糸島の海を見渡す高台の住宅は問題を抱えていた

福岡県糸島市は福岡市都心部から都市高速またはJR利用で30分ほどという利便性に加え、海、山のレジャースポット、歴史を反映した景勝地などに恵まれ、近年、観光地、移住先として注目を集めている地域だ。
都市近郊型の農業、漁業、畜産業が盛んで安全・安心な新鮮でおいしい食材としての「糸島ブランド」もよく知られたところだ。市北東部には九州大学伊都キャンパスがあり、学術研究都市づくりの推進も地域のイメージには大きく貢献しているという。

その糸島市の糸島半島の丘の斜面に1981年7月に建てられた木造2階建て+木造平屋建ての2棟からなる住宅があった。南に海が見渡せるのは糸島半島内でも珍しいロケーションで、母屋から望む風景は美しかったが、この住宅はいくつか問題を抱えていた。

海側からのリノベーション前の建物全景。遮るもののない眺望がうかがわれる(撮影/八代写真事務所)海側からのリノベーション前の建物全景。遮るもののない眺望がうかがわれる(撮影/八代写真事務所)

ひとつは建物そのものがこの土地の環境を大きく毀損していたこと。
今から40余年前のこの地は都市計画区域外にあり、規制も少なかったようで、建物はセルフビルドで建築されていた。環境、地形に配慮することなく建ててしまったのだろう、建物を建てるために植物を伐採したことなどが原因で土壌が乾燥して痩せてしまっていた。

「床を解体したところ、その下の地面がかちかちに乾いて地割れしていました。着工してから地滑りの兆候があること、基礎が破断されていることも分かりました。いずれも既存建設時に問題があったと思われます」と意匠設計・デザイン・実施設計を担当した株式会社タムタムデザインの田村晟一朗さん。

また、母屋からは絶景が望めるものの、母屋の配置上北側にある中庭や離れからは風景から切り離されていた。せっかくの眺望が分断されているのはもったいない。もちろん、昔の建物であり、耐震性能、断熱性能にも不足があった。リノベーションではそうした諸問題をすべてクリア、建物をより魅力的に、長く使い続けることを目的に行われた。

海側からのリノベーション前の建物全景。遮るもののない眺望がうかがわれる(撮影/八代写真事務所)中央にあるのが今回のリノベーションの舞台となった元の建物。海のそばの高台に立地する(撮影/八代写真事務所)

9世代、300年後に残す建物としてリノベーション

建物の保有者は雲孫、つまり自分から数えて9世代目の孫の時代までを視野に入れて長期的に社会課題に取り組むことを志す財団。そこでリノベーションにあたっても9世代、約300年先の未来にも使い続けられることを意図した。

そのために行ったことは大きく3つ。ひとつ目は乾ききった地面を自然の力を借りて再生させること。具体的には地中に杭を打って雨水を地中に戻すことにした。
「財団が依頼して土中環境の専門家が現場を調査、湿っている層と乾いている層が分離、それによって土砂災害が起こりやすくなっていることが分かりました。そこで母屋と離れをつなぐウッドデッキの支柱はコンクリートや束石は使わず、糸島の間伐材を利用、先端から1mくらいを焼いてシロアリ対策をした上で地中に刺し、そこから雨水が地中に浸透するようにしました」

開放的な軒下空間(非断熱設計)を特徴とする母屋(右)と室内環境を意識した断熱設計の離れ(左)を繋ぐウッドデッキを新設。その杭が雨水を地中に浸透させる役割を果たす。見ていただくと先が黒く焼かれていることが分かる(撮影/八代写真事務所)開放的な軒下空間(非断熱設計)を特徴とする母屋(右)と室内環境を意識した断熱設計の離れ(左)を繋ぐウッドデッキを新設。その杭が雨水を地中に浸透させる役割を果たす。見ていただくと先が黒く焼かれていることが分かる(撮影/八代写真事務所)

また、破断していた基礎については特殊な繊維シートを巻いて固め、地滑りに対してはセメントを入れて地盤改良を行った。
「これまで手掛けた物件で地滑りの兆候があったのは2件目。1件目は行政案件であったこともあり、危険、費用を考えて中止になりましたが、ここではきちんと対策を講じ、建物を活かし続けることになりました」

この何年か降雨時に土砂災害、崖崩れや倒木などが引き起こされることが続いているが、実は土中や環境を意識せず、無造作に建てられた建物が悪さをしていることがあるのかもしれない。開発にあたっては法令など人間の世界のルールだけでなく、環境も含めた自然のルールも考慮すべき時代になっているのだろう。

開放的な軒下空間(非断熱設計)を特徴とする母屋(右)と室内環境を意識した断熱設計の離れ(左)を繋ぐウッドデッキを新設。その杭が雨水を地中に浸透させる役割を果たす。見ていただくと先が黒く焼かれていることが分かる(撮影/八代写真事務所)離れの背面から見た建物全景。ただ木を植えるだけでは環境は回復しないそうだ(撮影/八代写真事務所)

住宅から、集い交流するための空間に大きく変化

建物も大きく変えた。元々の2棟は中庭を挟んで向かい合っていたが、リノベーションでは2棟間に大きなウッドデッキが作られた。アウトドアのリビングのような空間である。

母屋は1階中央にリビングがあり、海に向かって左側に水回り、和室、右側に和室が作られていたが、和室は左右ともに無くなり、左側には風呂と洗面、トイレ、右側には室内から、室外から使える2つのサウナ、コンパクトな水回りと収納が作られた。

簡単に言ってしまえば生活を意識した住宅から集うこと、交流することを中心にした空間に生まれ変わったとでもいえば良いだろう。そのため、キッチンは軽く洗い物をする、電子レンジで料理を温める程度の機能に抑えられている。

実際、ウッドデッキ、リビングで集い、語らい、サウナで寛いで過ごすといった形で使われているそうで、庭にはピザ釜も。海側のデッキから入るサウナは海を見ながら楽しめるようになっている。

左にウッドデッキ、離れがある。母屋は左側に小さなキッチン的空間、収納があり、右側の2つのドアはいずれもサウナへの入口(撮影/八代写真事務所)左にウッドデッキ、離れがある。母屋は左側に小さなキッチン的空間、収納があり、右側の2つのドアはいずれもサウナへの入口(撮影/八代写真事務所)
左にウッドデッキ、離れがある。母屋は左側に小さなキッチン的空間、収納があり、右側の2つのドアはいずれもサウナへの入口(撮影/八代写真事務所)海側にある、海を見渡すサウナ内。こちらはバルコニー側から入る形になる(撮影/八代写真事務所)

間取りの変更以上に大きいのは中庭側、海側の2面が大きな開口部になっている点。平屋の建物も中庭に面した部分の開口部は以前より大きく取られているので、平屋側からも眺望が楽しめるようになった。もちろん、母屋の眺望は以前よりもダイナミックに。

もともと天井が高い建物だったこともあり、室内にいるのに外にいるような感覚。開口部を開け放つと戸外の気持ちがよいの一言である。特注の2.6mのサッシの重さを支えるため、敷居の下には基礎と土台を増設してある。
母屋2階の1室だけは階段を含め、ほぼそのまま残してある。

左にウッドデッキ、離れがある。母屋は左側に小さなキッチン的空間、収納があり、右側の2つのドアはいずれもサウナへの入口(撮影/八代写真事務所)開け放つと自然と一体となった気分が味わえる。壮大な雰囲気(撮影/八代写真事務所)
左にウッドデッキ、離れがある。母屋は左側に小さなキッチン的空間、収納があり、右側の2つのドアはいずれもサウナへの入口(撮影/八代写真事務所)離れのウッドデッキからでも海が見えるようになった(撮影/八代写真事務所)

あえて手のかかる建物にすることで、長く使い続けられるように

もうひとつ、見た目では外壁、ウッドデッキに使われている無塗装の赤身の強い杉材が目を惹く。小国(熊本県)、日田(大分県)など九州の材である。塗装をしていないため、すでに経年変化が始まっており、色が変わり始めている。自然に馴染みはじめていると言っても良いかもしれない。

「あえて無塗装の、メンテナンスが必要で手間のかかる材を使っています。これは財団の理念に従ったもの。愛着を持って手を入れ続け、修理しながら使い続けることでものは長持ちします。普通の家の寿命が30年だとしたら、大事にされた家は300年持ちます。日本にもそうして長く保たれている建物は多々ありますし、海外でも鉄でできていて酸化しやすいパリのエッフェル塔は7年に1度塗り替えをしているそうです」
と自身も手間のかかるヴィンテージバイクを愛する田村さん。あえて何年持ちますという材ではなく、様子を見続けなくてはいけない材を使い、常に建物を意識するようになっているそうだ。

