漢江に浮かぶ小島にあった浄水場を生態公園へ。仙遊島公園

仙遊島、ソニュドとは神や仙人が遊ぶ島という美しい意味の名前を持つ漢江に浮かぶ島。だが、もともとは島ではなく、川辺にあった仙遊峰という小さな峰だったという。
美しい形の山で絵にも描かれていたそうだが、1925年の漢江大洪水の後、築堤に必要な石材を求めて峰は削られてしまい、かつての風景は失われた。その後、1965年に漢江の南北を繋ぐ楊花(ヤンファ)大橋が建設され、さらに1968年からは頻発する洪水を防止するために始まった第一次漢江総合開発事業ではこの地の砂が利用され、その結果、峰は現在のような島に。さらに1978年には浄水場が作られ、約20年間、ソウルの西南部地域に水道水を供給した。

浄水場が廃止されたのは2000年12月。漢江流域の他の浄水場と統合し移転したのである。ソウル市は浄水場の廃止と同時に跡地を公園とすることを決め、公園化事業懸賞コンペを実施。既存の建物などを一部生かした、環境にやさしい生態公園として造成。2022年に公開されている。

地下鉄の最寄り駅の仙遊島(ソニュド)駅からは漢江方向に歩いてアプローチするのだが、公園に近づくにつれ、オープンカフェなどが目立ち、地域一帯は憩いのスペースとなっている。公園へはソウル市とフランスの記念事業として建設された大きなアーチ型のソニュ橋を渡る。天気が良ければ漢江と緑の島、その向こうにソウル市中心部が見えるはずだ。

仙遊島へ渡る橋の途中で仙遊島(ソニュド)駅方向を振り返ったもの。たくさんの高層住宅が並んでいた仙遊島へ渡る橋の途中で仙遊島(ソニュド)駅方向を振り返ったもの。たくさんの高層住宅が並んでいた
仙遊島へ渡る橋の途中で仙遊島(ソニュド)駅方向を振り返ったもの。たくさんの高層住宅が並んでいた薬品貯蔵タンクとして使われていた建物。敷地内に何ケ所かあった

公園は浄水場の構造物を無駄なく生かして沈殿池を地下に沈んだような庭園にしたり、水生植物を育てる場にするなどしており、ところどころにはタンクも。コンクリートの柱のやれた雰囲気、錆びた配管などにはどこか廃墟のような風情もあり、そこによく手入れされた花が咲く風景はどこか不思議である。

公園からは漢江に架けられた橋を渡って戻ることもでき、時間があるなら歩いてみるのも一興。漢江両側には高速道路が走っており、絶え間ない交通量に勢いを感じる。

仙遊島へ渡る橋の途中で仙遊島(ソニュド)駅方向を振り返ったもの。たくさんの高層住宅が並んでいた水を貯めていた池の底に園路があり、さまざまな花が植えられていた
仙遊島へ渡る橋の途中で仙遊島(ソニュド)駅方向を振り返ったもの。たくさんの高層住宅が並んでいた水生植物が植えられているコーナー。コンクリート、鉄の錆びなどに廃墟感がある

かつてのソウル駅を文化芸術展示空間へ。文化駅ソウル284

ソウル駅は新旧2つの駅が並んでいる。日本でもJR西日本の奈良駅は新旧が隣り合っているが、それをイメージすれば交通量の増加に伴い、どこの国でも同じようなことが起きるのだということがよく分かる。奈良駅の場合には観光案内所になっているが、ソウルでは文化芸術展示空間とされている。

ソウル駅は韓国初の鉄道、ソウルと仁川(インチョン)を結ぶ京仁(キョンイン)鉄道の駅として生まれた。といっても最初からここにあったわけではなく、開通後にソウル方面の終着駅が延長され、それで新たに作られたのが南大門(ナンデムン)停車場。

南大門といえば600年以上の歴史を持つ一大市場がある場所である。東大門と並ぶソウルのショッピングエリアで、衣類から食品、工芸品、お土産などさまざまなものが売られており、かつ屋台、飲食店が並ぶ横丁も。その近くに駅が作られたわけである。

最初は木造の駅舎だったが、1922年から1925年までに3年間に及ぶ工事を経て、駅舎は壮麗な石材建築物として生まれ変わる。日本占領下であり、駅名は京城(キョンソン→日本占領下でのソウルの旧名)に変更されている。

その後、1945年に韓国が日本から解放された後、キョンソン駅はソウル駅と名を変え、長らくソウルの玄関口、鉄道交通の中心として使われてきた。それが閉鎖されたのは2004年。ソウル駅を起点とした高速鉄道(KTX)の開通に伴って新駅が既存駅の隣に建設され、既存のソウル駅は閉鎖されたのである。

