「閉館するため」に昭和館を継いだ3代目館主

小倉昭和館(以下昭和館)は1939年に映画館兼芝居小屋として創業した福岡県内最古の映画館。

1960年代の映画館最盛期の小倉には113館もの映画館があったそうで、昭和館にも近隣に3館の姉妹館があった。北九州市は1989年から映画の映画やドラマ等の撮影誘致と支援に取組み、2000年には日本初のフィルムコミッションを設立。映画の街・北九州を標榜しているが、北九州の人達の映画好きはそれ以前からというわけだ。

面白いのは映画だけでなく芝居も上演していた点で、昭和館の古い写真の中には舞台衣装をまとった片岡千恵蔵(戦前・戦後にわたって活躍した時代劇スター)を囲む創業者・樋口勇さんらの姿が残されている。映画館というのに舞台があるのはそのためだ。

座席数600席、1スクリーンで始まり、昭和40年代前半には座席数を減らしてパチンコ店を併設したり、2館に分けたり、邦画だけから洋画も上映するなどさまざまな変遷を経て、2004年にはシネマコンプレックスの進出などにより既存の一般上映館として市内唯一の存在に。1996年~1999年頃に人気テレビアニメの映画版の大ヒットで一時的に動員数が増えたことを除けば、映画館としての経営はずっと大変な状況が続いてきた。姉妹館は昭和40年代には相次ぎ閉館してもいた。

創業者である樋口さんの祖父と片岡千恵蔵との写真(頂いたパンフレットから接写)創業者である樋口さんの祖父と片岡千恵蔵との写真(頂いたパンフレットから接写)

そんな中、2011年に3代目として跡を継ぐために戻って来たのが当代館主の樋口智巳さん。彼女が跡継ぎとなったのはそもそも映画館を終わらせるためだった。
「20年間ずっと、年間1000万円以上の赤字が出ていました。姉妹館を順に閉鎖、私財をつぎ込んで続けている状態でしたが、それを続けてきた2代目である父に映画館を閉館する役をさせるのは酷。3代目の私が少しずつ準備しながら閉めようと考えたのです」

最初はそう思いながら、その後、樋口さんは映画館を訪れる人達を喜ばせる企画を次々に打ち出していく。
戻ってきて3年目の創業75周年には芥川賞作家の田中慎弥さん、直木賞作家の葉室麟さん、マラソン銀メダリストの君原健二さん、俳優でもあるイラストレーターのリリー・フランキーさん、女優の栗原小巻さんなどを呼んでトークイベントを実施。創業周年イベント以外にも、月1回程度開催されるシネマカフェ、ソロライブ、講談などあげ始めればきりがない。企業や個人への貸館なども行った。
結果、2019年にはなんと赤字を脱するところまでになった。

ところが2022年8月に隣接する旦過市場で火災が発生、昭和館も延焼してしまったのである。

旦過市場火災後、昭和館再生に1万7000以上の署名

樋口さんが跡を継ぐまで長年赤字が続いていたことからも分かるように、単館映画館の経営状況はいずれも厳しい。例を他に上げると2022年にミニシアターの草分けとされた岩波ホールさえ閉館しており、火災当初は樋口さんも再開は難しいと考えていた。
映画館建設に多額の費用がかかるのはもちろん、そもそも昭和館の土地を所有する大家が許可してくれなければ再建はできない。

火災後も大学やホテルなどの場を借りて月に1度上映会を続けていた樋口さんも本音では自分の劇場を続けたいと思っていたが、それは軽々に口に出せることではなかった。その背中を押したのは再生を願う人達の声だった。

特に大きかったのは以前から昭和館のイベントなどにボランティアで関わってきた人達の「シネクラブサポート会」が行った署名活動。火災から3週間後に開かれたイベント前売り券の一部返還窓口オープンと同時にスタート、地元のみならずオンラインで日本全国、海外からも署名を集め、その数は1万7000以上にも及んだ。

