若者の出店とイベントで活気づく昔ながらの商店街
全国の多くの商店街が店主の高齢化や後継者不足、空き店舗の増加などの問題を抱えるなか、若者による出店やイベント開催などで、活気のある商店街として注目されている商店街がある。岡山市の奉還町(ほうかんちょう)商店街だ。
岡山駅西口(運動公園口)からすぐの場所にある、明治時代初期から続く歴史ある商店街である。奉還町商店街は東西に延びる商店街で、東側(奉還町1・2丁目)の「奉還町商店街」、西側(奉還町3・4丁目)の「西奉還町商店街」に分かれる。
奉還町商店街は、江戸時代の岡山城下から続く西国街道(山陽道)沿いに店舗が連なっている。もともとは食料品や生活用品などを扱う店が多く、市場のような庶民的で下町風情のある商店街であった。そんな奉還町商店街では、若者による若者向けの店舗の出店が続き、さらにユニークなイベントを開催するなどし、若者をはじめ多くの人が集まる商店街として話題になっている。また中小企業庁が選定する「がんばる商店街 77選」にも選ばれた。
活気ある奉還町商店街の現状と、そのために行った取組みなどを紹介しよう。
明治維新後に奉還金を元手に武士が商売を始めたのが奉還町商店街の起源
奉還町商店街の始まりは、明治時代の初期までさかのぼる。大政奉還、明治維新による廃藩置県の実施により、江戸時代の武士たちは失職してしまう。このとき奉還金という、現在の退職金のような金銭が武士に支給された。岡山城下のすぐ西側にあたる西国街道(山陽道)沿いで、職を失った岡山藩の家臣だった武士たちが奉還金を元手に商売をしたのが、奉還町商店街の始まりである。また「奉還町」という地名も、同じ由来で名付けられた。
最初は「奉還もち」という餅を売っていた1軒の餅店から始まり、多くの元武士たちが店を連ねるようになった奉還町商店街。しかし商売のノウハウを知らない元武士の店はうまくいかず、しだいに撤退していった。元武士が立ち上げた店で現在も残っているのは、1軒のみとなっている。武士の撤退した店のあとには新たに商売人が店を始め、現在の奉還町商店街へ続いていく。
第二次世界大戦の岡山空襲で、ほかの岡山市街地と同様に奉還町も被災する。戦後は一からやり直す店がほとんどだった。しかし復興に際して岡山県庁が一時的に奉還町商店街の近くに移転したことで人通りが増え、これをきっかけに奉還町商店街のにぎわいが戻ったのである。
また当時は奉還町商店街は駅から最も近くにある商店街であったため、岡山駅西口の玄関として県内遠方から鉄道で訪れる人も多かった。最盛期の1950年代には、岡山県内で最も活気のある商店街として栄えることとなった。しかし1960年代後半から1970年代になると、スーパーマーケットの進出や自動車の普及などにより、生活環境が変化。以降、しだいに奉還町商店街は苦戦を強いられるようになる。
1990年代後半ごろより、商店街によるコミュニティ施設「奉還町りぶら」の設置や古着のフリーマーケットなどのイベントを展開する。すると2000年代後半ごろより、少しずつ若者による店舗の出店が増加。現在では下町風情の残る商店街の中に、昔ながらの店に交じり若者向けの店が増え、空き店舗は大幅に減少したのである。
現在の奉還町商店街は全体の約40%が40代以下の店主
奉還町商店街について、奉還町商店街振興組合・畝本伸三(うねもと しんぞう)理事に話を聞いた。なお畝本さんは、奉還町商店街で戦前から営業する老舗の大衆食堂・旭軒の店主でもある。
畝本さんは「幸いなことに奉還町商店街では、コロナ禍の前と最中とで、商店街への出店ペースが変わっていません。しかも出店者は若い方が中心。現在、奉還町商店街振興組合には約90の店舗があります。商店街全体の約40%にあたる35店前後が40代以下の店主です。空き物件の情報が出たら、すぐに問合せがある状況ですね」と奉還町商店街の現状を語る。店がなくなっても、そのあとに新たな若い店主による店が開業するという「商店街の新陳代謝」が行われている状態だという。
