日本遺産にもなった絞りのまち・有松に誕生した「moss ARIMATSU」
愛知県名古屋市の南東部に位置する緑区有松。伝統産業である「有松絞り」で有名なこのエリアは、昔ながらの建物が立ち並び、重要伝統的建造物群保存地区かつ日本遺産に認定されている。毎年6月に開催される「有松絞りまつり」には2日間で約8万人が来場し、絞りの浴衣販売や絞り染め体験でまちが一気ににぎわう。
しかし、有松もさまざまな問題を抱えている。絞りに従事する職人の高齢化・後継者不足・そして空き家問題だ。
そんな有松で、使われていなかった明治初期の古民家を改築し、レンタルキッチン・スペースとして生まれ変わった「moss ARIMATSU(モス・アリマツ)」が2024年4月に誕生した。
これを手がけたのが、有松でまちのにぎわいを創出することに取り組んでいる「合同会社ありまつ中心家守会社」。元名古屋市役所職員の武馬 淑恵さんが、仲間とともに立ち上げた会社だ。
有松の魅力に惹かれ「まちを盛り上げたい」と活動する武馬さんに、moss ARIMATSU誕生の経緯や活動に込めた想いを聞いた。
名古屋市職員から、有松を盛り上げる人へ
名古屋市出身の武馬さんは、名古屋市役所に20年以上勤めた経験を持つ。さまざまな部署を経験する中で、ファッションや伝統産業のプロモーションの担当になったとき、初めて有松を訪れた。
「こんな歴史的なまちが名古屋に残っていたんだとびっくりしました。そして、こんなにすごい技術が今も残っていて、職人さんが頑張っているのに、なんで私は知らなかったんだろうと。同時に、私と同じように有松のことを知らない人がまだたくさんいるだろうな、とも思ったんです」
有松に通ううちに職人さんたちとの関係性を深めていった武馬さんは、プライベートでも友人を有松に連れて行き、絞り染めを体験してもらったりしていた。そんな中、次第に職人さんからいろいろな相談を受けるようになる。
「建物を活用できず困っている職人さんから相談を受けたことがあって、アドバイスをしたんです。でも、普段の仕事で忙しい職人さんが、いろいろやろうと取り組んでもやり切れないんですよね。じゃあ、そういうのを代わりにやる人が有松にいたらいいのに、と思ったのが最初のきっかけです」
また、有松は名古屋の南東部に位置し、大手企業が集まる三河地方に通勤する人が多いのも特徴だ。環境のよさや新しい駅ができたことから、近年は流入人口が増え、住宅需要が高まっている。どんどん新しい住宅が増えていくまちを見て、「このままでは絞りのまちである有松らしさが消えてしまうかもしれない」という危機感もあった。
「勤めている限り、異動もあるし自分で仕事を選べないんですよね。それよりも自分がおもしろいと思う仕事をしたいと思いました。『退職まで待ったら?』という人もいましたが、体力も衰えるし、有松の状況もどんどん変わってしまう。やるなら今だと思ったんです」
こうして武馬さんは、有松に関わることを決意し、名古屋市役所を退職。まずは大学院に入学し、テキスタイルや染色について学びながら有松にも度々通い、人脈作りに努めた。
同時期に、想いを同じくするメンバーと定期的に勉強会を開催。税理士や不動産会社など、多様なメンバーが有松を盛り上げるためにどうしたらいいかを日々話し合っていた。そのメンバーにいたのが、絞り屋の3代目で有松絞りのアパレルブランド「cucuri」代表の山上正晃さん、建築やデザインを専門とする浅野翔さんだった。
武馬さんが名古屋市役所を退職してから2年後の2018年に、この3人で「ありまつ中心家守会社」を立ち上げた。
有松で空き家を活用したくでもできない現実にぶつかる
空き家を含む有松の遊休資源を活用することを目的に会社を立ち上げたが、なかなかうまくはいかなかった。
最初に取り組んだ空き家活用は、地元の大学も巻き込み約2年かけてプロジェクトを進めていたが、大家さんの代替わりによって断念。また、表立って「空き家活用セミナー」を開催しても、思ったように人が集まらない。問題を抱えている人は確実にいるはずなのに「空き家であることを知られたくない」という心理が働くようだった。まだ、実績の少ないありまつ中心家守会社が信頼されていなかったこともあるだろう。
そこでマルシェやワークショップを開催したり、有松絞りまつりの役員を務めたりして、少しずつ地域との関係を深めていった。「空き家活用よりも、その前段階の土壌作りだった」と武馬さんは言う。
そのワークショップの一つに「30年後の有松を考えよう」と、2019年から3年間行った「プレー!アリマツ」がある。参加者にアイデアを出してもらい、それを実現させるために今なにができるかを、実際の遊休不動産をフィールドにして考えようと、いくつかの物件で活動した。そのうちの一つが、現在moss ARIMATSUとなった建物だった。
明治初期の建物で、人が使っていたのは昭和の頃まで。30年以上人が住んでいなかった建物の傷みは激しく、活用するためには多額の資金が必要だった。
ワークショップの参加者から出たアイデアを実現するため、国の補助金に申請するも失敗。資金もないまま話が進まず、1年経った頃「危険だから、もう取り壊したい」と、持ち主の大家さんが名古屋市に相談に行ってしまった。
このときに相談された職員こそ、武馬さんの市役所時代からの知人であり「有松のまち並みを残すべき」という強い想いを持った人だった。「壊す前に、一度武馬さんたちに任せてみませんか?」と大家さんを引き止め、武馬さんに連絡をくれた。
「一度補助金申請に失敗しているし、私たちの実績も資金も足りていませんでした。でも、市の職員の方がさまざまな補助金の仕組みや、名古屋市で補助金を利用した他の事例などを丁寧に教えてくれたんです。自分たちだけの力ではできませんでした」
地域の人を巻き込んだワークショップを重ねる中で出てきたのが「有松には飲食店が少ない」「地域の人やお店を出したい人が小さく挑戦できる場所があるといい」という意見。この声に応え「キッチン付きのスペースにしよう!」と、改築の計画が進んでいった。
地域の人を巻き込みながら「まちのにぎわいの場」を作っていく
改築にかかる費用約4,000万円を賄うため、市職員の協力も得ながら合計3つの補助金を利用。そしてクラウドファンディングや融資も活用して資金を集めた。
明治初期の貴重な建物なので、使えるものはなるべく残し、有松らしさにもこだわった。
建物は床下の損傷が激しかったため、建物を移動する工事技術である「曳家(ひきや)」を利用した。建物全体を50センチほど引き上げ、雨やシロアリでボロボロだった床下を鉄筋コンクリートに。しかし、柱は傷んでいた下の部分だけを取り除き、新しい材につなぐことで元の柱をなるべく活用した。そして、壁には布を絞る際に使う「くくり糸」を混ぜ込んだ。使い終わると捨てるしかなかったものを再利用した形だが、「有松らしさ」が感じられる壁だ。
また、改築中から一般の人を巻き込む工夫をした。建物の外壁にクラファンに挑戦中であることを掲示し、周知するとともにロゴの人気投票をしたり、左官ワークショップも開催して一般の人にも一緒に壁を塗ってもらったりした。
こうして多くの人を巻き込みながら、2024年4月にレンタルキッチン・スペース「moss ARIMATSU」が完成。キッチン、中央スペース、建物全体といった借り方ができ、お店として利用してもいいし、ホームパーティのように身内だけで使うことも可能だ。
名前には「moss = 苔むす」と「萌す(きざす)=芽生え」という2つの意味が込められている。ロゴマークは漢字の「萌」にも、「mos」にも見える。メンバーの浅野さんによるデザインだ。
「まちににぎわいを作りたいんです。そのためにも地域の人の小さなチャレンジを応援する場所になるような想いを込めました。周辺に住んでいる人のたまり場になったり『あそこに行けばおもしろい人に会える』という場所にしていきたいです」
挑戦したい人の小さな一歩を応援する、moss ARIMATSU
moss ARIMATSUはオープン以来、味噌作りのワークショップ、知多木綿など地元産地・技術にこだわったアパレルブランドの販売会などに利用された。本格的な利用はまだまだこれからといったところだが、ほぼ毎日見学者が訪れ、今後の予約が増えてきている状況だ。
想定顧客として「有松ならでは」の地域性もある。前述したように、有松は大手企業に勤める人が多く、専業主婦も多いという特徴がある。
「『いつか有松でお店を出したい』と思っている人はもちろん、『料理は好きだけど販売なんてしたことない』という方にも気軽に使ってほしいなと思っています。地域のお母さんが能力を発揮できるように、本当に小さな一歩を後押ししたいです。気軽に参加してもらえるきっかけ作りとしても、今後は部活動も増やしていきたいと思っています」
具体的には、手芸部や園芸部、おにぎりと味噌汁部といった部活動を考えているという。
また、今後は目の前にある幼稚園の親子にも来てもらえるように出張図書館をする構想や、地域の小学校と連携した活動も予定している。有松ならではの取り組みとして綿や藍を育て、どうやって生地ができ、どのように藍染めをしているのかを子どもたちに体験してもらうことも考えているところだ。
「まずはmoss ARIMATSUの運営を安定化させることですね。そのために地域の人に利用してもらえるような仕掛けを作っていきたいと思っています。そして、空き家活用としてやっと一つ実績ができたので、他にも有松で困っている人の手助けをしていきたいですね」
ひとくちに「空き家活用」といっても、実情はさまざま。そして、地域や住んでいる人の特色に合わせて丁寧に進めなければうまくいかない。moss ARIMATSUは、有松を愛し、地域の力になれるよう粘り強く活動してきた武馬さんたちだからこそできたことだろう。moss ARIMATSUをきっかけに有松地域がどのように変わっていくのか、今後も注目していきたい。
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