東南アジア一帯に分布する「獅子舞」の類似

獅子舞はお正月や夏祭り、秋祭りで舞われる一種の神事で、知らない人はいないだろう。
しかし、東南アジア各地に似たような舞を見つけることができるため、いつどこを起源として始まったのかよくわかっていない。

たとえばインドネシアのバロンダンスと獅子舞には、共通項が多いといわれる。バロンは善神で、ギョロリとした目や獅子鼻、赤色の顔が日本の獅子頭とよく似ている。死神の生贄にされそうになった王子を救うため、邪神(魔女)ランダと戦うのだが、この戦いはいまだ終わらず、続いていると考えられているのが特徴的だ。
中国の舞獅は、中華街の春節祭などで舞われているのを見たことがある人もいるだろう。高い棒の上で舞ったりして、曲芸的な要素もあるようだ。

しかし「獅子」とはいうが、東南アジアにライオンはおらず、インドネシアのバロンは悪魔だ。
そしてまた日本の獅子も、本来は別の動物だったと考えられる。

インドネシアのバロンインドネシアのバロン

「しし」が示す動物とは?

唐突だが、「しし」という言葉から思い浮かべるのはどんな動物だろう。
現代において、「獅子」は百獣の王ライオンを指すが、「いのしし」には「しし」という言葉が入っているし、鹿は「かのしし」とも呼ばれており、「ししおどし」で追い払うのも鹿や猪だ。

「しし」は「肉」の訓読みであり、肉を意味する古語。現代でも「ふとりじし」という言葉が残っている。つまり、鹿や猪は、日本人にとって身近な肉だったのだろう。

獅子の語源はサンスクリット語の「Shimha(シムハ)」だ。実在のライオンではなく、想像上の聖獣で、狛犬と同源であるとされる。つまり、本来の獅子も鹿や猪とはまったく違う動物だが、獅子舞の起源は獅子や狛犬よりむしろ、鹿や猪への信仰にあるようだ。日本書紀に、日向の諸県君牛と従者たちが鹿の皮を着て海を渡るシーンや、弘計皇子(をけのみこ)が鹿の角を捧げ持って舞ったエピソードが登場するのも、その一例だろう。

応神天皇の時代に、日向の諸県君牛が娘の髪長姫を妃として奉っている。その際、応神天皇が淡路島で狩りをしながら西の海を見ると、数十頭の大鹿が海を渡ってきて播磨の加古の港に入ったのが見えた。この大鹿の正体が諸県君牛で、角のついた鹿の皮をかぶっていたので大鹿に見えたのだ。
弘計皇子は兄の億計皇子(おけのみこ)とともに履中天皇の孫にあたるが、父の市辺押磐皇子が雄略天皇に殺され、播磨の国などに逃げ隠れていた。清寧天皇の時代になり、播磨国司の宴において、二人は舞いを申しつけられた。そこで弘計皇子は鹿の角を捧げて舞い、歌の中で出自を明かしたのだ。

鹿の角を捧げたり、角のついた鹿の皮をかぶったりするのは、鹿の霊力を身に着けようとする呪術と考えられ、獅子舞もそうした古い感覚が源流にあるのだろう。

獅子舞のように鹿の皮をかぶった神話の例もある獅子舞のように鹿の皮をかぶった神話の例もある

獅子舞が全国に広がったのは、伊勢大神楽の影響が大きい

日本において、獅子舞がどのようにして始まったのかはわからないが、全国に広がったのは、伊勢大神楽の影響と考えられる。

伊勢大神楽は江戸時代に獅子舞の興行をしながら全国を巡り、伊勢神宮の神札を配布した人々および彼らの舞いのこと。獅子舞を舞って悪魔祓いをするのだが、その本拠地は三重県桑名市に鎮座する増田神社にあるとされる。その起源については諸説あるが、増田神社の伊勢大神楽から複数の社家が活動するようになり、彼らが全国をまわったようだ。