新しいほうのソウル駅。都心部とは反対側の入口周辺新しいほうのソウル駅。都心部とは反対側の入口周辺
新しいほうのソウル駅。都心部とは反対側の入口周辺ソウル駅にほど近い南大門市場。ほぼなんでも揃う、活気のある場所

その後、2009年から2年間かけて復元工事が行われ、文化駅ソウル284という新しい名のもとにオープンしたのは2011年のこと。建築当時の駅内部の様子をそのまま再現、内部の巨大な空間を文化芸術の展示空間としたのである。ちなみに284という数字は旧ソウル駅建物の史跡番号なのだとか。駅舎の利用では奈良駅ではないが、日本では他も含めて案内所的なものが目につくが、芸術という切り口も面白いのではないかと思う。

これについてはかつてのソウル駅には2階に韓国初のグリルが人気で、時代に敏感な人たちが集まってモダニズムの拠点となっていたそうで、現在の使い方はそれを踏まえたものともいえる。

写真はソウル駅の南北をつなぐソウル路7017(後述)から撮影したもの。ソウル駅周辺では現在交通を整理、大きな空地を整備する工事などが行われており、あと数年もすると風景は大きく変わりそうである。

新しいほうのソウル駅。都心部とは反対側の入口周辺新旧の駅が並ぶ。駅前ではなにやら工事が行われていた
新しいほうのソウル駅。都心部とは反対側の入口周辺ソウル駅と塩川橋の間部分。2018年に撮影した写真では線路が走り、トラックなど止まっていた場所だった

廃線跡を出入り自由、水と緑に溢れた公園に。京義線森の道

京義(キョンイ)線森の道も鉄道関係のリノベーションである。廃線になったキョンイ線の線路敷地を公園にしたもので全長6キロ超。都市の中の広い緑道といった趣で、公園沿いにはしゃれた店なども並び、公園には大きな影響力があることを実感する。

キョンイ線は1904年に完工したもので、韓半島を南北に貫通する重要な路線だった。キョンイ線の終着駅新義州(シニジュ)駅から中国の長春まで鉄道で移動するとヨーロッパ行きの列車があり、フランスのパリまで旅行することも可能だったのだ。しかしながら、1950年から1953年の戦争で韓国と北朝鮮との間に軍事境界線が設定されたことから、キョンイ線も南北で分断。そのまま、時間が過ぎていった。

2000年の6・15南北共同宣言ではキョンイ線復元に対する合意がなされ、2003年には南北間のキョンイ線連結式も開催されたものの、実際の鉄道の運行は今も再開されていない。

一方、キョンイ線のうち、都心部を通る一部区間は地下化。廃線となった昔の線路はしばらく放置され、荒れていたものの、ソウル市は貴重な都市空間を公園として再生することを決定。2012年から都市再生プロジェクトが立ち上がり、2016年に全区間が完成している。

何ケ所かには鉄道跡地であることが分かるようなモニュメントが置かれていた何ケ所かには鉄道跡地であることが分かるようなモニュメントが置かれていた
何ケ所かには鉄道跡地であることが分かるようなモニュメントが置かれていた延南洞区間にはせせらぎがあり、これはその入り口部分

公園とはいうものの、入口、出口やフェンスがあるわけではなく都市の中に細長く緑地があるというのが実際の状況で、普通の道を歩く代わりに緑の中を歩く選択肢があるというところだろうか。緑だけでなく、場所によってはせせらぎ、並木もあり、非常に気持ちの良い空間になっている。

ところどころに鉄道が走っていたことを思わせる線路、駅舎、踏切などのオブジェがあり、そうしたものを眺めて歩くのも楽しい。犬を連れて、カップルで、コーヒーを片手にと様々な年齢層の人たちが歩いており、こうした公園が近くにあるのは幸せだろうなと思う。

実際、公園の周囲にはしゃれたカフェやレストランなどができており、公園が地域を変えたことがうかがえる。

何ケ所かには鉄道跡地であることが分かるようなモニュメントが置かれていた公園内は掃除が行き届き、あちこちには季節の花も
何ケ所かには鉄道跡地であることが分かるようなモニュメントが置かれていた公園沿いにはしゃれたカフェ、レストラン、ショップが並ぶ地区もあり、公園が地域の売りになっているようだった