「岡山駅の東口側は、岡山の城下町の中心で繁華街の表町(おもてちょう)などがあります。しかし岡山駅東口側に比べて、西口側にある奉還町は昔から庶民的な下町のような場所でした。そのため家賃や商店会費なども、東口方面と比較すると安い傾向にあります。ランニングコストが安い点は、若い方が商売を始めるにあたり注目する点のひとつなのではないでしょうか」
「奉還町商店街で商売が成功したからといって、表町などほかの地域に移転する方は少ないです。ランニングコストの面のほかにも、奉還町商店街に魅力を感じていただいていると思っています」と畝本さん。
畝本さんが家業の大衆食堂を継いだのが、1990年半ばごろ。高校卒業後に進学のために岡山を離れ、卒業後に社会人となって働き戻ってきたのだが、岡山を離れていたあいだに奉還町商店街はすっかり変わってしまっていたのだという。
「カルチャーショックを受け、まさに浦島太郎のような気持ちでしたね。私が進学前に岡山にいたころの奉還町商店街は店同士のつながりもあって、暖かくアットホームな雰囲気でした。しかし戻ってきたときは、どこかよそよそしさを感じる、ドライな印象になってしまっていたのです。店主の方々が高齢になり、それが理由かわかりませんが商店街全体の覇気がなくなっていたように感じました。バブル経済が崩壊した影響も大きかったのでしょう」と畝本さん。
畝本さんは、このままでは奉還町商店街はいずれ消滅してしまうという危機感を覚える。これをきっかけに、若かった畝本さんは商店街に活気を戻すための対策を講じようと決意したのだ。
若者がいるのに若者が来ない商店街から、若者が訪れる商店街にするために
まず取り組んだのは、なるべく幅広い世代、とくに若者に商店街へ足を運んでもらうことだったという。当時の奉還町商店街の店の多くは、年配の方が経営していた。そのため、店主と近い世代である年配向けの営業をしていたのだ。
「奉還町のある岡山駅の西口方面、岡山市街地の山陽本線以北のエリアは、大学・専門学校・高校などが多く、学生を中心に若者は多いんです。でも若者が多いのに、当時は若者がほとんど奉還町商店街を歩いていませんでした。なかには、奉還町商店街を知らない人までいたんです。ですから、まず若者に奉還町商店街へ訪れてもらい、奉還町商店街の存在を知ってもらうところから始める必要があると感じました」と畝本さん。
若者を中心に幅広い客層に足を運んでもらうために、今までにないイベントを開催したという。そのひとつが、フリーマーケットだった。ちょうど全国的にフリーマーケットが盛んに開催され始めた頃だったため、若い人にも注目される。フリーマーケットでの人脈から、アートイベントや古着イベントも開催。徐々にイベントへ若者が多く訪れるようになっていった。
畝本さんは「とくに古着イベントは盛況でして、私も驚きました。奉還町で古着店をしている店主が、岡山は国内における古着の発祥だということでイベントを開催したのです。すると、今までにないくらいに大勢のお客さんが押し寄せました。全国の古着店が出店したこともあり、幅広い地域から約1万人が訪れていましたね」。
地道にイベントを開催していき、2000年代半ばごろから若者の奉還町商店街への出店希望が出てきたという。「現在もあるオンサヤコーヒーというコーヒー店が出店したあたりから、若者の出店希望が増えてきましたね」と畝本さん。
若い店主が増えてきたことで、さらに若者の集客への好循環が生まれた。畝本さんは「若い店主が増えたことで、新たに個性的なイベントも開催されるようになりました。活性化させるには、若者が積極的に企画できる土壌づくりが大切だと思います。親が子どもの欲しいものがわからないように、年配の方が若者向けのイベントを企画するのは難しいです。若者を呼び込みたいなら、若い方がイベントを企画しないと若者に響きません」と語る。
なお現在の奉還町商店街振興組合は、50代の畝本さんが最高齢。畝本さん以外の理事は、40代以下という構成になっている。
「古着イベントだって、当時の年配の店主は集客にならないだろうと思っていました。年配の方は、古着にいい印象をもっていなかったからです。ですが、フタを開けてみると予想外の大盛況。若者が企画するからこそ、若者に注目されるイベントができるというよい事例ですね」
