斜面地に連なる長屋を改修した「長崎坂宿」
山の斜面に広がる屋根、屋根、屋根。三方を山に囲まれたすり鉢状の地形によって坂が多い長崎のまちは、ここでしか見られない特殊な景観だろう。山の斜面を利用して造成された居住地(斜面地市街地)は、長崎の市街地全体のうち約4割を占める。戦後の人口増加と経済成長に合わせて広がったこの斜面居住地だが、アクセスの悪さによる転出、居住者の高齢化や老朽化した空き家が近年課題となっている。
そんな場所に「長崎坂宿(さかやど)」はある。長崎駅を降りて、道路の真ん中を走るちんちん電車(長崎電気軌道)に揺られて、まちの風景を眺めながら、思案橋駅まで。山の方に向かって坂を10分ほど上り、息が弾んできたころに木造長屋群が見えてくる。宿泊施設「長崎坂宿」(ゲスト・ひとま・OKU)が3軒、「レンタルスペースcasa」とテレワーク専用スペースの「リモートポッドhaco」が1軒ずつ並んでいる。
瓦屋根にトタン外壁という長屋群は、道路向かいの住宅と見た目ではそう変わらない。「ここも住宅なのでは?」と思うくらい、周囲の風景になじんでいる。坂道を振り返ると眼下に広がる長崎中心部の風景。思いのほか、高い場所まで上ってきたことがわかる。
与えられた課題が、斜面地だった
この長屋群を運営しているのが、小笠原太一氏(小笠原企画)だ。大阪出身で、上海で働いていた小笠原氏が2016年に福岡に移住。帰国後、設計企画業と同時に始めたのが、オフィス兼自宅を活用した民泊事業だった。“日本らしい暮らしぶりを体験したい”という海外観光客の需要をつかんだという。
その経験を生かして長崎に初めて宿泊施設をオープンしたのが、2018年。長崎市内の山の中腹にある築70年を超えた一棟木造家屋を改修し、その翌年2019年には、東小島町の木造長屋を持つ地主さんとの出会いにより、今回訪れた長屋群「長崎坂宿」の開発に至った。現在も絶賛開発途中。長屋を1軒ずつ改修を施しながら、順々にエリアを広げている。
「斜面居住地の空き家は、長崎の抱える社会問題です。建築士の職能である問題解決能力が生かせると思い、ここでの改修をスタートしました。私自身は思い先行型というより、課題先行型。物件開発を発展させることが目的で、それが結果として社会問題の解決につながることが最良だと考えています」と小笠原氏は話す。
坂の上の木造長屋を生かした宿泊施設群
宿泊施設を実際に見せていただいた。
ドアを開けるとスタイリッシュな空間が目の前に広がる。外観と内観のギャップも魅力の一つかもしれない。「長崎坂宿ひとま」は、一人旅、出張やワーケーション、カップルなどの利用を想定して作られた間取りで、ベッドとしても利用できるソファも配置されている。「長崎坂宿ゲスト」は、大人数収容可能で、友人同士のグループ旅行や家族の利用を想定した内装で、天井の梁に木造長屋の面影が感じられる。
「長崎坂宿OKU」は、2022年に完成した一棟貸切型ホテル仕様の新施設。部屋の中央に存在する梁を中心に、仕切りのない空間が広がる。用意された和室に布団を敷くことも可能で、塗装DIYが施されたという壁面には、スタッフの空間作りへの愛情が感じられる部屋となっている。利用者は2泊以上が基本となっており、連泊する海外利用者や県外観光客がほとんどだ。
自宅で仕事がしづらくなった小笠原氏自身の経験から2021年に生まれたのが、「レンタルスペースcasa」と「リモートポッドhaco」だ。コロナ禍に急激に増えたオンラインでの会議や、面接などを想定したテレワーク専用個人スペースと、グループ利用や小規模イベントにも使える、ワーケーション向けの施設となっている。
これらのテレワーク施設については、今後の社会情勢に合わせて流動的に改変していく予定だと小笠原氏。近隣の物件も常に探しており、リノベーション計画も随時進めていく予定だそう。場づくりに対するフットワークの軽さと柔軟な思考が感じられる。
ショッピングモール開発で得た視点を地域開発事業に生かす
小笠原氏の思想の根本にあるのは、2016年まで携わっていた中国・上海の大型商業施設とクリエイティブオフィス「創意園」の設計・開発の経験だという。
「ショッピングモールでは、どうやって人を呼ぶか、長く滞在してもらうかを意識した設計の工夫がなされています。お客が施設に来て店舗を巡りながら時間を過ごし、支払いをすることで総合的にショッピングモールは成り立つ。そういう、点だけではなく面で収益を上げていくという視点を用いた物件開発がここでも実現できたらと考えています」
坂宿運営はまだ第1フェーズ。今後は、売店やコインランドリーなどを設けることを想定している。現在坂宿の周りには自動販売機しかなく、コンビニに行くにはかなり歩かなければならない。この不便さを感じるのは、宿泊者だけではなく地域住民も同じだろう。斜面居住地に増えつつある空き家解体後に生まれた広場を活用して、週末マルシェなどもできるかもしれないと小笠原氏は話す。
「例えば、大きなリゾートホテルやショッピングモールが提供する無料サービスのバスを地域住民が日常利用したりしていますよね。それでいいと思うんです。事業者が収益の一部を顧客の満足度や利便性を向上させるためにつなげながら、そのサービスを地域の人が使えるように開放する。そういう手法を使ってエリアの開発につなげていきたいと考えています」
可能性に満ちている日本の地方都市
2023年1月から始めた企画に、「ソーシャルデベロップメントツアー」がある。小笠原さんが目指しているのは、マイクロ・デベロッパーを増やしていくことだ。マイクロ・デベロッパーとは大きな開発ではなく、リノベーションなどを通して個人で地域開発を行い、点から面へとまちの魅力を広げていく事業者のことだ。
2泊3日のツアーでは、小笠原氏が長崎坂宿で培ってきた遠隔運用のノウハウや事業計画を紹介するだけでなく、斜面地空き家(売り物件)を巡り、最終日には地元工務店やデザイナー、金融機関などとのビジネスマッチングの場も用意する。ツアーで心がけているのは、アイデアだけで終わらせないこと。なかなか表には出てこない空家の情報を掘り起こし、まちに対してポジティブな使い方を実践できるクリエイターを増やすことが問題解決の第一歩なのだ。
「課題を解決する事業者を育てるツアーそのものが、観光の要素も兼ね備えています。地方にはさまざまな課題があります。長崎坂宿で取り組んでいる仕組みや手法も、広く伝えていけたらと考えています」
個人から始められる小さな地域再開発。空き物件の開発がどうまちの風土を守り、変えていくのか。ひとつの成功事例を生み出すべく、新しいチャレンジが長崎の坂の上で起こっている。
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