ヨーロッパ近代で主導的地位に躍り出たフランスの首都

建築史家・倉方俊輔さん(大阪公立大学教授)が建築を通して世界の都市を語るロングランセミナー(Club Tap主催)。今回は、フランスの首都パリを取り上げる。

パリが現在につながる文化的な中心地として歩み始めたのはルネサンス後期、フランスがイタリアに侵攻したイタリア戦争の頃からだ。倉方さんは言う。「ルネサンスが花開いたイタリアは、都市国家が単位であり、中東との貿易で栄えた点で中世的な背景を持ちます。 “近代の始まり”としてのルネサンスは、 “中世の終わり”としての社会から生まれました。近代に入るとヨーロッパが世界を支配し、都市ではなく国家が台頭してきます。このとき、表舞台に躍り出たのがフランスでした」。

フランスは近代国家の規範をつくった国であり、国際的な晩餐には、今も多くフランス料理が饗される。もっとも、そのフランス料理の源泉は、イタリア戦争から持ち帰ったものだ。「同じようなことは建築でも起きています。フランスはイタリアのルネサンスを採り入れ、自らを古典様式の正統な継承者として位置付けました」。イタリア戦争以前のフランスの建築はゴシック様式であり、本国イタリアの建築は、ルネサンス以降バロックに傾いていく。

「フランス流の古典様式を極めたものがヴェルサイユ宮殿で、これがヨーロッパの宮殿建築に大きな影響を与えます。急勾配の屋根は中世の城館に由来するなど、よく見ると折衷的なスタイルですが、フランスの国力や文化力の強さがこれを宮殿建築の標準のようにみなさせたといえます」。ヴェルサイユ宮殿の特徴は、その広大な庭園にある。「理性で自然を統御する幾何学的な庭園で、王権が発する力が軸線となって彼方へと延長するような世界観が現れています」。

ヴェルサイユ宮殿とその庭園(写真:PIXTA)ヴェルサイユ宮殿とその庭園(写真:PIXTA)

過酷な徴税や啓蒙思想が土壌となって起きたフランス革命を、革命側は「理性の勝利」と呼んだが、制御できない「野生の産物」が暴力となり、結果的に王の処刑に至る。このことは欧州の周辺国を刺激し、軍事介入を招いた。内外の混乱の中から登場したのがナポレオン・ボナパルトだ。王制を廃した革命の末に皇帝が現れるのは奇妙にも思えるが、ナポレオンは即位の是非を国民投票にかけている。

「フランスは、権力の集中を理性で説明しようとする点で一貫しています。対して、例えばイギリスは立憲君主制で、そもそも権力を集中させない。権威の集中と理性による裏付けは、フランスの建築の中にも見ることができます」。

ルイ15世の時代に建設が始まったパンテオンは、はじめ聖堂として計画された。その設計は、柱だけで構造を成り立たせようという原理主義的な発想に基づく。「設計者のジャック・ジェルマン・スフロは、極力装飾をなくし、建築の原点としての古代ギリシャの神殿のような構造を目指しました。一方で、中央に古代ローマ風のドームを戴いており、柱だけでは支えきれなかった。工事は難航し、完成したのはフランス革命後の1790年でした」。結果として、この建物はフランスの偉人を称えるための廟として使われることになった。

ヴェルサイユ宮殿とその庭園(写真:PIXTA)パンテオン、ジャック・ジェルマン・スフロ、1790年(以下、写真はすべて撮影:倉方俊輔)

鉄を用いて歴史的建造物の理想の姿を追求した建築修復家

フランスの産業革命はイギリスに遅れ、ナポレオン3世による第二帝政の時代に本格化する。1846年に開業したパリ北駅はすぐに手狭になり、1865年に拡張された。「ファサードは宮殿のようなデザインで、カリアティードと呼ばれる人型の柱が使われています。原理主義的な新古典主義では用いない半面、フランスの宮殿建築では優美なものとして使われます。第二帝政がフランスの正統を継いでいることの象徴です」。

一方、鉄道のホーム側には、うって変わって鋳鉄の細い柱が並ぶ。巨大なトレイン・シェッド(屋根)を支えるための柱だ。「機能だけを考えれば、これほど大きな覆いは必ずしも必要ないかもしれません。空間は工業力を誇示するものでもあります。都市の顔となる側には歴史を象徴する華やかな様式を用い、鉄道側は現代の国力を見せつける。極端に細長い柱は、鉄を使えるようになって初めて実現できたものです。当時のヨーロッパの建築では、鉄は粗野で無骨な素材として、石の中に隠して使うのが一般的ですが、産業を象徴する鉄道駅については例外でした」。

パリ北駅外観、ジャック・イニャス・イトルフ、1865年パリ北駅外観、ジャック・イニャス・イトルフ、1865年
パリ北駅外観、ジャック・イニャス・イトルフ、1865年パリ北駅ホーム