ロビーには多くの人達からの色紙やコメントが飾られているロビーには多くの人達からの色紙やコメントが飾られている
ロビーには多くの人達からの色紙やコメントが飾られているこちらも応援の声。映画に合わせて飾られている写真は常連の人が現地に行った時のものを持ってきてくれたとか

その声は土地を所有する事業者も動かした。結果、再建が決定したのは同年11月のこと。
しかも、再建にあたって、火災の2日前には、焼失前の既存建物の図面が奇跡的に建築家の元に渡っていたという出来事があった。

昭和館再建の設計を担当した株式会社タムタムデザインの田村晟一朗さんは、
「鑑賞後、映画にちなんだお酒や軽食を楽しめるようにエントランスにバーカウンターを作りたいと依頼を受け、必要な箇所を計測、同時に図面を受け取っていました。その時点でもっと人が集える場所、地域を感じられる場所を作りたいという意図を聞いていました。ところが火災になり、これはペンディングかと思っていたところ、2カ月ほど経った時期に再建する場合の予算、日程についての問い合わせがあり、その後、正式に再建が決まりました。当初の計画に加え、ロビーまで誰でも入れるようなスタイルにして建て直したいということになりました。しかも、翌年の12月に開催が決まっていた第一回北九州国際映画祭に間に合わせたいとのことでした」と話す。

ロビーには多くの人達からの色紙やコメントが飾られている樋口さんと田村さん。毎日のようにやりとりをしながら建設を進めていったそうだ
ロビーには多くの人達からの色紙やコメントが飾られている火災に遭う前から樋口さんが要望していたスペースもきちんと作られ、イベント時その他に活用されている

新生「昭和館」は、見やすい・使いやすい・映画を楽しめる工夫が多数

再建へ着工したのは2023年4月。オープンを12月に間に合わせようというのだから時間的には非常に厳しい。しかも、かつての建物は木造の時を経た味わいがあり、趣があり、その昔懐かしい雰囲気を堅くなりがちなRC造でどう再現するのか……田村さんは何度も提案を出し直した。
また、市内には映画館をつくった経験のある設計士もいなかった。田村さんは、自らシネコンに椅子のサイズや間隔を測りに行くなどして細部を詰めていったそうだ。

建設費が高騰、人手不足が進む現在だととうていできそうにないスケジュールであり、実際、施工事業者を募集する時点では5社の入札があったものの、2社が辞退。ほんの少しタイミングがずれていたら再建できなかったかもしれない。しかし、逆に完成すべき日が明確だったからこそ、再建へ向けて一致団結できたのかもしれない。

建物は無事2023年12月に完成。8日、9日のプレオープンを経て12月14日にグランドオープンを迎えた。

新しい昭和館は前と変わらぬ雰囲気は保ちながら、実は以前よりコンパクトになった。以前は227席、96席の2つのスクリーンがあったが、新生昭和館は134席の1スクリーン。舞台は以前より幅が広くなり、袖(客席から見えない舞台両脇の奥の部分)から出やすくなった。

全体としてはコンパクトになったが、隅々まで配慮があり、それは今後も磨き続けると樋口さん全体としてはコンパクトになったが、隅々まで配慮があり、それは今後も磨き続けると樋口さん
全体としてはコンパクトになったが、隅々まで配慮があり、それは今後も磨き続けると樋口さん再生後の昭和館。新しいのに懐かしいをテーマにRC造らしからぬ穏やかな雰囲気に
舞台の下に椅子を収納するなどコンパクトになったスペースを無駄なく使う工夫も凝らされている舞台の下に椅子を収納するなどコンパクトになったスペースを無駄なく使う工夫も凝らされている

「舞台の下に折り畳み椅子が収納できるようにし、トークイベントの時にはそこから椅子を出して設営します。座席自体は以前のイメージを踏襲していますが、前から2列目までは映画のスクリーンを見やすいように少し寝かせて、最後列は逆に少し立ててあります。座席の前には映画鑑賞や出入りの邪魔にならないように荷物掛け、傘立てを設置、高齢のお客様なら杖が置けるようにしてあります」と樋口さん。

