「かまくら」とは?本来は、秋田県で小正月に行われてきた伝統行事の名
「かまくら」の言葉から、どんな情景を思い浮かべるだろう。
一面の銀世界の中に小さなたくさんの雪洞が並び、ロウソクが灯されている光景だろうか、それとも人が入れるほどの雪洞の中で、子どもたちがこたつにあたりながらみかんを食べていたり、火鉢でお餅を焼いたりしている光景だろうか。
実は本来の「かまくら」という名称は、秋田県で小正月に行われてきた伝統行事の名で、水神信仰の神事だった。だから厳密にいえば、小正月の儀式に作られたものだけが「かまくら」なのだが、現在では雪で作った洞すべてが「かまくら」と呼ばれている。
かまくらの形は地域によってさまざまで、雪をコの字型に積み上げた「雪城型」、雪城型の上に屋根をかけた「小屋型」、雪山を作って横穴を開けた「雪穴型」、雪の台に空洞を設けた「櫓型」などがある。名前の由来は「竃に似た形の蔵」の「かまどくら」が訛じたとか、神の座す「神座(かみくら)」がてんじたとか考えられているが、定かではない。
新潟県魚沼地方では「ほんやら洞」と呼ばれている。ただし魚沼市では雪洞の儀礼全体を「ほんやら洞」と呼び、雪洞そのものは「鳥追い洞」と呼ぶから少しややこしい。その名の通り、鳥追の儀式が付随しており、鳥追い歌に「ほんやら」と掛け声を入れるからそう呼ばれているという。
かまくらという行事の始まりは雪で作った「正月小屋」
「かまくら」は、とんど(左義長)で使われる「正月小屋」を雪で作ったのが始まりとされる。
とんどは小正月の行事で、広場に竹を組んで心柱となる竹に水神のお札や神飾りなどを付け、そこに前年のお札やしめ縄や書初めなどを入れて、小正月の朝から竹組ごと焚き上げる。
この火で餅やだんごを焼き、ぜんざいに入れてふるまう地域もあるし、炎に煽られた書初めが高く舞い上がると書道の腕が上がるという言い伝えもあり、子どもたちにとっても楽しみな行事だ。
竹の組み方は地方によって違い、円錐状や円柱状、方形のものもある。東日本から東北にかけては竹組ではなく、「正月小屋」と呼ばれる仮の小屋が作られる地域がある。
たとえばいわき市のものは藁や竹で作られた方形の小屋で、「酉小屋」と呼ばれる。中には水神が祭られており、かつては小正月の前夜、子どもたちが泊まり込む風習もあったようだ。現在でも「前夜祭」と称して子どもたちが集い、遊んだり、ふるまいの甘酒を楽しんだりする。とんどや左義長と同じように、小正月の朝には古いお札や正月飾りなどを入れて、焚き上げられるのだ。
かまくらは雪でできているので焚き上げるわけにはいかないが、水神を祭るための洞なのは正月小屋と変わりない。
とんどや左義長は、田畑を荒らす害鳥を追い払う「鳥追い」の儀礼
とんどや左義長は、田畑を荒らす害鳥を追い払う「鳥追い」の儀礼と深い関係がある。
小正月より少し前の儀式ではあるが、七草粥を調理する際、七草を刻みながら、「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に ストトントン」などと口ずさむのは、渡り鳥が疫病を運んでくるという知識があったからだろう。「とんど」は七草の歌にある「唐土」に通じるとする説もある。
それだからか、正月小屋やかまくらに集まった子どもたちが「おらが裏の早稲田の稲を なん鳥がまぐらった 雀 スワドリ立ちやがれ ホーイ ホーイ」などと歌いながら拍子木を鳴らし、木の枝などの棒で地面を叩きながら村を一周する風習も伝わる。優雅に空を飛ぶ鳥は、田畑を荒らし、疫病を運ぶ厄介者でもあり、新年の早いうちに追い払ってしまわねば、安寧を得られなかったのだ。
ブルーノ・タウトが絶賛した横手のかまくら祭
かまくらのイベントで特に知られているのが、横手のかまくら祭だろう。