しかしフランスには、鋳鉄の構造を積極的に現そうとした建築家もいた。19世紀後半の建築理論家で、建築修復の第一人者であるヴィオレ・ル・デュクだ。「デュクはゴシック建築を鉄で修復しています。ゴシックの時代に鉄があったらこう使ったはずだ、という考え方ですね。保存修復には今も様々な考え方がありますが、デュクはその建築の本来あるべき理想像を追求し、建設当初とは異なる修復を行ったりしました」。例えば、2019年の火災で焼け落ちたノートルダム寺院の尖塔は、革命後の修復にあたってデュクが付け足したものだ。

「デュクの考えでは、ゴシックの理想に則れば、尖塔はなくてはならないものでした。デュクの思想は後世の批判も受けましたが、近年は再評価の動きもあります。そもそもゴシックの時代に建築家は存在せず、聖堂は神職の指示で石工がつくったものですが、それを建築家が国家の象徴として修復する。歴史的な建築を理性によって捉え直すことが建築家の役割であると考えた人物でした」。

そのデュクの影響を色濃く受けた建築家、ジュール・ゴドフロイ・アストリュックが設計したノートルダム・デュ・トラバイユ教会(1901)は、鉄の柱をむき出しにした内部空間が特徴的だ。「全体のバランスはゴシック様式に則っているのですが、鉄ならではの柱の細さが際立っています。機械的であるけれども、人の手で持ち運べる程度の大きさの鉄材を組み合わせているので、身体感覚に馴染みやすく、どこか可愛らしい印象も与えます」。

パリ北駅外観、ジャック・イニャス・イトルフ、1865年ノートルダム・デュ・トラバイユ教会、ジュール・ゴドフロイ・アストリュック、1901年
パリ北駅外観、ジャック・イニャス・イトルフ、1865年ノートルダム・デュ・トラバイユ教会のファサード。外観は石造りのゴシック様式

都市改造を推し進めたミッテラン大統領の「グラン・プロジェ」

2度の世界大戦を経て、世界のアートの中心はパリからニューヨークに移る。その覇権を取り戻そうと計画されたのがポンピドゥ・センター(1977)だ。ジャン・プルーヴェが審査委員長を務めたコンペで選ばれたのが、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの案だった。ポンピドゥとは、その設立を構想した大統領の名前だ。「公共施設に大統領の名前を冠するのは、古代ローマの伝統を継いでいるともいえます。古代ローマでは、皇帝がその名において、人々のために公共施設を建てることが美徳とされましたから」。

ポンピドゥ・センター、レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース 1977年
ポンピドゥ・センター、レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース 1977年

1981年に就任したミッテラン大統領は2期14年政権を担い、その間に「グラン・プロジェ」と呼ぶ都市再生を推し進めた。なかでも有名なのがルーブル美術館の大改造だ。「ルーブル美術館はもともと宮殿として建てられたものですから、展示施設としては動線が悪かった。そこで、新たにガラスのピラミッドをつくってメインエントランスにしたのです。設計は中国系アメリカ人のI.M.ペイ。彼はワシントン国立博物館の改築などに実績があり、ミッテランはそれを評価して特命で指名しています。このことは当然、当時のフランスのメディアから猛反対を受けました。なぜフランスを代表する建築の改修をアメリカ人に手掛けさせるのかと。しかし完成後は多くが賞賛に回りました」。ルーブルのガラスのピラミッドは、今となってはパリのシンボルの1つだ。

ポンピドゥ・センター、レンゾ・ピアノ+リチャード・ロジャース 1977年
ルーブル美術館のガラスのピラミッド、I.M.ペイ、1989年

グラン・プロジェが生んだベルナール・チュミの公園とドミニク・ペローの出世作

パリ市内最大の都市公園ラ・ヴィレットも、「グラン・プロジェ」の一環で、かつての食肉処理場・市場の跡地につくられた。コンペで選ばれたベルナール・チュミは公園全体に色鮮やかなフォーリー(東屋)をグリッド状に撒き、おのおのに異なる機能を持たせた。「公園でありながら都市のような、偶然の出会い、ハプニングを生む装置としてのフォーリーです。フォーリー(folie)とはフランス語で狂気を意味しますから、まさに理性の対極にある。自律的でなく、予測不可能な、理性の限界を超えるものとして配置されています」。

ラ・ヴィレット公園、ベルナール・チュミ、1982年ラ・ヴィレット公園、ベルナール・チュミ、1982年

「グラン・プロジェ」最後の大作が、1997年に開館したフランス国立図書館だ。ドミニク・ペローの出世作である。中庭を囲む建物の四隅に、本を開いたようなL字型のガラスのタワーがそびえ、これが書庫になっている。「図書館の機能をそのまま形にし、本が蓄積されていることが外観で分かる。非常に明解でクールな造形です。さらに素晴らしいのは中庭の森。ヴェルサイユ宮殿のフランス式庭園とは真逆の、野生そのままのような庭です。閲覧室はこの中庭を望む地下にあり、静かに本と向き合える空間になっています。理性と野生を表裏一体にしつつ、造形も機能も高度に成立させている。そこがフランス的に思えます」。