また、最後列と壁の間を空けてあるのは、映画鑑賞途中でトイレに行きたくなった時、他のお客さんの邪魔にならず、後ろから回っていけるようにするため。取材時のカメラの置き場でもある。もうひとつ、昭和館では上映前に樋口さんが映画にちなんだお菓子やコーヒーなどを販売しているのだが、その時に客席内を歩きやすいようにという配慮でもある。

全体としてはコンパクトになったが、隅々まで配慮があり、それは今後も磨き続けると樋口さんよく見ると確かに前列と以降の席の傾きが微妙に異なっている

映画をみなくても入れる、地域に開かれた昭和館のロビー

チケットを販売するカウンターではそれ以外にグッズや樋口さんによる著作なども販売されているチケットを販売するカウンターではそれ以外にグッズや樋口さんによる著作なども販売されている

ロビーで大きく変わったのはチケット売り場。
以前は外に窓口があり、チケットを買った人以外は館内に入れないようになっていたのだが、新生昭和館はロビー内のフロントがチケット売り場になっている。ロビーまでは映画を見なくても誰でも入れるようになっており、奥にはカウンタースペースも。壁にはピクチャーレールが用意されており、絵画などの展示もできるようになっている。映画館のロビーというだけでなく、地域に開かれたコミュニティ空間となっているのだ。

樋口さんは火災前に田村さんへ、人が集まる場所にするためロビーの改装を依頼していたように、昭和館を映画を見るだけの場所ではなく、映画をきっかけにして人が集まる、関心の広がる場所として意識しているのだと思う。ある種の文化の拠点であり、人の拠りどころとしての映画館と考えると、明るく開かれたロビーはそれにふさわしい。

また、昭和館はそれまで樋口家の家業だったが、再建のタイミングで法人化をしている。同時に再建にあたってクラウドファンディングを実施。目標だった3000万円を大きく上回る4027万円強を集めた。

これによって昭和館は広く地域、映画を愛する人達のための映画館という存在になったのだ。

ひときわロビーで目を惹くのはかつてのネオン看板。
すべてが消失した中で唯一残った品で、それがそのままフロント上部に飾られている。
「レストアして使うという案もありましたが、キレイになり過ぎるということでそのまま使うことになりました。かつて訪れたゲストの有名人たちがよくこの下で記念写真を撮っていたそうで、往時を思わせる品です」と田村さん。

置かれている家具は可動式で組み合わせて使えるようになっている。これはイベントごとに人数、内容が異なるため。それほど広い空間ではないので使い方でできるだけ快適に使おうという工夫だ。それ以外についてはできるだけかつての雰囲気を残し、昔からのファンの人たちにも違和感がないように腐心した。

チケットを販売するカウンターではそれ以外にグッズや樋口さんによる著作なども販売されている昭和館の歴史を語るネオンサイン

役者・演出家・監督など、映画人の名が刺繍されたシートも楽しみのひとつ

さて、現在の昭和館は封切上映時以外は映画の2本立て。
2本で通常1500円(各種割引デー、会員、学生割引などもある)で観賞できるようになっており、シネコンとは一味違う映画が見られるのが特徴。選定は樋口さんがやっており、当然ながら上映される作品は全部見ている。
「家にいる時は複数のインターネットの映画サイトのいずれかが常時つけっぱなしになっており、さまざまなジャンルの作品を見ています。上映スケジュールチラシでは、なぜ、この2本なのかを説明しており、1本で見るより理解が深まるようにと考えています」

ちょうど取材に訪れた時には韓国の歩みと題して韓国映画「ソウルの春」、「タクシー運転手 約束は海を越えて」の2本だてを上映していた。それぞれで見ても面白い作品だが、合わせてみると自然に韓国の歴史、現在に想いを馳せることができるという。
それ以外にも他ではなかなかみれない話題作、社会性の高い作品その他がランナップしており、訪れる時には事前に作品を調べ、十分に時間を取って行くようにしたいところだ。

また、上映前には樋口さんが地元の老舗洋菓子店のマドレーヌや熊本のアイスクリーム、昭和館オリジナルブレンドの珈琲などを販売するため上映館内をまわる。飲食は可能になっているので、ぜひ、昭和館オリジナルの商品を楽しみながら映画を楽しんでもらいたいところだ。