伊勢大神楽の人々がなぜ獅子舞を舞ったのかはわからないが、芸能を見せて全国を巡業しながら、神社の札を配布したり教えを広めたりした例は他にも多くある。たとえば全国にえびす神社が広まったのは、兵庫県の西宮を本拠地とする傀儡子(くぐつし)たちが、人形芝居を見せながら、西宮神社の神札を配り歩いたからだとされる。和歌山県の淡島神社が女性の守護神として全国的に知られるのは、淡島願人と呼ばれる乞食(こつじき)坊主が、淡島神社の縁起を説き、女人守護の功徳を広めてまわったからだ。

さまざまな教えが広められる中で、なぜ獅子舞が各地にこれほど定着したのかはわからないが、大きな頭を持った聖獣の舞は、特に功徳がありそうに見えたのかもしれない。

伊勢大神楽の獅子伊勢大神楽の獅子

獅子舞には大きく神楽系と風流踊系があるとされるが、土地ごとにさまざまな流儀があって、まったく定まらない。
神楽は神に捧げられる音楽や舞いで、風流踊りは鉦や太鼓などの打楽器と、笛などの演奏で、様々な衣装の人々が舞う踊りのこと。実に多くの獅子舞があるので一概には言えないのだが、一頭の獅子が颯爽と舞うのは神楽系、獅子舞に混じって天狗やお多福の仮面をかぶった人々が群舞するのは風流踊系と考えれば、そう大きく間違ってはいないだろう。

大阪、奈良、三重、神戸、江戸(東京)……各地の獅子舞

大阪市内では、夏祭りに獅子舞が欠かせない。
特に有名なのが生魂神社の獅子舞だ。采配が二頭の獅子舞を先導して、200人以上の子どもたちの行列の先頭を歩く。これは獅子舞に露払いの役割があるからだ。獅子舞の囃子歌は、伊勢大神楽の馬鹿囃子に「大阪名物夏祭り 生玉獅子講はよい景気 おたやんこけても鼻うたん」などと歌詞をつけたもので、馬鹿囃子が使われているのは、伊勢大神楽の中でも耳に残りやすい曲だからだとされる。「おたやん」はお多福を意味する関西弁で、鼻が低いため、こけても鼻を打たないと、滑稽に囃しているのだ。

奈良県指定無形民俗文化財に指定されている門僕神社の獅子舞は、舞の種類が豊富なのが特徴だ。神社境内で、三大字・長野・今井・伊賀見の四地区がそれぞれに神前舞、悪魔払い、参神楽、接ぎ獅子、荒神払いなどを披露するのだが、剣を持って舞う悪魔祓いは、清冽と表現したくなるほど研ぎ澄まされた舞いだ。

三重県の椿大神宮の獅子舞は、第四十五代聖武天皇の時代に疫病が流行した際、椿の大木から祭神のサルタヒコ大神の神面と、その妻神であるアメノウズメの化身としての獅子頭を彫り出し、奉納されたのが起源という。

神戸の南僧尾の神楽獅子は、応仁の乱で京都から逃れてきた能の一派「福王流」が、集落内松尾神社に奉納するために踊ったことが起源とされている。舞は荒々しく勇壮なで、能の節をつけた踊りが特徴となっており、神戸市無形民俗文化財となっている。

江戸において獅子舞の獅子頭は、武家が魔除けとして所蔵していたようだ。そのため盛んに獅子舞が踊られたが、やはりさまざまな舞い方があった。一人で演じる「一人立」と、二人以上で演じる「二人立」があり、粋でいなせなのが江戸の特徴とされる。

全国で獅子舞の伝承数が特に多いのは富山県で、1000ヶ所以上の土地で現在も獅子舞が舞われている。

獅子舞といっても土地によって趣が異なるものだ。夏祭りや秋祭り、お正月などに獅子舞を見かけることがあれば、その地域だけの特徴を探してみると、楽しめるのではないだろうか。

神戸市無形文化遺産の南僧尾の神楽獅子神戸市無形文化遺産の南僧尾の神楽獅子
神戸市無形文化遺産の南僧尾の神楽獅子各地の獅子舞はそれぞれ、面白い歴史があるようだ

■参考
岸和田市青年団協議会『摂河泉の神賑 第四巻』株式会社古麿屋編 2011年3月発行

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