対し、被災地の人たちにとっては悲しい記憶を呼び起こすトリガーともなりうる。
この震災ミュージアムに対する地域の人たちの反応はどうなのだろうか?
「やはり震災直後と、震災から9年が経とうとしている今のタイミングでは、地域の皆さんの感情が変わってきた印象です。熊本城の天守閣が復旧され、熊本空港のターミナルビルも完成して震災復興が一段落してくると、“地震直後はつらかったけど、こうやって遺構を残すことができて良かった”という声のほうが大きくなりました。
私が運営責任者として常々感じているのは、“地震の経験というのは本当に理不尽なものである”ということ。あくまでも自然が起こした天災であって、誰かを恨むことも、攻めることも、悔やむこともできないからこそ、せめてその経験が“誰かの役に立つこと”につながれば、理不尽な想いを少しずつ浄化できると思うんです。
地震や防災の話というのは、難しくてハードルが高いと思われがちですが、そのハードルをちょっと下げて、皆さんが観光ついでに《KIOKU》の展示に興味を持ってくださること。そして、熊本地震での理不尽な経験を知ることで、地震や防災を考えるきっかけにつながり、大切な人たちにも伝承してもらうこと。そのすそ野を広げる存在になれたら嬉しいですね」
震災地域の再建には、「希望」を語れる人が必要
久保さんのお話で特に印象的だったのは「震災後の再建にはフィクションも必要だ」という言葉だった。
震災後に繰り返しテレビに映し出された被災地の映像は、良くも悪くも私たちの記憶に刻まれる。そして、あの惨状を思い起こすたびに“もう観光地としての復興は厳しいだろう、被災地には人が二度と住めなくなってしまうだろう”などと消極的なイメージを持ってしまう。
しかし、たとえフィクションだとしても、誰かが「大丈夫だよ!絶対頑張れる!ここに住み続けることができるよ!と力強く発言するとその言葉が伝搬し、被災者の勇気となって、地域全体の空気感がガラリと変わっていく」と久保さんは語る。
熊本地震の時は、東日本大震災の被災地の方々が先輩となっていろいろなアドバイスを行った。能登地震の時は、熊本の人たちが震災経験の先輩として積極的に被災地支援を行った。こうして被災地の知見や経験をつないでいくことこそ、被災地再建に欠かせない「大切な記憶」であり、《熊本地震 震災ミュージアム KIOKU》がこれから担っていく重要な役割となるのだろう。
■取材協力/熊本震災ミュージアム KIOKU
https://kumamotojishin-museum.com/kioku/
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