上映前に樋口さんが自らお菓子や飲み物などを販売して回る。他の映画館では見られないアットホームな雰囲気上映前に樋口さんが自らお菓子や飲み物などを販売して回る。他の映画館では見られないアットホームな雰囲気
上映前に樋口さんが自らお菓子や飲み物などを販売して回る。他の映画館では見られないアットホームな雰囲気淹れたての珈琲なども注文でき、我が家にいるような気分で映画が楽しめる

もうひとつ、映画以外の楽しみでは映画監督や俳優、作家その他の人たちの名の入ったシートに座ること。
これは昭和館を応援する人達で、刺繍を寄贈する形で作られているもので当初40席が現在(2025年1月)は47席になっており、さらに今後も増える予定とか。
好きな俳優さんの名まえのある席に座れたらラッキー!である。

ちなみにどの位置の誰の席があるかはご本人のリクエストによるもの。自分の誕生日にちなんで1列目の6番という人もいるし、二代目だから2列目で名に七が入っているから7番などとなっているそうで、掲示されている名と番号からそれが何故この人なのかを推測してみるのも楽しいのではないだろうか。
さまざまな面からここだけの鑑賞体験ができるはずだ。

上映前に樋口さんが自らお菓子や飲み物などを販売して回る。他の映画館では見られないアットホームな雰囲気館内にはどこに誰の名の椅子があるかが記載されている。今後も増える予定というから楽しみだ
上映前に樋口さんが自らお菓子や飲み物などを販売して回る。他の映画館では見られないアットホームな雰囲気金糸でお名まえが刺繍されている。見回すとあちこちに点在している

小倉の地で変わる旦過市場、ずっと変わらない昭和館がもつ意味

映画だけでなく、イベントも頻繁に開かれている。限定上映の後にアフタートーク、スペシャルライブ、トークセッションなどのほか、地域で行われるイベントや展覧会などとのコラボイベントもあり、映画+αが楽しめる。小さな会場だけにゲストと距離が近いのが魅力だ。
近隣にあったバーのママが来てカクテルを作るなどという楽しい夜もあれば、ここでママをやってみたいという作家さんもおり、今後はさらに楽しくなりそう。ご近所に住んでいる人がうらやましい。

また、貸館もできるので自分たちが作った映画を上映する、それ以外のイベントで活用することも可能。人数を集めてみんなで好きな作品を肴にしたパーティーも楽しそうだ。

火災前は昭和館の裏手に飲食店が集まっていたそうだ火災前は昭和館の裏手に飲食店が集まっていたそうだ

さて、火災にあった隣接する旦過市場は今後、変貌することになっている。
老朽化した木造家屋が細街路に集まっていたことが火災被害を大きくしたし、過去には市場脇の河川からの浸水被害もあった。そのため、河川改修、土地区画整理が一体的に行われる予定ですでに解体が進んでいる区画もある。現在営業している店舗が新しい施設に移る計画なので、市場自体は変わらないものの、風景は変わるだろう。

そこにずっと変わらぬ昭和館があると考えると再生の意味は大きい。
昭和館はリノベーション・オブ・ザ・イヤー2024で「地域文化再生賞」を受賞しているのだが、審査の過程ではこれは新築であり、リノベーションではないのではないかという疑問の声もわずかながら出たそうだ。
だが、再生の経緯を考え、地域にとっての意味を考えると、これはリノベーションと呼ぶにふさわしいと判断されたという。

実際、現地を訪れてみると再生された新しい建物ではあるものの、いままでの時間を感じさせる存在でもある。
"新しいのに懐かしいという"不思議な感覚を味わえる昭和館の空間は稀有ではなかろうか。

火災前は昭和館の裏手に飲食店が集まっていたそうだ河川に張り出すよう店舗がつくられている現在の旦過市場
火災前は昭和館の裏手に飲食店が集まっていたそうだ旦過市場の開発は徐々に進んでおり、この姿を見ることもできるのもあとわずか

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