築69年の木造平屋建て「金城市場」を復活させた夫婦

1955年(昭和30年)に創業した木造平屋建ての市場が復活し、現在はイベントやマルシェを行っている「金城市場」。名古屋市北区にあり、地下鉄・志賀本通駅から徒歩10分ほどの場所にある金城市場は、375.8平方メートルの広々とした空間に、飲食や物販の出店が並び、ときには1,000人以上も訪れる人気の場所となっている。

イベントを行っていないときの金城市場内部。イベント時はここに出店者が並ぶイベントを行っていないときの金城市場内部。イベント時はここに出店者が並ぶ

金城市場を運営するのは、企業でも団体でもない、4年前に東京から戻ってきた夫婦2人だ。祖父母から相続した市場の広い空間を、自分たちで改装して蘇らせた。

2024年4月に総務省が発表した空き家の数は、約900万戸で過去最高を記録。日本全国で空き家が増えており、金城市場がある名古屋市北区の清水・尼ケ坂エリアも空き家が点在している。

「空き家を活用しないのはもったいない」と語る小田井孝夫さん・康子さん夫婦に、なぜ金城市場を改装して復活させたのか、その背景や空き家とまちに対する想いを聞いた。

イベントを行っていないときの金城市場内部。イベント時はここに出店者が並ぶ金城市場で取材に応じてくれた小田井夫婦

祖父母から金城市場を受け継ぎ、夫婦で改装

金城市場は1955年(昭和30年)に孝夫さんの祖父母が作った市場で、1970年代までは20~30の店が並び、にぎわっていたそうだ。しかし、その後徐々に店が撤退していき、ついに2018年頃には現在も残る平野屋精肉店1軒だけになった。

東京でライターをしていた孝夫さんは、金城市場を含めた清水・尼ケ坂エリアにある数軒の物件を相続し、2020年に夫婦で名古屋に戻ってきた。親が転勤族だったため、名古屋に住んだのは子どもの頃の約7年間。金城市場を訪れた記憶もなく、地域への思い入れが特別強いというわけでもなかったが、物件を手放すことは考えなかったという。

孝夫さん「この辺りは昔ながらの古い下町で、若い人たちが気軽に出入りできる場所が少ないように感じました。ならば、金城市場の独特の空間をうまく利用して、このまちならではの賑わいを生み出そうと思ったんです」

同時に「きれいに掃除したら使えるんじゃないか」と単純に考えていたというが、ことはそんなに簡単ではなかった。

巨大な空間に以前の店舗のものがそのまま取り残されていたので、まずそれらの処理だけで時間もお金もかかった。

市場の物が雑然と残る改装前の様子。窓もなく薄暗かった(写真提供:小田井さん)市場の物が雑然と残る改装前の様子。窓もなく薄暗かった(写真提供:小田井さん)

素人の夫婦2人だけではわからないことだらけだったので、建築士のアドバイスも求めながら、改装していった。

もともとあった天井は抜いて、燃えにくい不燃材を貼った。大がかりな作業だったので解体業者に天井を解体してもらい、200枚もの不燃材を貼る作業は大工さんにお願いし、小田井さんたちも一緒に手を動かした。ほかにも、柱の補強、壁の左官工事、トイレの改装、窓の修繕、床の防塵塗装など、作業は多岐にわたったという。

市場の物が雑然と残る改装前の様子。窓もなく薄暗かった(写真提供:小田井さん)もともとあった天井を抜いてスケルトンの状態になった現在の様子。模様が描かれたパネルが200枚ある
市場の物が雑然と残る改装前の様子。窓もなく薄暗かった(写真提供:小田井さん)腐りかけていた柱に、新しい材をつないだ。すべてを新しいものに取り替えるのではなく、もとの形をなるべく残すように工夫している

音楽、マルシェ、野菜の販売。多くの人が集う場へと蘇った金城市場

金城市場に来てから約2年、改装はまだ半分ほどの状態だったが、試験的に音楽ライブのイベントをやってみた。

孝夫さん「お客さんからすごくいい雰囲気だねと言ってもらえて、反応がよかったんです。目指してる方向は間違いないなと思いましたね」

すると、今度はイギリスのミュージシャンから「秋にジャパンツアーをするために会場を探している。ぜひ金城市場でやらせてほしい」と連絡が来た。ライブとともにマルシェも同時開催し、8組の出店者が集い、イベントは大成功。

お客さんの反応もよく、「またやってほしい!」という声が多く聞かれた。そこで、2024年1月から毎月1回「金城夜市」として、夜のマルシェを定期開催している。現在は約20店舗が出店し、約500人の来場者が訪れるようになった。