ソウル駅の東西を結ぶ高架道路を緑溢れる歩行道路に。ソウル路7017

前述の文化駅ソウル284のすぐ脇にあるのがソウル路7017。もともとはソウル駅高架道路と呼ばれていた高架道路で、ソウル駅の東西を繋ぐために1969年から建設が開始され、1975年に全区間が完成している。駅の東西のうちでも特に大きな役割を担っていたのはソウル駅西側エリアから南大門市場への物流。1970年から1980年代のソウル経済発展の象徴だったとされる。

1日に平均4万6000台と交通量の多い道路だったものの、1990年代末から安全を懸念、撤去するか、他の使い道を探すかなどさまざまな議論が行われた結果、車ではなく、人を中心にした歩行道路として再生されることに決定。ソウル駅を中心に周辺地域を繋ぐ道路、緑の回廊として再生されることになった。

プロジェクトの具体化にあたっては国内外の建築家7名を選定、国際指名設計コンペを実施している。当選したのはオランダの建築家ヴィニー・マース。最近では台湾の台南市に作られた水を取り込んだ公園「台南スプリング」で話題になったが、自然や土地の歴史を取り込んだ建築を得意とする人のようである。

ソウル路7017。路上から見上げるダイナミックな風景ソウル路7017。路上から見上げるダイナミックな風景
ソウル路7017。路上から見上げるダイナミックな風景ちょうど桜の季節。通りすがりに撮影する人が多かった

ソウル路7017もソウル駅一帯を緑の地に拡張していく可能性が示唆されていた点、周囲の観光スポットなどを繋げてウォーカブルなエリアにしていくという点などが評価された。2015年12月に半年間道路を通行止めにして補強を行った上で、約1年間の建築工事が行われ、オープンしたのは2017年5月。

名称の7017は1970年代に作られ、2017年に生まれ変わった高架、1970年代に作られた高さ17mの高架という2つの意味を重ねてある。

ソウル路7017の大きな特徴は路上に植えられた200種類以上の植物。訪れた時にはちょうど桜が咲いており、通りすがりに写真を撮る人の姿も多かった。絵になるといえば夜間は道路全体が浮かび上がるようにライトアップされており、今ではソウルの夜景といえばこことわざわざ撮影に訪れる人たちもいるとか。

道路上には展望台のような小さな建物、カフェなどもあり、ところどころには腰かけられるスペースも。絵の描かれたプランターが集まっているところもあった。

ソウル路7017。路上から見上げるダイナミックな風景小さなカフェ。いくつかこうした建物があったが、あまり使われていない様子のものも
ソウル路7017。路上から見上げるダイナミックな風景ところどころには座れる場所も用意されていた

石油備蓄基地のオイルタンクを活かしてアートな空間に。文化備蓄基地

今から51年前の1973年10月。中東諸国で戦争が勃発した。これを受けてアラブ石油輸出国機構(OAPEC)は石油禁輸措置を下し、戦争前は3ドルだった国際原油価格は11ドル台と4倍近くに急騰。危機意識を持った主要先進国は国際エネルギー機関(IEA)を設立することを決めた。

IEAは参加国に純輸入量の90日分に相当する石油を備蓄するように勧告。当時の韓国はIEAに参加していなかったものの、石油備蓄の必要性を痛感したのは他国同様。そこで1975年から石油を備蓄するための手を打ち始めた。

その最初の成果が現在、梅峰山(メボンサン)の山麓に文化備蓄基地として再生された石油備蓄基地。岩盤を掘削して山中に埋めるように作られた石油備蓄基地には高さ15m、直径15m~38mという5つのタンクが設置され、ガソリン、軽油、灯油に分けて6900万リットルを貯蔵できた。この備蓄量は当時のソウル市民が消費した石油量を基準に30日分を予測した量である。

建設当時からこの施設は第一級保安施設とされており、その存在を知る人は限られており、立地を考えるとほぼ知られていなかったはずだ。

ところが、2002年に韓国でFIFAワールドカップが開催されることになり、石油備蓄基地のすぐ近くにソウルワールドカップ競技場の建設が決定した。スタジアム敷地からわずか500メートル以内に石油備蓄基地があるのは不穏だ。そこで石油備蓄基地は2000年に閉鎖。そのまま10年以上放置されたのだが、2013年にソウル市は石油備蓄基地とその周辺を環境に優しい文化空間として再生することを決定し、作られたのが文化備蓄基地である。

カフェや市民活動の場として使われている新しく作られた建物。2つのタンクを解体した材で作られているカフェや市民活動の場として使われている新しく作られた建物。2つのタンクを解体した材で作られている
カフェや市民活動の場として使われている新しく作られた建物。2つのタンクを解体した材で作られている1番タンクの内部。周囲で工事が行われており、一部しか外が見えないのが残念だった