毎年2月15日と16日に開催され、横手市内には約80基のかまくらが並ぶ。かまくらの中では甘酒が温められて、餅が焼かれており、声をかける子どもたちから購入してアツアツをいただくと、いかにも降雪地帯らしい風情だ。かまくらの行事自体は400年以上の伝統があるが、今の様式になったのは明治時代以降のことらしい。
横手のかまくら祭を有名にしたのは、ドイツの建築家ブルーノ・タウトで、『日本美の再発見』の中で、「実にすばらしい観物だ!誰でもこの子ども達を愛せずにはいられないだろう。いずれにせよ、この情景を想い見るには、読者はありたけの想像力をはたらかせねぱならない。私たちが、とあるカマクラを覗き見したら、子ども達は世にも真面目な物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人はこの子達に一銭与えることになっている。ここにも美しい日本がある。それは……およそあらゆる美しいものと同じく、……とうてい筆紙に尽すことはできない」と絶賛している。
ブルーノ・タウトは1935年2月7日に横手を訪ねており、子どもたちは、かまくらの中にしつらえた水神様を祭る雪の龕(厨子のこと)に、市で買ってきた餅の玩具を供えると記述している。かまくらの床にはむしろが敷かれていて、コンロには汁物や甘酒が載せられている。
「カマクラの上には、雪の天井の代わりにたいてい竹簀が載せてある。雪だと崩れ落ちる心配があるので、今年は警察で禁じたのである」とあり、外観は現代のものとは少し違ったようだ。
秋田県三郷町六郷地区のカマクラ行事は、重要無形文化財にも指定されており、平安時代の初代征夷大将軍である坂上田村麻呂が創建したと伝承される。子どもたちが書初めをしたためる「天筆まつり」や鳥追い行事のほか、2月15日の早朝から若者たちが青竹を打ち合う「竹打ち」が知られる。
湯西川温泉のかまくら祭など、近年のかまくらの観光化
近年、観光客誘致のために、かまくら祭を行う動きもある。有名なのは日光市の湯西川温泉で行われるかまくら祭だろう。
湯西川温泉のかまくら祭は雪の時期にも観光客が集まるよう、1994年から始まった。「平家の里」という観光施設や、「日本夜景遺産」に認定されたこともある沢口河川敷にかまくらをつくり、湯西川温泉全体で楽しめるイベントとなっている。人が出入りできる大型のかまくらのほか、高さ30センチほどのミニかまくらが河川敷いっぱいに並べられ、夜には中に立てられたロウソクに火がともされる。夜の街に雪の白さとロウソクの光があたたかい幻想的な風景がみられる。
長野県飯山市の「かまくらの里」は、スキー場の閉鎖にともなって2020年にオープンしたスポットで、毎年1月下旬から2月下旬までの約1ケ月間、高さ3mほどの大きなかまくらが15~20基並ぶ。
かまくらの中で白菜やきのこ等の地元産野菜を入れた信州味噌仕立ての名物「のろし鍋」が食べられるという。毎年2月の第2土曜・日曜には、かまくらの里で「かまくら祭り」も開かれ、里の奥にはかまくらの神社もたてられる。赤い鳥居をくぐる先にあるかまくらの中には御神体もあり、ちゃんとした社(やしろ)となっている。
この冬は、何度も寒波が到来し、豪雪地帯では大雪が降り積もり各地での被害も出ている。一方で、このかまくらなど雪は貴重な観光資源でもあるとわかる。
■参考
岩田書院『カマクラと雪室ーその歴史的変遷と地域性ー』後藤麻衣子著 2012年4月発行
岩波書店『日本美の再発見』ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 1970年11月発行
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