ラ・ヴィレット公園、ベルナール・チュミ、1982年フランス国立図書館、ドミニク・ペロー、1995年

フランスの巨匠ジャン・ヌーヴェルの代表作2つ

現代フランスの建築家で最も活躍がめざましいのは、やはりジャン・ヌーヴェルだろう。出世作となったアラブ世界研究所(1987年)も、「グラン・プロジェ」の一環だ。「アラブ文様風のモチーフは日差しを調節する役目を担っており、メカニカルでありながら有機的なものを感じさせます。ヌーヴェルはガラスや金属など工業的な素材を使いつつ、そこにある種の色気というか、マジカルな魅力をまとわせる手腕に特徴があります」。

1994年竣工のカルティエ現代美術財団も、ジャン・ヌーヴェルの代表作の1つに数えられている。モンパルナスの古い街並みとは異質なガラス張りの建物だが「ここにあるからこそ映えるのです」と倉方さん。道路面にガラスの壁を立て、その前後に樹木が植えられている。「この壁はただの塀で、ここから内部になっているわけではありません。しかし、木々の姿を反射したり透過したりすることで、内部と外部の区別が曖昧になります。ここではガラスは、虚と実を融合するアート的な効果を発揮している。自らの敷地内に公私の境目のない空間をつくって都市に提供することで、カルティエのメセナを象徴する建築になっています」。

アラブ世界研究所、ジャン・ヌーヴェル、1987年
アラブ世界研究所、ジャン・ヌーヴェル、1987年
アラブ世界研究所、ジャン・ヌーヴェル、1987年
カルティエ現代美術財団、ジャン・ヌーヴェル、1994年

セーヌ川沿いの「レ・ドックス」はもともと1907年に建てられた港湾倉庫で、ファッションとデザインの街パリを象徴する建物として改修された。「そこで人々がいろんな創造行為を行っていくことが主題になっていて、かつての構造物の空間をうまく活かしているところが現代的です。緑色のチューブを貼り付けたような外観は造形的に思えますが、実際に中に入って歩いてみるとセーヌ川の眺めが様々に変化する。建築をいかにして環境に呼応させるかが考え抜かれているところも、2010年代の建築らしいと言えます」

アラブ世界研究所、ジャン・ヌーヴェル、1987年
レ・ドックス、ジャコブ + マクファーレン、2012年
アラブ世界研究所、ジャン・ヌーヴェル、1987年
レ・ドックス内部

アメリカに拠点を置く世界的巨匠、フランク・ゲーリーの初期作も

「パリはコスモポリタンの街なので、国外の才能を採り入れることにも積極的です。アメリカで頭角を顕したカナダ人建築家フランク・ゲーリーの初期の作品と、巨匠として名声を確立してからの作品が、両方見られるのもパリのおもしろいところです」。

フランク・ゲーリーは曲面を多用した大胆な造形で知られる建築家だ。「ゲーリー自身は子どもの工作のように紙を貼り合わせながら建築を構想するそうですが、それを実現するには高い建設技術が必要です。1990年代に入ってコンピューター技術が進んだことで、1つ1つ形の異なる部材でできているような建築が可能になりました」。

1994年竣工の旧アメリカン・センターは、まだフォルムがぎこちなく、技術の限界を感じさせる。「ゲーリーの建物は奇抜な形態に目が向きがちですが、実際に訪れてみると、内部空間がとてもいい。それはこの時代から一貫しているようで、中に入ると風が抜けるような広がりが感じられて、壁に閉じ込められるような従来の建築とは異なる体感があります」

一方、郊外にあるルイ・ヴィトン財団(2014)は、木とガラスと鉄でできた帆のようなものが重なり合う、複雑な外観をしている。「ブランドは常に自分を裏切り続ける。それによって更新するだけの伝統を有することを誇示するのが、ブランドのブランドたるゆえんです。この建築も、ルイ・ヴィトンの高級なイメージにはそぐわないようでいて、そうでもない」。やはり内部は変化に富み、屋外と屋内が入れ子になったような、光と風が交錯する空間になっている。

旧アメリカン・センター、フランク・ゲーリー、1994年旧アメリカン・センター、フランク・ゲーリー、1994年
旧アメリカン・センター、フランク・ゲーリー、1994年ルイ・ヴィトン財団、フランク・ゲーリー、2014年

「パリの建築は、理性と野生の相克として見ていくことができます。強固な理性があるからこそ、浮かび上がってくる野生。強大な王権を背景とした新古典主義から、野生の発露である革命を経て、フランスにおける建築の意味はより重要になりました。ヴィオレ・ル・デュクが進めた歴史的建築の修復は、国家的・歴史的な意義を担うものでした。ミッテラン大統領によるグラン・プロジェは、理性的で文化的な権力の行使がいかにもフランス的です。21世紀のレ・ドックスも、『パリは、常に世界の文化の中心でなければならない』という自負に裏付けられているようです」。

■取材協力:ClubTap
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