新たに開催したイベントの例として、商店街を舞台にしたドローンレースがあるという。畝本さんによると「最初に聞いたときは、驚くと同時に『商店街でレースして大丈夫か? 事故は起きないのか?』と心配だったのが正直なところです。おそらく、日本で初めての試みだったのではないでしょうか。タイムアタックレースだったのですが、当日は予想以上にお客さまが訪れて大盛況。マスメディアにも取り上げられました」。以降、毎年ドローンレースが行われているという。
奉還町の庶民的なよさを残しつつ、変わっていかなければ生き残れない
「時代が変われば、生活環境も変わります。それに合わせて商店街も変化しなければ、生き残っていけません。私が家業を継いだ1990年代は変化に合わせていなかった状態のため、新しい世代の方たちから取り残されていました。商店街は地域とともにあるもの。そのためにも、時代の変化に対応していく必要があるのです」と畝本さんは振り返る。
「もちろん奉還町商店街のよい部分は今後も守り、継承していく必要があります。奉還町のよさは、人と人の温かみある触れ合いです。たとえば24時間営業の無人販売の話もありましたが、奉還町商店街のよさが生かされないのでお断りしました。いくら時代に合わせたものといっても、なんでも受け入れるわけではありません。絶対に奉還町商店街のよさは守っていきたいですね。奉還町商店街に人情味あふれる庶民的な雰囲気を求めて訪れる人は、世代を問わず多いですから」
「商店街に出店するとなると、定期的な会合への出席も必要となります。若い店主にとって、年配の店主から知らないノウハウ、奉還町や地域に関する情報などを知ることができるのがメリットです」と畝本さん。
「一方、若い店主が増えることにより、年配の店主にもメリットがあります。新しい知識や情報などは、身近なところに詳しい人がいないとわかりません。新たなITサービスなどの知識を、若い店主から得られるのは大きいです。年配の店主が多い場合だと、そもそもサービス自体を知らなかったりしますので……」
実は奉還町商店街は、QRコード決済のPayPayを岡山県内でいち早く導入した。これも若い店主が多くなったことで、年配の店主のQRコード決済への理解が早く進んだためだ。当時はまだ県内でPayPayが使えるところが少なかったため、PayPayを使うことを目的に奉還町商店街へ訪れる人も多かったという。
子どもにも足を運んでもらい、商店街の存在を次世代へとつないでいく
奉還町商店街の今後について、畝本さんは次のように語る。「いままで若い人に足を運んでもらうために、イベントなどを地道に開催してきました。次はさらに若い世代、つまり子どもたちに足を運んでもらうことに力を入れています。若い世代から次の世代へバトンを渡していくというサイクルができれば、今後も自然な形で商店街の新陳代謝ができますよね」
たとえば、秋に行うハロウィーンイベントだという。子どもがターゲットだが、親子や親子孫三世代で訪れる人も多いとのこと。また奉還町商店街は学生が多い地域であるため、学生との連携も積極的に展開している。畝本さんは「楽しい思い出づくりができれば、奉還町商店街が身近な場所となります。そして大人になっても、商店街へ気軽に足を運べるはずです。子どもたちのなかから、将来に奉還町商店街で店を始める人が出てくればうれしいですね」と期待している。
元武士たちによって始まった奉還町商店街。元武士の店は1店を除いて続かなかったが、新たに店を始めた人たちによって再興した。その後、畝本さんらの力によって、若者の出店が増えて再び活気を取り戻している。奉還町商店街の活気の源は、古くから続く商店街の「新陳代謝」、つまり新しい世代への商店街の継承が続いているからかもしれない。
取材協力:奉還町商店街振興組合
https://www.houkancho.com/
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