現在、敷地内にあるタンクは6基。ガソリンを貯蔵していた1番タンクは解体され、既存のタンクと同じ大きさのガラスで覆われた円筒型パビリオンに改修された。軽油を貯蔵していた2番タンクも解体、円形の形を生かした野外ステージとなっている。3番タンクは地下に埋まるように設置されていた当時の様子がそのまま残されており、歴史の遺産という言葉が浮かぶ。残念ながら訪れた時には改修中で全体像は撮影できなかったが、改修後にもう一度見てみたいものである。

灯油を貯蔵していた4番タンク、5番タンクは内部空間を生かして観覧、展示のスペースとなっている。5番タンクにはかつての石油備蓄時代の写真資料などが展示されている。もう1棟の6番タンクは1番、2番を解体した鉄板をリサイクルして新たに建設されたもので、天井の高い室内は1階にカフェがあり、全体としては市民のコミュニティスペースとして使われている。継ぎはぎの色、サイズの違う鉄板で作られているのは2つのタンクからのリサイクルだからだそうだ。

最寄り駅はワールドカップ競技場。競技場敷地と隣接はしているものの、横断できる場所まで距離があり、いささか分かりにくい。競技場敷地内からは散策路があり、近道をしたいならこちらがお勧め。ただし、入口ではなく、いきなり敷地内に出てしまうので全体像が掴みにくいという難も。健脚な人なら敷地をぐるりと回る散策路に挑戦、展望台から敷地全体を見下ろしてみても良い。

カフェや市民活動の場として使われている新しく作られた建物。2つのタンクを解体した材で作られている円形の野外ステージ。周囲の壁にはタンクの外側の鉄材が貼られている
カフェや市民活動の場として使われている新しく作られた建物。2つのタンクを解体した材で作られている5番タンク。岩盤に埋め込むように作られていたことが想像できる

工場地帯にポップアップストア。ソウルのブルックリン。聖水洞カフェ通り

1960年代から工業団地として発展、最盛期には3000社以上の製造業者や工場が密集していたものの、1990年代以降、製造業の衰退とともに工場が相次いで閉鎖。スラム化していたところに2010年代から若者、アーティストたちが目を付け、廃工場や倉庫を利用。工場とハイブランドのポップアップストア、ブティック、ギャラリー、カフェなどが隣り合う、勢いのある風景が印象的なのがソウルのブルックリン、イーストロンドンなどと呼ばれる聖水洞(ソンスドン)カフェ通りだ。

最寄駅である聖水(ソンス)周辺はなんということもないビルなどが並ぶ場所なのだが、それがカフェ通りと呼ばれる東西の通りに入ると風景は一変。歩いている人の数がいきなり増え、年代も若返る。昔からあったであろう作業場で普通に車を修理している人たちの前をスマホ片手に歩き回る人達。東京でも、パリでもここまで入り交じった風景はなかなか見ないと考えると、このカオスぶりは面白い。

ブームの先駆けとなったとされるのは駅からの通り沿いにある聖水洞大林倉庫(テリムチャンコ)ギャラリーコラム。1970年代に精米所として使われていたという大きな煉瓦造りの建物で、ギャラリー、カフェ、店舗として使われており、いずれも天井の高いダイナミックな空間。イベント会社が倉庫を改造、ファッションショーや公演を行って話題になり、以降古い建物を利用してカフェなどが急増したのだとか。

大林倉庫のカフェ内部。隣にもこれと同じサイズの、雰囲気の違うカフェ空間があり、それ以外にギャラリーに使われているなど、大きな建物である大林倉庫のカフェ内部。隣にもこれと同じサイズの、雰囲気の違うカフェ空間があり、それ以外にギャラリーに使われているなど、大きな建物である
大林倉庫のカフェ内部。隣にもこれと同じサイズの、雰囲気の違うカフェ空間があり、それ以外にギャラリーに使われているなど、大きな建物である聖水連邦。中庭を挟んで細長いコの字型になっている。3階に見えているパラソルの部分はカフェ

近くにある聖水連邦(ソンスヨンバン)は1974年に化学工場として建てられた2棟の建物を中庭のある複合施設に改装したもので、1~2階には飲食店、物販店などが入り、3階にはカフェ。通路のような細い場所をもアウトドアの飲食スペースとして上手に使っているのが印象的だった。

