“住宅作家”の林雅子と“ビル作家”林昌二の最強建築家夫婦
建築家が依頼主のために設計した住宅を住みこなすのには覚悟がいる。だから、訪れて感動はしても「住みたい」とはあまり思わない。これは以前にも書いた。
ただ、「こんなプロセスで家をつくれたらいいのに」あるいは「こんな時間軸のなかで暮らしたい」と思うことはよくある。その最たる住宅が、林昌二・林雅子夫妻が暮らした「私たちの家」だ。
林雅子(1928~2001年)は日本の女性建築家の草分けで、「海のギャラリー」(高知県、1967年)のような文化施設も残したが、設計活動の中心は戸建て住宅だった。建築の世界では「住宅作家」と呼ばれる。同い年の林昌二(1928~2011年)は雅子と対称的で、日本最大の設計事務所である日建設計に所属し、「パレスサイドビルディング 」(1966年)、「ポーラ五反田ビル」(1971年)、「中野サンプラザ」(1973年)、「新宿NSビル」(1982年)といった大規模オフィスを設計した“ビル作家”だ。
夫婦で建築家だとしても、住宅作家の雅子の方がこの家の設計の中心になったのだろうと思ってしまうが、図面を引いたのはビル作家の昌二の方だという。
戦後復興期に建てた平屋の家を23年後に大増築
2人は東京・小石川のこの家で、27歳で結婚したときから暮らした。
旗竿地ながら、樹木に囲まれた大きな庭のある2階建て。延べ面積は238m2(約72坪)。それだけ聞くと「建築家って儲かるんだな」と思ってしまうが、そうではない。
土地は昌二が生まれ育った家の敷地の一角。2人が結婚した1955年に昌二の設計で建てた“第1期”は、コンクリートブロック造・平屋建て・延べ面積58m2(約17坪)の小さな家だった。
1950年代は戦後復興期で、建築界では小住宅が大きなテーマだった。
東京工業大学で建築家の清家(せいけ)清に建築を学んだ昌二は、在学中から住宅設計に強い興味を持っていた。1953年に日建設計(当時は日建設計工務)に入社し、若くして旧掛川市庁舎(1955年、現存せず)の設計チームの中心になっていた昌二が、住宅への熱い想いを発散するように夜な夜な設計したのがこの小住宅だ。
庭に向かって大きな開口部を持つ細長い平面の間取りは、師である清家清の自邸(1954年)を思わせる。昌二は「手持ちのお金とぎりぎりの借金で建てた家でしたから、無駄はもちろん余裕も全くない家でした」と振り返る。
第1期に建築された家に荷重をかけずに2階を乗せる
昌二と雅子は約10年後に収納を増築するなどの工事を行い、それから10年以上たった1978年に、延べ面積を4倍にする大増築を行った。中野サンプラザ(地上20階、5万m2超)を設計した昌二が、その後もこんな小さな住宅に住んでいたのかと驚かされる。
よほど気に入っていたのだろう。増築の方法も驚くべき発想によるものだった。第2期も設計の中心になったのは昌二で、第1期のコンクリートブロック造の家を包み込むように、2階建ての第2期をつくった。しかも、第1期部分には荷重がかかっていない。
当初は第1期の上に直接乗せようと考えたが、建築基準法の改正があって、法的にできなくなったのだという。普通は建て替えるところだが、昌二は鉄筋コンクリートで南側に2層の躯体を立ち上げて、北側に木造で片持ちの屋根を架けるようにして2階部分をつくった。
三角増築で庭の広がりを強調、2階には小さなサウナも
それに加えて特徴的なのは、第1期の南東側につくった三角平面の部分。
この部分には新たな台所や食堂が収まり、庭に向かって視界が開ける。そして、その斜めのラインが、第1期の居間から見た時に庭の広がりを強調する。庭の魅力は広さではなく「見え方」なのだということがよくわかる。
三角部分の2階に上ると、風呂好きだった雅子のリクエストでつくったサウナと水浴室がある。
昌二は「世界最小のサウナ」と話していたという。水浴室から隠し階段のような小さな階段を上ると、ペントハウスで外気浴ができる。なんたる遊び心。
雅子は昌二が住宅を設計する姿を見たかった?
さて、この連載のテーマである「建築家の愛」についてである。サウナやペントハウスのことを知ったときには、「その話で書ける!」と思ったのだが(筆者も大の風呂好きなので)、増築のプロセスを知るにつけ、もっと大きな愛は「昌二がいきいきとこの家を設計し、手を入れ続けたこと」ではないかと思うに至った。
考えてみてほしい。妻は女性建築家の草分けで、住宅のエキスパートだ。普通なら、雅子が設計するところだろう。結婚する前に設計が進んだ第1期を昌二が設計するのはわからなくはない。が、20年もたって増築するときには、雅子が第1期の使いにくさをすべて解消し、住宅作家として世に発表するのが普通の流れだと思う。
だが、雅子は設計を昌二に任せた。昌二の回想によれば、「雅子は『私は、住宅はしょっちゅうやっているから、あなたがやりなさい』と言うわけですよ」「『設計料の支払われない家は、私は専門家としてできない』と言うんです」と断ったという。
きっと、雅子は昌二が設計する姿を見たかったのだ。
自分で自分のためにつくる家は実現しなくても想像がつく。多くの住宅を設計してきた自分にとってさほど刺激にはならない。そうではなく、他の人間が自分の家を設計するとどんなものになるのか──。そんなことを引き受ける人間は夫しかいない。
そして、雅子は昌二が大規模ビルばかり設計する姿をそばで見てきた。ストレスの影も感じていただろう。
この人に再び設計の原点を見つめてほしい。そんなことを思ったのではないか。
日建設計の元部下、建築家・安田幸一により再び改修
昌二もそんなふうに雅子が思っていることに気づいていたに違いない。だから、2人の原点を生かしつつ、それを包んで増築するという手の込んだ第2期に挑んだ。任せる方も愛、手を動かす方も愛ではないか。
そして、夫妻の没後、この家はかつて日建設計で林の部下であった安田幸一(東京工業大学名誉教授、安田アトリエ主宰)に引き継がれた。
2013年、安田によって改修され、安田の自宅となっている。
林の意図を汲みつつ、自分の生活に合わせて手を入れた。そんなことができるのも2人の近くにいた人間だからだ。
きっと雲の上の夫妻も、安田の愛にほほえんでいることだろう。
■概要データ
平らな屋根の住まい(私たちの家・第1期)
所在地:東京都文京区
設計:林昌二
階数:地上1階
構造:コンクリートブロック造・鉄筋コンクリート造
延べ面積:58m2
竣工:1955年(昭和30年)
私たちの家・第2期
設計:林昌二、林雅子
階数:地上2階・塔屋1階
構造:鉄筋コンクリート造・木造
延べ面積:238m2
竣工:1978年(昭和53年)
小石川の住宅(私たちの家 改修)
改修設計:安田幸一
階数・構造・延べ面積:第2期と変わらず
竣工:2013年(平成25年)
■参考文献
INAX REPORT182(2010年4月)Architect at Home 16「私たちの家」
TOTO通信507(2015年夏)特集/ヴィンテージの未来 増改築のたすきをつなぐ
新建築住宅特集2014年7月号
公開日:












