沿線に住むか、遊ぶか、働くか。普段何気なく使っている山手線。知っているようで知らない魅力が各駅にそれぞれ存在しています。その魅力とは?

日本歴史学会・交通史学会の会員で様々な歴史関連の講師を務める小林祐一氏が解説します。

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東京駅の二つのドーム

東京駅の二つのドーム

 

山手線。首都東京を支える交通の大動脈であり、1日に約550万人が利用しています。全世界の鉄道駅乗降客数上位10位の駅に山手線の駅が6駅もランクインしているという、世界でもトップランクの規模の鉄道網です。

 

沿線に住んでいる地元の駅、職場がある駅、乗り換えるだけの駅、休日に遊びに行く駅。29の駅は人によってそれぞれに異なる顔を見せていることでしょう。そんな山手線29駅各駅の歴史を中心にその魅力を探訪していきます。

間口が長大な東京駅丸の内駅舎

間口が長大な東京駅丸の内駅舎

 

東京駅は首都東京の中心であり、玄関口でもある駅。その歴史の象徴となるのが、印象的な赤レンガ建築の丸の内駅舎。正面の間口が左右320mという、現在の日本の駅のなかでも長大な部類に入る建物です。

 

なぜこのような建物になったかというと、東京駅は終着駅形式ではなく通過形形式の駅として設計されたから。

 

明治維新を迎えた日本の鉄道はイギリスの鉄道を参考に開発が進められました。ロンドンの鉄道駅は、ヴィクトリア、パディントン、ウォータール―、リバプールストリートなど、多くの駅が終着駅の形式です。

 

終着駅形式の駅とは、終点駅で列車が行き止まり、進行方向が逆転して折り返して発車していく構造の駅。こうした駅では、列車の進行方向に正対して改札口を設けることができます。

 

しかし東京駅は、終着駅としては設計されませんでした。東京駅が計画された明治末期、すでに東海道線は新橋駅から開業、高崎線も上野駅から開業していました。

 

しかし新橋駅と上野駅を結ぶ鉄道が開通していない状態が、明治初期から続いていたのです。この状況を改善すべく、新橋と上野を結ぶ鉄道の中枢となる駅を途中に設け、「中央駅」として計画・建設されたのが、現在の東京駅です。

 

さらにいえば、この駅は天皇のお住まいに近い立地で、帝都を代表する駅としての風格も求められました。こうした事情から、当時の日本で最大の間口を持つ長大な建物になったのです。

 

「中央駅」の設計は近代建築の父と呼ばれる辰野金吾です。完成した駅舎は、赤レンガ造の壮大な3階建て、縦長の窓が印象的なビクトリアン・ゴシック様式に、イスラム建築を思わせるドーム屋根を持つ独特の様式。

 

皇族の利用を前提に、正面中央に皇室専用出入口を設け、「帝都中央ステーション」にふさわしい威厳を持つ壮麗な姿は、東京の新名所として話題を呼びました。

 

しかし、利用客の利便性ということではいま一つだったようです。イギリスの駅に多い、改札口(入口)と集札口(出口)を別々に設けるというスタイルを採用したため、丸の内南口は入場のみ、丸の内北口は出場のみ。

 

また八重洲側には旧江戸城外堀があって橋が架けられていなかったため、大きく回り道をしないと駅を利用できない状態でした。ちなみに八重洲側から東京駅に出入りできるようになるのは戦後となる1948年までまたなければなりませんでした。

 

次は「中央駅」から「東京駅」になったあと、現在のおなじみの駅舎について見てみます。

 

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修復工事を終えて3階建てとなった丸の内駅舎

修復工事を終えて3階建てとなった丸の内駅舎

 

この赤レンガの「中央駅」は、「東京駅」と名を変えて1915年12月20日に開業。

 

しかし1945年5月25日、第2次世界大戦の空襲に遭ってかなりの被害を受けました。戦後は、とりあえずの復興を急ぎ、炎上した3階は修復せず、2階建ての建物に変更。独特の曲線美だったドーム屋根は直線的な三角屋根に変更して再建され、戦後の日本の風景の中でおなじみの駅舎となっていました。

 

2012年、この赤レンガ駅舎を建設当初の姿に戻すという修復工事が終了。修復にあたっては、外観は往時の姿に戻りましたが、構造材は鉄筋コンクリート、免震柱を使用するなど現代の技術を活用しています。創建当時のレンガも見ることができます。

 

この修復工事にともなって、興味深いことが判明しました。それは、基礎工事に丸太が使用されていたこと。数100本の丸太を地中に縦杭として打ち込んで基礎としていたのです。なんと、東京駅の巨大な駅舎を支えていた基礎は、丸太だったのです。

 

この工法は日本の伝統的な工法で、古くは江戸時代初期の松本城天守の基礎工事にも用いられています。明治以降の近代化建築を代表する東京駅丸の内駅舎は、16世紀末の建築技術によって支えられていたのです。

修復工事前、ジュラルミンの丸の内南口ドーム天井

修復工事前、ジュラルミンの丸の内南口ドーム天井

 

丸の内駅舎の外観で印象的なのは南北2つのドーム屋根。円形ではなく8角形をしています。ドーム屋根は、戦後の復興工事では、屋根を直線的な形にし、天井はジュラルミンのシンプルなものにしていました。

 

修復工事後の丸の内南口ドーム天井

修復工事後の丸の内南口ドーム天井

 

平成の修復工事ではこのジュラルミンの天井を取り払い、残存した創建時の天井を復原しています。翼を広げた鷲、十二支のうち八支の動物、秀吉の兜などのさまざまな装飾を、写真などを参考に、可能な限り当初の姿に戻されました。

 

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修復された丸の内駅舎の屋根はスレート葺き

修復された丸の内駅舎の屋根はスレート葺き

 

この東京駅丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されています。現在、鉄道駅として現役で使用されている駅舎で重要文化財指定を受けているのは、東京駅と福岡県北九州市の門司港駅の2駅だけです。

 

修復された赤レンガ駅舎は、2階建て(一部3階建て)だった建物を、建設当初の3階建てに戻し、ドーム屋根も再建されました。屋根は天然スレートで葺いています。創業時に用いられた宮城県石巻市の雄勝石スレートを今回の修復にも用いました。

 

このスレートは、修復前の東京駅の屋根に使用されていたもの。石巻市の建築資材会社が汚れを除去し、大きさをそろえるなどの工程を経て6万5000枚が用意されました。ところがちょうどその時期に東日本大震災が起き、スレートは津波にのみ込まれてしまったのです。

 

流されたスレートを2週間あまり探して約4万5000枚を回収。そのまま使用すると塩害の可能性があるため塩分濃度などを調査し、破損したものを除き、約4万枚が使用されることになったというエピソードが伝えられています。

丸の内駅舎の化粧レンガは旧来のままの2階と修復された3階の間で微妙な差が目に入る

丸の内駅舎の化粧レンガは旧来のままの2階と修復された3階の間で微妙な差が目に入る

 

赤レンガも独特です。古いレンガはそれぞれ微妙に色が異なっているので、新たに用意した化粧レンガも違和感をなくすため3種類の異なるレンガを用意したといいます。

 

それでも外壁の化粧レンガをよく見ると、3階建てに増築した部分に新しいレンガが用いられており、わずかにレンガの色味が異なっているのがわかります。

 

また、レンガとレンガをつなぐ目地は、「覆輪目地」といって、特殊な鏝を使って目地の中央部をかまぼこ型に盛り上げさせる技法が用いられていました。

 

現代の職人には伝承されていない技術です。修復工事にあたっては、鏝の製作や、作業員に技術の習得をしてもらい、施工するということも行なわれました。

 

こうしたことは文化財の修復工事ならでは。ふだん何気なく目にしている丸の内駅舎ですが、さまざまなエピソードが秘められているのですね。

 

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更新日: / 公開日:2016.05.25