カフェでは1960年代に建設されて以来、約50年間工場などとして使われてきたものの、その後、放置されていた建物を利用、2019年にオープンしたハラボジ工場も人気。ハラボジはおじいちゃんという意味だそうで、古い建物への優しい視線を感じる。この建物、外からはガラスと煉瓦だけしか見えないが、入ってみると広々と明るく、温かい空間で和める。

聖水を紹介する写真でよく使われているのが壁画通りと呼ばれる界隈。韓国でインスタントコーヒーを販売する会社が2016年に期間限定でカフェ「モカ冊房」を運営、その時に描かれた壁画が複数、残されており、しかも韓国ドラマ「トッケビ~君がくれた愛しい日々~」の舞台となったことでファンが訪れるようになったのだとか。

個人的には女性が描かれた壁画のある建物の、緑と水のある中庭をL字に囲んだガラス張りのカフェの大胆なリノベーションに惹かれた。

大林倉庫のカフェ内部。隣にもこれと同じサイズの、雰囲気の違うカフェ空間があり、それ以外にギャラリーに使われているなど、大きな建物であるハラボジ工場。外からでは想像できない豊かな空間が内部にあった
大林倉庫のカフェ内部。隣にもこれと同じサイズの、雰囲気の違うカフェ空間があり、それ以外にギャラリーに使われているなど、大きな建物である本当は現在窓になっている部分にも壁画が描かれていたそうだ。大胆に壁を抜いてリノベーションされている

ソウル最古の韓屋村にインスタ映えショップ集合。益善洞韓屋村

ソウル中心部近くのリノベーションスポットとして訪ねてみたいのが益善洞(イクソンドン)韓屋村。
骨とう品店などが集まる人気の観光地のひとつ、仁寺洞(インサドン)のすぐ隣にあり、路地に軒の低い韓国の伝統的な建物・韓屋を利用したカフェ、レストラン、店舗などがびっしり集まっている。1920年代初めに形成されたとされる韓屋村で、変化が始まったのは2014~2015年頃から。現在は110軒ほどもあるそうで、レトロモダンの聖地と言われている。

歩いてみて驚くのはその奔放な改装ぶり。店舗が中心になっているため、自由に想像できるからだろうか、実に自由で面白いのだ。たとえば行列ができていた塩パンが売りのカフェ小夏塩田は中庭部分に塩田(!)が作られており、通る人はほぼ全員写真を撮る。

2023年にオープンしたチーズインダストリーは中庭に牧場が作られ、機械仕掛けの牛が草を食んでいる。カフェは牧舎のイメージ。そのため、床には藁が敷かれ、コーナーには農具。驚くほどに徹底されており、世界観が作られているのである。

カフェ小夏塩田の外観。水色に見えている部分は塩田ということらしい。行列ができていたカフェ小夏塩田の外観。水色に見えている部分は塩田ということらしい。行列ができていた
カフェ小夏塩田の外観。水色に見えている部分は塩田ということらしい。行列ができていた店先が駅ということになっており、そこから店内に線路が走っている

建物の入口が駅のように作られ、店内に向かって線路が走る楽園駅なるレストランもあった。多くの人の動画で見ると店内はさほど変わっているわけではないが、入口でなんだ!と思わせれば良いのかもしれない。

こうした絵になる店が並んでいるからだろう、そこかしこで写真を撮る人達が多く、中には勝手に店内に入り込んで撮影、怒られている人もいた。つい撮影したくなる気持ちは分かるが、節度のある行動を、である。

ちなみにこうした撮影したくなるスポットの作りはイクソンドンだけではない。普通の駅前広場でもベンチがコーヒーカップやりんごの形になっており、さあさあ、写真を撮ってくださいと言わんばかり。「映える」の利用法に長けていると感心したものである。

と書くと軽薄に聞こえるが、映えるを利用して賑わいを生む、駅前の公園に愛着を持つなどのきっかけになるのであれば、それはありかもしれないのである。

ソウルではもうひとつ、市内を流れる清渓川(チョンゲチョン)も公共施設の大型リノベーション案件だが、これについては以前記事でご紹介したのでそちら(ソウル・清渓川の清流再生。高速道路を撤去、変遷の川を歩いてきた)をご覧いただきたい。久しぶりに再訪したが、相変わらず、そぞろ歩く人の姿は多く、緑、水は人を惹きつけるものと改めて思った。

カフェ小夏塩田の外観。水色に見えている部分は塩田ということらしい。行列ができていた中庭を挟んで右側がカフェ、左側がチーズ工場、キッチンという作り
カフェ小夏塩田の外観。水色に見えている部分は塩田ということらしい。行列ができていたこうした路地沿いに店舗が並び、写真を撮る人多数。まだ改装されていない建物も見かけた

公開日: