にぎやかでない場所で創業する理由
東京からも日帰りで行ける群馬県の県庁所在地、前橋市が今、アツい。現代アートを展開する美術館「アーツ前橋」や、ギャラリーに住居エリアを併設する奇抜な建物「まえばしガレリア」。さらには、前橋出身の実業家、株式会社ジンズホールディングス(以下、JINS)代表取締役CEOの田中仁氏が手がけ話題の白井屋ホテル(2020年末オープン)は、300年の歴史をもつ旅館白井屋を、そうそうたる建築家やアーティストの力を借りリノベーションしたという。前橋ってアートのまちだっけと思いながらまちを歩けば、おしゃれにデザインされたカフェや飲食店に若い人が集う。2022年には、国土交通省の「まちづくりアワード」特別賞も受賞した前橋市の舞台裏を訪ねてみた。
平日の昼過ぎ、上毛電鉄中央前橋駅前、広瀬川のほとりにあるカレー専門店「グルマンカレー」を訪ねた。木とガラスが印象的な外観を眺めながら扉をくぐり、定番のチキンカレーをいただくと、口に含んだ瞬間にふわりと甘さを感じ、柔らかなチキンをかむほどにスパイシーでほどよい辛味が追いかけてきた。オープンから1年ながらリピーターの多い人気店となっているという。
あまりにぎやかな場所ではない。ここに出店するのに躊躇はなかったのか、オーナーシェフの近藤康裕さんに聞いてみた。すると、「どこでやるかより、誰が何をやるかの方が大事だと思うんですよ。山奥でも成功しているお店はたくさんありますから」と近藤さん。
前職は大きな病院の調理師。料理は好きだが、食べる人の喜ぶ顔を見たことがない。いつかは自分で店を持ちたい。大好きなカレーをみんなに食べてもらいたい。そう思ってきた。この地を選んだのは、前橋市内に生まれ育ち、学生時代によくこの中心市街地に遊びにきていて大好きな場所だったこと、なかでも柳がたなびく広瀬川は、ハンバーガーをテイクアウトして河畔で食べるほど好きだったので、できれば広瀬川の近くでやりたいと思っていたことが大きいという。
前橋では、急いで物件を探す人は少ない
この「グルマンカレー」に案内してくれたのが、前橋市のにぎわい商業課で「マチスタント」として働く田中隆太さんだ。子育てのタイミングで妻の実家のある前橋に移住してきた。マチスタントとは、まちのアシスタント。「このまちで新たな一歩を踏み出したい。そんなあなたに、ふわりと寄り添うアシスタント」と紹介文には書かれている。まちなかに増えた空き物件と、まちなかでやってみたいことがある人をマッチングするという。
もとスナックだった「グルマンカレー」の物件は、田中さんが持ち主とも知り合いで、前橋で創業を希望する何人かを案内したことがあったが、人通りがなさすぎると敬遠され、それまで決まらずにいた空き物件だったという。
近藤さんとは、互いが行きつけのカフェで知り合い、近藤さんも目をつけていたこの空き物件を含む何軒かを一緒に見ながら、前橋のまちを歩いた。歩き、話を聞きながら、まちで起きていることを知ったと近藤さんは言う。
「若い子たちがまちなかで起業している。今かなと思いました」
決心し、場所は決めたものの今度は、内装やデザインをどうしたらいいかかわらない。そこで、ネットワークが豊富なマチスタントの田中さんの紹介により「ぐんま家守合同会社」(後に前橋市のリノベパートナーに登録)に依頼。同社パートナーの建設会社が、このスナックだった物件を見て提案した内装プランは、近藤さんのイメージにぴったり。即決し、リノベーションして開店、今にいたるという。
近藤さんと話している間に、何人もの若い創業者の名前があがった。前橋のまちなかに小さな、こだわりのお店を持つ店主たちだ。互いの店を行き来したり、誰が言い出すのか、小さなイベントを企画して一緒にやったり、まちに自然につながりが生まれているのを感じた。
「フラットなまちだなと感じます。変に儲けようとするような人は前橋に来ないので、世代が違っても仲良くできる。見栄を張らずに等身大でいられる。田中さんはじめ市(行政)にも、こんなに寄り添ってもらえるとは思っていませんでした」
マチスタントによる1件目のマッチングは2021年8月。それから約2年しか経っていないが、2023年11月までに20件の創業、出店に寄り添った。
「チェーン店が出店するのとは違い、前橋で創業する人は時間をかけても自分の思いにぴったりくる場所や物件を探す人が多いです。急いでいる人は少ない。1〜2年かけて探す人も少なくありません。自分のところに来る人には、まず、何をやりたいのかじっくり話を聞きます。そして前橋市が進める『アーバンデザイン』について伝え、その後話をしながら一緒にまちを歩きます。2〜3時間くらいかな」
請われれば、2回でも3回でも何回でも一緒に歩く。出店に寄り添った20件は若い創業者が多いが、なかには前橋中央通り商店街の「無印良品」や「手紙舎」などのように他エリアでの人気をベースに、前橋に思いを持って出店してくる事業者もある。
筆者も話を聞いたあと、まちを案内してもらった。田中さんとまちを歩くと、いろいろな人から声をかけられる。歩きながら、ときにカフェで休みながら、創業希望者をまちの人とつなぐことも裏ミッションのひとつだ。自然体のまちを知ってもらうことで一歩踏み出す人もいるし、このまちではないなと気づき去る人もいる。
「仕事と考えれば、たくさんマッチングできるほうがいいのかもしれないですが、ありのままの前橋を知ってもらって、肩肘張らずに好きと感じてくれる人でないと長続きしないし、そういう人に来てほしいなと思います。ときには仕事でなく個人として自分が感じることを伝えることもあります。あなたのやりたいことができるのは、ここではないのではないかと」
そんなゆるやかで、時間をかけた「マチスタント」のマッチング。そもそも、どんな経緯で始まったのか、少し時をさかのぼって聞いてみた。
シャッター街をどうするか。官民協働で考えた
田中さんの話は、田中さんが前橋市職員になったばかりの2015年ごろからはじまる。
「当時の前橋のまちなかは、忘れられた場所でした。個性もなく、地域資源、観光資源もない。昭和の時代には百貨店が6つもあり、9つの商店街は歩く人がぶつかるほどにぎわっていました。しかしその後の通行量調査を見ると、グラフは急降下。ゼロがひとつなくなるくらいの勢いでさびれ、前橋の中心市街地はシャッター街となっていました」
そんなとき、ひとりの救世主があらわれる。あの眼鏡のJINSの代表取締役CEO田中仁氏だ。出身地である前橋に私財を投じてホテルを再建した。直接取材したわけではないが、前橋出身のこの人抜きにして、前橋の変化を語れないと思うので、マチスタント田中さんから聞いた話を紹介する。
「JINSの田中社長が、モナコで開催された起業家の世界大会に日本代表として行ったそうなんです。そこでの世界の起業家たちの話は、自分の会社がどれだけの業績を上げたかという話ではなく、地元にどれだけ還元したかという話ばかり。日本ではありえないことと、大変感銘を受けて帰国したそうです。その後、出身の前橋に帰ってきたら、あまりにさびれていて驚いた。ここから、起業家を育てるプロジェクトや官民協働の前橋のビジョン策定プロジェクトが始まったのです」
ドイツのブランディングチームが前橋のキーマン30人にヒアリングして、前橋のまちを分析。彼らが「where good things grow」と表現したものを、同じく前橋出身のコピーライター糸井重里氏が独自に「めぶく。」という言葉に置き換え、市のビジョンが策定された。2016年のことだ。JINSのみならず、カラオケのまねきねこ、サッポロ一番のサンヨー食品など、前橋からスタートした企業は多い。
前橋市のこの10年の変化は、この前橋ビジョンに共鳴した企業家有志とともにある。彼らとつくった「前橋市アーバンデザイン」は田中さんによると、行政主体のまちづくりには限界があると認識したところから、市民や企業がやろうとすることを行政がバックアップし、ともにまちを良くする、そのための指針として策定したものだという。
田中さんが「前橋市アーバンデザイン」策定の担当メンバーとして市街地整備課に異動してきたのが2018年。前橋市職員となって4年目のことだった。多くの市民や企業とともに「前橋市アーバンデザイン」を作り上げるため、田中さんは特に、まちに出てまちを調査し、まちの人と関わる部分を担当した。これが、のちの取組みに大いに功を奏することとなる。
まちのアシスタント「マチスタント」誕生!