金城夜市の様子。昭和レトロのようでもありアジアのような雰囲気もある中で、人々は思い思いに楽しんでいる(写真提供:小田井さん)金城夜市の様子。昭和レトロのようでもありアジアのような雰囲気もある中で、人々は思い思いに楽しんでいる(写真提供:小田井さん)

金城市場には常設のお店も誕生した。2024年4月にはおむすび屋さんが、8月末にはフレンチ大衆食堂が誕生する予定だ。また、現在は不定期で八百屋さんによる野菜販売も行っている。

孝夫さん「金城市場をただのお祭り会場にはしたくなくて、普通の何気ない暮らしの中でも、ある程度機能している空間にしたいと思っています」

少しずつ常設の店舗も増え、にぎわいが増している金城市場。しかし、小田井さんたちが金城市場に来た頃、昔からあった平野屋精肉店は市場の復活に懐疑的だったという。

康子さん「『こんなところにお客さんが来るわけない』と思ったんでしょうね。でも今はマルシェのときにすごく張り切ってコロッケを用意したり、お客さんが増えてうれしそうなんですよ」

昔からあるお店と新しいお店が昭和の建物の中で融合しているのが、現在の金城市場の姿だ。

金城夜市の様子。昭和レトロのようでもありアジアのような雰囲気もある中で、人々は思い思いに楽しんでいる(写真提供:小田井さん)現在は毎週水曜日に八百屋さんによる野菜販売がある。徐々にお客さんも増えてきたという(写真提供:小田井さん)

評判を呼んだ空き家紹介の小冊子

小田井さんたちは金城市場と同時進行で、他5軒の空き家再生にも取り組んだ。「この地域に、おもしろいお店やにぎわいがほしい」と思った2人は、空き家を活用してくれる人を探す手段として「NAGOYA 2020 AKIYA LOOK BOOK」という小冊子を作った。

手描きの地図で、金城市場を含む6つの物件を紹介している手作りの小冊子だ手描きの地図で、金城市場を含む6つの物件を紹介している手作りの小冊子だ

康子さん「私たちはかっこいいホームページを作るとかは全然できなくて。イラストも手描き、アナログで作りました。この冊子を持って名古屋のマルシェやイベントを回って、いろんな人に声をかけました」

当時、名古屋に来たばかりで人脈はゼロ。しかし、この冊子の評判が人づてに伝わり、当時ドイツでコロッケ屋さんをしていた日本人女性から「もうすぐ帰国するから物件を見たい」と連絡が入った。こうして、小田井さんたちにとって一人目の入居者となった「コロッケ屋みね」が誕生すると、またたく間に行列ができるほどの人気店となる。

コロッケ屋さんの評判も広まったのか、その後、続々と入居者が決まり、現在では10軒ほどのお店が誕生した。

さらに広がる空き家再生の活動

小田井さんたちの活動は自分たちの物件だけに留まらない。周辺の空き家にも声をかけ、入居希望者と大家さんをつないでいる。

孝夫さん「いいなと思った空き家を見つけたら大家さんに連絡するんです。たいていは怪しまれて門前払いなんですけど、中には協力的な方もいて、これからお店をやりたい人とつなぐことができました」

小田井さんたちの活動により、これまでにパン屋や居酒屋がオープンしている。

小田井さんたちの活動により、空き家を改装して新たに誕生したベーカリー小田井さんたちの活動により、空き家を改装して新たに誕生したベーカリー

しかし、なぜわざわざ自分の物件以外にまで手を広げるのだろうか。

孝夫さん「このエリアは空き家が多くて。まちに空き家がたくさんあるとゴーストタウンにいるようで居心地が悪いんです。また、同じようなマンションや駐車場になるくらいだったら、今ある状態をうまく活用して、新しい個性的なお店になる方がいいんじゃないかなと思って」

「まあ、完全にお節介なんですけどね」と孝夫さんは笑うが、空き家のポテンシャルの高さも感じている。

孝夫さん「空き家は可能性の宝庫です。空き家をお荷物で恥ずかしいものと思っている大家さんも多いですが、そんなことはない。別の人の視点で、思いもよらないものに生まれ変わる可能性があることをもっと伝えていきたいですね」

今では、不動産会社・空き家を探している人の両方から問合せを受けるという小田井さんたち。金城市場含め清水・尼ケ坂エリアの認知度が高まってきているが、今後はもっとまち全体の魅力を上げていきたいという。

取材して、大工でもイベント会社でもない素人の夫婦が、巨大な市場を改装して人気のイベントを運営していることに驚いた。しかし、2人の柔軟な発想と行動力で、少しずつ人が集まり、居心地のいい場が生まれている。小さなエリアでの空き家活用の事例としても、金城市場周辺がどのように変化していくか、今後も注目していきたい。

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