存続の危機に瀕している茅葺きの家
世界遺産に認定された白川郷の合掌造りは、誰もが知るところだろう。しかし、世界遺産以外にも、茅葺き屋根の家は今も全国に残っているのをご存じだろうか?
筆者は2024年8月、愛知県豊田市・足助地区にある施設「三州足助屋敷」で行われた茅葺きに関するワークショップに参加した。
施設内には付属施設も含めて現在4棟の茅葺きがあり藍染めや炭焼き、紙漉きなど、日本の伝統工芸を見て体験できる場所だ。屋敷がある香嵐渓は、紅葉の時期は多くの人で賑わう有数の観光地。紅葉と茅葺き屋根という、日本の原風景が楽しめる場所だ。
しかし、1980年にできた三州足助屋敷の茅葺き屋根は、修繕しなければならない時期を迎えているが、職人も材料も足りておらず、維持に大きな課題を抱えている。
このような茅葺きにまつわる問題に取り組むため、2024年6月「合同会社かやすけ」が誕生した。その発起人の一人が立松昌朗さん。学生のときから茅葺き屋根に魅了され、本業の傍ら茅葺きについて活動し続けてきた人である。
話を聞くと、茅葺きの価値は単純に伝統文化を守ることだけにとどまらず、里山環境の改善や生物多様性の保全など、多くの価値があることがわかった。三州足助屋敷にて、立松さんに話を聞いた。
働きながら各地で茅葺きの家に関わる
立松さんが茅葺きに興味を持ったのは、若い頃に白川郷の写真を見たことだった。それは、屋根の葺き替え作業をしているところで、何十人もの人がびっしりと一つの屋根にのぼっている様子だった。
伝統的な茅葺きの家は「結(ゆい)」といって、集落のみんなで屋根の材料となる茅を刈り集め、住民が全員でそれぞれの屋根を葺き替えてきた。
「自分もあの屋根にのぼってみたい」。そう思った立松さんは、大学院生のときに京都府南丹市美山町で行われた茅葺きワークショップに参加。2泊3日で茅葺き職人の指導のもと、参加者たちと一緒に作業した。
「みんなで一緒に作業できることが茅葺きの魅力だと思います。一般的な建築だと普通の人は関われないけど、茅葺きは普通の人でもお手伝いできる余地がある。あとシンプルに、茅葺き屋根にのぼれたのは、すごくワクワクしましたね!」
その後、立松さんは大手機械メーカーに就職。昔から好きだった飛行機と建築で迷ったが、より想いの強かった航空機開発の仕事を選び、建築はライフワークとして休日を中心に活動してきた。働きながら休日は各地の茅葺き屋根の葺き替え現場に出向いて、作業を手伝ったりワークショップに参加したりする日々を過ごした。
しかし、地元は愛知県。この地域にも茅葺きの家はある。地元でもなにかやりたいと思っていたときに、豊田市の隣・岐阜県恵那市でボロボロになった茅葺き屋根を見つけた。そこは空き家だったが、訪ねるとたまたま管理している人がいて話を聞くことができた。
「今、ここを宿にしたいという話が持ち上がっているが、屋根を直せる人がいなくてどうしようかと思っている」と言うではないか。
「私がやります」と二つ返事で答える立松さん。自治体とも相談して再生することに決まり、つながりのあった関西の職人さんを紹介して、屋根を葺き替えた。
これが、立松さんにとってはじめての地元での茅葺き再生となった。現在は「茅の宿とみだ」として一棟貸しの宿になっている。
「茅葺き屋根を残したい」地域からの声
以来、立松さんは恵那や豊田で3軒の茅葺き再生に携わってきた。
そんな中、足助地域で生まれ育ち、事業を営んできた丸根さんから「三州足助屋敷の茅葺きを守ることに力を貸してほしい」という相談を受けた。
実は、この相談を受けた数年前、施設内に4つあった茅葺き屋根のうち1つの屋根が修繕できずトタン屋根を被せてしまった。
というのも、現在愛知県には茅葺き職人がいないのだ。屋敷の屋根を手入れしてくれていた職人も、約20年ほど前に引退してしまい、地元で後を引き継ぐ人はいなかった。残された3棟も限界がきており、何か手を打たないとすべてトタン屋根になってしまう。
「茅葺き屋根にそこまで愛着を持っていた自覚があったわけじゃなかったけど、トタン屋根に変わってしまって、すごく寂しく感じました。自分が生まれ育った地域の原風景を残したいと思ったんです」
そう語る丸根さんは立松さんの存在を知り、話を持ちかけたのだ。
「茅葺き屋根を残したい」という地元の希望。しかし、葺き替えには多額の費用がかかる。2人でどうしようか言い合いながらも、なかなか話は進まない。
そんなとき、付属施設である「栗の木茶屋」の茅葺き屋根修繕の話が持ち上がった。「本気でやるからには団体を作ろう」と、立松さんと丸根さんを含めた4人のメンバーで、2024年6月合同会社かやすけを立ち上げた。
茅葺きの家は生物多様性を守る
かやすけの最初のミッションは、栗の木茶屋の葺き替えだ。どの屋根も修繕が必要だが、特に傷みのひどい栗の木茶屋を2025年1月に葺き替え、一般の人にも参加してもらえるワークショップも行う予定だ。
しかし、茅葺きの材料となる茅が足りない。茅とは特定の植物の名前ではなくススキやヨシ、ワラなどの総称で、愛知だけではなく全国的に足りていない状況だ。
他の地域にいる茅葺き職人も、阿蘇や御殿場といった大きな茅場(かやば・茅が取れる場所)から調達していることも多い。
立松さんは、この「茅場」があってこそ、茅葺き民家を守る意義があると語る。
「茅は基本的に日本全国どこでも育ちます。そして、不耕地や人工林など、現在問題となっている場所を茅場として利用することで、放置されていた場所が再生されるというメリットがあるんです」
たとえば担い手がいなくなり耕作できなくなってしまった不耕地は、外来植物が繁殖し暗く荒れた藪地になり、光を必要とする草原性の植物が育たない。しかし、人の手が入り、茅場や草場に変えることで、植物の数が増え生物多様性を守る上でも重要だという。
立松さんは植物の専門家とも連携し、茅場に生物や植物がどれくらいいるのか調査も行っていくという。
茅は屋根として利用した後も使える。20~30年屋根として使われた後は、土に還り肥料になるのだ。茅は循環し、そして材料となる茅が育つ茅場では多様な生物が育まれる。
「私は茅葺きの建物自体が好きというよりも、人と自然が互いに利用しあう関係にあることが好きなんです」
茅葺き屋根は日本の伝統文化を守るという意味合いだけではなく、現在問題となっている荒れた土地の再生、さらには生物の多様性を守るという意味でも価値があるものだ。
立松さんは、茅葺き屋根の材料となる茅を地元で確保できるようになることが最も重要だという。かやすけでは足助地区内の集落で茅場再生に取り組んでおり、三州足助屋敷の屋根にも使う予定だが、これだけではまだまだ足りない。この地域で茅場を増やしていくことも、今後の課題だ。
かやすけが目指す茅葺きの家がある未来
他にも課題はある。「想像できると思いますが、茅を集めるだけでは全然事業にはなりませんよ」と立松さんは笑う。
かやすけを事業として成り立たせるためにも、今後は企業と連携していきたいと語る。
「今は、企業はSDGsや環境対策が求められる時代ですが、何に取り組めばいいかわからない企業もあると思います。私たちは、地域内外の企業に『茅』の価値を知ってもらい、私たちとともに地域環境と里山文化を守る活動に取り組んでいただきたいと思っています」
実際、かやすけでは地元企業と共同で地域内の茅葺き屋根を修復する構想も持ち上がっている。さらに、茅場の確保や管理などのノウハウを企業や団体に提供することで、茅場が全国に広がっていくことも期待している。茅場が増えることは、生物多様性の保全だけではなく地域の景観保全にもなるので、地域貢献という意味でも価値があるだろう。
「喫緊の目標は、各地に茅場を作ること。足助地域の茅葺き屋根修繕だけで、何千束という茅が必要です。この地域の茅葺き屋根を、100%地元の茅で作れるようにしたいですね」
立松さんが目指すものは、それだけにとどまらない。茅場を増やした後は、足助から茅葺き職人が誕生してほしいとも語る。
「実は、茅葺きに関わる人を養成する講座を開けないかなと思ったりしています。自身は職人ではないけれど、茅の扱い方を教えたり、職人を招いて講座をしてもらうことはできるかもしれません。そして、最終目標は新築で茅葺きの家が建てられることです。そのためには、地元で茅の調達ができて、屋根を葺くときに手伝ってくれるコミュニティがあって、地域に職人がいることが必要なんです。そこまで、もっていきたいですね」
立松さんは仕事をしながら3年間大学の社会人コースに通い、卒業後に二級建築士の資格も取った。その間、2021年には大手機械メーカーを退職し、地元の木材を扱う木材会社の企画職に転職した。そして、現在は登録有形文化財の登録に必要な調査・報告ができる「ヘリテージマネージャー」の資格取得に向けて勉強している。本業を続けながら、茅葺きを残すために全力で駆け抜けている最中だ。
「茅葺き屋根にのぼったのが、すごく楽しかった」というシンプルな動機からはじまり、ここまで茅葺きに取り組んできた立松さん。1人の情熱から周囲の共感を得て、地域の茅葺き文化を次世代につなぐ役割を担おうとしている。これから茅葺き屋根の風景がどのように変わっていくのか、今後も注目していきたい。
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