1年間、アーバンデザイン策定に関わりながら、いくつかの社会実験にも乗り出す。「前橋市アーバンデザイン」のひとつの核となる広瀬川の整備と活性化をめざし、水辺の活用実験(ミズベリング)や、空き家を活用する「リノベーションまちづくり」などを自前で、つまり職員の力でチャレンジしていった。
「リノベーションまちづくり」は全国的に広がる空き家活用の動きで、取り入れたい活動ではあったが予算もなく、民間が提供するパッケージを取り入れるのではなく、自前で取組むことにした。それがのちの「マチスタント」である。
マチスタントの活動は、「前橋市アーバンデザイン」で定めた理念に常に立ち返りながら取組んできた。たとえば、3つの「まちづくりの方向性」のひとつに、地域固有の資源を最大限活用するという「ローカルファースト」がある。群馬県は世界遺産の富岡製糸場が有名だが、かつては前橋にも製糸場があり、絹織物の倉庫がたくさんあった。その建築に多用されていた「煉瓦」は低価格大量生産の時代に忘れ去られてしまっていたが、「前橋市アーバンデザイン」策定以降、内装や外装に取り入れる店舗は確実に増えており、今回取材で訪れた中でも、水辺やお店のあちらこちらで見かけた。企業や市民がまちで何かを始めるとき、立ち返ることのできる指針があるのはとても良いと思う。
「マチスタント」の名前とロゴを公表したのは2022年の4月。すでに動いていた「空き物件」と「何かやりたい人」のマッチングを、知らない人にもわかりやすくとの思いから、まちで親しくしていたコピーライター、デザイナーと話をしながら決めていった。アーバンデザインに1年間取組んだおかげで、田中さんにはまちなかに多くのネットワークがあり、思いをよくわかってくれるクリエイターもたくさんいた。名前は「まちのアシスタント」を縮めたものだ。
物件・人・リノベ・イベントの4つの取組み
お話を聞いて「マチスタント」の取組みは、大きく4つに分かれるように思う。
ひとつは「空き物件」情報の収集。白地図を持って、空き家と思われる物件に色を塗る。これを持って自治会長や商店街、不動産会社などにヒアリング。空き家の場合、所有者を探し出して、活用する意向があるかどうかを確認する。不動産所有者向けには、空き家に残っている家具などの片付け、雨漏りや水回りの修繕などに使える上限50万円(最大2分の1)の補助金を案内する。これは、田中さんが空き物件活用を進める中で特に課題を感じていた所有者のハードルを下げるため2022年に整備した補助金だ。
2つめが「何かやりたい人」と出会うこと。ここでは、アーバンデザイン策定のために1年動き回ってできた人のつながりが大きな糧となった。知り合った人と会話を重ねたり、いろいろな店に出入りし聞き込みをしたり。「まちなかの素敵なお店には、何かやりたいという人が来るんです」。お店で雑談するうちに店主に「それなら市役所の田中さんのところに行ってみたら?」と言われて訪ねてくる人は、店主のフィルターを通って来るせいか、うまくいくケースが多いという。前述のように、訪ねて来た人と何時間でも話し、まちを案内し、希望の出店先を探す。
3つめがその間をつなぐこと。やりたい人と物件がマッチしたとしても、知り合いに建築家やデザイナーがいないという人がほとんどだ。これも2022年に新設した前橋市の「リノベパートナー」の中から、その人のやりたいことに合う事業者を紹介する。「リノベパートナー」は審査を経て、2023年11月現在12者が認定されている。リノベーションには、工事にかかる費用に対して100万円(最大2分の1)を上限とする補助制度もある(2005年より)。
そして4つめは、一言でいうと「イベント」だ。取組みを進めるうちに「マチスタントに関わる魅力的な人たちを、まちの人に紹介したい」という思いがふつふつと湧いてきたという。それで2021年から始めたのが「STREET FURNITURE EXHIBITION」。まちに関わるデザイナーや建築家、学生、飲食店主などが自作の椅子などを持ち寄り、水辺の公共空間活用の社会実験として広瀬川河畔に設置する試みだ。
せっかく面白い人たちがたくさんいるのでつなげたい、という思いから始めた「マチスタントの仲間マーケット」には、物件は探し中だが、まちの人に自分が提供するものを食べてみてもらいたいという人なども参加。このほか民間が主催するイベントの手伝いなども含め、「マチスタント」の動きの中でイベントの存在感は小さくない。思いあまって始めたのかもしれないが、実質的に人をつないだり、次の動きにつながるケースも多い。
「昨年は、駅前の上毛倉庫で行われた『Jomo Marché』や前橋中央通り商店街をメイン会場とし開催された『前橋BOOK FES』というユニークなイベントを手伝ったり、今年は『アーツ前橋』の企画とからんだりしているのですが、このごろ民間発のおもしろいイベントが増えてきているんです。そうなれば、マチスタントの仲間マーケットはもうやらなくていいかなと思います」と話す田中さんはうれしそう。
大人が初めて本気で話してくれた
最後に、田中さんがマッチングした1店舗目、ラフコーヒー代表の神戸篤樹さんのお話を紹介したい。中心市街地の前橋中央通り商店街にあり、今では前橋を代表するカフェの一つで、いろいろな人を結ぶハブのような場所ともなっている。田中さんが神戸さんと出会った3年前、24歳だった神戸さんは、中古の軽バンをDIYした黒いキッチンカーでコーヒーを出していた。事業を始めたばかりの田中さんはぜひ事例をつくりたいと思い、神戸さんを待ち伏せして声をかけたという。「まちなかに実店舗を出す気ない?」。どきどきしながら声をかけたと田中さんは笑う。
「めちゃめちゃあります!」
そう答えた神戸さんとそのままランチに行って話した。そのときのことを神戸さんはこんなふうに話す。「まちなかの魅力とか、前橋のまちはこれからこうなっていくんだよっていうのを真剣に話してくれて、それまであまり大人が本気で面と向かって話してくれたこともなかったし、何よりぼくも初めてまちに興味が湧いたっていうか。大人がこれだけ本気でやっているなら、まちはいい方に向かっていくと感じて、ぼくも絶対前橋のまちなかで物件を見つけようと思いました」。
実はその後の物件探しは簡単ではなかった。田中さんと一緒に何度もまちを歩いたが良い物件に出会えず、ほかのまちの物件を見に行ったことも。だが、たまたま出店した前橋のまちなかの小さなイベントで現在の物件のオーナーと出会ったという。
「前橋は融資や補助金も手厚い。また、リノベーションやデザインなど、形になったものはほぼこのまちの人の力を借りてつくりました」
2021年8月のオープンから2年。「知り合いがものすごく増えた」と神戸さんは言う。前橋の人気店のオーナーが帰り道にコーヒーを買ってくれたり、アドバイスをくれたり、まちなかの関係性に支えられてここまできた。「大正解でした。このまち、この場所はぼくに合っていました」と言い切る姿が潔かった。今はまちに貢献できる次の一歩を踏み出したく、次の物件で新たなプロジェクトを検討中だという。
田中さんは前橋についてこう話す。「前橋にはコンビニやチェーン店は少なく、逆に言うと個人店や個性的な店が多いです。また、観光名所でもある臨江閣やるなぱあくなど歴史の骨格も残っているし、アーツ前橋など歩ける範囲にいろいろなものがあります。コロナ禍もまちなかではたくさんのプロジェクトが止まらず動いていて、JINSのサテライトオフィス、官民連携で整備が進む馬場川通りアーバンデザインプロジェクトなども、そろそろ完成予定です。さらに、サードプレイス的なコミュニティの場となっているカフェなどがまちに点在しています。マチスタントの活動を通して、まちをよく知ってもらってから出店してもらっているので、そういう場所が増えてきたのかなと。さらに出店者の満足度も高い。だから、前橋はこれからゆっくりと、地に足のついた、いい変化をしていくのではと感じています」。
■参考
前橋市マチスタント
https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/sangyokeizai/nigiwaishogyo/gyomu/03/28116.html
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