ウッドデッキ部分はすでに色が変わり始めている。無塗装で変化は早い(撮影/八代写真事務所)ウッドデッキ部分はすでに色が変わり始めている。無塗装で変化は早い(撮影/八代写真事務所)
ウッドデッキ部分はすでに色が変わり始めている。無塗装で変化は早い(撮影/八代写真事務所)7年に一度塗装し直すというパリのエッフェル塔。そんなに頻繁だったのかと驚き

といっても外壁、ウッドデッキに使われている無垢材の劣化は意識で防げるものなのか。
「こまめに掃除をするだけで持ちは変わってきます。落ちた枯葉をそのままにしておくとそこから湿気てきますが、適宜掃き掃除をするなどして湿気が貯まらないようにするだけでも違うものです」

財団はこのエリアを雲孫ベースとして周囲の土地の空気、水の循環を促して土壌を改善する取組みなどを行っており、その一環として建物の手入れにも人が来ている。人が荒らした自然を人の手で少しずつ保全、元に戻して行く、そんな試みが行われているわけである。

ウッドデッキ部分はすでに色が変わり始めている。無塗装で変化は早い(撮影/八代写真事務所)この建物周辺には他にも建物その他があり、さまざまな取組みが行われている(撮影/八代写真事務所)

リノベーション・オブ・ザ・イヤー2024で無差別級部門最優秀作品賞を受賞

見た目には分からないが、住宅の性能も大きく変わった。特に離れは団らんの場であり、宿泊などすることも多いため、断熱性能にこだわり、屋根には30㎝、壁には20㎝のロックウールを入れるなどしてUa値を0.24(HEAT20G3)の日本最高基準まで向上させている。鉄骨造で大きな開口部がある建物でもリノベーションでここまで性能を上げることができるのである。
同様に圧倒的な高さの開口部を作りながらも見えないところに筋交いを入れることで母屋は耐震等級1を取得している。
「古い建物でもやる気になれば高水準の快適な空間を作ることができるのです」

母屋から離れを見たところ。離れは団らんの場として作られている(撮影/八代写真事務所)母屋から離れを見たところ。離れは団らんの場として作られている(撮影/八代写真事務所)
母屋から離れを見たところ。離れは団らんの場として作られている(撮影/八代写真事務所)母屋。目立たないように筋交いを入れるなどして補強が行われている(撮影/八代写真事務所)

もうひとつ、取材でお伺いしていて興味を惹いたのはクライアントである財団と設計者である田村さん、基本計画・プロデュース・断熱監修に関わったJapan. asset management株式会社との関係。

プロジェクト進行時は毎週のように財団の定例会で15分だけ時間をもらい、進捗について報告していたそうだが、前述の地滑りの兆候、基礎破断などといった事態を説明、対応を考えるには15分は短い。なぜ、そうなったなどとクライアントが言い出したら時間はいくらあっても足りない。

だが、任せた以上は原因を問うのではなく、大事なのはそれにどう対処するか、それが可能なのかという点。もちろん、予算があってその変更が可能だったからというのも大きいだろうが、古い建物では開けてみて分かることも多い。そこでいちいち、設計者その他を責めて、理由を問い詰めても問題は解決しない。そのあたりのリテラシーのありようもリノベーションを成功させるためには必要なのかもしれない。

また、プロデュースを担当したJapan. asset managementが専門家である田村さんの言葉を通訳。「要点をまとめて伝えてくれたことも大きかった」と田村さん。同じ言語で話していても専門家と部外者ではひとつの単語を違う意味で捉えていることがある。それをそのままにしておくと後日、そんなはずじゃなかったということが発生することも。住宅に関する場面はそうしたことが起きやすい。同じことを話しているのか、時々は調整しながら進めることも大事だろう。

同リノベーションはリノベーション・オブ・ザ・イヤー2024で無差別級部門最優秀作品賞を受賞した。
地球環境、長期的展望というスケールの大きな視座が評価されたものといえそうである。

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